コロニア・ディグニダ 小児性犯罪者が作り上げた楽園
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第三章 拷問のはじまりー脱走少年の性器に電極

脱走少年のその後と言えば、残念ながら連れ戻されてしまっていた。教団は彼に懸賞金をかけ、新聞に懸賞広告まで出していたのだ。その結果、ある家庭に匿(かくま)われていた脱走少年を警察は確保し、その警察はあっさりと教団に少年を手渡してしまう。決死の逃避行でサンティアゴまでたどり着いたものの、少年は「すぐにコマンド部隊に連れ戻され」たと言う。なぜか、それはシェーファーが警察に圧力をかけていたからだ。裁判所には対しては事前に、「脱走少年は問題児だった」と吹き込むこと。それで裁判官は、「更生のため教団に戻すのが適当だ」と判断するのだ。このように司法はあっさりと権力者側にだまされる。「信用」とは「権力」とも重なるからであろうか。

教団に戻された少年はその後、特別な靴を履かされる。足跡で彼の行方がわかるように。さらに彼だけに赤い服を着せ、常に監視するのだ。そして、他の少年たちにたびたび逃亡した者をリンチさせたりもした。現代では、会社にとって不都合な真実を握る従業員を「問題社員だ」とうわさを流し、メールやチャットを監視することが「ブラック企業」でよく使われる手口として広く知られているが、それと全く同様の懲罰機能と言えるだろう。コロニアでの「村八分」は、それだけでも十分恐ろしいものだ。が、実はそれ以上の懲罰が病院の奥でなされていた。それは拷問だ。

脱走少年は馬用の鎮静剤を打ち込まれ、全身の至る所、性器にまで電極をつながれた。それを実行したのは、シェーファーではなく信者たち。コロニア・ディグニダは独裁者以外が全て平等の世界。「平等の世界を乱すはみ出し者は、罰せられるのが当然。皆が守っているルールを守らないからだ」と、それを当然の正義として皆が進んで懲罰に加担したのだった。

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映画『コロニアの子供たち』予告編◆2023年6月9日(金)~全国ロードショー!
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(映画『コロニアの子供たち』より)


では、ルールを守らなかったのは脱走少年だけだったか? 決してそうではなかった。当然ながら。例えば、恋愛禁止の規則を破った子どももいた。年頃になると、ほのかな恋心が生まれてくるもの。しかしコロニア・ディグニダでは、男女が交際することはご法度で、ほんの少しの恋愛の芽もファイル化され監視対象となった。その監視機能に役立ったのはキリスト教の「懺悔(ざんげ)」のシステムであった。恋心を抱いた少年少女たちは、年長者に”罪”を告白する。するとしばらくののち、仲間から棒で殴打される。なぜならルールを破ったから…。

50人の信者が恋愛した少女と、その親を責め抜く音声が残されている。その様子は音声だけにもかかわらず、おそらく一部の人たちの精神を病ませるほどの威力があるものだ。少女を「豚」と呼び、罵(ののし)り、侮蔑の言葉を浴びせる。試聴には注意が必要なほどだ。

罪の告白の機会すら監視に利用されているとわかれば、どこで誰に聞かれているのかわかったものではない。疑心暗鬼となり、こうして誰にも本音を話せない状態に陥ったコロニアの少年少女たちには結束や連帯がなくなっていく。お互いがお互いに背を向けるよう仕向けられたのだ。唯一支配できるのは、シェーファーただひとり。こうして完全な「独裁体制」が完成したのであった。

ところでシェーファーは徹頭徹尾、ミソジニスト(女性嫌悪者・女性蔑視者)であった。現代ならば「セクシスト(性差別主義者)」と表現してもいい。彼が男児と女児を完全に隔離したのは女性、特に少女を嫌悪していたからでもある。それはほぼ敵視とも言えるほど。女はけがれたもの、性的なもので、少年を惑わせる存在として、徹底的に抑圧したのだ。少女たちは手を毛布の中に入れることを禁止され、寝返りすらできなかった。シェーファーが少年たちを夜な夜な寮でレイプしていた一方、彼不在の少女寮で監視していたのはだれか? それは中年女性信者だったと証言されている。

「1日の食事は少量の水とパンひと切れ」(元信者の証言)。教団内で女性は地位が低く、事実を元に描いたフィクション映画『コロニア』(エマ・ワトソン主演)でも描かれたように、肉体労働者として強制労働に近い形の働き方をさせられていた。当然集団の中から、シェーファーにすり寄ることで権力者側に立とうとする女性が現れる。それを見事に利用したのだ。『侍女の物語』のリディア小母(おば)のように。

では、恋愛した少女はどうなったのか…。彼女は40歳近くになるまで、コミュニティーから孤立させられる。コロニア内で話しかけられることもなく、針の筵(むしろ)状態で20年も過ごした。40代になり、ようやくシェーファーに教団内結婚を許されたというが、彼女は「セックスの仕方すら知らなかった」とのちに語っている。性教育を全く受けていなかったため、子どもをつくることがうまくできなかった。

コロニア・ディグニダ 小児性犯罪者が作り上げた楽園
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コロニア・ディグニダを取り囲むフェンスの傍に立つ家族。1997年撮影。

青年脱走。告発。そして逃亡

1966年、19歳の青年が脱走したことを同年4月11日付の『エル・メルキュリオ』紙が報道している。青年ヴォルフガング・ミュラー(途中から姓が変わりクネーゼ)はパウル・シェーファーから性的虐待を受けかけたことで、脱出を決意。サンティアゴのドイツ大使館へ向かった(※)。

大使館内部にも教団に通じるものがある恐れもあったため、彼は老人ホームに匿われ、護身用に持たされた銃で自衛した。こうして『エルシーリャ』誌が教団の実情を記事に…。ところがそれよりも早く、シェーファーは自己防衛のため動き出していたのだ。

まずシェーファーは信者たち、そしてコロニア近隣の自分たちを慈善団体だと信じる人々に反指名手配キャンペーンを張らせた。結果、国内での捜査は打ち切りに。裁判所も無罪だと判定した。それだけではく、豊富な資金を背景に反転攻勢に打って出たのだ。コロニーは青年を逆提訴、現代で言ういわゆる「スラップ訴訟」である。告訴理由は青年が逃走時に馬を利用したことで「馬泥棒」の罪、教団内部での「同性愛」の罪、そして教団を貶(おとし)めたことによる「名誉棄損(めいよきそん)」である。

こうして教団は、被害者を逆に犯罪者に仕立てあげることで自分たちを守ろうとした。教団とグルになった裁判所は、少年に懲役5年を確定させる。一気に「逃亡犯」となった青年は、アンデスを超え、隣国アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからドイツに「亡命」。すると、4000人を前にシェーファーは青年の有罪判決を祝い、パーティーを催したという。

その後、1967年にも1人脱出。チリ政府は捜査したが、またしてもシェーファーによって懐柔(かいじゅう)されていた。こうしてこの後の数年間、教団は安定した運営を維持する。つまりは、シェーファーによる少年への性加害もまた繰り返されたのだ。

>第4回に続く 

※ 落合信彦著『20世紀最後の真実』(集英社刊)には、性行為を「された」と記述され、脱走青年の件でインターポールが動いたという記述もある。



Research: Miyuki Hosoya
 
【参考資料】

“The Torture Colony” The American Scholar, PHI BETA KAPPA by Bruce Falconer | September 1, 2008

Claudio R. Salinas, Hans Stange: Los amigos del „Dr.“ Schäfer: la complicidad entre el estado Chileno y Colonia Dignidad, Debate 2006, S. 51.
 
“German court rules Chile sect doctor should be jailed”
REUTER, Aug 16, 2017

20世紀最後の真実』落合信彦著(集英社刊) 初版:1980.10

"La mort au Chili de l'ex-nazi et pédophile Paul Schaefer" La Nouvel Obs by Cristina L'Homme, July 24, 2017

Colonia Dignidad: Eine deutsche Sekte in Chile(邦題:コロニア・ディグニダ: チリに隠された洗脳と拷問の楽園)』(2021)

Im Paradies』(2020)