第ニ章 開拓し、つくり上げた二つ目の”楽園”
1961年、ドイツで集めた信者たちおよそ300人を呼び寄せ、ハイデの孤児院を政府に売却して得た90万マルクの金で土地を購入。「コロニア・ディグニダ(尊厳のコロニー)」を設立する。
「震災の被害にあった人々にこそ私たちの団体が必要だ」と、ドイツの信者に声をかけた。信者はペドファイルのシェーファーをなおも信用し、チリへと集結。震災後復興の慈善活動にいそしんだところ、チリ政府に注目され、あっさりと300人分のビザが下りた。さらには、大統領官邸に招待までされたという。加えて、国から地震のあった南部エル・ラバデロの土地を譲り渡された。その広さ4400エーカー(およそ1780ヘクタール)、東京ドーム約380個分だ。
無論、性犯罪で告発されている説教師の呼びかけに応えようとする信者たちに、「あいつはうそつきのペテン師だ」「行くな! 利用されるぞ!」と忠告した人もいた。それでも多くの信者が出国し、まるで(中世ドイツで起きたと伝承される集団失踪事件)ハーメルンの笛吹男のついていくかのように…。これには大きな理由がある。それは東西の壁の建設。国の分断に出国を望む国民が続出した時期であった。これがシェーファーに運をもたらしたのだ。
そうして広大な土地を囲い込み、完全な自給自足の生活を送るべく開拓し始めた。周辺の町の住民は、なかなか農作物が育たない場所を開拓し始めた、異国の人間たちを奇妙な目で見ていたが、いざ出来上がると面食らってしまう。コロニア・ディグニダはもともと周辺に住んでいた人々にすら、自分たちの土地を通る際には身分証の提出を求めたからだ。まさに”ゲットー化”したのだった。
”エスタンジア(農場)”とあだ名が付けられたそこは、チリのサンティアゴから約350km南のパラルという町から40km以上、まさに「人里離れた」場所にある。“ディストリクトX(X地区)”と隠語で呼ばれることも。ナチスの残党を捜査するモサド(イスラエル諜報特務庁)や(ホロコースト生還者で「ナチハンター」と呼ばれた)サイモン・ヴィーゼンタールすらも、この場所は正確には見つけられずにいた。もしくは、わかっていても攻め込めずにいたと見られている。本物の元ナチス党員と取材に向かった落合信彦によれば(『20世紀最後の真実』集英社刊※)、「周囲の道には車が進めないような深いくぼみとトラップが掘られ、馬でないと進めないようになっていた」ということ。まさに要塞(ようさい)だったのだ。
恐ろしいのは信者たちに強制重労働を課し、その労働時間は1日16時間だったという。そして、もっと恐ろしいことに児童労働がまかり通っていた。子どもたちは教育も最低限にとどめられ、開拓のため働かされていたのだ。このモラル崩壊がのちに、性犯罪の温床となる。子どもと大人の境があいまいになったことで、親が自分の子を保護する意識が薄れていったのである。
※ 倫理的な啓発の姿勢が伴う近年の資料とはこの事件の扱い方が異なり、時代性からか「サブカル本」的な姿勢が見えるため読む際は注意が必要な作品。とはいえ実際に現場を取材することの重要性を思い知る貴重なルポルタージュであることに違いはない。
子を親から引き離し、シェーファーお気に入りの「少年団」を結成
シェーファーは「家族が大切」と説いた。コロニア・ディグニダにいる入植者全体をひとつの「家族」としたのだ。つまりは子どもはその実の親のものではなく、コロニアの子どもという解釈を皆に植えつけたということになる。これは多くのキリスト教宗派にとって基本概念でもあるもので、子どもは「神の子」になるために一時的に「生みの親」に預けられているに過ぎない…(※)。この思想をシェーファーは利用し、子どもを実の親から引き離して一カ所に集めることに。そして親と話したりすれば、鞭(むち)で座れなくなるほどうち叩(たた)いた。全ての子どもは、「森でジーザスから使命を授けられた」シェーファーの子であると…。そして男女を完全に分け、学校にも行かせず、新聞・テレビは禁止する。
さすがに親たちから反対意見も出るが、その都度「コロニアを発展させるための一時的な措置だ」と説得してきた。「もうかるようになれば、子どもたちの教育にも時間を割くし親と一緒に暮らせるようになる」と。
こうして子どもたちをグルーミングする手はずは整うこととなり、本格的に男の子たちだけのグループ「少年団」が結成される。同時に彼らは女の子たち大人たち同様に、1日中働かされたのだ。特に女の子は「メス豚」と呼ばれ、健康状態も顧みられず、大人同様に働かされた。それも休みなし、賃金もなし…家畜同然の扱いだった。
シェーファーが好き勝手できたのには、子を親から引き離した以外にもうひとつ別の理由がある。コロニーはきわめて辺鄙な土地にあって全てのものと隔絶されていること、住民は現金もパスポートもなければ、現地語であるスペイン語が話せないこと。こういった環境的条件のすべてが、小児性犯罪者シェーファーにとって都合よく働いた。
※詩篇127篇3節に「見よ、子どもたちは主の賜物(たまもの)」とある。これを典拠に「子は預かりもの」、よって子は親のものでなく、その責任も手柄も全てが親にあるのではなく、最終的には神にあるとされる。
脱走 ― 他人の貧しさに付け込み生き残る
ところが1962年、ひとりの少年が16歳で脱出を試みる。すると教団は、一斉に山狩りを実施。それが異様な様子だったことを、周囲の住人が『アクイ・エスタ』紙に証言。この騒動は、シェーファーを脅かすことに。これをきっかけに、「シェーファーはペドファイルであり、ドイツで逮捕状が出ている逃亡犯」という説が近隣に流れたのだ。
そこでシェーファーが打った一手は、病院の設立であった。撮影された教団の宣伝動画には白衣を着て、まるで医者のようにふるまう彼の姿を映りこませている。近隣の土地は貧しく、病院を必要としていた。さらに週二回の配給も行った。
少年たちを「風呂に入れる」を口実に犯行に及ぶ
このように彼の手口はこの事件前も、後も終始一貫している。シェーファーは貧しさと苦労に付け込むことに長けていたのだ。人の弱み、苦しさを助けてあげることで、自分への攻撃の矛を収めさせるだけでなく、優しくされた人間はその「恩」を手放せなくなる。それは、彼がいなくなったときに失うものが大きいからだ。シェーファーにとって「支援」とは、与えることで相手の生活というものを人質にすることでもある。
恐ろしいことに病院の設立で、地域に対して認められたと見えたその段階で、さらに少年への性虐待を加速させる。信用を得た周囲の住人の中から、さらに自分好みの美少年を見繕いはじめるのだ。特に、設立した病院に入院した少年たちの「入浴介助」を買って出たところなど、醜悪(しゅうあく)にもほどがある。ついには入院患者の少年たちの中からお気に入りを、無知な親をだまして養子にしてしまうことすらあった。しかし、この行為が後日、彼にもうひとつの騒動をもたらす。
Research: Miyuki Hosoya
【参考資料】
“The Torture Colony” The American Scholar, PHI BETA KAPPA by Bruce Falconer | September 1, 2008
Claudio R. Salinas, Hans Stange: Los amigos del „Dr.“ Schäfer: la complicidad entre el estado Chileno y Colonia Dignidad, Debate 2006, S. 51.
“German court rules Chile sect doctor should be jailed” REUTER, Aug 16, 2017
『20世紀最後の真実』落合信彦著(集英社刊) 初版:1980.10
"La mort au Chili de l'ex-nazi et pédophile Paul Schaefer" La Nouvel Obs by Cristina L'Homme, July 24, 2017
『Colonia Dignidad: Eine deutsche Sekte in Chile(邦題:コロニア・ディグニダ: チリに隠された洗脳と拷問の楽園)』(2021)
『Im Paradies』(2020)