縦長の国土をもつチリ共和国の中部に位置するマウレ州にあるコミューン「コロニア・ディグニダ(のちに、ビジャ・バビエラと改名)」。その歴史は1959年に2人の少年に対する性的暴行の容疑で起訴され、一部の信者を連れ西ドイツからチリへと逃亡したカリスマ指導者ポール(パウル)・シェーファーによってつくられます。

反共的なホルヘ・アレッサンドリ政権下の1961年、元ナチス党支持者であるシェーファーに対してマウレ州リナレス県パラル郊外の農場を与えられ、ドイツ移民コミュニティの運営が許可されます。 そうしてこの地でシェーファーは、自らの好みで選抜された金髪碧眼の美少年たちによって少年団を結成し、歌い、踊り、純粋で快活な姿を外界へのプロパガンダを行っていました。痩せた土地で、清く正しく、美しく暮らす清貧な開拓者たちのコミュニティとして…。

しかし、そのコミュニティの内側では、女性たちは1日16時間の強制労働を強いられ、少年たちは毎日のようにレイプされていたのです。レイプ被害者は数百人とも言われ、中には7~8歳の子どもまで…。ひとりのリーダーによる男児への性虐待はほぼ半世紀にわたり、ピノチェト軍事政権下でも継続され、その被害者は数百人に達しています。時の政権と司法の世界にまでネットワークを広げ権力を欲しいがままにした指導者シェーファーに信者たちは「豚」と呼ばれ、言われるがまま軍事政権にも協力します。最後には武装集団となったという、あまりにも悪名高い宗教コミュニティ…それが「コロニア・ディグニダ」です。

カルト集団から逃げ出した少女を描く、忌まわしすぎる映画

過酷すぎる環境であるにも拘わらず、信者たちはどのように洗脳され、人生を奪われたのか? それを想像上の「コロニア・ディグニダのプロパガンダ映像」という形で暴き出すストップモーションアニメー映画『オオカミの家(La Casa Lobo)』が、ついに日本で公開されることとなりました。

『オオカミの家』は膨大な時間を費やしたストップモーションアニメの圧倒的熱量だけでなく、現代アートとしての質の高さも光ります。映画『ミッドサマー』の監督アリ・アスターも絶賛! ちなみに本作の監督・脚本を手掛けた芸術家デュオ、レオン&コシーニャは、アスターの最新作『Beau Is Afraid』の美術を担当しています。

そこでエスクァイア日本版は、レオン&コシーニャにインタビューを実施。このアート作品を裏打ちする緻密で膨大な量のリサーチと取材について語られた言葉には、社会とリンクする現代アートの重要な側面をも見いだすことができます。

少年への性虐待 カルト 映画
© Diluvio & Globo Rojo Films, 2018
レオン(左)とコシーニャ監督

子どもたちを襲うダークな狂気

Esquire:あまりにも恐ろしくダークで、この作品をホラーとして観ました。とりわけ音による恐怖が際立っていましたが、ご苦労は相当なものだったのでは?

ホアキン・コシーニャ(以下ホアキン):この作品を撮り終えるまでに5年間かかりましたが、音をつくり込むためだけに同じ期間を費やしました。

音響担当のクラウディオ・バルガスに、ひとつのカットが出来上がっては送り、出来上がっては送りを繰り返し、その都度映像に合わせた音を制作してもらうというプロセスだったからです。音を付けてもらっている間に発見もあり、音が与える新しい影響も改めて気づかされました。クラウディオは、(企画の段階から)この音響のために長い時間を割いてくれました、8年もの間です。(的確な効果音を追求し)部屋でものを折ったり壊したり…もう感謝しきれません。

クリストバル・レオン(以下クリストバル):私たちは音に関して、10のルールをつくりました。クラウディオとともに「何をやって、何をやらないのか」十カ条をつくったのです。それがこの世界観に大きく貢献しています。 

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
映画『オオカミの家』予告編
映画『オオカミの家』予告編 thumnail
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Esquire:この作品は実際の事件を元にしているため、相当なリサーチが必要だったはずです。その過程で何か新たな発見はあったのでしょうか?

クリストバル:私たちは歴史的事実を語る映画ではなく、「新たな物語をつくる」ということに集中しました。おっしゃる通り映画をつくる前に、「コロニア・ディグニダ(以下、コロニア)」については膨大な資料を調べました。すでに多くの調査取材が発表されていましたから。ですが、映画をつくる段階で調べたことをすべて忘れることにして、フィクション映画をつくろうと決めました。

ホアキン:ひとつ付け加えるなら、取材時にコンタクトしたコロニア被害者たちから成る人権団体に、完成した映画を観てもらったのです。すると、「私たちの内的心情をこれほど正確に表現してくれたものはこれまでなかった」と言われました。そのとき、私たちの作品の方向性が間違っていなかったと認めてもらえたような気がしました。

Esquire:女性を主人公にしたのはなぜですか? コロニアの事件は圧倒的に性的虐待を受けた少年で有名です。

クリストバル:少年の性被害はあまりにも有名です。ですが、それだけを強調しないためにも、現実の事件としてあまりにも知られている少年の被害をイメージさせることを避けました。

ホアキン:この映画は、できるだけおとぎ話仕立てにしたかった。そのため、女性を主人公にしたのです。有名なのは圧倒的に少年の被害ですが、実際にコロニーの中では多くの女性たちも拷問を受けていました。何か規則に反することをすれば、半年間誰とも話をしてはならないとか、そういった非人道的な精神的な虐待を含めてです。 

少年 性虐待 事件
Anto
この作品はカルト教団のプロパガンダ映像、つまり、洗脳ツールという設定。コロニアを脱出したマリアが、外界で暮らし始めるところから物語がスタートする。

Esquire:一人の女性、マリアが主人公ですが、実在のモデルはいるのでしょうか?

クリストバル:この物語は完全にフィクションです。そのため主人公のマリア自身の人格も完全なるフィクション。ただ、このセクト(カルト集団)から逃げた女性は実在しています。1960年代にはじめて、コロニアから脱出した女性です。ですが、彼女はチリの警察に確保されたのち、コロニーに戻されてしまいました。彼女に関する事件資料があり、それを参照した部分はあります。とは言え、彼女をモデルにしてマリアを描いたわけではありません。

Esquire:何か具体的な参考資料をひとつ教えていただけますか?

クリストバル:多くの資料は映像ではなく、書類や書籍として残っていたもので、証言集や雑誌などもあります。ひとつ証言集を紹介するのであれば、『Delirios e Indignidad El Esteril Mundo de Paul Schafer(ポール・シェファーの負の遺産)』がありますね。この証言集が、実際にコロニアで暮らした人々の声が最も多く集積されていると思います。

DELIRIOS E INDIGNIDAD. El estéril mundo de Paul Schäfer

DELIRIOS E INDIGNIDAD. El estéril mundo de Paul Schäfer

DELIRIOS E INDIGNIDAD. El estéril mundo de Paul Schäfer

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ホアキン:現在、コロニアは観光地として運営されています。幼少期にコロニアに住み始め、今なおそこに暮らし、観光業に従事する人に話を聞くことが可能でした。今では自由に出入りできるため可能なのです。そういったインタビューは、マリアの人格を生み出すのに非常に役に立ちました。

Esquire: まるで異世界に入り込んだような錯覚に陥りました。おどろおどろしさに、認知機能がゆがむ気がしたほどです。これは作品の力によって、主人公の感覚を疑似体験させられているからだと納得してしまったのですが、これは間違っているでしょうか?

ホアキン:この映画を観ての解釈が正しいかどうか? は、観た人の受け取り方次第です。どう解釈されたとしても、それは間違いではありません。ですが、おっしゃったことは、私たちが表現したかったことのひとつです。ひとつのことに固執した環境に育った場合、そこから外の世界へと出た際、脳内で巻き起こる混乱には計り知れないものがあります。それが私たちが表現したかったものひとつであることは間違いありません。

クリストバル:この映画は、たまたまセクトを取り上げましたが、セクトで育った方たちに関してのみ描きたかったわけではありません。どんな人間も偏りのある環境に育つ機会はあります。例えば、誰しもが閉ざされた保守的教育を受けて育つ機会はありますし、私たちも若い頃は、軍事政権であるピノチェト政権の教育を受けました。それは今でも、私たちの人格に少なからず影響を及ぼしています。どんな国でも、どの地域で育っても、誰にでも何かに固執した生育環境に人生を支配される可能性はある。それを語りたかったのです。

ホアキン:まさにマインドコントロールは外的要因からなされるものですが、同時に内的要因、つまり自分自身で創り出したものも、さらに自分をがんじがらめにしてしまう。そのことも伝えたかったのです。 

少年性加害 チリ映画 オオカミの家
© Diluvio & Globo Rojo Films, 2018
制作中のレオン&コシーニャ

ビジネスというカルト。人権を容易に駆逐する実利という罠

コロニア・ディグニダはただの宗教団体ではなく、農業から国家事業の受注までを手掛ける一大産業でもあったことでも知られています。ビジネスとして成功している分、利益を得る地域住民も多く、政府も一蓮托生(いちれんたくしょう)であったため長い間人権侵害を断罪することをしませんでした。そのため、自分が被害に遭いさえしなければ、教団が罪を犯しているとわかっていても、その中で働き続けることを自ら選ぶ人もいた…。監督2人は、そんな組織がもつ恐ろしさも指摘します。

Esquire:コロニア・ディグニダというセクトの中に留まった人、脱出した人。何が違ったのでしょうか?

ホアキン:「留(とど)まる」と「脱出する」、この2つのグループを完全に別物と捉えるべきではないと思っています。セクト内部に残った人たちの中でも、強い信奉者の人たちもいれば、打算で残った人たちもいます。あのセクトはひとつの企業体、ビジネス集団でもあったため、「外の世界に出たところで一銭の得にもならないから」という非常に理知的、功利的動機の人たちもいたのです。そのため、留まった人と脱出した人で完全には比較できません。

クリストバル:ピノチェト政権のとき、コロニア・ディグニダは非常に閉ざされた世界でした。外から出ることも入ることもできない、国家警察も踏み入ることもできない――いわば、ひとつの国家のような様相を呈していました。やがて政権が倒れると、同時にシステムが崩壊していったのです。そうして民主化政権になり、多くの人が逃げ出しました。非情なトラウマ(心的外傷)を抱えてです。男性であれば薬物でコントロールされた方もいれば、シェーファーに性的虐待を受けた方たちも…。中で生きること自体が、恐怖だった方たちです。 

チリの少年性的虐待カルト事件を映像化
© Diluvio & Globo Rojo Films, 2018
描いては塗りつぶし、塗りつぶしては描きの途方もない繰り返し…。

Esquire:この作品を企画することは、非常に困難な道のりだったと思います。それを覚悟したうえで製作を進めたお二人には、現実の世界もダークなおとぎ話として映っているのでしょうか?

クリストバル:おとぎ話には、口頭伝承といった語り継がれる様式に興味があります。そういったものは、恐怖や悲惨な体験がベースになっていることが多いのです。世界にはディズニーであったり、ジブリ作品であったり、優れたアニメーション作品がたくさんあります。そこで私たちは、ラテンアメリカ版のアニメーションをつくり出したかったのです。ラテンアメリカのおとぎ話は、現実にあった問題に根づいています。そしてそれは、何らかの虐待や差別、抑圧などの社会的問題および政治問題と切り離せない世界に住んでいる人々の物語です。それらを含んだアニメを、ラテンアメリカ発アニメーションとして世に送り出したかったのです。

ホアキン:世の中はいつの時代も「善」と「悪」とが並行しています。暴力や社会問題に関し、映画を通し現代の人たちに話をしてもらうこと。そのきっかけを創出すること、それが私たちの望むことです。 


『オオカミの家』(2023年8月19日日本公開)

少年性虐待のカルト集団をストップモーションアニメで映像化
© Diluvio & Globo Rojo Films, 2018

1950年代末にドイツから南米チリへ移住した宗教コミュニティ「コロニア・ディグニダ」。「尊厳のコロニー」と名乗ったこのカルトは、表向き清貧な村のふりをしながら、指導者ポール・シェーファーによる拷問と虐待で信者たちを支配されていた。そして最も世界を震撼させたのが、信者家族の男児たちへ繰り返された性的虐待の実態。犯罪史に残るカルト団体の根幹にあった真の恐怖とは? 

8月19日(土)よりシアター・イメージフォーラム他全国順次公開

公式サイト