東京から郊外の海辺に通う生活が始まって4度目の春である。ちょうどコロナ禍と重なったこともあり、ぼんやり大海原を眺める時間も増えていった。日の出とともに目覚め伊豆半島に没する夕日を追っかけ過ごしていると、春夏秋冬は当たり前にその順番でやってくるし、今年も桜が咲き新緑を迎えるのである。

この季節三浦半島の入り江では小さな船に乗った漁師が、海岸の程近くで海面を箱眼鏡でのぞき込みながら、片方の手で長い棒を持って午前中ウロウロしている。これが陽春の到来を告げるワカメ漁だ。

箱眼鏡
写真提供:白洲信哉
海面をのぞき込むための箱眼鏡。

浜には漁師家族総出で大きな釜に湯を沸かし、ワカメを入れると程なく揚げ水で洗い、一つ一つ洗濯バサミで挟んで天日で干すのである。まさしく「一浦は若布に黒む日和かな」であり、これを塩ワカメと言う。

僕が好むのは、釜に入れる前の生のやつで、よく洗いそれをそのまま旬の生シラスを三杯酢にして生姜醤油で食したり、塩焼きにした白身魚の余熱に添えたり、釜揚げうどんなど出汁に放り込み、緑に変わった瞬間をかっこむと塩気を含んだ歯ごたえあるワカメが口の中で踊るのだった。

ワカメを干しているところ
写真提供:白洲信哉
ワカメを干しているところ。

子どもの頃から大学に上がるまで鎌倉に住んでいたが、この生のワカメのことは知らなかった。近くに住む漁師のNさんは、「地元の人って意外と知らないんだよね」という。地産地消との言葉通り茹でて干したものは店先に並ぶが、ナマは流通にのることなく現地で食され、また採っても大した稼ぎにならないのか? 堤防そばのテトラポット辺りにユラユラと揺れて見えるのである。

今年は寒の戻りがあり、これを書き始めた日に開花宣言が出たので、筍(たけのこ)の付け合わせに間に合うか微妙だが、一年中似たような食材の並ぶ都会のスーパーとの違いは、旬というのはまさしく「瞬」なのだとつくづく実感している。

ワカメ漁
写真提供:白洲信哉
ワカメ漁の様子。

日本海藻学の草分けという岡村金太郎博士によれば、亜熱帯から亜寒帯に温帯と南北に長く延びた日本列島は、世界のどこにも似つかない海藻の独立地帯を形成していると言う。昭和の初め太平洋にある海藻約3800種のうち、日本特産は約300種にものぼったと言う。

中でも「俗ニ貴ブ所ハ東海ノ海帯(昆布)」(唐書<とうじょ>)や同じくその『渤海伝(ぼっかいでん)』に「俗に貴ぶ所は南海の昆布」と記されたように、古来より蝦夷地から送られてきた昆布は希少価値が高く当時は貴重な輸出品であり、未だ僕ら味覚の中核にある。昆布の産地は北海道の開拓史とともに細目(ほそめ)、本場折(ほんばおり)、元揃(もとぞろえ)、三石(みついし)、長(なが)昆布と南から寒い北へと変遷しているが、近年の温暖化で収穫量は減り、つまりは北限があがっており、いずれロシアからの輸入品になるのではないかと僕は心配している。

ちなみに昆布の横綱を黒帯千利というが、これは厚さと黒さで決まる。葉の長さが九十センチ、末の口幅五センチ以上のものを一等とし、四等まで細別される。僕が好む利尻昆布の一等は、ほとんどが京都の問屋に行くという。僕は馴染みの乾物商からその半端を送ってもらい、おおよそ五センチ角三枚を一晩水に浸け翌日ゆっくり火にかけ、煮立つ寸前に鰹節などをいれ出汁をとっている。煮物、酢の物に蕎麦つゆなど毎日の料理に欠かせない週一のルーティーンだ。

昆布
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ずいぶん前のことになるが、初夏利尻島の昆布漁を取材する機会があった。北の朝は早く三時頃から明るくなるが、収穫期や漁の時間が厳しく定められていて、ある程度採った昆布を浜で待機している干す専門の人に託し、また漁場へとを繰り返していた。浜には綺麗に小石が敷き詰められ、その上に採れたての昆布を一枚一枚丁寧に並べ、1日で一気に天日干しするのである。だからこその旨味の凝縮した一級品が出来ることに感激し、また「のし」の語源になっていったのも頷けたのである。

ちなみに俗にエゾバフンと言われる甘みある雲丹は、この最上級の昆布だけを食す贅沢な雲丹で、出汁の味は変わらないが、穴のあいた昆布は売り物にならないので、昆布漁師にとっては厄介者扱いされ「馬糞」と呼ばれるようになったと言う。

ワカメを収穫しているところ
写真提供:白洲信哉
ワカメを収穫しているところ。

ワカメから昆布へ話しは飛躍してしまったが、この地のワカメ漁を見るまで恥ずかしながら昆布の若芽がワカメだとずっと思っていた。詳しく調べていると、同じコンブ目も39種ほどに分類され、ここ三浦半島には温帯性海藻のほとんどが生息しており、その数350余種にも及ぶ。ワカメと似たカジメにアラメという種もあり、かの味の素創立の担い手にもなったと言う。

このように原始、古代から現代の野菜に当たる海藻を食してきたが、季節に則した変化を受け入れながら育んできたのだと思う。本年の桜は開花から満開まで一気に花開いた感もあるが、すぐ散ってしまう桜への美的感性と食文化は同じ目線にある。一つの食材を「走り」「旬」「名残り」とその移ろいを楽しみ、儚(はかな)さに「美」を見出してきた稀有な先人たちの感性を失わずに生きたい。


白洲信哉
写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。