紅志野窯変黄瀬戸瓶
写真提供:白洲信哉
紅志野窯変黄瀬戸瓶(こうじの ようへん きせと びん)に生けたススキ、リンドウなど。

古都奈良に春を告げる祭りとして知られる通称お水取りこと、東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)。本連載(67話参照)でその美の一端について触れたこともあるが、コロナ禍以来3年ぶりに聴聞が許されたので、先月のリベンジと小観音(こがんのん)様お出まし(7日)に合わせウキウキ出掛けた。だが、「穢(けが)れはあかんな」と旧知のHさんにやんわり断られ、松明(たいまつ)だけ拝見しいそいそと退散した。いずれ「穢れ」についても書いておきたいが確かに迂闊(うかつ)ではあった。

天平以来1270余年一度の中断もなく続く奇跡の行は、携わる方々の不断の努力があるからこそではある。だが、北側階段に湯屋などの出入りすら管理されており、ましてお松明の火の粉を感じることすら叶わず消化不良、どうやら本年は春を待たず先が見えてきた。

東大寺
写真提供:白洲信哉

さて、心機一転。春と言えば「桜」。寒の戻りもあるがこれが公開になる頃はすっかり花の季節になっていると思う。原始よりわが国では、自然を崇拝するアニミズム的世界観が育み、精神性は例えば「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」といった言葉に象徴されているように仏教にも受け継がれていった。先のお水取りにも紅で染めた椿の造花が御本尊の十一面観音様に捧げられる。

新年正月の門松や夏の七夕の竹など、天上から迎えるカミの依り代(しろ)となり、魂が宿る草木は神仏への捧げものだった。やがて、神仏にお供えした草花を暮らしの中に取り入れ、花を生けはじめたのは室町時代。はじめは「いけばな」ではなく立華、「花をたてる」と言い、徐々に形式が整い花道の流派が整っていった。

読者の中には「花を生ける」。何て聞くと大仰に思われるかもしれないが、フラワーアレンジメントに代表される西洋との根本的違いは、わが国では花を「生ける」のである。欧米では園芸や鉢植えが盛んで、切花が贈り物になり豪華な花瓶に飾られる。つまりいかに外側をアレンジし、まとめるかを重要視するのに対し、僕らは草木には魂があり、その内面に「花」をみてきたのである。

茶道を大成した千利休は、「花は野にあるように」と生け方を説いているが、豊臣秀吉が朝顔を所望したときに、利休は庭の朝顔を全部切って、最後に残った一輪だけ床の間に生けたという有名な逸話がある。余計なものを削いで削いで、切り落とした最後の一輪の花に個性が現われる、「生け花」の真髄はこの捨てることにある。我々の文化を「引き算の文化」とも言われる所以でもあるが、これでもかこれでもかと華美に着飾るのが生け花ではないのだ。

以前池坊専永氏が「西洋では満開の花を美しく見せることに重きをおくが、和の生け花は蕾や半開の花を生けて、これから開花するであろう咲く未来を、見るものに想像させるのです」と話されていたことを思い出す。

桜を生けた壺
写真提供:白洲信哉
弥生時代の小壺に生けた桜。

さて、こうなってくるとますます「花を生ける」なんて縁遠いもののように思われるかもしれない。理想的には食べ物と同じく、先のように旬の野の花を摘んできて、ではあるが都会で野のものを扱う花屋は数える程、野花など買ってくることも難しい。

僕が特に大事にしているのは花を生ける道具花器である。良い器があれば花を入れ使ってみたくなるし、古器に生ければ特段の技術や可憐な草花がなくともなんとなくまとまるように僕は思う。花は総合芸術だと言う人もいるではないか。白洲正子は「器が先生だった」と述べていたが、桜を投げ入れた弥生時代の小壺は祖母の旧蔵品だ。

今月1日は祖父の命日だったので、青山斎場葬儀で祭壇を飾って以来献花になっている菜の花を余分に買ってきて常滑三筋壺(とこなめさんきんこ)に放り込んだ。平安時代末法思想の道具であり、中にお経などを入れて各地の経塚などに収められた壺である。表面に描いてある三つの筋模様からついた名で、宗教的な色彩を帯びた壺は献花に相応しいと思う。

常滑三筋壷
写真提供:白洲信哉
常滑三筋壺に生けた菜の花。

華道を嗜んだ方から見れば失笑であろうが、まずは生けてみることこそ肝要であるし、手法や草花の吟味より器選びにこだわり、生ける過程をまずは楽しんだらどうだろうか。「好きこそものの上手なれ」で、楽しんでいるうちに、花の留め方や水揚げの必要性も悟得するのである。

書家の字よりも詩人や画家の書、と言うように型にはまらない花は、自己表現の一方法でもある。花に新たな生を与えるべく非日常的な心積もりで挑戦すれば。いつもの何気ない部屋が、ほのぼのときっと温かな空気に包まれることだろう。なぜならそこにはあなたの心と草木の魂がこもっているからである。


白洲信哉
写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。