コロナ禍以前、年に何度かときには一月以上欧州を旅していた。主に仕事ではあったけれど、前後のどちらかにプライベートの予定を入れ、各地を旅するのが人生の活力に成っていった。

旅先の三種神器は古美術店、美術館や博物館にロマネスク教会や史跡など古くから聖地と言われるところ、空港でレンタカーをして巡るのが定番だった。最初の衝撃は一年英国遊学した後渡仏、パリでそれを借りイベリア半島一周旅行道中で出会ったサント=ヴィクトワール山の山容で、のちにポール・セザンヌが好んで描いた画題だったと知る。

ゴッホのアルルやモネの生まれた港町ル・アーヴルにセザンヌの故郷のエクサンプロヴァンス…。主に印象派以降の画家と縁のある地を積極的に訪ね歩く。中でも先のサント=ヴィクトワール山等の南フランスは、知人が中世の古城を所有していたこともあり、そこを起点に強烈な太陽の光に導かれたかのように地中海沿岸をウロウロしていた。

アンリ・マティス
Graphic House//Getty Images

現在東京都美術館で開催中の「マティス展」は、世界最大規模のマティスコレクションを所蔵するポンピドゥー・センター(パリ)が主催者として加わり、極初期の絵画から、彫刻やデッサンに版画、そして鮮やかな色彩の切り紙絵と、わが国では約20年ぶりの大規模な回顧展になっている。

周知の通り20世紀を代表するフランスの巨匠、アンリ・マティス(1869-1954年)は、ドランやヴィラマンクらとともに、フォーヴィスム(野獣派)の中心的な存在として活動した後、84歳で亡くなるまで感覚に直接訴えかけるような鮮やかな色彩とかたちの探求に捧げたと言われている。

マティス展
写真提供:白洲信哉
《赤の大きな室内》/1948年 /ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

マティスの師である画家のギュスターヴ・モロー(1826-1898年)は「君は絵画を単純化するだろう」と予言した通り、晩年のいわば集大成的な傑作と言われる《赤の大きな室内》(1948年)だが、マティスはすでに39歳の時には《食卓—赤の調和》(1908年 エルミタージュ美術館)でマティスの代名詞とも言える赤色の中に、花や果物など装飾的な図柄が響き合い、軽やかな不思議な空間を演出している。確かなデッサン力(以下写真)に裏打ちされ、ピカソのような激しい変貌とは対極にある多幸感に満ちた作品技法は早熟だったようだ。

マティス展
写真提供:白洲信哉
展示風景

「私にとって、絵の主題とその絵の背景とは同じ価値をもっている。もっとはっきり言えば、いずれが他より重要とは言えず、ただ構図、全体のパターンが大切である。絵はさまざまの色彩をほどこされた画面の組合せ、結果として表現の想像となる組合せによってできている。音楽のハーモニーのなかで各音が全体の部分をなしているのと同じ仕方で、私はそれぞれの色が全体を寄与する価値をもつことを望んだ。一枚の絵は統御されたリズムの配置である」『マティス 画家のノート』(1978年 二見史郎訳)

1895年の「読書をする女性」から年代に従って最後に紹介されている画文集『ジャズ』に至る画業を展覧していると、対象の追求から始まり、早い時期に絵画そのものの構図の追求と様々な試みの末に、絵画の母体である建築そのものヴァンス・ロザリオ礼拝堂(1948〜51年)という集大成に行き着いた道筋がよくわかってくる。

また、パリを中心とした創作活動の中で、コルシカ、サン=トロペにコリウール、アルジェリアやモロッコなど50歳の機にニースへ移住するまで地中海沿岸の街を旅し、またその後もタヒチやポリネシアにアフリカ芸術の蒐集など、画業と旅がいかに密接に絡み合っていたかがよくわかる展示だった。

アンリ・マティス展
写真提供:白洲信哉
画文集『ジャズ』1947年 /ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

最後の部屋に入ると礼拝堂聖母子のデッザンや祭服の背後に見えた淡いブルーの色に、僕は途端にある暑い夏の日、ヴァンスの街の急な斜面を登った丘に佇むロザリオ礼拝堂の光景が目の前に蘇ってきた。兎に角暑かったけど、あのブルーと黄色に幸せな心地になったことが思い出された。

普段大抵展覧会最後に紹介されているビデオなど見ることはないのだが、この展覧会のために撮り下ろしたという4K映像は見逃せない。マティスが愛した冬のやわらかな光りが差し込む礼拝堂内の一日を、最後には見る機会など叶わない妖しげな月の光が差し込んで終わるのである。

ロザリオ礼拝堂
ロザリオ礼拝堂 堂内 ©NHK

「わたしが夢みるもの、それは、人を不安がらせたり、心を重くさせたりするような主題をもたない、均衡と純粋さと静けさの芸術、あらゆる頭脳労働者たち、たとえば、ビジネスマンにとっても、文筆家にとっても、ひとつの鎮静剤、頭脳の鎮静剤であるような芸術、その肉体的な疲れをいやすのがここちよい肘掛椅子だとすれば、まさにその肘掛椅子にも相当するようなものなのだ」『世界名画全集別巻13<マティス>』(1962年 宮川淳訳)

マティス最晩年、建築空間のみならず家具や衣装に至る礼拝堂の空間演出は、三十代末に夢見たまさしく「疲れを癒す肘掛椅子」の集大成だったのである。

◇「マティス展」
会場:東京都美術館 企画展示室
会期:
~2023年 8月20日(日)
開室時間:9:30~17:30 ※金曜日は20:00まで。入室は閉室の30分前まで
休館日:毎週月曜日、7月18日(火) ※ただし、 7月17日(月・祝)、 8月14日(月)は開室
観覧料(税込):
一般 2200円、大学生・専門学校生 1300円、65歳以上 1500円
※小学生・中学生・高校生は、会期中無料。公式チケットサイト(ART PASS)にて日時指定予約が必要。
※無料観覧券をお持ちの方は、公式チケットサイト(ART PASS)にて日時指定予約が必要。
※未就学児は、日時指定予約不要。
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は、会期中無料。日時指定予約不要。
※高校生、大学生・専門学校生、65歳以上の方、各種お手帳をお持ちの方は、いずれも証明できるものをご提示ください。
TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイト


白洲信哉
写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。