昨年暮れ、コロナ禍でしばしご無沙汰だった講演会に呼ばれ「近江」へ。旧国名には自分好みがあり、生誕の地 東京は「武蔵」や「江戸」に違和感あるが、縁ある鹿児島は「薩摩」の方がしっくりくる。「近つ淡海」が語源である近江は、都があった志賀が転じた滋賀よりもしっくりくる(私見である)。

「近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、私は長命寺のあたりと答えるであろう」(白洲正子 『近江山河抄』)とある西国三十三箇所巡礼第31番札所長命寺と言っても一般には馴染み少ないと思うが、僕にとっては青春時代思い出の地で、講演会が開かれた近江八幡からほど近い湖畔の古刹だ。

近江八幡新町
写真提供:白洲信哉

近江八幡は近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」精神は知られたところだが、出身地により八幡に高島や日野など取り扱い商品にも専門性があった。

かの薩摩治郎八やITOCHUの伊藤忠兵衛など今でいうベンチャーは、利益の追求にとどまらず橋や学校を建てたりと、美しく豪奢な街並みから往時を思い出し偲ぶことができる。特に八幡のきめ細かい景色は、時代劇の舞台には欠かせない景観である。

近江八幡堀り
写真提供:白洲信哉
町の人々にとっての交通路や生活の場として、大きな役割を果たしていた八幡堀。近年観光名所として整備され、船着き場などが復元された

そんな近江商人発祥の商都、豊臣秀次が治めのちに天領となる近江八幡に春を告げる祭りが、日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)の左義長である。左義長は平安時代、宮中の小正月の行事が民間に普及し、「どんど焼き」と呼ばれ、注連縄や門松などの飾り物を焼き、お正月の区切りとした年中行事の一つである。

左義長祭り
近江八幡観光物産協会
左義長祭り
近江八幡観光物産協会

和の風情溢れる近江八幡だが、所々レンガ塀に囲まれた住宅に高い煙突があり、上げ下げ窓のモダンな洋風建築が目に惹く。1905(明治38)年、YMCA派遣の英語教師として来日したウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の20軒余の住宅や公共施設が街に点在している。

ヴォーリズ建築
写真提供:白洲信哉
ヴォーリズ建築事務所(当時はヴォーリズ合名会社)が設計した最初期の住宅「吉田悦蔵邸」。
アンドリュース記念館
写真提供:白洲信哉
ヴォーリズ氏が日本で最初に手掛けた建築物「アンドリュース記念館」。
近江園
写真提供:白洲信哉

他にも東京 山の上ホテル、大阪 大丸心斎橋店(1920年焼失)に軽井沢の近江園など各地に手腕を発揮、彼は日本人を妻に終生八幡に住み、メンソレタームの輸入や病院、図書館、学校の開設など、先のような近江商人の伝統通り多くの社会事業に力を尽くした。「建物の風格は人間と同じで外観よりむしろ内容にある」の彼の言葉が端的に示している。

僕は以前から気になっていたヴォーリズ建築を見聞し、縁があって池田町5丁目のヴォーリズ洋館街にあるポール・B・ウォーターハウスに宿泊することになる。彼もまた早稲田大学の英語教師として来日した折に、ヴォーリズの「近江基督教伝道団」に共鳴し八幡へ、当時はヴォーリズ合名会社の社宅だったこの宿泊施設に入居、6年間の移住生活だったという。

伝統的な米国の建築様式であるコロニアル・スタイルで、3階建て11室、目を惹いたのはビルトインタイプの暖炉だった。有形登録文化財「ウォーターハウス記念館」として、約100年前の建築はリフォームを施し、この春より宿泊施設として運用される予定だ。

ウォーターハウス
写真提供:白洲信哉
ウォーターハウス
写真提供:白洲信哉

古いものを修復修繕し次の世代に伝えていく。これがわが国の伝統である。だが、1964年東京オリンピックのシンボルだった旧国立競技場は惜しげも無く取り壊され、すったもんだの挙句日本人設計の新たなスタジアムが建った。

1000億と一口で言うが、この額はわが国年間の文化予算である! 古さは歪めないかもしれないが、「レガシー」というなら既存の施設を手直しするべきだったと僕は強く思う。格段に低コストの上、少し前に一時盛り上がりを見せた「モッタイナイ運動」にも通じるレガシーだったと思う。

八幡の街中に点在するヴォーリズ建築群に、古民家を改装したレストランなど当事者が去ってなおも、後世の人々が受け継ぎまた未来へ受け渡すことこそ「遺産」であり「伝統」が続くことなのだと、久方ぶりに真っ当な品格ある継承に出会えて幸せな旅になったのである。

◇左義長祭り(2023年)の案内
日時:
2023年3月11日(土)・12日(日)
場所:
日牟禮八幡宮およびその周辺
公式サイト

◇ウォーターハウス記念館の案内
住所:
滋賀県近江八幡市池田町5-21
営業時間:10:00〜16:00※通常は非公開。春と秋に特別公開を実施
TEL:0748-32-7003
公式サイト
※宿泊に関するお問い合わせは、TEL 0748-32-4654(近江八幡まちや倶楽部)または公式サイトよりお問い合わせください


白洲信哉
写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。