2023年令和5年の干支は卯。兎は洋の東西を問わず人気者で、古事記の「因幡の白兎」に代表される神話の時代から、世界各地に兎の物語が語り伝えられてきた(ちなみにインドネシアの類話では鰐(わに))。わが国では周知の国宝「鳥獣人物戯画」のモチーフから、「子孫繁栄」「長寿」「飛躍」「平和」などを象徴する吉祥文様として、絵画は勿論のこと、陶磁器や漆器、染織品に根付など、古くからさまざまなジャンルに兎の姿態が描かれてきた。

兎が描かれた皿
写真提供:白洲信哉
古染付吹墨平皿(中国明朝) 28センチ

例えばここで紹介した中国明時代(17世紀)の景徳鎮・染付吹墨兎図皿は、「月の中に棲む兎」の言説に従って制作された代表的なものだ。文献にもBC4〜3世紀すでにその記述があり(屈原著『天問』)、漢時代の『五経通義』に「月中有兎」と記されている。わが国でも古くから中国語で満月を意味する「玉兎」が、「たまうさぎ」と読まれ、また満月を意味する「望月」から「月でモチをつく兎」のイメージが定着していった。

この皿は、内側に兎の絵柄と短冊の形に切った型を置き、呉須を吹く「吹墨」と言う手法で制作されたもの。兎と月に見立てた短冊は白抜きで表し、中には短冊の中に「玉兎」や「春白兎」など染付で文字を描いたものもある。

つまりは小さな短冊そのものが「月」を象徴しており、兎が鼻先を天に向け、「月」を仰いでいるように見える。こうした兎図は、いわゆる古染付の物量が圧倒的に多く、兎だけでなく多種多様なモチーフが描かれた。

皿,に描かれた兎
写真提供:白洲信哉

古染付。好事家の間では南京染付とか天啓に、特別に区別された祥瑞などの総称で諸説あるが、1621年に即位した明の天啓帝から、清の順治帝が死去した1661年の間、世界窯業の中心地であった景徳鎮で焼かれた染付磁器を指す。

1644年明王朝滅亡前夜、それまで厳しい政府の管理下にあった陶工たちはその統制から外れ、それまでにない自由闊達(かったつ)な焼きものを作り始めたのである。中でも中国の伝統に見られない厚手の器や、虫喰いやホツと呼ばれる釉薬(ゆうやく)が剥がれた一見粗悪品に見えるものに、遊び心に溢れた茶人らが拾い上げ、奇抜な造形や絵付けの器が請来されたのだ。

最大の謎は、生産地 景徳鎮の窯跡からこれらの陶片など一切の痕跡が見つかっていないことだ。皿や鉢と言った日常食器だけでなく、数多くの水指や香合に向付と言ったいわゆる茶道具は、直接現地にオーダーメイドしたものだったに違いない。その市場は、伝世した夥(おびただ)しい数からわが国への独占的な輸出品だった。現代の研究でも伝統的な中国陶器の文脈からは完全に除外され、欧米では単なる粗悪品の一群に過ぎないとされている。言い換えるならガラパゴス化は僕らの伝統であり、独自の美意識なのだ。

粗悪品に見所を見出すのは、この連載でも度々述べてきた「景色」とか「シミ」など、経年変化による例えば李朝白磁の中にうっすらついた茶系のシミなどがその代表だ。一言で言えば、柳宗悦が「不完全の芸術」と呼んだもの。特に白磁の大壺は近年里帰りをしているが、生まれた民族の感性では、シミは単なる汚れとしてシミ抜きが行われ、生まれたばかりの真っ白い磁器に修復し公開されている。

皿
写真提供:白洲信哉

さらに付け加えるなら、前述した「月の中に棲む兎」など月を愛でる習慣は、仲秋の月見に昇華し久しいが、十三夜つまり翌月の片見月の習慣は本国になく、これもまた欠けたるものでも美しく、愛でる対象としたちょっと欲張りな僕ら独自の作法である。

輸入文化をアレンジし大切にしていく。わが国初の磁器である伊万里は古染の模倣から始まり、その代表的な絵柄として、吹墨の技法や兎の絵付けが量産されていったのは自然なことであった。

皿に描かれた兎
写真提供:白洲信哉

このように多くの美術や工芸品、暮らしの隅々に至るまで兎の生々とした絵柄を取り入れてきた。近年西洋由来のミッフィーや明治期著名な「ピーターラビット」の翻訳本が世界の先駆けだったことなど、多様な感受性は世界の中でも突出しているように思う。どうやら我々の文化は、両極の間を揺れ動く驚くべき適応性がある。

だが、最後にこれは余談だが、昨今は兎を「かわいい」対象として、単純化され過ぎるきらいがあるように思う。唐時代の藍釉兎(東京国立博物館蔵)や江戸期 四条円山派の描いたものなど、鋭い目を持ち異様に長い足など決して「かわいい」それだけではない。実際、兎(パンダも同じく)あの瞳の奥はふてぶてしく、可愛さとは無縁の恐ろしい獣がひそんでいる(私見である)、と僕はいつも眺めている。

さまざまな立場を取り時には後戻りしつつ融通無碍に本年も過ごしていきたい。


白洲信哉
写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。