旧暦6月を「水無月」と呼ぶ。暑さで水が涸(か)れるところから、「水無月」とか、田植えが終って農事が一段落したことから「皆仕尽」(みなしづき)など諸説ある。だが、旧暦ではちょうど梅雨が明けて、真夏の暑い太陽が照りつける現在の7月に当たるため、旧暦の情緒ある月名をそのまま当てることに無理があり、新暦との違いをもっとも実感する月だと思う。

諸説あるがそのまま素直に読めば水の無い月だがこれから梅雨真っ盛り、そろそろ旧暦をそのまま当てるのではなく、例えば基本的に6月1日に始まる「衣更え」も、5月の最高気温を更新した昨今の状況を見るにつけ、気候変動を加味した新たな暦を考える時期だと強く思う。

あじさい
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さて、今年は例年より早く5月末に梅雨入りした地域もあり、ゆっくり北上する台風が運んできたかのような梅雨の曇よりした空は、1年でもっとも昼が長く、太陽も高い位置を通る「夏至」(21日水曜日)の陽熱を寄せつけない。この頃は夜に月の出ない日も多く、曇った夜空を「五月闇」とも呼ぶ。太陽や星の光が恋しく(ここでは不二も)一年の半分が過ぎようとする季節である。

さて、今月30日は残り半年もつつがなく暮らせるようにと、各地でお祓(はら)いが行われる。祓えとは、知らぬ間に心身についた穢(けが)れや災厄などを取り除く神道に見られる神事で、宮中や神社では罪や穢れを厄払いするため年2度「大祓い」が行われる。1年の晦日(みそか)に行う「年越しの祓い」に対し、6月の晦日を「夏越(なごし)の祓い」といい、疫病を免れた蘇民将来の故事にならって行なう「茅(ち)の輪くぐり」は、この時期多くのお宮さんで(ときには料理屋さんなどでも)見られたかたも多いと思う。

茅の輪くぐり
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701年大宝律令により、宮中の正式な行事に加えられた由緒ある年中行事で、本殿や鳥居の下に、「茅の輪」と呼ばれる茅(ちがや)で組み上げられた大きな丸い輪が設えられる。参拝者は「水無月の夏越の祓いをする人は、千歳の命延ぶというなり」と唱えながら(正式はそれほど意識せずとも良いと僕は思う)正面から左へくぐって、もう一度正面から入って今度は右側へと、∞を描くよう3度くぐるのである(こちらはきちっとその通りに)夏越の祓いを「輪越祭り」という所以であり、夏越はカミサマを「和ませる」にも通じ、残り半年をつつがなく暮らせますようにという願いが込められている。

長い日本の歴史は、先般5類になったもののコロナ禍のような疫病との戦いだった。しばしば触れてきた年中行事は、季節の折り目と、疫病退散が大きな眼目だった。32話でも触れたが『日本書紀』に、「崇神天皇の五年、国中に疫病が蔓延し、死者は国民の半数に及んだ」と疫病流行の初出がある。この原因が三輪のカミ大物主の祟(たた)りだったとされ、宮中にきちんと祀(まつ)れば治まるとのお告げがあった。大物主の「モノ」とは生命を脅かす目に見えない悪霊「物の怪」であり、つまりあの新型コロナウイルスと同意である。

「モノ」は時には邪悪なカミ「鬼」にもなり、祓えの行事はそのために行なうもので、正月に「屠蘇(とそ)」を飲むのも「鬼を屠(はふ)る」、つまりは病を癒す飲み薬で、前々話端午の節句も然り、菖蒲や蓬を門に吊るして邪気を払う行事が祭りへと発展していった。その代表例である京都夏の風物詩「祇園祭」も疫病を流行させる行疫神・牛頭天王を鎮める祭りとして始まった。それはついては次話で詳しく述べたいと思う。

水無月
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ちなみの京都では、この日三角形に切った白い「ういろう」に、炊いた小豆をのせた和菓子「水無月」を食べる風習がある。この三角の形は削りたての氷を表し、宮廷貴族たちは山から切り出した氷を京の都まで運ばせ、甘い葛をかけ暑気払いをしていたことに由来し、特権階級だけに許させた贅沢への憧れから、庶民は氷に見立てた同じ三角形のお菓子を発明したのである。今でも京都の夏越しの祓えには欠かせない涼を演出するお菓子のようである。


白洲信哉
写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。