前話予告した通りわが国の祓(はら)えについて引き続き述べたいと思う。今年はコロナ禍明けということで、東京でも神田明神や浅草三社祭りなど各地の祭り復活の兆しだが、年中行事に加え広い意味で祭りも、厄除退散を起源とするものが多い。

京都のいや日本を代表する夏の風物詩、夏祭りとして世界的にも知られている八坂神社の祇園祭は、国家的規模の厄除を起源としている。(昨年2年ぶりに一部町内の山鉾建てが行なわれた)その鉾(ほこ)の数66は当時の国数にちなんだもので、釘を使わず木部を縄で組んでいく山鉾は、重要無形文化財に指定されている。異国情緒に溢れた奇抜な山鉾は、神輿というより大きな玉手箱の様で、観音、八幡信仰に、カミの注連縄(しめなわ)を稚児が切り、鳳凰が稲を咥え、枇杷(びわ)の他、柘榴(ざくろ)までみえる。異邦人が描かれた絵画に彫刻、ペルシャ絨毯などと国際色豊かである。

俗に日本は単一民族、国家などと言う方もいるが、民族の吹き溜まりとも言える様相を呈した期間は長かった。京は和様の代表と言えるが、おしとやかにかしこまった文化ばかりが「雅(みやび)」ではなく、この神輿のようにダイナミックな一面が多々あるように思う。一言では説明不可能な多様なる集団が、雅楽とお囃子に調子にあわせ、ありし日の「雅」な世界を垣間見せてくれているのである。

はじまりは古く869年に疫病が大流行し、牛頭(ごず)天王の祟りであるとした人々が、神輿をかつぎ鉾を立て祈祷したのが、祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)の始まりとされる。応仁の乱など一時途絶えたときもあったが、「洛中洛外屏風」に描かれた絢爛豪華な祭りは、7月1日から1カ月にわたり行われる。ハイライトは言うまでもなく、16日の宵宮と、17日の山鉾巡行だが、コロナ禍明けだからこそ、その由緒に焦点を当て噛み締めて欲しいと僕は思う。
巡行する山鉾の一覧

牛頭天王。もはや死語に近いとも思うが、明治元年の神仏判然令まで大変ポピュラーなカミサマであった。インドにおいて釈迦の修行場である祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神とされた牛頭天王は中国、朝鮮を経て日本に渡ると、陰陽道や暦を司るカミとなり、さらに疫神として疫病を退けるカミとして信仰されるようになる。ちなみに、祇園祭の各地区にくばられる粽(ちまき)は、厄除として玄関先に飾ったりするが、牛頭天王が旅先で世話になったお礼に「茅の輪」を渡したのが始まりで、粽はすなわち茅巻きであり、どちらも厄除のお護りなのである。

だが、明治維新政府の国家的宗教政策には誠に不都合な存在であった。一般に「てんのう」とは「天皇」ではなく牛頭天王を指し、非常に親しまれてきたからだ。日本はカミの国、その元首と同じ(オト)である異国のカミは、国家により葬られる。それまで感神院(かんしんいん)とか祇園社と呼ばれ、比叡山延暦寺の管轄下にあったが八坂神社と改称。牛頭天王は削除され、同体とされるスサノオがご祭神(さいじん)へ昇格する。これは京都に限らず、各地祇園社がたどった道で、全国的に行なわれた神仏分離政策であった。

6月晦日大祓の茅の輪(前話)に続き、除疫・防疫の行事は毎月のようにあるが、今年こそは穏やかな心持ちでくぐり、祭りに参加したいと思う。ちなみに牛頭天王ばかりでなく、本年大河ドラマの主人公徳川家康がのちにカミに昇格した東照大権現、古くは蔵王権現などの権現信仰や修験道、冒頭の神田祭りに代表される明神信仰など、カミと仏の境界にいる神々は、その後の修験道(しゅげんどう)禁止令(1872年)もあり徹底的に葬られたことを付け加えておく。

さて、この時期暑い京の夏に欠かせない食が「鱧(はも)」だ。鰻のように細長い円筒形の身体は、艶(なまめ)かしく黄金色に輝いている。顎の鋭い歯(牙に近い)は語源である「噛む」「食む」の意味を如実に感じさせ、肉食のハンターは秋に向け大きく育つ。特に京の都で珍重されたのは、まだ鮮魚輸送技術が発達していなかった頃でも、その生命力の強さから活けたまま運ぶことの出来た数少ない食材だったからである。祇園祭の頃、「梅雨の終わりの雨を飲んで旨くなる」と言われ旬を迎え(脂のさらにのった秋鱧を僕は好む)もっとも高価になる。

鱧
写真提供:白洲信哉
鱧
写真提供:白洲信哉

僕は白木のカウンター越しに、鱧の骨きりする涼しげな音を聞くのが楽しみだ。鱧は椀物や焼きに棒寿司にと色々な食べ方があるが、僕はしゃぶしゃぶし、熱々のまま食すのを好む。鱧の頭と骨からとった出汁に、白い身をさっとくぐらせる。肝心なのは火を通し過ぎると、身がボソボソになるのでその頃合いを見定め皿にとり梅肉と一緒に食す。鱧の上品な脂と梅の酸味が口の中に溶け合って、祇園祭同様お江戸では味わえない「雅な文化」だと僕は思う。

鱧
写真提供:白洲信哉

白洲信哉
写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。