秋真っ盛り、先月の中頃から山荘を拠点に信州各所紅葉狩りの最中だが、今年の彩りは場所によって差異が大きいように思う。酷暑の影響もあるであろうか。栗は実もつけず早くに落葉しイロハモミジの萎(しお)れがち、ドウダンもあっとう間に真っ赤である。中間がないというのか、草葉もゆっくり色づかず、11月に入る頃山荘の朝晩は急に冷え込み、昼間初の夏日の記録にも季節は確実に冬に向かってそろそろ冬支度である。その締めに恒例の戸隠から足を延ばし懸案の?富山市東岩瀬へ。

江戸期から活躍した北前船西廻り航路の廻船問屋は、明治維新による近世身分制解体によるビジネスチャンスを掴み、明治中頃から汽船運営に舵を切り、日本海海運各地の湊町は事業を近代化飛躍的な発達を遂げ、船主は地方銀行の頭取など地元財界の中心になっていく。神通川が日本海に注ぐ河口に発達した東岩瀬も例外でなく、道正屋馬場家に四十物屋森家など国の重要有形文化財に指定された豪奢な建物が当時の面影を現在に伝えている。

桝田酒造
写真提供:白洲信哉
今回訪ねた桝田酒造店

銘酒満寿泉で知られた桝田酒造の桝田隆一郎さんとは、賀状を交換する程度の付き合いだったが、「東岩瀬、またいらしてください」と本年は書き記してあった。僕が訪ねたのは十年程前のことになるが、本誌秋冬号のさるブランドの撮影場所にもなっていて、思い立って突然の訪問になった。桝田酒造は入ると「北陸工芸の祭典 GO FOR KOGEI 2023」(現在は終了)の関係ですか?と僕はそんなイベントすら知らずに恥ずかしかったが、ちょっと待ってくださいと言いながらあれこれ、「夕方まで時間ありますから案内します」と桝田さん。

まずは裏手の「桝田酒造店 満寿泉」へ行くと蔵の壁面に作品が飾られ、内部も醸造タンクや天井裏の元麹部屋など各所に作品が展示されていた。現代アートと言われる分野に僕は疎いのだが、地元の銀行や各店先に前述した重要有形文化財の奥座敷にあったパブ内など、街全体が会場となり作品が並んでいた。僕がまず感心したのはメインストリートに電柱電線がなかったことだ。「地下に埋めたのですか?」「いや、建物の後ろに移動しただけなのです」と桝田さん。歩きながら以前お会いした焼きものの岳さん他、若手作家が変わらずに現地で制作活動を続けていた。

桝田酒造店の寿蔵
写真提供:白洲信哉
桝田酒造店の寿蔵の壁面に飾られた、アーティスト葉山有樹氏による作品。
コムロタカヒロの展示作品
写真提供:白洲信哉
こちらも桝田酒造店で展示された、彫刻家コムロタカヒロ氏の作品。
酒蕎楽くちいわ
写真提供:白洲信哉
蕎麦屋「酒蕎楽くちいわ」。

昨今は蕎麦屋を皮切りに、フレンチや寿司屋など500mほどのメインストリート各所に出店している6つのレストラン全てがミシュランを取っているという。「昨日はシリコンバレーから客人があって、いろんな企みやったばかりで」とニヤリとする桝田さん。会場のハシゴの合間に、パブで一杯次には日本酒の立ち飲みとどちらがメインかわからなくなってきた。すると、「晩飯はふじ居くん取っておきましたから、でもその前にちょっと寄って欲しい」とまた携帯している。

すっかり様変わりした東岩瀬。僕はその苦労の一端も存じないが、アートを基軸に街づくりを進めた理由を尋ねると、「若い頃京都鷹ヶ峰光悦村の話しを読んで潜在意識みたいなものがあったかもしれませんが、行き当たりばったりなんです」と謙遜される。僕はかねてから「後世に残せるものは文化しかない」と持論だが、桝田さんが継いだ頃は寂れた空き家だらけの通りになっていたという。そこを一軒一軒手を入れ、と言っても一級の材を生かし改修し、若い人を住まわせアトリエ兼のギャラリーへ、そして昨今「食」の誘致が軌道にのってきたようである。建築家のデザインを超えた本物の古民家と、世界から集まってくる特級材とのアレンジはどこを切っても画になっている。

「実は白洲さんとは二十年位前Sさんの披露宴で初めてお会いしているのですよ」と桝田さん。僕はひっくり返るほど驚いた。結婚式なんてあの時以来後にも先にも一度切り、無謀にもさる大店の仲人を引き受け人生最大の表舞台? その時のことを言っているのである。骨董古美術業界に於いて富山出身者はおそらく日本一の数にのぼると思うが、代々の蔵元には当たり前のこととしての素養があり、各方面に歴代の人脈が根を張っているのだと「芸術村構想」に僕は合点がいった。

セラー
写真提供:白洲信哉

「僕の酒造りは平成からなんです」とセラーの奥には昭和以前の寂れていた頃のボトルが、自戒の意味を込めてか展示保存されていた。代々の歴史を守り伝えていくことは並大抵のことではないと思うが、街並みを修復保存し利用活用し生かしていく。代々、というのはまさにそういうことで、それが「家を継ぐ」ことなのだとかつて当たり前だったことの意味を実感する。神棚など家々の歴史を継ぐこと、文化は消費されずに循環していくのだと、古い建築に飾られた現代アート百年後の未来を想う。

僕が普段愛用している酒器たちも、4、5百年の間、人の手から手へこちらはささやかな一時預かりだが、少しでも同好の士を増やしていきたいと僕は改めて気を引き締めた。光悦村が滅びても光悦の茶碗や宗達の画は残ってきたのである。

神棚
写真提供:白洲信哉
白洲信哉
写真提供:白洲信哉
桝田社長(奥)と多治見の陶芸家横山さん(手前)

夕方近くになり桝田さんは、美濃の作家横山さんが持参した新作を並べて一緒に品定め。これから酒造の方と一緒にすき焼きのようだった。僕はお礼を言って別れた後、先の携帯で飯前に紹介された蕎麦屋に駆け込む。蕎麦前、という言葉は聞いたことがあるが、オススメの駆け付け三杯ならぬ熱燗に一口のせいろをすすり、記憶に間違えなければ三軒目の新たなオープンとなった二つ星へとハシゴ酒ならぬハシゴ飯。

僕の知る富山出身者は奥深くなかなか正体を現してくださらない方が多いが、「実は二十年前に、、、」と先の桝田さんの言葉に、もしや少し心を開いてくれたのではないかと解釈することにした。来年は折々に東岩瀬通いが始まる予感をしつつ、なぜかシラフのまま帰路に着いた。あまりの衝撃と適度なサイズのハシゴに酔う間がなかったのかもしれない。次回はアイラの樽に浸かった秘蔵の酒を、隠れ家のようなバーをハシゴし、心ゆくまで痛飲したい。

熟成樽
写真提供:白洲信哉

白洲信哉
写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。