中学に上がるまで、大晦日からお正月は湯河原の温泉旅館で過ごしていた。僕ら家族と小林の祖父母、その友人である今日出海(初代文化庁長官)さんご家族や作家の水上勉さんに某編集者ら、長い渡り廊下でつながった各部屋は貸切のようだった。温泉場定番の卓球にトランプや、昼間は池の鯉に餌をやったりと僕にとってのんびりした正月らしい風景の舞台が日本旅館だった。

こうした日本式の旅館や料理屋などの玄関で「靴を脱ぐ」というけじめの行為について少し前に触れたので繰り返さないが、「くつろぎ」の演出には欠かせない「間」だと思う。靴を履いたままベットに横たわる映画のシーンが時折あったりするが、かの歴史学者トインビーは、日本を訪れ玄関先で、「恐れ入りますが靴をお脱ぎいただけませんでしょうか?」と言われた時ほど恥ずかしかったことはなかったと後年語っていて、旅館のスタイルこそ世界のホテルのスタンダートとして、文化輸出を薦めたら良いのではないかと思う。

白洲信哉
Akiko Fukuchi
本年8月におとずれた伊豆修善寺の名旅館「あさば」にて。

さて、今は取り壊されてしまったが、京都に定宿のように通っていた日本旅館もあった。旅館といっても看板を出しているわけではなく、もしかしたら正式な営業権など持っていたのか今となっては怪しいが、先代の女将さんの頃は近衛文麿、吉田茂に志賀直哉ら、里見弴(さとみ とん)の小説の舞台にもなった清水五条坂の『佐々木』は、女将さんが亡くなり、親戚筋にあたる達子さんが跡を継いだ。

豪華なところは一切なく、数寄屋造の日本家屋だったが、誰でも泊まれるというわけでもなかった。というより、人づてに紹介された人だけが訪れることのできる特別な場所、今風に言えば「隠れ家」と言った方がいいのかもしれない。一日一組、家族だけの時もあれば祖父母と一緒のこともあり、特に祖母の白洲正子は取材のため京都に宿泊することが多く、荷物は置きっ放し、京都の別宅という感じで、鶴川の自宅(現武相荘)よりも長く過ごした時期もあった。

僕の一番の思い出は免許をとって初のロングドライブ、その一日目の宿も『佐々木』だった。五条坂の途中高い石垣のところを左へ折れると一つ目の角にその宿があるのだが、達子さんは若者の到着を外で待っていてくださり、車を駐車場へと誘導してくれた。きっと心配だったんだろう。以来車の旅の時には一人で泊まることも度々だったが、その頃は旅館に泊まるというより、京都の知り合いの家に遊び行く感覚だった。

京都
Calin Stan//Getty Images

周知の通り京の夏は蒸し風呂の如く、冬は深々と寒い。エアコンなんてないし、暖房も石油ストーブがあるくらい。夜中に長い廊下を歩きトイレに行くのが本当に嫌だったが、一方湯たんぽで暖められた蒲団で眠るのも楽しみの一つであったし、夏の夕暮れ室内に吹いた風を「極楽のあまり風どすな」と印象深い言葉に出合えたりと、現代の快適空間だけでは決して味わうことが出来ない得難き記憶満載である。

小林は「あの宿は国宝だよ」と先代の時語っていたように、手入れの行き届いた庭に、木の香りのいいお風呂。「仕出し」という京都特有の食事文化等など、「もてなしの心」と言えばぴったりだが、宿そのものが女将さんだった。特に杉苔(すぎごけ)が素晴らしかったが、毎日朝夕一時間ほどかけて欠かすことなく水をやっている女将さんがいた。桶で有名な「たる源」が作った高野槙(こうやまき)のお風呂は、薪で炊いた柔なお湯という以上に、年数の経過による味わいのある湯槽の木肌は、達子さんが皆の入った最後に、白髪を振り乱し一心不乱に磨いた日常の積み重ね、先のトインビーが感じた靴を脱ぐことで得られる「清浄」なる空間の集大成であったように思う。

達子さんが亡くなると同時に、宿もなくなったわけだが、晩年いつ行っても食事がカレーライスということが続いた。祖母は達子さんも歳をとって大変なんだろうと以来宿泊する機会も減っていったが、祖母はある日「解ったの、あれは達子さんのもう辛いから来てくれるなという無言のサインだったのね」と。

師走、年の瀬が近づいてもウクライナにイスラエル・パレスチナなど世界情勢は厳しさを増しているが、日本旅館の「くつろぎ」は、僕らと西洋における「平和」そのものの考え方の違いではないかとふと思う。「バランス・オブ・パワー」という考え方は、敵対するものの均衡においてバランスを保っていれば、「平和」だとするが、緊張状態のままでは決して「安らぎ」はおとずれないと僕は思う。外面的な均衡だけではなく、内面的な相互の信頼関係の上に「平和」は成り立つのであり、互いに靴を脱げるような「安らぎ」がおとずれることを切に願いつつ来春を迎えたい。

白洲信哉
Akiko Fukuchi

白洲信哉
写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。