東京では早くに桜が満開になり、春の最後の節気となる今月20日「穀雨」は、全ての穀物を潤す春の柔らかな雨を指す。「春雨降りて百穀を生化すれば也」と詠まれたように、この時期に種を蒔くと、田畑を浸す雨は植物の成長を助けるのである。

また、来月2日の「八十八夜」は雑節の一つだが、立春から数えて八十八夜目、気温は上がって寒さに弱いお茶の葉の収穫も始まり、いよいよ6日に「立夏」を迎え夏が始まるのである。

このように15日を一節気として五節気(雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨)で一つのこの場合は春の季節が終わり、その前18日間を「土用」と呼び、季節の変わる時期に体調管理に注意を促してきたのである。ちなみに「土用の鰻」が目立って取り上げられるが、「土用」は当たり前だが年に四回あるので念のため。

「モズの高啼き七十五日」という諺(ことわざ)の「七十五」も、15×5の七十五に由来し、モズの啼(な)くのを聞いたら秋、その七十五日後に霜が降ると言われ、「人の噂も七十五日」も一つの季節が終わればすぐに忘れてくれると、移り変わる季節の変化に人の思考が連動している国民性を示しているのだと思う。

特に農村部では農作業に追われ慌しくなる季節、芽吹きの遅い栗や柿も柔らかい葉を広げ始める頃で、我々の眼を一層楽しませ心浮き立つ季節。ちょうどわが国特有の連休ゴールデンウィークが始まるのだ。

茶畑と富士山
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昔、ある映画会社が、興行成績の最も良かった週を名付けたのが始まりだとされ、世界各地にこうした独自の連休がある。

英国には、「バンクホリデー」というのがある。ビクトリア時代(1837~1901年)、イングランド銀行が銀行機能を停止する日を定めた。銀行が閉まるとビジネスに支障をきたすので、国民全体の休日になっていった。つまり、法的には「休日」ではなく慣習法なのだという。英国らしい驚くべき話だ。

この時期英国でも高速道路は渋滞することが多いが、日本でもツーリングやドライブには、一年でもっとも気持ちのいい季節だ。僕は中央道下りが好きだ。八王子を過ぎると上り坂になり、両側はまばゆいばかりの新緑に心浮き立つ。標高が高いところに行けば残雪とともに桜も楽しめる。ゆく春の名残を嗅ぎ、贅沢な心地になる。

連休後半、5月5日は端午の節供。一年を通して重要な節目を五節供(人日、上巳、端午、七夕、重陽)と言い、中国では奇数が重なった日に、悪いことが起こると考え、人々は穢(けが)れを祓(はら)うために野山に出かけ、旬の例えば春の七草や菱餅に柏餅などを食し、大地の力をもらい健康で長寿したいと願ったのである。今も昔も人はあまり変わっていない証拠だが、節供も時世により変化してきた。

今は「こどもの日」という名の祝日が定着したが、1948年に制定されるまでは、「端午の節供」と言った。もはや「端午」の意味すら怪しくなってきたが、月の初めの午の日を「端午」と言い、5月に限ったことでもなかった。また旧暦午の月は5月に当たり、「午」と「五」のオトが同じであることや、月と日が重なることから「重五」「重午」などと呼び、厄除けの日として、中国漢代以降! 5月5日に定着していったという。

だが、本来は女性の節供だったという。旧暦5月は入梅を迎えカミサマに捧げる稲を表す「皐」の字に月がついて「皐月」とか、早苗を植える「早苗月」が短くなって「さつき」などとも呼ばれ、わが国では前述したように田植えの時期でもある。冬、山にお戻りになっていたカミサマを、その年の豊穣祈願に田のカミサマとしてお迎えする際、田植えをする少女(早乙女)が巫女となり、香菖蒲や蓬(よもぎ)で屋根を葺(ふ)いた小屋に籠もり身を清めた。それを「女の家」とか「女の夜」などと言い、かつては女性の節供として祝われていた。

平安の頃より宮中では、この日に菖蒲の髪飾りをして、病気や災いを祓う厄除けの日になり、一般には菖蒲の根を干し煎じて呑んだりしたのである。

菖蒲
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鎌倉時代に入り武士の世になると、「菖蒲」のオトが武を尊ぶ「尚武」に通じることや、「勝負」の願掛けとして、兜(かぶと)に菖蒲の葉をさし戦地に赴くなど、武家社会の習慣として尊ばれ、江戸期に入り家の存続をも願い、男の子がたくましく成長する祈願に、兜や鎧(よろい)を飾るようになったのである。

鯉のぼりも、その原型は戦場に掲げる「旗指物」だとされ、江戸時代に中国黄河に龍門という急な瀧(たき)があり、そこを一匹の鯉が登りきって龍になったとの「登龍門」の故事により、男子の立身出世を願って鯉のぼりが立てられるようになる。

菖蒲湯につかり、男子がいる家では鯉のぼりをあげるのが一般的だが、こうした植物や道具は、自然信仰や農耕儀礼、中国の思想など長い歴史の中で大事にされ、時代にあわせて解釈されていったのである。「菖蒲」は邪気を祓う魔除けだし、柏餅の柏の葉は、親葉が枯れても新芽を守るようにして落ちないことから、「子孫繁栄」の縁起担ぎの意がある。コロナ禍もひと段落の兆しだが、邪気を祓い無病息災を願った先人の知恵を見直したいものである。

鯉のぼり
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同じく先の雑節「八十八夜」の新茶のお茶の葉も、もとは殺菌、抗菌作用のある薬草として「八」の数字が重なるお目出度いこの日に、お茶を飲むと長生きすると言われてきた。お茶は沸騰した湯を少し冷まし、急須と茶碗にお湯を注ぎ温めておく。面倒でもこの行程をしたほうが美味い。いい玉露は水のままでも出る。これが最上である。

緑茶が昔から不老長寿の薬と言われるのは、ポリフェノールの一種カテキンが、抗菌化力が強く殺菌作用があるからで、古人は経験からそのことを会得していたのだ。ちなみに、茶畑が夜にライトで照らされているのは、霜よけのためである。

「卯の花の匂う垣根にホトトギス早も来鳴きて」。「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂り…」の文部省唱歌は、都会人の田園風景への憧れもあり、今でも愛唱?されている。昨今は地方に旅してもソーラーパネルに乱開発など、唱歌のような風景は減った。春は心弾む一方で、愁いを覚える季節であり、僕もそんな年になったのかもしれない。季語を意識しつつ、立夏に向けてゴールデンな季節を大切に過ごしたいと思っている。


白洲信哉
写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。