昨年(2022年)の10月本連載第62話で触れた「本歌取り」続編の企画展覧会が東京渋谷区の松濤美術館で開かれている。久方ぶりの松濤美術館。僕が初めて企画した展覧会小林秀雄生誕100年「美を求める心」展が、本館を皮切りに全国5会場で開催されたのが2002年の秋だった。2006年には、Y学芸員の意欲的な企画展「骨董誕生」に続き、2012年には、「古道具、その行き先」と題して故・坂田和實さん40年の蒐(しゅう)集に焦点を当てたユニークな展覧など折りに触れ来館してきた。

冒頭に記した通り昨年の今頃行われた「杉本博司 本歌取り―日本文化の伝承と飛翔」と題する前編の企画展が開催されたのが姫路市立美術館他であったため、杉本氏流のオチとして「本歌取り」に加え「東下(あずまくだ)り」と加題したのだと僕はすぐ理解した。したがって「東下り」と銘打つからには、『伊勢物語』を意識した新作もあるのだと内心思って出かけたが、いい意味でその期待は裏切られることになる。

富士山図屛風
写真提供:白洲信哉

「むかし、男ありけり」。これが『伊勢物語』125段から成る説話集の典型的な書き出しだが、ここでは恋多き男と言われた歌人 在原業平の生涯に深入りはしない。『伊勢物語』のうちでも人々に好んで読まれ、親しみを持たれ続けている件(くだ)りが、第9段「八橋、かきつばた、宇津の山、蔦の細道、富士見、隅田川、都鳥」の名場面で、物語を知らぬものでも業平の歌の余情から、絵画や工芸の意匠の題材になっていったのは周知のことだ。

例えば都を思って詠んだ「唐衣」の歌により、お能を確立した世阿弥が謡曲「杜若(かきつばた)」を創作し、かの光琳は国宝「燕子花(かきつばた)図屏風」などを描き、歌を本歌として「美」の創作の舞台として特に「八橋」は名所となった。

すでに杉本氏は先の姫路での展覧会において、尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」(MOA美術館)を本歌とする「月下紅白梅図」(2014年)や、「天橋立図屏風」(2022年)に「狩野永徳筆 安土城図屏風 想像屏風風姫路城図」(2022年本展前期展示)と屏風仕立ての連作が続いているし、同じく光琳「八橋蒔絵螺鈿硯箱(やつはしまきえらでんすずりばこ)」(東京国立博物館)など 八冨やかきつばたに絡んだ新作があるのではと「東下り」の表題から僕は踏んでいた。

地下一階の第一会場に入ると真っ先に「富士山図屏風」が目に飛び込んできた。あらまあ、なんとこれは俗に言う「赤富士」、かの葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」そっくりの富士の山容が屏風仕立てのお姿で現われたではないか。しかも伊勢物語の歌の通り「五月の晦(つごもり)に雪いと白う降れり」(新暦では六月)を選んだのか? 「鹿の子まだらに雪の降るらむ」の如くうっすらと雪も残っている。

会場もいつもの? 暗い設(しつら)えでなく、地下まで自然光が入り込んだ建築家の意図を生かした展示に、究極には自然の光が一番だと改めて気付かされた。面白かったのは屏風なので、右からまた左から富士は尖ったり、平面では決して味わえない趣向になっていたことだ。

富士山図屛風
写真提供:白洲信哉
富士山図屛風
写真提供:白洲信哉

「日本文化の伝統とは、旧世代の時代精神を本歌取りして、そこに新たなる感性を加味しながら育まれていったのだと思う」と杉本氏は語るように、各時代例えば先の燕子花図に於いて光琳は、八橋と言いながらも橋や川の流れに水などを端折って、燕子花だけを描くことで表現したのである。

時代はずっとあがり平安時代藤原定家は、『古今和歌集』の有名な素性法師の「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」から、「見渡せば花も紅葉もなかりけり」と『新古今和歌集』の時代になり表現した。大変深遠なる美的表現と言わざるを得ないが、杉本氏も「本歌取りの美意識は、藤原俊成、定家父子によって整備され定着することになる」と述べる。

展覧会を訪ねていつも感じるのは、一つの感動があれば十二分大成功だと言うことだ。北斎の冨嶽シリーズは、実景からの切り取り方だと確信したし、この屏風は山梨県の三つ峠から撮影したものだと知ると行ってみたくもなる。無論これと同じ景色が見えるはずもないであろうが、さらに目を凝らして富士の天辺を凝視すると、尖り方までそっくりだと連想は勝手に広がっていく。

僕はコロナ禍で海越しの富士を眺める機会が多々あり、特に北斎の「神奈川沖浪裏(おきなみうら)」も、世界一海越し富士の実景から得た独創的創作なのだと、これを見て確信した。

杉本博司 本歌取り 東下り
写真提供:白洲信哉
第二会場に展示されている銀塩写真

二階の第二会場に上がると、新作の印画紙に現像液を浸した筆で文字を描いた写真技法による書の新たなるシリーズや、松濤美術館を設計した建築家 白井晟一(せいいち)による建築の移築計画など、旺盛なる創作の今後もまた楽しみな展示が続いている。

「東下り」の道行きは、その名の通り「いいもの、優れたもの」は必ず下ってくるという貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)の如く、上等なくだり酒やくだり油のように、日本文化に流れる「本歌取り」の通奏低音を奏で、これからも上質に下っていってと思う。ちょっと心配があるとしたら海景から宇宙へと、視点はさらにあがってきたことかもしれない。「くだり」の反対は「あがり」、一丁なんとかにならず貴種の流離を極めていって欲しい。お後がよろしいようで。禁句である。

杉本博司 本歌取り 東下り
写真提供:白洲信哉
第二小部屋に展示されている宙景、他

◇展覧会「杉本博司 本歌取り 東下り」の案内
会場:渋谷区立松濤美術館
会期:
2023年9月16日(土)~2023年11月12日(日)
   ・前期:9月16日(土)~10月15日(日)
   ・後期:10月17日(火)~11月12日(日)
   ※会期中、一部作品に展示替えあり
開館時間:10:00~18:00(金曜日のみ20:00まで)
     ※最終入館は閉館の30分前まで
休館日:毎週月曜日(10月9日は開館)、10月10日(火)
観覧料:一般 1000(800)円
    大学 800(640)円
    高校生・60歳以上 500(400)円
    小・中学生 100(80)円
    ※( )内は団体10名以上及び渋谷区民の入館料
    ※土・日曜日、祝休日は小・中学生無料
    ※毎週金曜日は渋谷区民無料 
    ※障がい者および付添の方1名は無料
    ※入館料のお支払いは現金のみ
TEL:
03-3465-9421
公式サイト


白洲信哉
写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。