※この記事は元々、『エスクァイア』US版の1968年2月号に掲載されたものです。この記事の著者であるスタンリー・ブースは、ローリング・ストーンズについてつづった優れた著書をのちに世に出す音楽ジャーナリスト。そんな彼が、1968年にエルヴィスがNBCテレビのライブ番組でカムバックする数カ月前にこの記事を執筆しました。一部の人種、性別、社会階層に関して不適切な表現が含まれていますが、そのまま記載しています。


1968年、記者のスタンレー・ブースがキング・オブ・ロックンロールことエルヴィス・プレスリーに取材を試みようと探していたとき、彼は夫であり父であり、そして牧場主でもありました。ですが、“Elvis the Pelvis(骨盤のエルヴィス)”と韻を踏んだ愛称で呼ばれるほど、あの独特な腰の動きに関しては見せることもなく、さらに長いもみあげも——。ですが、その精神は全く変わっていませんでした。

芸能界の頂点に立った後のエルヴィスの生活

彼が育ったテネシー州メンフィスから、隣のミシシッピ州ウォルスへと向かう途中-「Church of God* pastor C.B. Brantley DRINK DR PEPPER」と書かれた大きな看板を少し行って右に曲がったところ-に小さな牧場があります。緑豊かでなだらかな160エーカーのその土地は、貧しく荒涼な土地が広がる北ミシシッピにしてはとても美しい眺めでした。

※Church of God:米国テネシー州に本部を置くペンテコステ派のキリスト教宗派

その牧場の所有者は(当時)33歳で、10年以上前から億万長者になっている人物です。他にも、もっと美しく洗練された邸宅を持っていますが、彼の最近のお気に入りはここのようです。ダイヤ型に編まれた恐ろしく頑丈な鋼鉄ワイヤー製のフェンス、さらに8フィート(約244センチメートル)の高さの杭柵によって赤煉瓦づくりの端正な家は安全に囲われているので、美しい新妻とのプライバシーを確保するには充分のようです。

そんな私生活を共有しているのは、子馬を含めて22頭の純血種の馬と警備員を含む9人のスタッフたち(かつて、スタッフが12人いたこともありましたが、牧場主夫人の希望で人数が減らされたとも囁かれています)。これらの加え、定期的な訪問者もいます——この中に入ることができるのは、スタッフら許可されたものたちだけで、その中にはクリスマスや誕生日に牧場主から贈られたキャデラックを運転して訪れる者もいます。

一方、敷地内に入れない人たちはフェンス越しから内部をうかがっています。また、牧場主が乗馬に出かけるなどの場面をひと目見ようと、道路沿いには観光を目的とした者たちの車がずらりと並んでいます。ここ1年の半分以上休んでいる若い牧場主にとって、自由な時間を楽しむためのプライバシーは極めて重要なものです。彼の年収は約500万ドル(当時の為替1ドル=360円の固定相場で換算すると、約18億円)。税金を考えると、これ以上働くのは無意味なのです。

でも彼は、成功するほんの数年前まで国営の低所得者向け住宅に住み、トラック運転手や映画館の案内係として働き、ときには1パイント(473ミリリットル)10ドルで自分の血液を売らなくてはならないこともあるほどでした…。その暮らしは、非常に貧しいものだったのです。そうだとしたならば、その牧場主…彼=エルヴィス・プレスリーは、まさに偉大なるアメリカのサクセス・ストーリーそのものなのです。

牧場の正門のそば、エアコンの効いた小屋には、ニヤリと笑う小柄なエルビスの叔父トラビスが座っています。小柄でインディアンのような黒い髪と黒い肌の持ち主で、身頃にゴシック体で黒く「E.P.」とつづられた白いシャツに黒いウェスタンパンツを穿(は)き、膝の上に麦わら帽子を乗せていました。

そんな彼は、エルヴィスの家に忍び込んだ熱狂的女性ファンたちのエピソードをしゃべるのが好きでした。「古いピンクのキャデラックの下から、1人引きずり出したこともあるよ。彼女は私の足音を聞いて、車の下に隠れたに違いないね。私から見えたのは突き出している足だけだったから、私は『出てくるんだ』と言って彼女の足を掴んで引っ張ったんだ。そこで出て来た彼女は、モーターオイルまみれになっていたよ」と、トラヴィスは言います。

elvis presley
ullstein bild Dtl.//Getty Images
グレイスランドにて。1960年撮影

「そもそもどうやって皆、入り込むのか」と尋ねると、トラヴィスはこう答えました。

「まさに忍び込むって感じだよ。柵を飛び越えたり、それが無理なら柵の下から潜り込んだりね。ほんと、山羊かと思うよ…。門に鍵がかかっていないときには、平気で車で通り抜けてくるしね。グレイスランド(※)じゃ、1台の車が目の前を通り過ぎていったこともあったよ。私は追いかけもせず、門に鍵をかけてみたんだ。彼女たちが家の前まで行って満足して、もとに戻ってきたとき…自分たちが出られなくなったことがわかるとこう言ったんだ、『門を開けてください』ってね。私は、『お嬢さん、もうすぐ保安官が来ますよ』って答えたんだ。で、みんな私が本当に怒っていると思ったらしく、1人が『保安官を呼ばないで、ママに殺される』って言うんだ。そこで私は、『刑務所から出るまでは殺されないさ』と答えたさ。そのとき彼女は、死にそうな顔をしていたね…。そこで私が笑い始めると、安心したらしく、『また来て、おしゃべりしてもいい?』と尋ねてきたから、『いいよ』と言ったんだ。けど、彼女たちはすぐに帰っちまってね…。彼女たちは去ったあと、『話をしたかったら、なぜそこで残っておしゃべりすればいいのに、なんですぐに帰っちまったのかなぁ?』って、ふと不思議に思ったね。すると、しばらくして彼女たちは母親を連れて戻ってきたんだ。その母親が言うには、私が脅したせいで誰かわからないけど、一人がお漏らししちゃったって言うんだよ…」。

※テネシー州メンフィスにある、エルヴィス・プレスリーの邸宅とその敷地。エルヴィスが亡くなった後は全米が誇る一大観光地となった。

そう言ってトラヴィスがのけぞって笑うと、たくましい白い上半身が目に入ります。車道には片方のドアに、「T.J.スミス」と彼の名がつづられた赤いフォード「ランチェロ」が停まっていました。名前の上に刻まれていたのは、牧場の名前「Circle G」。そこで私は、「“サークルG”とは、どういう意味なんだい?」と彼に尋ねました。

するとトラヴィスは、「グレイスランドかもしれないし、彼の母親の名前グラディスの意味かもしれない」と答えます。実の姉の話になると、トラヴィスは真剣な表情になります。「エルヴィスは、母親のために買った古いピンクのキャデラックをまだ持っている。運転することはないのに…ね。ただ記念に持っているんだよ。彼は必要な車は全部持っているんだ。4、5年前にロールスロイスを買ったし、この牧場を手に入れた直後に、10万ドル分のトラックやトレーラーも購入した。金には困っていないからね…。エルナンドから来ている若者が柵のところで作業をしていたら、エルヴィスが新しいピックアップトラックで見に来たんだ。そこでその若者が、「あのトラックはいいですね。ずっと1台欲しかったんです』とエルヴィスに言ったんだ。するとエルヴィスは、『1ドルあるか?』と尋ね、彼が『あります』と答えながらエルヴィスに渡すと、エルヴィスは『あれはもう君のものだ』って言ったんだよ…」。

彼は「ハリウッドで自分はどう行動すればいいのかわからないんだ」とよく嘆いていた。それは実際、本当にわかっていなかった…

トラヴィスは次に、新妻プリシラの話をしました。彼女は最高時速100マイル(時速約161キロメートル)以上出るゴーカートで、エルヴィスにグレイスランド内の車道をドライブさせ、フェンスの外できゃあきゃあ騒いでいる女の子たちに見せびらかして揶揄(からか)うのが好きだったようです。そう言うトラヴィスは、次に吐き捨てるようにこう言いました。

「朝7時から夕方 6時まで週に5日、人が入らないように見張っているんだ。もう限界だよ。2、3週間入院して休みを取ろうと思っている」と…。私は、「仕事中に観るためのテレビでも買ってはいかがですか?」と提案しました。彼は「ああ、そうだな。買ってもらえると思う。面白い本でもいいな…」。

門の外には、グリーンのシボレー「インパラ」が停まっていました。そのレンタカーには、ニュージーランドから来たという2人の女の子が乗っていました。「彼は家にいるの?」。私が「誰が?」と尋ねると、1人は嘲(あざけ)るように笑い、1人は無視してこう言いました。

「彼と話をした? 彼はなんて言っていた?」。私は目を逸らし、ありがちな言葉を言おうとしました。道の向こうにある家の屋根の上にはカメラを構えた男がいて、ここサークルGの写真を撮っていました。私は女の子たちにこう言いました。

「明日、ローズマーク(※)まで行って、あの雌馬を見てみようよ」。女の子たちは不審そうに、「どういうこと?」と言います。「エルヴィスがそう言ったんだ」「それだけ?」「君たちは昨日来るべきだったんだ。彼は『誰かペプシを持ってきてくれないか』とも言っていたよ」。ペプシはピーナッツバターとマッシュしたバナナのサンドイッチと同じくらい、エルヴィスの好物でした。でも女の子たちは、唸るような音を立てて「インパラ」を走らせると、私の靴を埃(ほこり)まみれにし去っていきました。

※テネシー州にかつて存在した町


エルヴィスの人となりを自分の目で確かめる前に、共通の知人に彼のことを訊(き)いてみたことがあります。「彼は問題ないよ。話してみるととても面白い男だ」と言います。そして、「これまでに彼に言われた一番面白いことは何か?」と尋ねると、その人はあごひげを引っ張りながらじっと考え込みました。そして、こう答えました。

「そう言えば、『あんたのあごヒゲみたいなのって、伸ばすのにどれくらいかかった?』て聞かれたことがあってね。そこで『3カ月くらいかな』って答えたら、『俺もいつかヒゲが生やしたいんだ。いいだろう?』と言ってウィンクしたよ(※)」。

※この頃からエルヴィスの顔には、特徴的な長いもみあげ(頬ひげ)が現れ始めました

また、エルヴィス一家と一時期特別な関係にあった友人は、「エルヴィスは大麻も幻覚剤もやらない、とても真面目な男だ」と教えてくれました。「ハリウッドにいてもナイトクラブやプレミアには行かず、仕事以外でベルエアの豪邸から出ることもほとんどない」と言っていました。また、エルヴィスの古い友人は、こう描写しています。「彼はよく、『自分がどう行動すればいいのか、わからないんだ』って恐れていたけど、実際、本当に彼はわかっていなかったんだな…」。

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CBS Photo Archive//Getty Images
パーカー大佐、エド・サリバンと。1956年

メンフィスにいても、彼の自由時間の過ごし方は大富豪にしては実に地味なものでした。1957年にエルヴィスは、19世紀の葬儀場のような白い柱のある大きな屋敷-グレイスランドを購入しました。その頃の彼はローラースケートに夢中で、地元のリンクの営業時間が終わると彼は取り巻きたちと一緒にリンクへと入れてもらい、夜明けまでスケートをしてはホットドッグを食べてはペプシを飲んでいました。

そしてスケートに飽きると、次はフェアグランドの遊園地を貸し切り、友だちたちとローラーコースターや特にお気に入りのダッジム(Dodgem=車体の周囲をグルリとバンパーで囲んだ小さなクルマ、いわゆるバンパー・カー)、観覧車などのアトラクションを夜明けまで楽しむようになりました。ここでも、ホットドッグとペプシがお供でした。

エルヴィスは(当時)最近まで、地元の映画館「The Memphian(メンフィアン)」を貸切っては主に自分が交際したことのある女優の映画を中心にレンタルしては観ていました。メンフィアンにはホットドッグの設備はありませんでしたが、ポップコーンとペプシはたくさん用意されていました。結婚して間もなく妻が妊娠して父親になった彼は、まだ赤ちゃんが生まれてない段階で、夜はあまり出歩かなくなりました。ですが昼間に関しては、これまで同様に華やかで刺激的な生活を送っています。

少し前になりますが、エルヴィスがたまたまグレイスランドに滞在していたとき、家には友だちやその友だちの友だちでごったがえしていました。そこで皆これまでのように、「目覚めたエルヴィスが階下へと降りて来ては、みんなを盛り上げてくれるだろう」と待ち構えていたのでした。ですがこの日は、そうはいかなったのです。なので皆、部屋をうろつきまわってはやることを探している時間が長く続きます。しかし、なかなかやることが見つからないといった状況でした。

そんな中、壁一面に額に入れられたゴールドディスクがハロー効果によって、エルヴィスの偉大さを際立たせている広い地下室では、ビリヤードで盛り上がっていました。お気に入りのペプシコーラ (エルヴィスはひとたび好きになると、徹底してこだわる癖があります)のボードが配されたソーダ・ファウンテン(炭酸水など清涼飲料水を注ぐディスペンサー)の下でくつろいだりしていました。またリビングルームでは、若い男の子や女の子らがダラダラと長いソファに敷かれた雪の吹き溜まりのようなラグの上に寝そべっていました。

皆退屈しすぎて、意識を失ったような状態と言っていいでしょう。ひとりの女の子が大きな窓のそばに立って、ぼんやりとボタンを押しては赤いベルベットのカーテンを開けたり閉めたりしています。暖炉の横にあるスモーキーな鋳(い)込みガラスのテーブルには、造花のバラとピンクの陶器製のゾウが置かれていました。それはまるで、ゾウが花の匂いを嗅いでいるようです。さらに近くのミュージックルームでは、黒髪の若い男が金色の布製のソファに横たわり、ジョエル・マクリーの初期の映画を観ていました。

彼らはリモコンでテレビを消したあと、あくびをして背伸びをしたかと思ったら、次に金色の縁取りのある白いピアノに向かいます。そして同じように縁取りされたスツールに座り、ピアノを弾き始めたのです。それは脱力したような哀愁の漂うブギで、観客たちはドアを背にしてそこで演奏する彼を眺め始めました…。 すると、そのときです。

そこにいる全員が第六感としか言いようのないものによって、エルヴィスがそこにいることを察知したのです。その瞬間、不思議なことに誰も動きません。皆冷静に、一点を見つめています…その視線の先には黒いリーバイスにブーツのボトムス、その上に黒いシルクのシャツを着たラッシュ・ラ・ルー(※)のような姿でドアに寄りかかっているエルヴィスがいたのです。

※1940年代から50年代に人気を集めた西部劇映画のスター 

中編に続く

From Esquire US
Translation/Yoko Nagasaka