害獣駆除,皮なめし,サステナブル,松山ケンイチ
©Yamaguchisangyou Co.,Ltd.
バイブレーションによる革の揉(も)み作業。

朝6時、鞣し工場の前で
2人の男が待っていた

害獣駆除,皮なめし,サステナブル,松山ケンイチ
Yasuyuki Ukita
撃たれたばかりのシカ。

日本に生息する二ホンジカの数は244万頭(それ以外に北海道のエゾジカが67万頭)、イノシシは88万頭と推定されている(2017年/環境省)。増加する獣害を受けて、2014年に鳥獣保護管理法が改正され、シカやイノシシは「保護」の対象から「管理」の対象へと変わったため、それらの数は漸減しているとはいえ、なおも各地からのシカやイノシシによる農業被害、人が襲われた等のニュースは後を絶たない。

害獣駆除,皮なめし,サステナブル,松山ケンイチ
Yasuyuki Ukita
解体で出たシカの皮。シカの毛はメイキャップブラシにも使われている。

今から15年ほど前のこと。当時まだ父親の下で働いていた山口産業の山口明宏さん(現・代表取締役社長社長)は、ある朝早くに遠来の2人の男の訪問を受ける。

「もともと普通の会社より早い時間に始業しているのですが、その日は朝の6時に工場に着くと、その2人が玄関先で待っていました。用向きを訊(たず)ねると、シカやイノシシといった猟獣の皮を鞣してくれないかとのことでした」

一人は島根から、もう一人は北海道からだった。

先代は「そんなことをやっても利益が出せないから断れ」と反対したが、山口さんはこれまでやったことのなかったことに興味が湧き、「どんなものができるかわからないが、やってみて、2、3週間後に加工した革を送る」と言って引き受けた。山口産業で扱っているのは主に豚皮だった。狩猟のターゲットになるシカやイノシシ、クマなどの皮は鞣した経験がなかった。

「やってみたら、意外と良い革ができたんです。それを依頼主に送ったところ、それぞれに喜ばれ、またぜひお願いしたいと」

しばらくして、今度は岡山の人から問い合わせがあった。「イノシシの皮を鞣してくれないだろうか」と。

害獣駆除,皮なめし,サステナブル,松山ケンイチ
Yasuyuki Ukita
作業する山口明宏さん。

皮の裏を削って厚みを均一にするシェービングという作業があり、山口産業ではこの工程を外注に出している。ところが、人が規格に合わせて生産する養豚場のブタと違って、猟獣は一頭一頭、サイズも形状も異なり、当然皮も異なる。シェービングの手間が全然違うのだ。

「外注さんからは、ブタの3、4倍の手間賃を請求されました」とも言う。外注費の他にも自社での加工賃、薬品代などがかかる。それでも山口さんは、自社の儲(もう)けを度外視することで、依頼者に請求する鞣し代を抑えた。「獣皮鞣しという新たな取り組みが、地場産業復興の道筋につながるのではないかという予感がありましてね」と山口さん。

この連載の【前編】でも紹介したが、東京・墨田は豚皮の鞣し業で国内9割のシェアを誇ってきた。ところが近年の産業の縮小で、外注も仕事が減っていた。外注に仕事を回して彼らの生活を支えていかないと、今にメインの豚皮の加工もできなくなってしまうという切迫した危機感が山口さんにはあった。獣皮の鞣しを引き受ければ、外注に仕事を回すことができ、また地場産業の技術の高さをアピールすることができると睨(にら)んだのだ。

「MATAGIプロジェクト」の
噂を聞きつけた俳優

2008年、山口さんは害獣駆除によって出るシカやイノシシの原皮(剥いで毛の付いたままの状態)を1枚から鞣し、革素材にして“産地”に戻す仕事を始めた。革素材をどのように活用するかは“産地”に任せた。13年には、この取り組みに賛同する大学や環境系団体と共に「MATAGIプロジェクト」を立ち上げ、山口さんは事務局長の任に就いた。ウェブサイトができ、情報が拡散されると、鞣しの依頼が全国から押し寄せた。

20年時点で、「MATAGIプロジェクト」を活用する“産地”は全国400カ所に拡大、年間約3000枚の獣皮が加工され、有効活用されている。

「4年前のある日、当社の工場見学会にさる有名俳優さんと同じ名前の方から参加申し込みがありました。そういう名前の人もいるだろうと思いつつ当日を迎えましたが、黒塗りの大きな車から真っ白なスーツにサングラスという姿で長身の男性が颯爽(さっそう)と降り立ったとき、ああ、これはあの松山ケンイチさんだなと」

ひと通り皮鞣しの工程を見学した後、松山さんは自身の参加の理由を山口さんに告げた。実は最近、北日本の某所に住み始め、ハンティングをするようになったのだが、害獣駆除の際に廃棄される獣皮をちゃんと鞣して使いたい。力を貸してもらえないだろうか、と。

この人は相当皮革のことを勉強しているな、と山口さんは松山さんと話してみて思ったと振り返る。

松山さんは早速、自分が仕留め、解体したエゾジカの皮を山口さんに送った。鞣して返送されてきた鹿革は牛革よりも薄く、豚革よりも柔らかかった。その革で松山さんは小さなバッグを作り、世話になっている近所のトマト農家にプレゼントした。さらには自分が着るためのジャケットを作った。22年1月、松山さんは妻の小雪さんと共に獣皮のアップサイクルブランド「momiji」を立ち上げた。

山口さんのところには、松山さんの活動を通じて山口産業の存在を知ったという人からの問い合わせが来るようになった。


“穴の開いた、いびつな革”にこそ
価値を見いだす世の中へ

山口産業を取材した夏の日、豚皮なら500枚(500匹分)のキャパがある鞣し用の巨大ドラムの前の床に次の工程を待つベビーピンクの獣皮がびっしりと敷き詰められていた。

害獣駆除,皮なめし,サステナブル,松山ケンイチ,山口産業
Yasuyuki Ukita
次の工程を待つ獣皮。

「20カ所の産地からの皮が混ざっています。皮の隅にパンチで開けた穴の数でどこからきた原皮かがわかるようにしています。100枚たまったらドラムに入れます」と山口さんが説明してくれた。

害獣駆除,皮なめし,サステナブル,松山ケンイチ,山口産業
©︎YAMAGUCHI SANGYO CO.,LTD
木製の染色ドラム。

まずは脱毛の工程で1日かかる。2日目に石灰を加えて皮の繊維をほぐす。その後、石灰分を酵素で分解し洗い流す。水絞りをし、皮を平らにならしたものを外注のシェービング職人に出す。2日後、戻ってきた皮をミモザ由来の鞣し剤とともに漬けおきする。この段階では皮はシカでもイノシシでもクマでも同じ色(先ほど見たベビーピンクだ)をしている。鞣しが終わると、染色の工程に回す‥‥。工程が多く、いかにも手間のかかる作業だ。ドラムの容量から言えばスカスカの状態で回していることになり、効率性は低い。しかも、獣皮はサイズも厚さもまちまち。罠や銃による傷が付いているので、きれいに使える部分が限られている。ブランドが契約している裁断師にとっては厄介な革ということになり、なかなか扱ってくれない。

害獣駆除,皮なめし,サステナブル,松山ケンイチ,山口産業
©︎YAMAGUCHI SANGYO CO.,LTD
染色後の水絞り。

それでも、養豚場から出た画一的な皮ではなく、獣害駆除という人間の側の都合で出た野生動物の皮をむやみに捨てることなく活用することにエシカルな意味があると消費者が考えてくれるかどうか、そこがポイントであることは明白だ。

害獣駆除,皮なめし,サステナブル,松山ケンイチ,山口産業
Yasuyuki Ukita
吊(つ)り乾燥の工程 。

工場の床に積まれた各地からの原皮の包みの送り状に、福岡・糸島のハンターの名前を見つけた。この人は、10年前、私がすでに社会問題化していた野生動物による農業被害とハンター不足の問題を追っていた時に知り合い、以来、狩猟肉を買わせていただくなど懇意にしている人だった。獣害駆除によって出た野生動物の肉をジビエとして有効活用することはずっと念頭にあったが、肉と同時に当然出るはずの獣皮については、考えが至っていなかったことを改めて思い知った気がした。

農林水産省は、2年後の令和7年に19万頭の野生動物をジビエとして利活用できるようにするとの目標を立てている。それに合わせて、山口さんは同じ時期に同じ数の獣皮を鞣すことができることを目指したいと考えている。

害獣駆除,皮なめし,サステナブル,松山ケンイチ,山口産業
©︎YAMAGUCHI SANGYO CO.,LTD
染色まで終わった皮革。

前編に戻る

取材協力
山口産業株式会社
公式サイト


WATCH NEXT

preview for 【Digest ver.】サステナぶる人:松山ケンイチ「“共生”のロールモデルを求めて」|The Mavericks of 2022