2020年2月にアマド・オーブリーさんがジョギング中に殺害され、2020年5月にはジョージ・フロイドさんが警察暴力により亡くなるなど、米国で立て続けに起きた事件は、「ブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter=BLM)」の合言葉を掲げた抗議の波を再び引き起こしました。
BLMは、黒人に対する暴力と組織的人種差別に反対する運動のこと。2013年に起きた「トレイボン・マーティン射殺事件」に対してSNS上で、「#BlackLivesMatter(黒人の命をないがしろにするな)」のハッシュタグが使用されたことから始まりました。以来、「米国および世界中の当局から、黒人に対して公正に対応するように」という呼びかけが行われ続けてきました。
この運動組織は、アメリカ・イギリス・カナダにおけるグローバル組織であり、その使命は「白人至上主義を根絶し、地域の権力を構築すること。暴力行為と闘い、それに対抗して黒人の想像力と革新のための環境をつくり上げること」にあります。
黒人の生活がおびやかされないよう、イデオロギーおよび政治への介入する運動になります。黒人の人間性、社会への貢献を後押しして、それらの壁となる致命的な抑圧に対して団結して立ち向かうことを約束する誓いの言葉でもあります。
反人種差別運動が始まったのは、ここ数年のことなどではありません。歴史を振り返れば、1860年の黒人奴隷の解放を訴える運動から1950年代のマーティン・ルーサー・キングを筆頭にした「公民権運動」など、反人種差別運動が長きにわたり訴えられてきたことは明らかです。その過程で、「#BlackLivesMatter 」という合言葉が掲げられるようになり、この運動にさらなる変化がもたらされていると言えるのです。
「BLM」の合言葉を掲げた抗議運動が始まってから5年後の2018年、共同創設者で活動家のアリシア・ガーザさんは、インタビューでこう語っています。「目標は、黒人が尊厳と敬意を持って生きることができるような社会を構築することです」と。
ここで改めて、米国でのBLMの主要なタイムラインを追い、このムーブメントがどのようにして、SNSでのたったひとつの投稿から世界的なネットワークへと成長したかを確認してみてください。
2013年:BLMの誕生
この年、17歳のアフリカ系アメリカ人高校生トレイボン・マーティンさんが知人のもとを訪ねているときに射殺され死亡する事件が発生します。ですが、彼を撃った28歳のヒスパニック系アメリカ人で自警団ボランティアであったジョージ・ジマーマンは、翌年に殺人罪で起訴されました。が、正当防衛の主張が認められて無実となります。この警察による不当な黒人殺害に対抗するため、アリシア・ガーザさん、パトリッセ・カラーズさん、オーパル・トメティさんという3人の黒人女性が「BLM」を共同設立しました。
「ブラック・ライブズ・マター」というフレーズは、ジマーマンに無罪判決が下された後、ガーザさんによるFacebookへの投稿で最初に使用され、この運動のインスピレーションとなりました。ガーザさんの言葉の力に気づいたカラーズさんが「#BlackLivesMatter」というハッシュタグを作成し、このキャンペーンが誕生します。
2014年:BLMの浸透と組織化
警察とのトラブルにより黒人の命が犠牲になるたびに、このムーブメントに対する関心と勢いは増し、ペースも加速。2014年には、BLMは多くの黒人とアフリカ系アメリカ人の死亡を受け、抗議することになります。
同年7月、ニューヨークでは警官が逮捕時に首を強く絞めたことで、エリック・ガーナーさんが窒息死。その翌月にはミズーリ州ファーガソンで、武装していない10代の少年マイケル・ブラウンさんが警察官のダレン・ウィルソンにより射殺されました(後にウィルソンは証拠不十分で不起訴となりました)。
これを受け、平和的な抗議活動と激しい暴動の両方が行われ、その多くでBLMのハッシュタグやプラカードが掲げられました。
この波に応えるようにカラーズさんは、「ブラック・ライフ・マターズ・ライド」を組織。全米から約600人が集まり、よりローカライズされたBLMのグループ創設とキャンペーンの普及が促進されました。
2015年:LGBTQ+とBLMの深い関係
この年も、黒人のウォルター・スコットさん、フレディ・グレイさん、ミーガン・ホッカデイさんらが、警察官により殺害される事件がアメリカで相次ぎ、BLMの抗議は続きました。
また、黒人女性と黒人トランスジェンダー女性が受ける不当な扱いに対抗するための抗議活動も、ここで組織されることとなります。この年、米国では21人のトランスジェンダーの人々が殺されましたが、そのうち13人が黒人でした。
2016年:著名人も賛同
2016年、BLMは黒人に対する警察官の残虐行為について、さらに多くの抗議活動を組織。デボラ・ダナーさんやアルトン・スターリングさんらが、警察官の不当な行為により亡くなりました。
同年7月初旬には、7月5日のスターリングさん射殺とその翌日のフィランド・カスティールさんの射殺を受けて、アメリカ全土で100を超える抗議活動が行われました。
また、著名なスポーツ選手が声を上げて、BLMムーブメントを後押しすることもありました。7月、レブロン・ジェームズ選手やカーメロ・アンソニー選手らNBA選手たちが、ESPY賞の授賞式で「(黒人が不当に殺害されるのは)もう十分だ」とのメッセージを発信。その後、8月のNFLの試合で国歌斉唱中に膝をつき、起立を拒否した当時サンフランシスコ・フォーティナイナーズのQBコリン・キャパニック選手をはじめ、多くのスポーツ選手が試合前の国歌斉唱で抗議の意思を表明し続け話題になりました。
2017年:抗議運動が頻発
米国では、2月を黒人歴史月間としてお祝いしています(英国は10月)。この年、BLMは初となる美術展を開催。30人以上の黒人アーティストやクリエイターの作品を展示しました。
BLMは、黒人の人々が不当に殺害されたときだけでなく、その被告人が裁判で「無罪」判決を受けたときにも、抗議活動を展開するようになります。6月には、前年にフィランド・カスティールさんを射殺した警官が無罪を言いわたされたことに対し抗議を行ないました。
8月には、白人至上主義者たちの集会「ユナイト・ザ・ライト・ラリー」が米バージニア州シャーロッツヴィルで開催されましたが、これに反対抗議行動をとったBLM賛同者もいました。
2018年:それでも止まらない差別
BLMが歩んだ5年間に迫る米ABCニュースのインタビューにて、カラーズさんは次のようにコメントしています。
「(BLMは)市民的不服従と、そのために前に立つことの必要性を広めました。『ウィメンズ・マーチ』や『MeToo』『March for our Lives』など、これらのすべてのムーブメントの基盤はBLMにあります」と。
ある調査によると、2013年に初めて使われてから2018年5月1日までに、Twitterでは「#BlackLivesMatter」のハッシュタグが約3000万回も使用されていることが明らかになっています。
しかし、キャンペーンを始めてから5年が経ったこの年にも、グレチャリオ・マックさんやケネス・ロス・Jrさんが、米国警察の手によって命を落としているという事実も。
2019年:続く抗議運動
2019年2月、ラッパーの21サヴェージがICE(米国移民関税執行局)によって逮捕・拘束されましたが、これを受けカラーズさんは、音楽業界やエンターテインメント業界から約60名の著名人を集め、21サヴェージの釈放を訴えました。
5月にはオクラホマ州で、10代のアイザイア・ルイスさんが警察により射殺され、数日後には100以上の抗議活動がBLMによって行われました。
2020年:BLMが世界でも叫ばれるように
警察官から首を強く圧迫され命を落としたジョージ・フロイドさんの事件を受け、5月末には大規模な抗議活動が行われました。フロイドさんが首を膝で押さえつけられている動画も大規模に拡散されました。
被告である警察官のデレク・ショーヴィンは、当初第3級殺人罪で起訴されました。ですが、罪の重さを鑑みられ第2級殺人罪に引き上げられ、その場にいた他の3人の警官も全員第2級殺人ほう助・教唆で起訴されました。
BLMの抗議は世界中に波及し、ロンドンでは2人の黒人活動家アイマさん(18歳)とタッシュさん(21歳)がトラファルガー広場で集会を開き、同年5月31日には数千人が集まる大規模な抗議運動が行われました。
以後も抗議は続き、ロンドンのハイドパークで行われた活動には約1万5000人が参加。『スター・ウォーズ』新3部作シリーズのフィン役で知られる俳優ジョン・ボイエガもここに加わり、胸を打つスピーチで群衆に訴えました。
「今日は人生というプロセスの中で、無実でありながら無理矢理に途中退場させられた人々の日だ。私たちは、ジョージ・フロイドが成し遂げようとしていたことは何だったのかはわからない。サンドラ・ブランドに対しても、彼が何を達成すべく生きていたのかはわからないだろう。でも今日は、私たち若い世代こそが彼に起きた悲しみを自分事のように思うべきなんだ…」
同年11月には、ジョー・バイデン候補が米国大統領選挙で勝利。2016年の選挙でドナルド・トランプを支持した黒人有権者の多い地域の票がバイデン氏へと流れ、彼の勝利を支えたことが明らかになりました。
2021年:BLMがノーベル平和賞にノミネート
1月、BLMムーブメントはノルウェーの国会議員ペッター・アイデ氏により、ノーベル平和賞にノミネートされます。
アイデ氏は書面で、「人種的不公平に対する最強の世界的勢力として、ブラック・ライブズ・マターに平和賞を授与することは、平和が平等・結束・人権に基づいており、すべての国がこれらの基本原則を尊重しなければならないという強力なメッセージを届けるでしょう」と、推薦の理由を述べました。
同年4月20日、元警察官のデレク・ショーヴィンは、ジョージ・フロイドさん殺害に関して第2級・第3級殺人罪、第2級過失致死罪のすべてで有罪の評決を受けます。10時間半に及んだ審議の後、陪審の評決は満場一致だったそうです。
評決が読み上げられると、フロイドさんが殺害された場所や法廷の外、さらには全米中で歓声が上がりました。
フロイドさんの弟フィロニーゼさんは、「毎日闘い続けるつもりです…私はもう、ジョージのためだけに戦っているわけではないからです」と、今後も活動を続けていく意思を表明しています。
フロイドさんが殺害された場に遭遇し、後に広く拡散された動画を撮影していたダーネラ・フレイジャーさんも、Facebookに「フロイドさん、やったよ! 正義が果たされました」と投稿しています。
ジョー・バイデン大統領はこの評決を、「大きな変化の瞬間」とした上で、「まだ十分ではありません。ここで止まることはできないのです。私たちは、真の変化と改革を実現するつもりです」と述べています。
Source / COSMOPOLITAN UK
Translation / Ai Ono
※この翻訳は抄訳です。