ホワイトスニーカーは清潔感とさまざまなカラーリングの服と合わせることが可能なため、いつの時代も重宝されています。ファッショントレンドと言えるホワイトスニーカーの歴史と今後の展開を予想して、そのカッコよさをお伝えします。

◇ホワイトスニーカーの過去と未来とは

スニーカーブランド「COMMON PROJECTS(コモンプロジェクト)」はNY在住のアートディレクターであるPrathan Poopat(プラサン・プーパット)と、イタリア在住のクリエイティヴディレクターであるFlavio Girolami(フラビオ・ジロラミ)によるコラボレーションブランドとして、いまやメジャーの領域です。

ある男は、傷ひとつない完璧なホワイトスニーカーを白いシューボックスから取り出します。ラバーソールはまだ地面に触れたことがなく、しなやかなカーフスキンレザーは傷や擦れなどで汚されていないばかりか、ヒールに刻まれたゴールドの控えめなナンバリングが唯一の焼印と言えます。

このスニーカーはあまりに白いため、バケーション写真から昔の彼女を切り取ってしまったときのように、どこか全く違う空間から切り取られてきたかのように見えてしまいます。

「これはAchilles(アキレス)1528です」と語ってそれを見せたのが、Common Projects(コモン・プロジェクツ)の共同創設者であるプーパットでした。NY拠点に展開するこのブランドは約10年前に、白いAchillesの第一世代をリリースしました。大胆にもそのスニーカーは1足で200ドルの値を付けましたが、それは垂直飛躍を高めるからでなく、また衝撃を和らげるからでもなく、至極丁寧につくられていたからだったのです。

Common Projects(コモンプロジェクト) [コモンプロジェクト] ACHILLES LOW

[コモンプロジェクト] ACHILLES LOW

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新作のAchillesは、いまでは3代目。ホワイトスニーカーがハイエンドのメンズウェアの後流に乗って高くさらに高く、価格とクオリティーの両方において上昇しているのです。

ルイ・ヴィトンのキム・ジョーンズは、このメゾンのスプリングコレクションのために895ドルのホワイトスニーカーをつくり、Rag & Boneの男たちは300ドルでさまざまなバリエーションの白スニーカーをリリースしています。

レトロ ランナー ボンバー – VANILLA

レトロ ランナー ボンバー – VANILLA

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厳格なドイツ人として知られる、ボッテガ・ヴェネタのクリエイティブディレクターを務めるトーマス・マイヤーと彼の名を冠したブランドは、プレフォールコレクションで490ドルのスエードレザーのホワイトスニーカーを発表し、「現代版ブローグ」と名づけました。

そして当然ながら、パリのベルルッティもPlayfield(プレイフィールド)を発表しました。1290米ドルが販売価格であるカーフスキンのスエードロートップスニーカーは、ベルルッティの顧客に安定したヒールを提供するため、たった一つの工程を象徴していますが、数カ月前にデビューした際には誰もが驚きました。

CONVERSE(コンバース) [コンバース] JACK PURCELL GORE-TEX

[コンバース] JACK PURCELL GORE-TEX

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清潔な素材とオールドファッションの技術により、カジュアルながら実に見事なまでの進化していく靴における新種のリバイバルは、山ほどあるジャックパーセルやチャックテイラー、Vans(ヴァンズ)がそうであるように、もはや単に週末やワークアウトのためだけのものではなくなったというわけです。この価格帯このクオリティー、そしてこのデザインレベルで展開されている新世代の高級ホワイトスニーカーは、いまでは広大な世界で履きこなされているのでした。

これほど有名になったことに
一番驚いているのは
スタンスミス
本人かも

爽やかなホワイトスニーカーは、あらゆる服をワンランク上のレベルへと高めてくれます。ジーンズやチノなど、また、吟味されたジャケパンスタイルや美しく仕立てられたスーツにもです。

「スニーカーとスーツの組み合わせは、堅苦しさをいくらか取り除いてくれます」と、アディダスでトレンド&インフルエンサー・マーケティング部のシニアディレクターを務めるリアド・クリスピンは言いました。「あまり真面目過ぎないという印象を与えるのです」と、サルトリも賛同しています。また逆に、パワープレーや自分がどれだけシリアスかをはっきりわかっている男の象徴だと、受け取られることもあります。

また、Common Projectsのプーパットは「スーツとスニーカーの組み合わせは、履いている人が誰も感心させる必要がないほど十分にパワーを持っていることを表 していると思います」と話します。かっこいいホワイトスニーカーは、社会の自分の役割へ適度の縛りがあることを証明しているのです。自分と社会の役割、職業人と個人。自分はどれにでも当てはまるのです。

スニーカーは、それをかつて履いた人物の神話も背負っているのです。ストリー ト、ランウェイ、または日曜日に自分の足でどこかへ出かけるなど…。私たちが毎日履いている多くのスニーカーがそうであるように、ホワイトスニーカー独自のクールさとファッション性は、スティーブ・マックイーンという名の男から始まったと言っていいでしょう。

マックイーンは1963年に、『荒野の七人』に出演したのを契機にスターの仲間入りを果たしていた。しかしながら、まだまだ熱狂的なファンがつくほどではありませんでした。その頃彼は、カリフォルニアのパームスプリングスに、ブロードウェイダンサーの妻ニールと移り住んだばかりでした。その春マックイーンは、ジョン・ドミニスという写真家の帯同をしばらくの間許していました。

ある午後、マックイーン は習慣のようになっていた砂漠へのトレッキング旅行の準備をする妻を待っていました。彼は妻に、リボルバーの操作方法を教え(とてもマックイーンぽいことですが…)、ドミニスはカウチに腰掛けながら、そこからは見えなかった暖炉へ向かってピストルを構えている姿を写真に収めました。

彼の足は大理石のコー ヒーテーブルの上に乗っかっており、彼の出で立ちはフロントボタンの半袖シャツとタイトフィットのチノという出で立ちだったのです。そして、彼の足もとに注目すれば…、パーフェクトな白キャンバスのKeds(ケッズ)が輝いていたのでした。

PRO-Keds ROYAL AMERICA LOW

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「当時、みんなそのような恰好をしていました。私たちの砂漠トレッキング用の靴は、私たちが普段履きとして使用していた靴でもあったのです」と、離婚後センチュリー・シティーでキャバレーのパフォーマーとして働いていたマックイーンの元妻は振り返りました。写真が公表されると、 “やぶにらみのアンチヒーロー”というマックイーンの素晴らしい魅力が崇められただけでなく、このスニーカーの地位を子どもの運動靴からクールな大人の靴へとランクアップさせたのでした。

スニーカーは1962年まで、いわゆるレザーシューズ、ローファー、ブローグ、オックスフォードなどに対抗するマーケットシェアを獲得していきました。雑誌『ニューヨーカー』はフットウェアの変化についての記事を掲載し、この動きを「革命」と定義づけたのです。 「この革命のリーダーは、かつては“平民”のためのスニーカーと言われるものだったのです。過去6年間でその売上げは2倍になり、昔ながらのレザーシューズは靴の市場全体で10%以下のシェアにまで落ち込んだ」というわけです。

このムーブメントは、1973年にアディダスがスタンスミスを発売するとさらに加速していきます。今ではアイコニックな1足となった、ホワイトレザーのロートップです。スミスは絶好調の若手テニスプレーヤーで、彼の名を冠したスニーカーは瞬く間にコートの内外で重要な1足になったのでした。

スタンスミスの名前がこれまで有名であり続けたことは、スタン・スミス本人にとっても驚きであったに違いありません。現在76歳(1946年12月14日生)となり、サウスカロライナに在住するスミスは、娘とのやり取りを笑って話しました。「娘は私に言ったんです。『パパって、すごく有名なのね! Jay Zがあなたの名前が歌になってるって言ってたわ!』ってね」、このチャーミングな娘さんとのやり取りに、自然と笑みがでてきますね。

スニーカーの革命の結果、
全ての者に勝利が…。

スタンスミス Lux / Stan Smith Lux

スタンスミス Lux / Stan Smith Lux

スタンスミス Lux / Stan Smith Lux

それではなぜ、今ホワイトスニーカーへの注目が高まっているのか? 2年前からハンドメイドのイタリア製スニーカーを顧客に直接販売し始めた企業Greats(グレーツ)のライアン・バベンジンは、最近注目のモダンダンディズムでフットウエアがフォーマル化された影響だと見ています。

「結局のところ、私たちはウィングチップとダブルモンクが支配する世界に生きているのですが、フットウエアはいま変化しようとしている過渡期なのです」。“ピカピカのレースアップが上級、ローファーのようなアイテムが中級、スニーカーが下級”というように、フットウエアに関して厳格な階級制度で執着していた人にとっては、今の世の中はまっ平らになってしまったような感覚ではないでしょうか。

それがたとえ1足であれ、とりわけ夏にぴったりのカジュアルなホワイトスニーカーのように、できの良いスニーカーはローファーよりも将来性のあるオプションとなるのです、いまや。

ジャックパーセル、スタンスミス、チャックテイラーは成熟し、もはや多様性も社会的地位も望んではいないようです。アーティストとして男に何を求めるか考えると、至る所にジェフ・クーンズ(美術家)の要素が垣間見られるのです。

クーンズのキャリアは、日常的に見えるオブジェに膨大な価値を注ぎ込むというコンセプトの上に築き上げられてきました。最近の作品、『Popeye』シリーズを見てください。その中で彼は、アルミ製のプールのおもちゃを入念につくりあげたのです。ウォールマート製のものとの唯一の違いは、価格にゼロが多いことくらいです。

これと似たようなこととして、400ドルのホワイトスニーカーが挙げられます。この非常事態に、履かない使い捨て品に価値を見出すという認識とでも言いましょうか…。

Common Projectのホワイトスニーカーなしに、ルイ・ヴィトンのホワイトスニーカーは存在しませんし、スタンスミスのホワイトスニーカーなしに、Common Projectsのホワイトスニーカーは存在しないのです。これは永遠に続く命題でもあります。

恐らく50年前に、スニーカーの革命は始まったわけですが、それは大砲を放つことなく、「全ての者に勝利が訪れた」と解釈していいでしょう。ただホワイトスニーカーだけが、両陣の空に高々と掲げられていたのでした。

Source / ESQUIRE US
Translation / Spring Hill, MEN'S +
※この翻訳は抄訳です。