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MICAIAH CARTER
ミュージシャンであり慈善家でもあるファレル・ウィリアムスは、出身地の米国バージニア州バージニアビーチをテーマにした作品を多く発表しています。彼が着用しているトップスはシャネル、ネックレスはファレルの私物。

※この記事は、ライフスタイル雑誌『TOWN & COUNTRY』US版2021年夏号および2021年6月2日にウェブ版「TOWN&COUNTRY US」で公開された記事「Is Pharrell Williams the World's Best Neighbor?」の翻訳転載になります。ここでは、タイトル内にある“Neighbor”を「隣人」と翻訳しています。これは聖書につづられた言葉、「…love your neighbors as you love yourself(あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ)」 という戒めの言葉をヒントにしました。また、この“隣人”が意味するものは、聖書の『ルカによる福音書』第10章25~37節にある“善きサマリア人”のたとえを参考にするといいかもしれません。しかしながら結論としては、皆さん個人個人のご想像にお任せします。

ちなみにファレル・ウィリアムスは、創業者でありデザイナーである滝沢伸介率いるブランド「NEIGHBORHOOD(ネイバーフッド)」とコラボレーションを行っていますが、これはこの記事公開後の2022年12月のことになるので、そのことまで踏まえた上でのタイトルかどうかは不明です。


「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」は2023年2月14日、新たなメンズ クリエイティブ・ディレクターにファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)を起用することを明らかにしました。

そんなタイミングで、ライフスタイル雑誌『TOWN & COUNTRY』US版2021年夏号に掲載されたウィリアムスの過去インタビュー記事をご紹介したいと思います。彼のパーソナリティー(人物像)はどのように形成され、どんな哲学を持っているか…を振り返るのに役立てば幸いです。では、始めましょう。

「私の誕生日に、いとこを埋葬しなければならなかったんだ…」とファレル・ウィリアムスは言います。つまり、音楽プロデューサーでありエンターテイナーとして活躍する彼が48歳になった日は、彼自身の人生ではなく、25歳で亡くなったドノヴァン・リンチの人生に捧げられた日だったのです。そして彼はこう言います、「ほろ苦い気分だったよ…ひどい亡くなり方をしたものさ。いまは安らかに眠っていると思うけどね」。

ファレル・ウィリアムス、亡きいとこへの想い

ウィリアムスのいとこリンチは2021年3月26日、二人の地元であるバージニア州バージニアビーチで市警察の警官に射殺されます。ウィリアムズと話すことができたのは、その葬儀でのスピーチを終え、マイアミに戻ったところでした。「感情で胸が詰まってしまって、思うようにスピーチはできなかったよ」と彼は声を曇らせます。

「リンチが銃を振り回したかどうか?」については射殺された後の数日間、警察によってさまざまな説明がなされました。当該の警察官のボディカム(警察官が身体に装着し捜査の際に証拠となる映像を残すために使われ始めたカメラ)は規定違反で作動しておらず、その事件の映像は存在していなかったのです。

「問題は、『人命が失われたこ』だけじゃないんだ。『そこで人命が失われた原因も分からないまま』ということなんだ」と、ウィリアムスが目の前で両手激しく動かしながら語ります。「後者のほうがずっと大きな問題だよ、そうだろ?」と言います。遺族と支援者たちは、このことに関して連邦政府に調査を求めています(2022年12月13日の時点でバージニアビーチ市は、リンチさんの遺族と300万ドルの和解金で合意したことを発表しています)。

ファレル・ウィリアムズ独占インタビュー|彼は世界一の隣人なのか?
MICAIAH CARTER
ウィリアムスの非営利教育団体YELLOW(イエロー)は2021年秋に、バージニア州ノーフォークにマイクロスクール(少人数教育の学校)を開校。2022年には、別の町にも開校する予定となっています。そして今後5年間、全米の主要都市に展開する前にバージニア州のハンプトン・ローズ地域にて、幼稚園から職業教育までを提供する拠点を開設する予定。ジャケットとジーンズはシャネル、腕時計はリシャール・ミル。ネックレス、ブレスレット、指輪はファレルの私物。

警官による暴力の蔓延に関してウィリアムスは、「400年前からある、“重圧”が根源にあるんだよ」と言います。それは多くの白人の目には見えない圧力であり、ときにそれは膝で首を押さえつけるという形で現れることがあります。そして、「それは一般的に、悪意のある上からの絶え間ない重圧として感じられるんだ」とも言います。

「この国に黒人として生まれると、すぐにこの強い重圧を受けることになるんだ。それはわが国のルールや規則、法律の中に蔓延しているものさ。われわれに供給されたり、売り込まれたりするものの中からもそれを見いだすことができるだろう。破壊された教育システムの中にもね」とも言います。このような力は、時として人を押しつぶすことすらあるのです。

「もしドノヴァンが白人だったら、銃を持っていないのに銃弾を何発もぶち込まれ、翌朝までのありえないほどの長時間、街の通りにずっと放置されることはなかったはずさ…これが重圧ってものなんだ。警官自体がどの人種だったかなどは関係ないんだ。もしもドノヴァンが白人だったら、警官があんなふうに撃つはずないのだからね」と語るウィリアムスの目からは涙がこぼれ落ち、それを両手で覆(おお)い隠します。「重圧ってのは確かに存在するんだ。そして、その変化は必ず訪れるだろうっていう希望も…ね」。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
Pharrell Williams - Happy (Video)
Pharrell Williams - Happy (Video) thumnail
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「Happy(ハッピー)」の歌い手が、苦悩の涙を流すさまを目にするのは気分のいいものではありません。ですがこのことは彼のファッション性の高いイメージの裏に、社会的正義に深くコミットするクリエイティブな魂が隠されていることの証でもあります。

2015年のグラミー賞でパフォーマンスを行う際に彼は、自らの心地よいこのヒット曲が2013年に誕生したBlack Lives Matter(ブラック・ライヴズ・マター)運動を支持する力強い表明になると考えます。そこでウィリアムスは、トレイヴォン・マーティン(Trayvon Martin=ブラック・ライヴズ・マター運動が誕生する契機のひとつとなった、2012年2月に発生した事件で犠牲となった黒人少年)へのオマージュとなる黒いパーカを着たバックダンサーたちとともに両手を上げ、“撃つな”の姿勢をとります。これは2014年8月9日に発生した、米国ミズーリ州ファーガソンでのマイケル・ブラウン射殺事件に関する抗議の声を(当時)上げている人々との連帯を示すものでもありました。

それから6年が経ち、最近起きている出来事の数々がウィリアムスの活動に新たな方向を見いだすことになるのは明らかと言えるでしょう。するとウィリアムスは、「まだ処理している最中で、現時点では多くの答えを持ち合わせていないんだ」と言います。「自分がきちんとやれているかどうかわからなくて、この1週間ずっと悲しみに暮れている感じだよ」と続けます。

2019年の“サムシング・イン・ザ・ウォーター”でパフォーマンスを行うウィリアムズ。
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2019年の“サムシング・イン・ザ・ウォーター”でパフォーマンスを行うウィリアムス。

「2003年の全ヒット曲のうち43%が、ウィリアムス単独あるいはチャド・ヒューゴとのパートナーシップを交わすThe Neptunes(ザ・ネプチューンズ)の一員として制作したものになる」という話は、よく話題になります(検証されてはいないが…)。それが事実かどうかはともかく、現在のウィリアムスはこの世で最も成功した、影響力のあるプロデューサーの一人であることは間違いでしょう。

ジャスティン・ティンバーレイク、ジェイ-Z、ビヨンセ、アリアナ・グランデをはじめとして、数多くのアーティストのヒット曲でミダス・タッチ(触れるもの全てを黄金に変える力)を発揮し、グラミー賞では(2021年6月時点)38回ノミネートされる中13回受賞しています。しかしながら、その中でウィリアムスがはっきりフィーチャーされているのは、チャート上位の数曲だけなのです。

慈善家としての活動

長年、彼の慈善家としての活動もこの形にのっとっていました。彼は声高には話しませんが、小切手に書き込む金額は大きく、舞台裏で大きな存在感を発揮するのです(例えばホセ・アンドレスのWorld Central Kitchen(ワールド・セントラル・キッチン)は、ウィリアムスの積極的な財政的支援によって誕生することができたと言えるでしょう。事実、「彼なしではとても実現できなかった」と、アンドレスも語っています。

しかしながら、ここ一年ほどにおいてウィリアムスは表舞台に立ち、起業と教育システムにおける格差の解消を目的とした、ふたつの大胆な取り組みを推進しています。彼の言うように、「アンフェアなものであれば、壊す必要がある」のです。

ファレル・ウィリアムスの多彩な趣味・実業家の一面

ウィリアムスは彼自身の多彩な趣味――ファッション、アート、映画、テレビ、テクノロジー、テキスタイルなど――に起業家的アプローチを持ち込むことで、ポップミュージックのありきたりな進路と陥りがちな落とし穴を回避してきました。そして、「自分のような精神を育みたい」という欲求から、黒人とラテンアメリカ系の起業家を支援する非営利団体Black Ambition(ブラック・アンビション)を2021年12月に立ち上げることになります。

ウィリアムスは彼らのベンチャー事業が、利益の出る単なるイノベーションという枠を超えて、彼らのコミュニティに豊かさと力を与えてくれることを期待しているのです。そんなウィリアムスはこう言います。

「私たちはいつも自分たちにこう問いかけているんだ。“なぜ私たちは、こんな立場に置かれているんだ?”と。それは、自分たちを主張する手段を必ずしも持っているとは限らないからであって、自分たち自身のビジネスを十分に持っていないからなんだ。そろそろ私たちも、アメリカの円グラフに加わっていい時期さ」。

2018年に南アフリカで開催されたグローバル・シチズン・フェスティバル:マンデラ100(ネルソン・マンデラ元大統領の生誕100年を祝うコンサート)でジェイzとパフォーマンスを行ったウィリアムズ(右)。
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2018年に南アフリカで開催されたグローバル・シチズン・フェスティバル:マンデラ100(ネルソン・マンデラ元大統領の生誕100年を祝うコンサート)で、ジェイZとパフォーマンスを行ったウィリアムス(右)。

この「ブラック・アンビション」のプログラムでは、テクノロジー・デザイン・ヘルスケアそして消費者向けの製品とサービスの分野におけるスタートアップ事業に対する指導と財政的支援が提供されます。起業家は勝ち残ると、それぞれ1万5000ドル~100万ドルの賞金がもらえるふたつのコンペティションに参加するため、自分たちが立ち上げる事業を売り込みます。

そして片方のコンペティションは、起業家を探すための「人材の宝庫」とウィリアムスが呼ぶ、歴史的黒人大学(Historically Black Colleges and Universities、HBCU)の学生と最近卒業した者の中から参加者が選ばれます。

プログラムの立ち上げに先立ち、ウィリアムスは多くのサポーターを集めることができました。その中にはアディダス、シャネル、チャン・ザッカーバーグ・イニシアティブ、ロックフェラー財団のほか、ベンチャー・キャピタリストのロン・コンウェイやBuzzFeedの共同設立者であるジョナ・ペレッティなどの個人投資家も含まれています。

ヴァージル・アブローが見る、ファレル・ウィリアムスとはどんな人物か?

さらにファッションブランドのオフホワイトのCEOで、ルイ・ヴィトンのメンズウェアでアーティスティック・ディレクターを務めるヴァージル・アブロー(2021年11月28日に逝去)からもプロジェクトへの協力を取りつけています。

「構造的な人種差別といかに戦うか? ブラック・アンビションはその戦い方の試みとなる、ひとつのランドマークなのです。ファレルのカリスマ性がこのプロジェクトを動かしているわけですが、彼のビジネス的洞察力も忘れてはいけません――自分の影響力をよく心得ているのです。彼は情熱的な弁舌家で、より広い視点を持つことや何が可能であるかということを常に思い出させてくれます。そういったものが、いまの世界にものすごく求められているものだと私は考えています。精神的なリーダーが必要なのです」と、アブローは言っています。

ファレルは、音を聴くことで色が見える共感覚(シナスタジア)をもっている

バージニアビーチのサマーキャンプで子供たちといっしょに過ごすミュージシャンで慈善家のファレル・ウィリアムス。
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バージニアビーチのサマーキャンプで子どもたちと一緒に過ごす、ミュージシャンで慈善家のファレル・ウィリアムス。

ウィリアムスは教育学の博士号を持つ元小学校教師の母、キャロリンの中にそれを見出しています。ウィリアムスは彼女の助けもあって、自分の認識がほかの人々と異なった配線になっていることを子どものときに学びました。彼には、ある感覚が別の感覚を刺激するという共感覚があるのです。彼の場合、音を聴くことで色が見えてきます。

次世代、教育へのアプローチ

それは「イエロー(Yellow)」という、彼の非営利教育団体の名称にも表れています。彼は知覚の違いを通じた経験から、「イエロー」の使命を知らされたのです。このプログラムはハーバード大学教育学大学院とNASAの助言を受けて、総合的カリキュラム、習熟型学習、没入型体験、総合的学生支援、そしてキャリア、創造的スキル、自己効力感の強調といった未来志向の教育を実践するものとなっています。

そして何より、この「イエロー」のアプローチはあらゆるタイプの学習者を惹きつけることなのです。「私たちの教師は、自分たちが見ているすべての子どもに手を差し伸べることができないといけない」とウィリアムスは言います。「子どもたちがいい刺激を受けて、ここを出て行ってくれるようでないとね」。

マイクロスクール(少人数教育の学校)のイエローハブ第一号は2021年秋、バージニア州ノーフォークに開設され、2022年には別の場所にもうひとつ開設させることになっています。そして今後5年間に、これを全米の主要都市に拡大していく前に「イエロー」が計画しているのが、幼稚園前の幼児に教育を提供する場としてのキャリア教育プログラムをバージニア州ハンプトン・ローズ全域に開設することです。

ウィリアムスのすべての仕事を眺めてみると、彼の思い入れが故郷への投資になっていることが明白に察知することができるはずです。彼はバージニアが成し遂げた進歩ゆえにバージニアを愛すると発言したことがありますが、実は未開拓の潜在能力を秘めているがゆえにバージニアを愛しているのです。

米国バージニア州の歴史――人種差別と警察の偏見

アメリカ同様、この州がまだ発展している最中であることを鋭く察知しています。奴隷として連れて来られた最初のアフリカ人が1619年に降り立ったポイント・コンフォート。そこから湾をはさんだ向かいにあるのがバージニアビーチです。そこは観光客に人気の海辺のリゾート地ですが、ここには人種差別と警察の偏見の歴史が付きまとっています。

2018年にウィリアムスは、バージニアビーチの警察署長からのアプローチを受けます。署長は4月に開催されるイベント“カレッジ・ビーチ・ウィークエンド”において、安全上の懸念について市議会で演説してくれることを望みました。

“カレッジ・ビーチ・ウィークエンド”は数千人もの学生が集まるイベントで、その多くはHBCU(Historically Black College & University=伝統的黒人大学)の学生です。警察は彼らに対し、データでは示されていないにもかかわらず犯罪が急増する可能性しか見えていなかったのです。ウィリアムスはこれを、この街と経済そして人種に対する理解を促進する好機と考え、“Something in the Water(サムシング・イン・ザ・ウォーター)”という音楽と文化のフェスティバルを開催することを提案しました。

ブラック・ミュージックには、多くの白人の観客をこの街に呼び寄せる力があることをウィリアムスは理解していたのです。「私たちの文化を愛しいる人々は、もっとたくさんいるという事実に賭けたんだ」とウィリアムスは言います。「固定概念や私たちに関して言われているあれやこれやのことを、私たちと一緒に一掃してくれるくらい多くの人々が来てくれることにね」――言い換えれば彼は、憎しみではなく愛のほうへと導く手段に賭けたのです。

ウィリアムスの才能「きらびやかなパッケージの中から意義のある成果が飛び出してくる」

慈善活動の多くを行っている故郷、バージニア州バージニアビーチでのウィリアムス。
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慈善活動の多くを行っている故郷、バージニア州バージニアビーチでのウィリアムス。

ウィリアムスは超一流のミュージシャンたちをブッキングし、最後にジェイ-Z、ディディー、ミッシー・エリオットと共演したパフォーマンスで締めくくりました。華やかな音楽の合間には、教育、テクノロジー、優しさに関する対話などの真面目なプログラムが組まれ、ビーチで行われた教会の礼拝には数千人が参加しました。医学博士で統合医療/ウェルネス/ウェルビーイング分野における世界的な第一人者であるディーパック・チョプラがスピーチを行い、アーティストのKAWS(本名:ブライアン・ドネリー)が砂の上に巨大なインスタレーションをつくり上げました。

そうしてウィリアムスの構想は成功し、トータルで20万人もの観客が週末に集りました。「そこには暴力などなく、あったのは愛だけ」とウィリアムスは言います。それに続けて、「そして私は、全くと言っていいほど関係していなかったんだ。関係してたのはアフリカ系アメリカ人の文化と息抜きをしたいHBCUの学生たち、彼ら彼女らがこの街が喜んでバックアップしてくれたという事実だけさ」。

これはホセ・アンドレスの言うところの、「ウィリアムスにはポジティブな“トロイの木馬”を仕掛ける才能がある」ということを証明する好例であり、きらびやかなパッケージの中から意義のある成果が飛び出してきたというわけです。「彼にはコミュニティに入り込んで善意を生み出し、人々を結びつけて、そして彼らに一体感を味わわせる能力があることをファレルは知っているんだ」と、アンドレスは重ねて言います。

コロナ禍のためウィリアムスは、2020年と今年(原文2021年)の同フェスティバルをキャンセルすることを余儀なくされました。2022年には、このフェスティバルを実現させたコミュニティメンバーであるいとこのドノヴァン・リンチの追悼という新しい要素を加えて復活させることを計画しています。

「間違いなく彼を讃えたものになるはずだ。彼は“サムシング・イン・ザ・ウォーター”に貢献してくれたからね。何らかの形でこのフェスティバルと切っても切れない存在になっていくよ」、言います。険しい表情をしていた彼の顔が音楽面やその他の可能性を想像して、ほろ苦い笑顔に変わりました。

これこそ、ファレル・ウィリアムスがいつも行っていることなのです。黒人の苦悩から黒人の喜びを導き出して、コミュニティの忍耐力と成し遂げた成果を祝福することが…。

「後ろを振り返って見るまで、自分がどこに向かっているのか全くわからないんだ。“ああ、そうか、わかった。これで一本の線になってるみたいだから、この方向で進むべきだな”って具合にね」と、ウィリアムスは言います。

言えそして後ろを指さし、そこから前に向かって大きな弧を描きました。「…と言っても、そのような先見の明が自分が持ち合わせているとは思っていないよ。自分がどこへ向かっているかわかっているのか? といえば、そんなことはないんだ」と言いながらウィリアムスは厳粛にうなずくと、キャップをかぶりながら軽く頭を下げます。そして、こう言います、「“尽くす”ことこそが、自分にとっての使命だと思っているんだ」と。

Source / TOWN & COUNTRY
Translation / Satoru Imada
※この翻訳は抄訳です。