「日本の伝統技術を担う職人こそブランドの主役になるべき」という理想をかなえるため、そして日本の文化と職人の紡ぐ技を世界に向けて発信するため 、2022年4月に立ち上げられたプロジェクト「MIZEN(ミゼン)」。
そんなプロジェクトをけん引するのが、代表である寺西俊輔氏。彼はヨーロッパのハイブランドで3Dデザイナーとして経験を積むという華々しい経歴を擁しますが、その素顔は人間味あふれる愛すべき人物でした--。第2回は、エルメス在籍時代からMIZEN始動まで…。「MIZENをエルメスのような会社にしたい」と真意をぽろりとのぞかせます。
YOHJI YAMAMOTOもCAROL CHRISTIAN POELLもですが、僕の経歴は人の縁でつながっているようで、Hermèsもそうでした。
2014年の夏に「Hermèsが新しいアーティスティックディレクターにナデージュ・ヴァネ=シュビルスキーを任命」というニュースが出たのですが、そのときの彼女の年齢が36歳。僕より少し年上ですが、同世代の人がHermèsのデザイナーになったことが強烈に印象に残りました。
それからしばらくして、たまに食事をして気のおけない間柄になっていた日本人の男性から、「寺西さん仕事探しているんですよね。Hermèsとか興味あります?」って訊かれたんです。興味があるもないも、全く想像してない質問でした。彼はアントワープ王立アカデミーを卒業していて、ナデージュとは同級生だったのです。
「Hermèsのデザイナーになった友人が今、チームづくりをしていて、日本人のデザイナーを探している。YOHJI YAMAMOTOかCOMME des GARÇONSにいた経験のある人がいいと言っているんだけど、履歴書を送ってみませんか?」と言うのです。それですぐに履歴書を送り、その後、スカイプでパリにいるナデージュから面接を受けました。「今、すごく忙しいので返事は少し待ってね」と言われ、それから2カ月ほど経ったクリスマスの前に「1月7日にミラノに行くので会いましょう」とメールが…。改めて面接を受け、晴れてエルメスの入社が決まりました。
Interviewee
寺西俊輔
京都大学建築学科卒業後、YOHJI YAMAMOTO 入社。生産管理・パタンナーを経て、イタリア・ミラノに渡る。CAROL CHRISTIAN POELL チーフパタンナー、AGNONA クリエイティブディレクター STEFANO PILATI 専属
3Dデザイナーとして経験を積んだ後、HERMÈSに入社し、フランス・パリに移る。アーティスティックディレクターNadège Vanhée-Cybulski のもと、レディスプレタポルテの3Dデザイナーとして働いた後、2018年日本に帰国し伝統産業の新たな価値を発信することを目的とした STUDIO ALATA を設立。「装い」を提案するライン ARLNATA (アルルナータ)を立ち上げる。その後2022年4月にふるさと納税ポータルサイト「ふるさとチョイス」の創業者とMIZENを立ち上げるが、MIZENとは伝統技術とクリエイター/アーティストとを結びつけて作品を創り上げるプロジェクト。MIZENの扱う洋服のラインは全国の伝統織物xARLNATAのコラボレーションという位置づけで活動する。
もともと僕にとってHermèsは別世界でした。それで入ってみたら、めちゃくっちゃいい会社なのです。クリエイションの人だけでなく、掃除をしてくれる人も、入口のセキュリティの人も、みんな笑顔なんです。だって、エルメスで働けるって誇りじゃないですか。物づくりにおいては、とにかくしっかりと計画を立て、時間をかけて完遂します。特にリサーチがすごくて、新しいことをするためには材料の調達や工場をどこにするかなど、徹底的に調べるところから始まっている。
僕はMIZENを、Hermèsのようにしたいと思っているんです。
Hermès在籍中の2016年、パリで開催されたファッション素材の見本市「プリミエール・ビジョン(PremiereVision)」で衝撃的な出合いがあったのです。
その見本市の前夜に知人から、京都に貝殻の真珠層を織り込んだ“螺鈿織(らでんおり)”という織物があり、その螺鈿織を手がける『民谷螺鈿 (たみやらでん)』(京丹後市)が出展するので行ってみたらどうかとすすめられました。それで、“螺鈿織”をネット検索して、その美しさと、それを生み出す技に驚きました。
翌日、「プリミエール・ビジョン」の『民谷螺鈿』のブースに足を運んだのですが、その隣にあったのが『白山工房(はくさんこうぼう)』(石川県白山市)のブース。そこにシンプルにディスプレイされていた反物が、「牛首紬(うしくびつむぎ)」という伝統の織物で、その色使いに強く心を惹かれました。「こんな完璧なまでに完成されたテキスタイルをつくれる人がいるんだ、これをつくるためにどれだけの熱量がかけられているのだろう」と、胸を打たれました。
牛首紬と出会ってからすぐに、ネットや本で着物のことを調べまくりました。長めの休みがとれると日本に帰り、京丹後や奄美大島など、行ける限り織物の産地に足を運びました。そこで現場の人の話を聞き、その手仕事を目の当たりするうちに「この人たちと仕事がしたい」と思うようになりました。
そのタイミングで僕は36とか37歳、これからの自分はどうするのか考えていた時期でもありました。今の時代、新しくブランドをつくって何の意味があるだろう? 僕だからできる、自分じゃないとできないことがなければ、独立する意味はないのでがないか…と。
でも、着物という最高級の日本の素材で洋服をつくるのは、日本人でないとまずできないだろう。値段も相当なものになるかのだから、下手なテクニックでは扱えない。「それが自分にしかできないことかもしれない」「僕はそこに挑戦する」、そう心を決めました。
僕は3Dデザイナーなので、それはクリアできる問題でした。反物の幅をどう料理できるか、まずはつくってみよう、発表してどう反応があるのかやってみようと、パリで結婚したパートナーとともに日本に戻りました。そして、2018年末に実家のある大阪にアトリエを構え、「ARLNATA(アルルナータ)」を起こしました。
デビューのために、日本三大紬とされる大島紬、結城紬、牛首紬の産地の織元にお願いして、ARLNATAオリジナルの紬の反物をそろえました。その中から好みの反物を選んでいただき、そのテキスタイルの特徴が生きるデザインのコートやジャケット、スカートなどを提案して仕立てるという…言うなれば「パターンオーダー」です。
そう言えば、東京でもコレクションを発表するポップアップイベントを催したのですが、そこに訪ねてきた学生さんに2時間近くも質問攻めにあったことがあります(笑)。もちろん、購入にはつながりませんでしたが、若い世代に興味を持ってもらえたことがうれしかった。織物の名前や産地を覚えてもらうことも、僕がARLNATAでやるべきことでもあったから。ファンを増やすことも大切だと思っていました。
ARLNATAのデビューのときから、ふるさとチョイスの創業者である須永珠代さんがお客さまでした。僕がARLNATAでやっていることが地域の活性化につながることにも興味をもってくださり、ずっと応援してくれていたのです。
それが2年ほど前にお会いしたときに、「本気で日本の産地を活性化させようと思うならこんな規模じゃダメ!」と言われたのです。そこからビジネスとして一緒にやっていこうということになり、2022年4月に須永さんが設立したアイナスホールディングとARLNATAの合同でMIZENを創設。そして12月には、南青山の旗艦店のオープン。プロジェクト第1弾として掲げた“MIZEN BLUE「勝」”のテーマをもとに、全国の12の産地の職人に作成を依頼して完成したオリジナルの反物を披露しました。
それから月1回のペースで、これらの反物をテキスタイルとして使用したメンズ、レディースの洋服の発表会を開催しています。4月末にはMIZEN初となる、アーティストと伝統工芸とのコラボレーション企画「本場大島紬×木工アーティストJunichi Hozono(寳園純一)」をプロデュースしました。
木工アーティストとのコラボは、洋服屋さんというイメージを払拭するための試みでもあります。MIZENの将来は、Hermèsのように洋服だけでなくライフスタイル全般に日本の伝統技術をつかった物づくりをしていきたいのです……。
「MIZEN 寺西俊輔氏インタビュー」Vol.3につづく。
牛首絣「勝」メンズノーカラージャケット
牛首絣「勝」メンズスラッシュブルゾン
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Almost blue C棟
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