媚(こ)びず、
飾らず、
躊躇(ためら)わず。
どう作るか、よりも
どう生きるか。
談 ・ 髙木雄介
「どう作るか、よりもどう生きるか」。この言葉ほど、陶芸家・辻村史朗の生き様を端的に表現するものはないだろう。彼の作品はニューヨークのメトロポリタン美術館をはじめ欧米諸国の美術館に所蔵され、いまや世界中に多くのコレクターをもつ。
現代の日本を代表する陶芸家の一人だが、師は持たず、50年以上にわたって独学と試行錯誤を続け、日々、土と向き合っている。その作品は奇を衒(てら)わず、媚びも気負いもなく、作為を超えて、ただそこに在るという存在感で迫ってくる。
そこから伝わる、荒々しいまでの力強さと静けさ。何時間でも眺めていられる不思議な魅力にあふれている。それはむしろ焼き物というよりも、陶芸家という人間そのものと相対しているような感覚にとらわれるのだ。
私は初めて、ここ「かみ屋」でご本人にお会いする機会に恵まれた。それは幸運にも、「志野茶盌(しのぢゃわん)が焼き上がったんや」というタイミングで、その場で辻村さんに茶を点(た)てていただくという最高の体験をした。そのとき、初めてご本人と言葉を交わし、彼から放たれるパワーを感じ、自分がこれまで辻村史朗の作品と対峙していたときの不思議な感覚に合点がいったのだ。初めて彼の作品に出合ってから、私が引かれてやまないのは、作品を通して伝わってくる辻村史朗というひとりの人間の生き様そのものだったのだろう。
「どう作るかよりもどう生きるか。生き様の中から全部出てきてるもんやと思う。家を造るのも、野菜を作ったり、山に山菜を採りに行ったりするのも、総合的に私がやっているものはすべて生活の中から出てきている。それは焼き物にも通じているし、生き様みたいなものでしょうね」と、辻村さんは話す。
奈良の山野にある自宅を訪れれば、旧知の友人も初めましての人も、まずはお茶を一服と、薄茶を点ててくれる。志野、粉引、赤茶盌、黒茶盌。どれも手のひらに収まりよく、飲みやすい。主張も遠慮もなく、飲んだ後もずっと手のひらで包み込んでいたくなる。そして自ら目利きした肉を焼き、自作の器が受け止める妻・三枝子さんの手料理でもてなしてくれる。
何かひとつの焼き物に取り組んだら、しばらくは、毎日そればかりに没頭する。夜も明け切らない深夜2時から起きだして、轆轤(ろくろ)を回し、ひたすら土と向き合う。辻村さんいわく、「土に対してちょっと手を貸すくらい。土を征するのではなくて、土を生かし、土に沿って作っていく感じ」。朝、目が覚めれば昨日焼いた茶盌が気になって一目散に窯場(かまば)へと走る。所有する2万坪の山には、これまでに生み出した数十万もの焼き物が無造作に置かれている。
「なで回してなで回して、茶盌には1時間でも見ていられるような魅力がある。狙ってるものはなかなかできへん。失敗ばかりだけど、欠点があっても愛おしいなぁ。違う、違うと言いながら、土塊(つちくれ)と格闘するのが楽しいんです。だから、またやるしかない」
辻村史朗の生き様、哲学は、われわれが遠い昔に忘れ去ってしまった価値観、生きるということの本質を思い出させくれるだろう。
辻村史朗
陶芸家。師は持たず独学で陶芸を学び、50年ほど前に奈良の山野に自ら建てた家に暮らし、日々ものづくりと向き合う。土をこね、轆轤を回し、焼く。時に絵を描き、墨と紙と向き合う。その暮らし、生き方そのものが人々を魅了する。
髙木雄介
2008年にアパレルからプロダクトまで手がけるブランド、オールドジョーを設立。渋谷と金沢に直営店を構える。国内外のヴィンテージ、骨董や家具、プロダクトデザインにも造詣が深く、なかでも職人的な背景を持つ作品と生き方に強く引かれる。
OLD JOE 公式サイト
かみ屋
辻村史朗、井上有一、細川護熙の作品を中心に焼き物や水墨画などの美術品を展示販売。併設の工房では職人が絵画の表装や修理を行い、保存性の高い良質な書画用紙も販売。紙に関する美術品および文化財に対するさまざまな事業を展開。※来店は要予約。