成田悠輔氏の発言で
「尊厳死解禁」に向かうか

「そういえば最近、田中さんのところのおじいちゃん見ないわね」

「あら、知らないの? 昨年末にボケが進んでもう会話も成立しないくらいになっちゃって。家族みんなでよく相談して結局、尊厳死されたそうよ」

「なんか最近、尊厳死を選ぶ人が増えたわね」

「昔、えらい先生が“高齢者は集団自すれば良い”なんて言ってボロカスに叩かれたことがあったけれど結局そうなっちゃったわよね」

――そんな世間話がいたるところで聞かれるような時代が、近い将来にやってくるかもしれない。

イェール大学アシスタント・プロフェッサーの成田悠輔氏の「高齢者は集団自決すれば良い」という発言が批判を浴びている。これに理解を示している人もかなりおり、「尊厳死解禁」へ向けた議論が一気に進んでいく可能性もあるからだ。

ご存じのない方のために事の経緯を説明しよう。成田氏はさまざまなメディアや講演などで、高齢化社会への対応策として高齢者の「集団自決」「集団切腹」を繰り返し主張してきた。例えば、21年12月の『ABEMA Prime』ではこんな持論を展開している。

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【改造論】成田悠輔「消えるべき人に消えてと言える状況を」ひろゆき「過疎化より無人化の方がマシ」少子化&人口減少前提で考える日本の未来|#アベプラ《アベマで放送中》
【改造論】成田悠輔「消えるべき人に消えてと言える状況を」ひろゆき「過疎化より無人化の方がマシ」少子化&人口減少前提で考える日本の未来|#アベプラ《アベマで放送中》 thumnail
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「僕はもう唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないかと……」

その具体的な方法のひとつとして成田氏が挙げているのが「尊厳死」だ。22年1月にNewsPicksで配信された動画でも同様の主張を繰り返して、こんな近未来を予想している。

「安楽死の解禁とか、将来的にあり得る話としては安楽死の強制みたいな話も議論に出てくると思う」

これを受けて、「発言内容の全体を聞くと、納得できる部分はある」「表現は乱暴だが、見解はまとも」など成田氏の考えを支持する声も少なくないのだ。

高齢化が急速に進んで、現役世代の社会保障負担が重くなっている日本では今、「老害」への風当たりが非常に強くなっている。若者世代が貧しいのは、高齢者が社会の第一線に居座り続けているからだ、という「世代交代」を望む声も多い。

そんな高齢者への「ヘイト」が高まっている中で、「米有名大学の経済学者」という極めて権威的なインテリが、「高齢者は集団自決せよ」と主張すれば一気に「尊厳死解禁」議論が進んで、あれよあれよという間に関連法案が通過なんて事態も起こり得る。

「人の命に関わる法律の議論がそんな簡単にホイホイ進むわけないだろ」とあきれる人もいるかもしれない。あるいは、「成田氏は世代交代のメタファーとして集団自決って言っているだけなんだから、そんなに目クジラを立てなくてもいいのでは」と冷笑する人もいるだろう。

ただ、歴史を振り返れば、そうも笑っていられない。

悪法・「優生保護法」は
なぜ成立したのか

日本人は「ムード」に流されやすい。社会不安が高まっているところに、権威的な肩書きを持つインテリが溜飲を下げるような主張をすると、それに飛びついて世論が一気に傾くということが、これまでも度々起きている。

それがどんなに過激であっても、どんなに非人道的なものであっても、知識人から「日本の未来のためだ」と説明されると、「そうだ、そうだ」と国民も納得して、法律もサクサクと成立する。

そのわかりやすい例が、「世紀の悪法」として知られる「優生保護法」だ。

1948年に成立したこの法律はその名の通り「優生思想」を色濃く反映しており、「総則」にも「不良な子孫の出生防止」が掲げられていた。そのため、約1万6000人にも上る障害者が不妊手術を強制的に受けさせられた。

終戦から3年、「基本的人権の尊重」を掲げた新憲法が制定された日本で、なぜこんな非人道的な法律がすんなりと認められたのかというと、多くの国民が納得したからだ。

では、なぜ納得していたのかというと、権威的な肩書きを持つインテリたちが繰り返し繰り返し、「日本の未来のため」と主張をしてきたからだ。

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知識人が全国で触れ回っていた
「優生思想」

実はこの法律ができる15年くらい前、日本では「優生思想」が空前の大ブームとなっていた。さまざまな知識人が「日本の未来のためには、障害者や犯罪者は子孫を残すべきではない」と主張をしていた。

その論客の代表が、「朝日新聞社」の副社長だった、下村宏氏だ。

逓信省の役人としてベルギー留学後、台湾総督府勤務からマスコミに転職した下村氏は、今でいうところの、“テレビ番組に出演する文化人コメンテーター”のはしりのような存在だった。

ラジオ出演をしたり、全国を回って「日本民族の将来」という題目で講演を行い、国際情勢、そして「日本の危機」について説いて回った。そんな下村氏が、これからの日本で最も重要だと主張していたのが「優生思想」だ。1933年に児童養護協会が出した「児童を護る」の中で、こう持論を展開している。

「私は今日日本の国策の基本はどこに置くかといへば、日本の人種改良だらうと思ひます。この點(てん)から見ますると、どうも日本の人種改良といふ運動はまだ極めて微々たるものである。それでは一體その他の改良といふことは日本ではやらんのかといへば、人種改良の方は存外無関心であるが、馬匹改良はやつて居る。豚もだんだん良い豚にする。牛も良い牛にする。牛乳の余計出る乳牛を仕入れる」(P.8)

犯罪者や障害者が子孫を増やしていくと、やがて日本人全体が劣化していくので、そういう人々は「断種」するのがベストな選択だというわけだ。このような「国策」を唱えていた下村氏は1937年に貴族院議員になり、その3年後に政府は「優生保護法」の前身となる「国民優生法」を成立させる。「人種改良を国策に」と主張していた下村氏が、この法律の成立に大きな役割を果たしたことは容易に想像できよう。

ちなみに、下村氏はその後、内閣情報局総裁となり「宣伝」を担当して玉音放送にも関わり、戦後はNHKの会長になった。

そして、ここからが大事なポイントだが、このような「優生思想を求めるムード」は戦後もしっかりと受け継がれたということだ。アメリカに敗れて新しい憲法ができたからといって、急に日本人の意識がガラリと変わることなどありえない。特に1948年くらいならば、まだ多くの国民は戦時中の人権意識を引きずっている。15年前に「日本の未来のためには、障害者や犯罪者は子孫を残すべきではない」という下村氏たち知識人のラジオや講演を聞いて「そうだ、そうだ」とうなずいていた人たちも当時まだまだ現役だ。

そういう世論がベースにあったので、「優生保護法」のような非人道的な法律もすんなりと受け入れられてしまったのである。

「国のため」といえば
残酷になれる日本人

このような歴史の教訓を踏まえると、「尊厳死解禁」も我々が想像しているよりも早く議論が進んでいく可能性が高い。

先ほども申し上げたように、今の日本は「老害」叩きのムードが高まっている。

「障害者や犯罪者は断種すべき」という下村氏の主張に多くの国民が賛同して一気に議論が進んだように、「高齢者は集団自決すべき」という成田氏の主張にも、多くの国民が賛同して一気に議論が進む「土壌」は既に出来上がっているのだ。

senior couple walking in the square
Hiroshi Watanabe//Getty Images

特に日本人は「日本のため」という話を持ち出されると弱い。「集団のためには個人が犠牲になる」という思想教育を幼い頃から徹底されているので、「日本のため」と言われたら、自分の高齢の親にさえも「自決」を迫れるような残酷さも持ち合わせている。

その残酷さの最悪の形が「集団自決」だ。ほんの80年前、我々は「日本のためにここでみんなで死ね」と命じられて本当に実行した。洞窟に隠れて泣き声が米軍にバレるという理由で、我が子の首を締めて殺した親もいる。

それは決して「狂っていた」からではなく、すべては「日本のため」である。日本のためには自分を殺すし、家族も犠牲にしなくてはいけないとインテリたちも説いていた。そんな「ムード」に屈して、誰もが冷静な判断力を奪われていたのである。

「高齢者の集団自決」などあり得ないと笑う人もいるだろうが、我々は民主主義の社会になってから、「障害者への断種」を強いる悪法をつくった前科もあることを忘れてはいけない。

気がついたら、高齢者を安楽死へ促すような法律ができていても、おかしくないのではないか。

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