歴史に名を残す世界の航空機ランキング【14位~1位】
世界中の航空機の中で、もっとも印象深い飛行機を14位~1位までランキング形式でご紹介します。
※本記事は、『航空機ランキング【25位~15位】』に続く後編です。サウスロンドンを拠点に置く航空機から最新テクノロジーを専門とするジャーナリスト、デビッド・ハンブリング氏による寄稿記事です。英「ガーディアン」紙にも寄稿するなど、世界の航空機に造詣が深いハンブリング氏。彼による独断と偏見と…愛に満ちたランキングになります。
お気に入りの飛行機をランク付けするなんて…、私(筆者ハンブリング氏)には所詮無理なことだとわかってはいるものの、とにかくやってみることにしました。
航空業界に燦然と輝く巨人ばかりで、商業用の旅客機から軍用の戦闘機に至るまで多岐にわたっており、そのすごさのレベルによってランク付けをしています。あくまで独断と偏見によるものですが、読者の皆さんも共感していただけるであろう、的確なものになっているはずです。
それでは後編です。14位~1位までをご覧ください。
《第14位》パナヴィア トーネード
冷戦時代に製造された多用途攻撃機「パナヴィア・トーネード(Panavia Tornado)」は、1968年に西独・英・伊・蘭の航空機会社が共同して設立したパナヴィア・エアクラフトが開発した多用途戦闘機(マルチロール戦闘機)です。
つまり、この「トーネード」は、ヨーロッパのエンジニアたちのプライドが結集した最高傑作とも言えるのです。そのため、機体の前と後ろはイギリス製、中央はドイツ製、主翼はイタリア製、エンジンは共同開発という、この時代にしてボーダレス…グローバルな機体になっていました。そのおかげで合理化ができ、調達費は安く収まったということ。初飛行は1974年になります。
このような多機能の欧州戦闘機をドイツ連邦軍の隠語で言うなら、「Eierlegende Wollmilchsau」になります。訳せば、「卵(Eier)を提供する鶏、ウール(Woll)を提供する羊(ここでは省略されているが、続きもある…ミルク(Milch)を提供する牛、そして肉を提供する豚(Sau)が一つになったかのようなマルチぶり」を言っています。ですが、この言葉は必ずしも褒め言葉ではありません。皮肉も秘めているようです。
1979年のデビューから40年後、「トルネード」は大爆撃機、偵察プラットフォーム、核抑止力、電子戦機、迎撃機として活躍。ドイツ、イタリア、イギリス、サウジアラビアで運用されました。
「トーネード」は可変翼を採用していて、ポジションが前のときには低空でより大きな揚力を得ることができ、超音速で飛行するときには後ろに下げ、抵抗を少なくすることができるのです。
「トーネード」の主要なミッションとしては、ヨーロッパにおける低空爆撃が想定されていて、湾岸戦争での「砂漠の嵐作戦」では、ときには高度15メートルかそれ以下で飛行するなど印象的な活動を行っていました。
しかしヨーロッパでは、深い森や起伏のある丘など、姿を隠すことのできる場所もあるのですが、イラクにはそれがないため、地上からの攻撃によって失われた「トーネード」もありました。
おすすめ関連記事:「トーネード(Tornado)」が最高の攻撃機である理由 ― 搭乗したパイロットからの声
《第13位》ロッキード・マーティン F-35 ライトニング II
好きであろうと嫌いであろうと―どちらもたくさんいるはずですが―「F-35」は現在、世界最大かつ最重要の軍用航空機プログラムです。
1992年に統合打撃戦闘機計画の中で考案された「F-35」は、2015年から運用が開始されたものの、ステルス・コーティングや暗視カメラなどに深刻な技術的問題が残されていました。
「F-35」は、古くなってきた「F-16」、「F/A-18」、「A-10」、「AV-8B」などの後継機となる他用途戦闘機ですが、以前のものと違ってステルス性に優れ、数々の先進的センサーを装備しています。
印象的なヘルメットディスプレイ(ヘルメットに内蔵されたディスプレイ)は、スピードや燃料などのデータを天蓋に映し出す従来のヘッドアップディスプレイに取って代わるだけに留まらず、まるで機体を透視したかのような、360度すべての赤外線画像を映し出すことができます。
「F-35」は動くセンサーの塊のようなもので、ターゲットを発見すると、まわりにいる性能が劣る友軍機にそのデータを送って、彼らが有効に機能できるようにすることも可能です。
「F-35」は2019年4月、初めての空爆をイラクで成功させました。イスラミックステートのトンネルに対する爆撃は、現代の戦闘機にとっては難しいことではありませんが、世界初の1兆ドルプログラムにそれだけの価値があるかどうかについては、もう少しようすを見る必要がありそうです。
おすすめ関連記事:米空軍「F-35」の騒音に近隣住民は耐えられるのか?【米国レポート】
《第12位》ボーイング B-52 ストラトフォートレス
運用開始から64年が経過した高齢の「B-52」は、アメリカ空軍で最も数の多い爆撃機で、後継機になるはずだった機種よりも長命を保っています。
BUFF(Big Ugly Fat Fellow = 巨大醜悪でぶ野郎)と呼ばれることもある「B-52」は、冷戦まっただ中の時代の核爆撃機として設計され、ソ連中心部まで核爆弾を運んでいけるだけの航続力がありました。
もともとは高い高度での飛行が想定されていましたが、レーダーにひっかからずに飛行することが重要になってくると、低空の任務に対応できるよう改良が加えられていきました。
巨体の「B-52」には通常爆撃という役目もあって、500ポンド爆弾を機内に84発、750ポンド爆弾を翼のパイロンに24発搭載しています。「B-52」の編隊が大規模な空襲を繰り広げたベトナムでは、甚大な被害を与えることに…。
「B-52」は8つのエンジンを4つのポッドに配置するというユニークなカタチを取っています。これらを4つの新しいエンジンと取り替える計画が何度か持ち上がりましたが、すべて却下されて、今後のアップグレードでも8エンジンが維持される見込みとなっています。
「B-52」はまだまだ健在で、退役する気配は微塵も見られず、100年は飛べるだろうと予測している人も少なくありません。
おすすめ関連記事:戦略爆撃機「B-52」のエンジンを点火する驚きのアナログ方法 ― 米空軍が映像公開
《第11位》マクドネル・ダグラス F-15 イーグル
1976年に無敵の制空戦闘機となるべく導入された「F-15」は、それをまさに実現しました。
数々の戦闘で100を超える敵機を撃墜しながら、「撃墜されたのはゼロ」という記録は、まさに無敵そのものです。エンジンが2基の「イーグル」は、機動性とスピードを併せ持ち、高度が高くなるとスピードはマッハ2.5に達します。
また、高性能のAN/APG-63レーダーで誘導する長距離ミサイルのAMRAAMを発射することもできますし、空中戦で短距離ミサイルのサイドワインダーと併用することも可能です。
「F-15」に秘められた地上攻撃力は、のちに「F-15E ストライク・イーグル」で花開きます。これは同機のサイズとパワーを利用して、大量の精密爆弾を運べるようにしたものでした。
【動画】「F-15SE サイレント・イーグル」
導入から40年が経っても、「イーグル」が活躍しているというのは基本設計の優秀さの証明であって、ステルス性能を備えた派生型の「F-15SE サイレント・イーグル」や「F-15X アドバンスト・イーグル」などを見ると、より新しい時代の戦闘機が持っているはずのアドバンテージも色あせて見えます。
《第10位》アエロスパシアル/BAC コンコルド
初めての超音速旅客機が就航したのは1976年。イギリスとフランスが共同開発した「コンコルド」は、音速の2倍を超える速さを実現し、ロンドンからニューヨークまで3時間かかりませんでした。
両都市間の時差よりも少ない時間だったので、乗客は出発時間よりも早い時間に到着するという、ユニークな体験をすることができたのです。
デルタ翼には4基のアフターバーニング・ジェットエンジンが収められていました。超音速飛行が長くなると、熱を帯びた機体が飛行中に30センチほど伸びるので、隔壁に生じたすき間がはっきり見えることもありました。
折れ曲がったカタチの機首が大きな特徴で、離陸時と着陸時に先端が下がるのは、パイロットに滑走路がよく見えるようにするためです。
定員がわずか120名で、ファーストクラスのサービスが受けられるはずなのに、コンコルドの機内はとにかく窮屈でした。
しかし、そのチケットを入手できる数少ない人々にとっては、コンコルドによる超音速の旅は、何物にも代え難い楽しい経験だったのです。
おすすめ関連記事:コンコルドはなぜかくも厄介な旅客機だったのか? ― 超音速飛行をめぐる波瀾万丈の物語
《第9位》スーパーマリン スピットファイア
「スピットファイア」が歴史に燦然と輝く活躍を見せたのは、イギリス防空戦(第二次世界大戦中にイギリスがドイツと繰り広げたイギリス本土での制空権争い。バトル・オブ・ブリテン)のときで、少数の「スピットファイア」が、数的有利に立っていたドイツ軍に勝利を収めたのです。
おそらく「スピットファイア」は、イギリスが製造した最も有名な飛行機であり、航空ショウでは常に絶大な人気を誇っています。
第二次世界大戦を通じてつくられ続けた「スピットファイア」は、24種類もの派生型が製造されました。
「スピットファイア」のベースになったのは、以前からあったスーパーマリン社のデザインで、1930年代にスピードの速さで受賞歴がありました。
丸みを帯びた珍しい翼のカタチは抵抗を少なくし、当時のほかの戦闘機よりも速いスピードを出すのに役立っていたのです。
オリジナルの「Mk1 スピットファイア」は.303機銃を8挺装備していました。
戦争が進むにつれて、より大型の武器が必要になってきたので、「スピットファイア」のエンジンも1000馬力のマーリンから2300馬力のグリフォンへとアップグレードされ、20ミリ機関砲と地上攻撃用の500ポンド爆弾を搭載することが可能になりました。
《第8位》ボーイング 747 ジャンボジェット
その巨大さから、マスコミに“ジャンボジェット”との名を頂戴した「747」は、機体が幅広の旅客機で、大陸をまたいだ空の旅をマスマーケットに広げる役目をはたしました。
パンナムが、1970年に初めて「747」を就航させたときの乗客数は400人。定員数はどの旅客機よりも多く、定員数の記録を40年近く保持していました。
ボーイング「747」があまりに巨大なため、ワシントン州エヴァレットにある組み立て工場は、世界で最も容積の大きな建造物となっています。
「747」最大の特徴と言えば―ジャンボのために開発された4つの巨大エンジン、プラット&ホイットニーのJT9Dは除く―フロント部の盛り上がりです。
ここがこのようになっているのは、この飛行機が軍の輸送機として考えられたとき、先頭部から荷物を詰め込めるようにするため、コクピットをその上に付け足すようなカタチにしたからでした。いまはこの盛り上がった部分が、ファーストクラスとビジネスクラス専用のアッパーデッキになっています。
おすすめ関連記事:「ボーイング747」が究極の旅客機と言える理由 ― ハイジャックを含む歴史を振り返る
《第7位》ロックウェル B-1 ランサー
「B-1(B-one)」の名称をもじった“ボーン(骨)”という呼び名のほうが一般的にはよく知られており、様々な批判や計画取り消しを乗り越えた末に、アメリカ空軍における戦略爆撃機の要になりました。
「B-58ハスラー」や「B-52」の後継機とするため、1970年に高高度をマッハ2で飛行する核爆撃機として計画された「B-1」ですが、この計画は1977年に一度キャンセルとなりました。
しかし、さらに先進的な「B-2スピリット」の開発が遅れていたため、80年代になって復活します。新しいバージョンは音速以下のスピードでレーダーに捕捉されることなく、目的地に侵入できるよう低空飛行に焦点がしぼられました。
「B-1」が給油を受けずに行動できる戦闘半径は3000マイル(約4800キロメートル)で、12万5000ポンド(約57トン)という破格の搭載爆弾量は、すべての爆撃機の中で最大です。
1993年にSTART II(第二次戦略兵器削減条約)が結ばれると、「B-1」は核搭載能力を取り除かれ、再び、純然たる通常爆撃機として活動することになりました。
照準ポッドのスナイパーを装備した「B-1」は、イラクで正確な爆撃を行うことができましたし、最近ではシリアに対して巡航ミサイルによる攻撃を行っています。
現在は、防空圏外から敵の艦船を沈める、長射程対艦ミサイルAGM-158Cによる海上攻撃が「B-1」の新しい任務になっています。
《第6位》ヴォート F4U コルセア
1942年に導入された「コルセア」は、第二次世界大戦におけるアメリカ海軍のトップ艦載機でした。
当時最もパワフルなエンジンだった、プラット&ホイットニーの空冷エンジン、R-2800 ダブルワスプを採用。このエンジンには特大のプロペラが必要だったため、地面からの高さを十分にとるため、珍しいベントウィングを使う必要がありました。
このパワフルなエンジンと、空気力学を応用したクリーンなデザインという組み合わせで、ボディの組み立てには、新しく開発されたスポット溶接という技術が使われたため、なめらかな仕上がりとなりました。
その結果、「コルセア」は水平飛行で時速400マイル(約640キロメートル)を超えるスピードを出した最初の戦闘機となったのです。
「コルセア」は20ミリ機関砲を4挺装備し、1000ポンド(約450キログラム)の爆弾、ロケットを搭載することができました。
沖縄やその他の場所で海兵隊への地上支援が行われることを想定すると、これは非常に有効でした。
《第5位》ダグラス DC-3
1935年に「DC-3」が初めて登場して、空の旅は大きく変化しました。
かつてなかったほどのレベルで、信頼性と快適性を実現したのです。またスピードも大幅に上がって、フォード・トライモータのようなそれまでの旅客機が時速100マイル(約160キロメートル)だったのに対し、「DC-3」は時速200マイルで飛行しました。
ロサンジェルスからニューヨークまでわずか15時間で行けるなんて、前代未聞でした。おまけに寝台席まであったのです。
親しみを込めて“グーニーバード”と呼ばれた「DC-3」は、座席数が21で、当時としては大型の飛行機でした。
そのスピードとキャパシティのおかげで、政府の補助がなくても、乗客の輸送だけで利益が出るようになり、TWA、デルタ、アメリカンなどの航空会社はこぞって「DC-3」を採用しました。
第二次世界大戦では輸送機の「C-47」として、新たに軍用機としての役割を与えられました。
その信頼性と耐久性―荒地への着陸が想定されたため―が高く評価されたのです。
最近では、ノルマンディー上陸作戦の75周年を記念した式典において、「C-47」の編隊からパラシュート部隊が降下するというパフォーマンスが行われ、その中には当時この作戦を率いた飛行機、“ザッツ・オール・ブラザー”も含まれていました。
《第4位》ボーイング B-29 スーパーフォートレス
非常に印象深い航空機…そして、色々な意味を込めて忘れてはいないのがボーイング 「B-29 スーパーフォートレス」です。第二次世界大戦の重爆撃機といえば、イギリス人の筆者である私にとってはやはり、この「B-29」なのです。
「大きければ大きいほどよい」というわけで、4エンジンの「B-29」は世界最重量の飛行機で、それまでの「B-17」よりスピードも航続距離も、搭載爆弾量も優れていました。
また、高高度を飛行するための加圧型クルーコンパートメントや、0.50口径の機関銃を最大10挺まで遠隔操作できる銃塔など、風変わりな特徴もありました。
第二次世界大戦末期には、「B-29」の大編隊が日本の各都市で空襲を繰り広げ、1万2000ポンド(約5400キログラム)もの爆弾と焼夷弾を投下しましたが、「B-29」はそれらとはまた別の爆弾とともに、その名を永遠に留めることになりました。
1945年8月、北マリアナ諸島のノースフィールド飛行場を飛び立った「B-29“エノラ・ゲイ”」が、15キロトンの原子爆弾“リトル・ボーイ”を広島に投下―これによって、戦争はこれまでのものから永久に姿を変えてしまったのです…。
《第3位》ロッキード SR-71 ブラックバード
伝説の「ブラックバード」は、これまでつくられた中でも最速のジェット機で、マッハ3.5のスピードで飛行することができました。
ロッキードのスカンク・ワークスで完全に極秘にされて開発・製造が行われた「SR-71」は、ロシアの地対空ミサイルが追いつけないほど速く、そして高く飛んだのです。ミサイルや迎撃機による攻撃はすべて失敗に終わり、高い高度の薄い空気の中でうまく機能できるミサイルはひとつもありませんでした。
「SR-71」の飛行高度は、宇宙までは届かなかったものの(ほんの8万5000フィート、約2万6000メートルです)、どの任務も宇宙ロケットの打ち上げ並みに計画を立てる必要があり、パイロットも宇宙服を着用していました。
【動画】SR-71の新しいタイプのエンジン
その高速飛行にはまったく新しいタイプのエンジンが必要で、低速ではノーマルなジェットエンジンですが、スピードがマッハ2を超えると、そのスピードを利用して空気を圧縮するラムジェットになりました。
摩擦によって生じる高熱に耐える必要があるので、機体にはチタンが使われており、高速で飛行すると、翼の前縁が熱を帯びてチェリーレッドに発光しました。(冷戦時代には詐欺まがいの手口を使って、貴重な素材だったチタンをロシアから、第三国を経由して入手したことがありました)
「SR-71」は、1999年に退役しました。その後、噂の「SR-72」など、もっと速い後継機の話はよく耳にしますが、「ブラックバード」はいまでも唯一無比の存在です。
おすすめ関連記事:スウェーデン空軍パイロットに米軍エア・メダルの授与「“極秘”扱いの1987年の事件」
《第2位》ロッキード C-130 ハーキュリーズ
1956年の運用開始以来、4エンジンのC-130、またの名を“ハーク”は、丈夫な戦術輸送機の決定版であり続けています。
ベトナム戦争以降、あらゆる地域の未舗装滑走路で活動を行ってきました。
もともとは貨物輸送機として考えられていた「C-130」ですが、死傷者搬送からドローン用母船にいたるまで、あるいは人工衛星から放出されたフィルムカプセルの受け取りから、フルトン回収システム(地上の人間を飛行機を使って回収するシステム)によるCIAエージェントのピックアップにいたるまで、ありとあらゆる種類の任務に活用されています。
中には心理作戦用に、テレビとラジオの空飛ぶ放送局として使われたバージョンまでありました。
攻撃機バージョンの「AC-130」、別名“スプーキー”には、各種武器がずらりと装備されており、その中には、現代の航空機に搭載された中では最大の銃器である105ミリ榴弾砲のほか、40ミリと25ミリの機関砲もありました。
2017年には、「C-130」がまだやったことのなかった新しい任務が与えられました。これまで戦闘で使用された中で最大の爆弾であるMOAB(大規模爆風爆弾、またの名を“すべての爆弾の母”)を、アフガニスタンにあるイスラミックステートのトンネル網に投下したのです。
「C-130」は確かに古い飛行機かもしれません。ですが、いまでも驚くようなことをやってのけてくれるのです。
おすすめ関連記事:「C-130ハーキュリーズ」が最高の航空機と言える理由
《第1位》フェアチャイルド・リパブリック A-10 サンダーボルト II
その外見にちなんでつけられた、“ウォートホッグ”(イボイノシシ)という愛称のほうがよく知られている「A-10」は、スピードの遅いローテクの攻撃機で、装甲板と巨大な銃器で武装しているためかなり重くなっています。
21世紀というより、スチームパンク(近未来とレトロが融合したような世界観)を思わる姿をしていますが、「A-10」は実際の戦闘でその能力を証明している歴戦の勇士であり、その支援を受けている兵士たちの心をがっちりつかんでいるのです―同機を何度も退役させようとしている空軍将校の心はつかめていないのかもしれませんが…。
ソ連軍のヨーロッパ侵入を阻止する対戦車攻撃機として、「A-10」の運用が始まったのは1977年でした。
じっと身をひそめて敵の攻撃から逃れ、パッと姿を現して攻撃を行います。守りも万全で、パイロットはチタン製の“バスタブ”で保護されており、23ミリ対空機関砲の攻撃にも耐えられます。
武器では、かなりの量の爆弾に加えて、30ミリ機関砲のGAU-8 アヴェンジャーを備えています。これは7バレルのガトリング砲で、装甲板も突き破る弾丸を毎秒70発撃つことができますが、この機関砲が「A-10」の重量の1/6を占めています。
1991年の湾岸戦争で「A-10」が破壊したイラク軍の戦車は987両にのぼり、多国籍軍のその他の国の攻撃機をすべて合わせたよりも多くのダメージをイラクの地上軍に与えました。その後「A-10」は、スマート爆弾を使えるようアップグレードされて、いまでも優れた近接支援機として活動を続けています。
すべて見る!《おすすめ記事》
click☛『格好いい世界の航空機ランキング【25位~15位】』
From Popular Mechanics
Translation / Satoru Imada
※この翻訳は抄訳です。