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Steven Taylor

 2018年5月のことです。ピアース・ブロスナンは、アクリル絵具と油絵具を併用してボブ・ディランを描いた絵画を、カンヌで行われたチャリティオークション「amfAR」に出品し、絵は140万ドル(約1億5100万円)という高額で落札されました。

 しかし実は、競売に出される数日前に絵が紛失するという、ミステリアスな出来事が起こっていたのです。競売主催者たちがパニックに陥る一方で、絵を描いた張本人ブロスナンはこの事態をどう思っていたのかというと、「失くなってよかった」と胸をなでおろしていたというのですから驚きます。

実はブロスナンは本物の画家でした


 何を隠そうブロスナンは、学生時代に商業用イラストを学び、若いころはロンドンの広告会社で働いていました。つまり、れっきとした画家だったわけですが、オークション前には、この事実はほとんど知られていませんでした。

 しかし、俳優として活躍するかたわら、彼はずっと熱心に絵画も描き続けてきましたのも事実です。1991年に最初の妻カッサンドラを失った悲しみから立ち直ることができたのも、絵画という創造性を発露する手段があったおかげなだということ。その一方で、現在にいたるまで自分の作品を公開すべきかどうか迷っていたのも事実のようです。

「絵を描くことは大好きだけど、それほど描いてきたわけじゃないよ。と言っても、人に見せたり展示会に出したりしてみたいと思う作品はある程度そろっていて、パリで展示会を開いてはどうかという話も以前からあるけど、どうだろうねえ」
と、ブロスナンは少しためらいがちでした。

 しかしその一方で、「もし展示会を開くとしたらロサンゼルスでやるだろうと思うよ。ちょっとした絵画展をね。照明を控えめにして、マルガリータなどのカクテルとワインを用意して、雰囲気に合う音楽を流したいね」とやる気もほのめかしていました。

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まるでトーマス・クラウンのような発言

 1年以上経ったいまもなお、ブロスナンは絵画展の開催について、たびたび口にしています。とは言え、いったいいつ開催されるのか? そもそも本当に開催されるのか?は誰にもわかりません。そう思うと、2018年カンヌでボブ・ディランの絵が紛失したとき、ブロスナンがさながら映画『トーマス・クラウン・アフェア』で演じたプレイボーイの絵画泥棒そのものの反応をしたのも納得できます。映画ではトーマス・クラウンが、ルノワールの小品が破壊された事態に対して、まったく気にも留めないというシーンがあったのを覚えていますか!?

「カンヌに着いたらすぐに絵が失くなってしまい、2日間ずっと行方不明だった」とブロスナンは言います。「実のところある意味、少しほっとしているよ。奇妙な話だけどね」

Brosnan's portrait of Bob Dylan, which sold for millions at auction after being briefly lost.
Pierce Brosnan
ブロスナンが描いたボブ・ディランの肖像画は、カンヌで行われたチャリティオークションで140万ドル(約1億5100万円)という高額で落札されました。

 ひと呼吸おいて、ブロスナンは事件のその後についてかいつまんで説明してくれました。

 ウクライナの億万長者を自称する人物が、彼の絵画に100万ドル以上支払ったそうです。この人物はキム・カーダシアンから豪邸を買っただけでなく、“お友だち契約”も結んだらしいという噂でもっぱら有名です。

 ブロスナンはこのてん末を「見つかって、夜にはすべて終わっていたよ(They found it, and the night was the night)」と、そっけない言葉でまとめました。

 これがありのままのブロスナンです。

 彼を褒め称えても、「そのほめ言葉にはもっとふさわしい人がいるよ…」と、彼が称賛に価すると考える人の名前をつぶやくだけです。彼が熱心な環境保護主義者であるのは間違いありませんが、主義主張を雄弁に語るような政治家タイプとはもっとも縁遠い人物であるという点にまず注目すべきでしょう。

 俳優ジョージ・クルーニーやテッド・ダンソンなどとは、まったく違う存在なのです。これほど控えめなタイプは、ブロスナンだけではないでしょうか。ブロスナンはソーシャルメディア上で盛んにコメントを投稿していますが、正直に言えば、この分野ではアンソニー・ホプキンスこそが王者です(ブロスナン自身がそう言っているように、その通りでしょう)。

 彼がこれまで何十年にもわたって、俳優として輝かしいキャリアを築いてきたことには異論の余地もありません。するとここで、『ダニエル・クレイグがブロードウェイの舞台で成功を収めたのを見たことがあるか?』という話になりました。

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 このように話題が、ダニエル・クレイグへと逸れたことは予想外でした。

 と言うのも、2018年初頭のインタビューでブロスナンは、『007』シリーズの雰囲気が「ユーモアを愛する粋なスパイの物語」から「男っぽさムンムンのアクション物」に様変わりしたことへの不満をもらしつつも、大っぴらに語るのをためらうようになっていたからです。実際、ボンド映画に関する質問にはコメントを避けがちで、ただひとこと「他人の言動を自分がコントロールなんてできないし、自分がすべきことでもないからね」と言うにとどまっていました。

 ところが今回の取材が半ばにさしかかったあたりで、ブロスナン自ら、ライオンの調教師のように野性的な現在のボンドを褒めだしたのです。

「他人の言動を自分がコントロールなんてできないし、自分がすべきことでもない 」

「僕は本気で、ダニエル・クレイグを尊敬しているよ。彼のこれまでのボンド映画は素晴らしかったし、彼は優れた俳優であり、偉業を成し遂げてきたと心から思っている。だけど舞台での彼の演技は…」と彼は言葉をにごしました。

 普段は歌うように軽やかなアイリッシュ訛りを交えて、穏やかな口調で情感たっぷりに語るブロスナンですが、どうも切なそうな様子です。ちょうど彼が再び舞台に立つ可能性があるか否かについて質問したときのことで、ブロスナンは夢でも見ているように、青年時代にロンドンで演じた実験的な舞台をふり返りました。

 観光客を前にして、火を噴くパフォーマンスを演じたり、『星の王子さま』などの演劇のワークショップを行ったりしたのです。ブロスナンはもちろん、王子を演じました。はまり役だったと語りつつも、「そのときの僕は長い髪をして、12歳ぐらいの子どもみたいだったよ」と言います。

 そして彼は、声を大にして舞台での可能性を論じ始めました。実現するかどうかは別として、ブロードウェイで演じることに大いに乗り気のようです。

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「大切なのは、これだと思える原動力を見つけることだね。つまり明白な意欲さ。僕はもう舞台には戻らないかもしれない。昔、たっぷり楽しんだからね。それに舞台はとてつもなくハードな仕事だ。なにしろ週に7回という公演スケジュールだからね」と、ブロスナンは言います。

「7日間だけなら、そうだね、1週間だけの公演だったらやってみたいよ。でも1週間続けられるかって? ひと晩だけダニエル・クレイグと入れ替われたらいいね。うん、なかなかいいアイデアだよね」

 一方、彼は自分がまだ達成していないものごとについて、容赦なく自己批判をします。

「度胸を持てない自分が、腹立たしくて仕方ないよ。何かをやるには、『石にかじりついてでもやりたい』という強い意欲をもっていなくちゃいけないんだ」と、ブロスナンは語気を強めます。

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ブロスナンが出演した映画『ミセス・ダウト(Mrs. Doubtfire)』、『マンマ・ミーア!(Mamma Mia!)』、『トーマス・クラウン・アフェアー(The Thomas Crown Affair)』。

  ブロスナンの名誉のために断っておきますが、彼はハリウッドでも屈指の仕事熱心な俳優といっても過言ではなく、40年以上にわたる俳優人生で89もの作品に出演してきました。中でも、彼を象徴する役どころとして最も有名な作品は『007』シリーズのジェームズ・ボンド、『トーマス・クラウン・アフェア』のトーマス・クラウン、そして『マンマ・ミーア』と続編『マンマ・ミーア! ヒア・ウィ・ゴー』でのメリル・ストリープの生涯の恋人役でしょう。本作で彼は、歌って踊りまくります。

 さらに「IMDb(俳優、映画、テレビ番組、テレビ・スター等に関する情報のオンラインデータベース)」によれば、彼はこの5年間だけで、なんと14本もの映画のほか、2シーズン分のテレビドラマに出演しました。今後も6作以上の作品への出演が予定されています。

 ブロスナンが俳優としてブレークしたのは、1993年に公開された故ロビン・ウィリアムズ主演の映画『ミセス・ダウト』でした。この作品で彼は、魅力的でロマンティックなスチュアート役を演じ主役を引き立たせました。

「ピアースはあらゆる意味で完璧よ。『ミセス・ダウト』の撮影中ずっと、私はロビンとピアースのどちらにより惹かれていたのかまったくわからなかったほどなの」、こう語るのは、映画『ミセス・ダウト』でロビン・ウィリアムズ演じるダニエルの妻ミランダ役を演じたサリー・フィールドです。

 彼女は現在、ロンドンのオールド・ヴィック・シアターで上演中の舞台『All My Sons』に出演しています。「でも幸運なことに、どちらかを選ぶ必要はなくて、2人にまとわりついていられたの」と彼女は言います。

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 そしてブロスナンは、「ロビンは非常に素晴らしい俳優だったし、サリーはとてもきれいで素敵だっだ。彼女と僕はまるでガスと炎のように気が合ったよ。それはもう楽しくて、魔法にかかったような体験だった。とにかく愉快だったよ」と当時をふり返ります。

 映画『ミセス・ダウト』の撮影地であるサンフランシスコに行って間もなく、ブロスナンは撮影現場へと出向きました。ちなみにこのとき滞在した「シャーマンハウス(Sherman House=ピアノ販売店主シャーマンの自宅として1879年に建てられた邸宅を改装したホテル。その後ホテルは閉鎖されたが建物は歴史的建造物に指定)」での日々は、彼にとって楽しい思い出になっているようです。

「撮影スタッフから『ロビン・ウィリアムズに会いたいかい?』と訊かれ、『ええ、もちろんです』と答えて、ロビン専用の楽屋になっていたトレーラーハウスに行ってみると、憧れの名優が片隅にすわっていたんだ。アロハシャツとカーゴパンツというカジュアルな身なりで、ごつくて毛むくじゃらの手足をむき出しにしているのに、頭だけはしっかりと、あのミセス・ダウトのカツラをかぶっていたよ」と初対面のときのことを語ります。

「ロビン・ウィリアムズは非常に素晴らしい俳優だったし、サリーはとてもきれいで素敵だっだ。彼女と僕はまるでガスと炎のように気が合ったよ」

 ここでブロスナンはなんと、ロビン・ウィリアムズがミセス・ダウトを演じたときの声色を完璧に真似してしゃべりだしました。

「ロビンはこう言ったんだ。『まあ、あなたがピアースなのね。なんてハンサムなのかしら。ほんとうにすてきね。ねえキスしてくださらない? ほらこっちにいらして。ハグしてちょうだいな』ってね」

 こう言うと彼は普段の声に戻りました。

「ロビン・ウィリアムズは素晴らしくおおらかな人間性の持ち主だった。人が大好きで人生を深く愛していて、とても豊かな人だったんだ。彼がもういないと思うと、いまでもとても胸が痛むし寂しいよ」と、ブロスナンは偉大な俳優の死を悼みます。

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AMC
ブロスナン主演米ケーブルテレビ局AMCのドラマ『The Son』より。

 さて、ブロスナン本人の話に戻りましょう。

 彼の活動状況はと言うと、多忙なスケジュールを精力的にこなしています。この5月にはニューヨークでホラーコメディ映画『False Positive(仮邦題:誤検知)』の撮影に入りました。彼は産婦人科医を演じ、共演者にはジャスティン・セロー、イラナ・グレイザーが名を連ねます。一方、主演する米ケーブルテレビ局AMCのドラマ『The Son』の第2シーズンとファイナルシーズンの宣伝のために、見知らぬ人々とのランチイベントに参加しています。

 彼が演じるのは、テキサスに暮らすアイリッシュ系の牧場経営者。自身の遺産と愛する者たちを守るためには、どんな困難も厭わないという役どころです。撮影中はテキサス州オースティンで灼熱の太陽のもと、馬に乗って走り回るという過酷なシーンが続きます。撮影がハードでも、ランチイベントではのんびりと過ごせるのではないかと思いきや、これがまた一種の拷問なのです。

 と言うのも、ピアース・ブロスナンは好き嫌いを隠さないタイプで、帰りたくなれば率直にそう訴えるからです。ただし、そんなときの口ぶりも巧みに相手を惹きつけます。

「『こんなくだらないことはもうごめんだ。うんざりだよ。何も話すことなんかないんだから』と言い放ってドアから出てきたよ」とブロスナンは言います。

 そんな彼ですが、ここ(今回の取材場所)マリブにある海を望むレストランで、アペロール・スプリッツを飲みながら、かれこれ1時間以上にわたって様々な話題について語ってくれています。しかも、私筆者からの数多くの質問にもひとつずつ礼儀正しく答えてくれました。

 「これが最後ですから」と言いながら、2つも余分に質問をぶつけてしまったにもかかわらず、たいへん丁寧に応じてくれて、その気配りには敬意すら感じられるほどです。なにしろブロスナンが「何も話すことはない」と言うときには、ピアース・ブロスナンというトピックについて、一般に提供できるような新しい話題は一切ないことを意味しているのです。

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「元々話すことが大好きだったし、その気になれば延々としゃべっていられるよ。だけどまあその、話すことがなくなってしまったんだ。本当にまったくないんだ。同じ話を何度も繰り返すだけなんだよ」と辛そうです。

 そうは言っても、ブロスナンは博学ぶりを駆使して、どんなに無意味な質問であっても知的でアカデミックなレベルへと高める術を身につけています。そんなときの彼はじっくりと時間をかけ、満を持したかのようにゆっくりと話し始めるのです。その様子はワイン鑑定家が芝居がかった身振りで、ワイン・テイスティングをしては様々に考えを巡らせているかのようです。

 ただし、誰かの前ではなくてひとりきりで味わっているように見え、わざとらしさは感じられません。インタビュー以外のときの彼も、きっとこんなふうに話すのではないでしょうか。

 こうして取材をしているいまも、ブロスナンがこの場を去りたがっていることを認めざるをえません。彼を捕まえて離さない私(筆者)に、自分の料理を自由に食べるようすすめながらも、まだここにいて取材に応じなければいけないのかと訊ねてくるのですから。

「せめて君でよかったよ。頑固で不愛想な…いや、誰でもいいけどね」と言いつつ彼は、私のことではないとフォローしてくれました。こういうところがブロスナンらしいのです。

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「僕の仕事は“演じること”だ。俳優の仕事を探し求め、絵を描き、舞台に立つ。そして舞台を降りたら何か楽しそうなことができたらうれしいね」とブロスナンは語ります。続けて…。

「もっと口達者だったらよかっただろうね。君のあらゆる質問についてすらすらと答えられたらよかったのにと思うよ。それに自分自身への疑問についてもね」

 一方、俳優として成功した秘けつは何か?という問いに彼は、「とにかくあちこちに姿を現すことさ。言わば『僕はここにいるよ』と主張することだね」と、冷静に答えました。

「僕は何かを読んだり見たりはしない。体を動かして働くんだ。いろいろと言われているのも少しは耳にするよ。悪い評判はどうしても忘れられないもので、暗記して言えるくらいだ。いい評判については信用しないようにしているよ」とブロスナンは言います。

「だからこそ演じることが大好きなんだ。自分以外の他者になれるんだからね。自分自身でいる必要がないんだ。あるいは、普段と違うタイプの自分になればいい」

「控えめな自分とごう慢で自身たっぷりな自分が同時に存在するんだ」
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 自分を売り込むのが苦手だと、隠さずに認めるブロスナン。こんな人は彼が初めてです。それが取材であれオーディションであれ、自分をアピールするのは好きではないのだそうです。

「控えめな自分とごう慢で自信たっぷりな自分が、同時に存在するんだ。まるで足元にうずくまっている黒い犬みたいに、『がんばれよ。もっとうまくやってみろよ』っていう感覚になる」と彼は言います。

「でも僕は、悩み苦しんでいるわけじゃなくて楽しんでやっているよ」と、すぐさま付け加えました。「いままでもうまくやってきたし、これからもできる限りそうしていくつもりだ。俳優として活動し、自分の絵を鑑賞してもらい、さらにやりがいのある仕事に取り組んで自分のなせるワザを見てもらいたいんだ」と意欲的です。

 とんでもなくハードな撮影スケジュールをこなすブロスナンですが、実は彼が創造性を発揮している分野は、俳優業と画業だけではありません。彼は現在、回想録を執筆中で、この仕事ならではのプレッシャーを受けているようです。

「回想録を書くことは、自分自身の発見でもある。そうすると、これを書いていいのかと自問してしまう。この真実を自身に語っていいのか、子どものころの自分に、あるいは青年時代の自分に、そして大人になってからのさまざまな局面での自分に語っていいのだろうか? と不安になるよ。どの程度おもしろおかしく書いたらいいか、そのさじ加減もわからないんだ」と悩ましげな様子です。

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 愉快ではないブロスナンなんて、想像できません。

  彼はプライベートな生活もつつみ隠さず披露してくれるのですが、その暮らしぶりは自然と興味をかきたててしまうのです。友人であるジュリアン・ムーアからニューヨーク市街のホテルをすすめられ、行ってみたらつぶれていたという笑い話もあれば、ジョン・ベルーシが薬物の過剰摂取で死亡したことを知ったときのとんでもないエピソードも…。それは1982年のこと、ブロスナンはCBSテレビのドラマ『探偵レミントン・スティール』の撮影を始めたばかりで、当時の妻カッサンドラと2人の子どもをロサンゼルスにあるシャトー・マーモント・ホテルに滞在させていました。

「ホテルへ戻り、部屋へ上がってテレビをつけると、ホテルのバンガローからジョンの遺体が運び出されるそばで、息子が街灯にぶら下がって遊んでいたんだ。まさに、ロサンゼルスならではの光景だったよ」とブロスナンはふり返ります。

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ブロスナンが映画『007ダイ・アナザー・デイ』で運転したことで有名な愛車「アストン・マーティン2002」は、2018年11月にカリフォルニア州沿岸を襲った大規模な山火事で炎に包まれ失っています。

 そのほか、ロサンゼルスらしさを感じさせることと言えば、彼の家が火事で焼失するかどうかは永遠にわからないということです。彼の家はマリブにあります。これは言わば「シュレディンガーの猫(オーストリアの理論物理学者シュレディンガーが提唱した思考実験に由来する科学用語。観察できない世界では何が起こっているのかわからないというパラドックスを示す)」理論の実例といったところでしょう。

 2018年11月にカリフォルニア州沿岸を襲った大規模な山火事、通称「キャンプ・ファイア」以降、彼は賃貸住宅に住んでいます。この火事ではブロスナンの豪邸と特別仕様の愛車「アストン・マーティン2002」を含め100万ドル以上もの損害を受けました。彼だけのために手作業でつくられたこのクルマは、ブロスナンが『007ダイ・アナザー・デイ』で運転したことで有名になったものです。大切なクルマが炎につつまれていくのを、彼は庭の車道でただ見つめていたと言います。

「なんとかクルマを守れないだろうかと、一瞬だけ考えたけれど、『たかがクルマじゃないか』って割り切ったよ。確かにに大打撃だけど、命が助かったことに感謝して、気持ちを切り替えて前に進まないとね」

 火災当時、ブロスナンは雑誌『Detail』にこう語っていました。現在彼は、マリブに住むのをやめて州の北部へ引っ越すべきかどうか考えているところだそうです。

「信じられないかもしれないけど、いまや僕たちはある種の転換点にいるんだ。火事があまりにも頻繁に起こるので、いまではこれが新たに常態化(ニュー・ノーマル)しただなんていわれているけど、あんなひどい火事が新たな常態であるはずがない。あれは新たな異常事態だ」とブロスナンは嘆きます。

「マリブ周辺では何度も火事に見舞われてきたけれど、今回はかつてないほどひどくやられて、もうどこにも逃げ場なんてないんだ。この地方では火災シーズンがこれからもずっと巡ってくる。炎が生い茂った森林を求めている限り、また火災が起きるし、温暖化も進む一方だしね」

 一方、ブロスナンが私生活でこうむった大波乱への対処のしかたから考えると、彼は何らかの手段でこの困難を耐え抜いていくでしょう。彼はこれまで何十年にもわたって、次々に悲劇に見舞われる姿を衆目にさらされながら乗り越えてきました。そして、いまもコツコツとがんばり続けているのです。

 1991年には最初の妻カッサンドラを卵巣がんで失い、2013年にはカッサンドラの連れ子でブロスナンの養女となったシャーロットも同じ病で亡くしました。同じく養子で、薬物依存に長年浸っていたクリストファーとは、2005年ごろに一度縁を切っています。カッサンドラとの間に生まれたショーンも、2000年にマリブ岬での自動車事故でケガを負って以降、薬物やアルコール依存と闘っていたそうです。

 しかしブロスナンは、こうした悲惨な経験を耐え抜き、事態はみごとに好転しました。クリストファーとは復縁し、いまでは素晴らしい関係にあるそうです。心理学の学位を目指して大学で学んでいるショーンも、俳優業や映画制作で成功し、結婚して2015年には子どもに恵まれたそうです。

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「ショーンの娘はとても可愛らしくて、おじいちゃんになれてうれしいよ。ヘミングウェイみたいにちょっと洒落て『パピー(Poppy)』と呼ばせたいんだけどね…やっぱり僕はグランパ、おじいちゃんだね。人はいつしかおじいちゃんになるときが来るものだ。いまでは僕もそうさ」と、ブロスナンはうれしそうに語ります。

 さらには現在の妻との間に生まれた2人の息子ディランとパリスも立派に成長し、それぞれの人生を歩み始めています。22歳のディランはカリフォルニア大学を卒業、18歳のパリスはファッションモデルとして活躍中です。子どもたちが巣立ったいま、ようやくブロスナンは、自分のやりたいことをする時間を持てるようになったのです。

 心からやりたいことに取り組み続ける、それがいまの彼にとって真の存在理由となっています。最新のプロジェクトについて話す前にもう一度、彼は話題を昔に戻して語りだしました。活発に発言し、周囲に快く耳を傾けている限り、きっと彼はいつまでも果敢にさまざまな場に登場し続けてくれることでしょう。

「時間をずっと生きていく過程で、素晴らしい喜びに満ちた幸福が生まれる」

「これまで随分、いろんな局面に立たされてきて、そのたびに『なぜこんなことをしているんだろう』と自問してみたよ。そして、いまではその理由がわかる。すべてのことは生きるうえでの恩恵だ。妻との生活だけでなく子どもたちにとっても恵みとなるし、僕たちの暮らすこの世界をよりよいものにしていくうえでも有意義なんだ。これまでの経験があったからこそ、僕の人生は大いに安定し、安らぎと愛、そして大きな意味での幸福を享受できるんだよ」と、ブロスナンは言います。

「僕は自分が生きてきた人生そのものを身にまとうようになり、これまでの人生のあり様を周囲に見せるようになってきた。そして、自分が生きてきた年月をしみじみと感じとり、いとおしく思えるようになってきたよ。時間には過去の時間と現在の時間、そして未来の時間がある。こうした時間をずっと生きていく過程で、素晴らしい喜びに満ちた幸福が生まれる。そんな幸福をしばしかみしめているうちに、なすべきことが生まれてくるんだ」

 名優はこう締めくくりました。


Photography by Steven Taylor • Styling by Wendi and Nicole • Grooming by David Cox at Art Department 

From Esquire US
Translation / Shizue Muramatsu 
※この翻訳は抄訳です。