エヴァンス氏は、自身が経験したことを静かに語ってくれました。


 私(エヴァンス氏)が気づいたときには、クルマは空中でした…。ルーフを閉じたマクラーレン「570S スパイダー 」の助手席に座っており、私はこのクルマは山道を猛スピードで下っていました。右への急カーブが目に入る前、スピードメーターが177kmを表示していたことは覚えています。そして、曲がりきれなかったクルマが空中に飛び出すと、吐きそうなほどの猛烈な不快感が全身を襲ったのです。私は両目を閉じ、両手で自らを抱きしめて、死を覚悟したのでした…。

 「ちくしょう! 俺は死ぬんだ」と。もしクルマの中で死ぬとしたら、自分は運転席に座ってるものと考えていました。

 「どうせ死ぬなら、一瞬のほうがいい。首を骨折した後に、ゆっくりと窒息死するのは嫌だ。それだけは最悪だ…」と考えていたのを覚えています。

 巨大な衝撃がクルマを襲いました。腰がシートから浮きましたが、体はシートベルトで固定されていました。まるで、ピアノ線に体が切断されるかのように感じました。ギュッと閉じたまぶたの間から入ってきた光が、いきなり消えます。あたりは暗く、クルマは依然として猛スピードで進んでいたことは感じていました…。

 「横転したのだろうか? 逆さまになってるのだろうか?」と。

 結局、クルマはひっくり返ったままで減速もしていませんでした。再び強烈な衝撃があり、元に戻った感覚がありました。すると、再び空中に飛び、一瞬何も感じられない瞬間がありました…。

 つまり…15階建ビルの高さから5秒で落下する遊園地のアトラクションのように、「ヒュー」という風の音とゾクゾクする感覚だけがあったのです。

 「これは嵐の前の静けさ、あるいは台風の目のようなものだろうか? この後の着地の瞬間に、自分は死ぬんだろうか? それは何秒後だろうか?」と様々な思いが走馬灯のように浮かび上がってきたのを覚えています。

 そして次に、爆発的な衝撃があったと思ったら、クルマは再び転がり始めたのです。

 「もう耐えられない。終わらせてくれ」という思いでした。クルマは周囲に衝突しながら、最終的にきしみながら止まったのです。そして私は2回まばたきをし、カリフォルニアの明るい太陽にくらんだ目を調整しました。そのとき、クルマは元の体勢に戻っていました。エアバッグの煙と砂煙がきしむクルマを包みましたが、幸い火はついていませんでした。そして私は、出血や開放骨折がないか、自らの目で確認していました…。

山の急斜面にはあちこちに瓦礫が散らばっていたが、クルマはほぼ原型をとどめていた

 目に見える傷はありませんでした。痛みがないことを祈りつつ両手足を動かしてみましたが、問題ありませんでした。指で顔を覆いながら必死で切り傷や異常を探しました。が、結局のところ大丈夫でした。また、運転手のほうも問題ありませんでした。

 その後私は目を閉じ、クルマが道から飛び出してから初めて、大きく息を吐き出したのです。

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Courtesy of JESSE CHEHAK
事故にあったクルマの内部。

 ロサンゼルスから、モントレー(米国カリフォルニア州)までの5時間以上におよぶドライブを提案したのは私のほうでした。

 また私たちが、死にかけた道…カリフォルニアのルート33を提案したのも私だったのです。この曲がりくねった道は、ロスパドレス国立森林公園を横切って標高1500mの頂上に至り、うねりながら降りていきルート166に合流するものになります。

 英国のスーパーカーであるマクラーレンが、自動車ジャーナリストである私にこの「570Sスパイダー」を試乗させてくれたのは、2018年8月のことでした。

 ツインターボV8エンジンをミッドに搭載し、562馬力と最大トルク600Nm(443 lb ft)を誇る23万5000ドル(約2600万円)のクーペは、停止状態からわずか3秒少々で時速96kmに達します。

 さらに6.5秒後には時速200kmにまで加速し、この種のスピードの感覚は異次元レベルです。限界に追い込むほどエネルギーにあふれるマシンで駆け抜ければ、道や周囲の景色が歪みます。マクラーレンは、そんな極限のスピードを身近に体験できるクルマとして愛されています。

 もう1人一緒に試乗していたジャーナリストは、英国出身の熱心な20代の青年であり、初対面ながら同乗することになりました。

 ルート33は、クルマのパフォーマンスを最大限引き出せるような道ではありません。突如として幅の狭いヘアピンカーブが現れたり、高い運転技術が必要な道なのです。

 この20代の青年と運転を代わったとき、彼は一見してうまく運転しているようでした。「570S スパイダー」は追い込まれるほど、エネルギッシュで軽快な動きを見せます。彼の運転はスムーズで、クルマは好ましく反応していたんです。

 しかし、それから5分も経たないうちに、彼は才能を使いはたし、私たちは道から飛び出しました。

 私たちがいたその場所は、ズタズタになった「570S スパイダー」のタイヤが最後に触れたアスファルトからおよそ70m離れた場所であり、山道から20mほど下だったのです。

 ニューヨークで言うなら、1ブロックほどの距離です。クルマは時速177kmまで出していましたが、道を飛び出したときは時速112kmで、それぞれがマンホールの蓋の直径ほどの2本の金属製下水管を飛び越えたのです。ですが幸運にも、大きな木にはほとんど衝突しませんでした…。

 そのとき、山の急斜面にあちこちに瓦礫が散らばっていたのも確認しています。ですがクルマは、ほぼ原型をとどめていたのです。

 その時点で、無残にも潰れていたフロントトランクに入っていた私の服は、クルマが止まった場所から24mほど手前にありました。携帯電話はというと、最後まで行方不明でした。

 50度の傾斜をよじ登って丘の上にたどち着いた後、息を整えるためには数分がかかりました。このことには、事故のショックは消えていました。

 ハイウェイパトロール隊員が到着し、彼らは「事故で、こちら側までクルマが飛び越えてしまったケースとなると、私たちはまず遺体袋を準備してます。生き残る人は、ほとんどいませんので…」と話していました。

 彼らが救急車に対し、「帰るように」というジェスチャーするのを見た後、私は携帯電話を借りてその場を離れ、両親に電話しました。

 「その青年の運転のせいで、お前は死んでいたかもしれないんだぞ」という父の静かなひと言を聞くまで、私は冷静を保っていました。このシンプルな言葉は、激しい感情のトリガーとなり、私はとにかく号泣し、泥まみれの顔に大粒の涙が流れました。

 「婚約者にも電話しないと…」と電話を切ろうとしたときの父の言葉は、いまでも脳裏から離れません…。

 「命拾いして本当に良かった。計画するなら葬式よりも、結婚式がはるかに良いものだからな…」と。

マクラーレンの片方のドアは上がったままで、「やあ、君を守れてよかったよ」と手を振っているかのようだった

 私は涙をぬぐい、ボロボロになったマクラーレンをのぞき込みました。明るいオレンジのボディが、生い茂った灌木(かんぼく)の間からかろうじて見えました。1枚のディへドラル・ドアは上がったままで、「やあ、君を守れてよかったよ」と手を降っているかのようでした。

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Courtesy of JESSE CHEHAK

 その夜、ビーチでマクラーレンのエンジニアと会いました。彼は同社の英ウォーキングの生産ラインでつくられた最新モデル「600LT」のサイドを軽く叩きながら、「この下には、一体成型のカーボンファイバーセーフティセルが入っています」と言い、「このモノセルは、爆弾にも耐えられると言ってもいいくらい丈夫です。マクラーレンの中にいれば、どんなことが起きても生き残れるでしょう」と語りました。

 自分が負った、わずかな怪我に目をやります。手の切り傷は、山をよじ登ったときにトゲのある低木をつかんでできたもので。すでに、かさぶたとなっている向こう脛の擦り傷は、足を保護してくれたニーエアバッグでできたものでした。救急隊員の予想に反して、私にはわずかな痛みさえもなかったことを思い出します。

マクラーレンはすべての生産モデルにカーボン製タブを標準搭載している

 マクラーレンのこの先駆的発明は、何度もチャンピオンシップを獲得した同社のF1チームのおかげです。

 レースカーは高速で走り、ドライバーを保護するよう設計されています。創業者のブルース・マクラーレン氏が、レースカーのテスト中に死亡してからおよそ10年後の1981年、同社はF1マシン「MP4」のためにカーボンセル「タブ」を開発しました。

 競合チームは当初、このタブの安全性に疑問を抱き、自分たちのオールアルミ製シャシーがより優れているとして、このアイディアを笑いものにしました。マクラーレンのドライバーであるジョン・ワトソン氏が、マシーンを真っ2つにするほどの恐ろしいクラッシュを無傷で切り抜けた後、最終的にはあらゆるF1マシンにカーボンセルが搭載されるようになったのです。

 その後、同社が1992年に象徴的モデル「マクラーレン F1 ロードカー」をデビューさせたとき、エンジニアたちはこのカーボン製タブを搭載しました。これ以降、マクラーレンは自動車メーカーの中で唯一、すべての生産モデルにカーボン製タブを標準搭載しているのです。

 「乗員を保護するためにも、カーボンファイバーの強靭さが必要なんです」と話すのは、マクラーレンのデザイン・エグゼキューションを統括するチャールズ・ウィルディグ氏。「とりわけドライバーが運転に夢中になり、激しい衝突が起きたようなときには不可欠となります」とのこと。

 マクラーレンが生産モデルに搭載するすべてのタブは、紙2枚ほどの薄さのカーボンファイバーのドライシートを金型の中に入れ、樹脂を金型に高圧で注入してつくり出されます。

 この混合物を圧縮・加熱することで、正面衝突時に50トン以上の力に耐えられるタブができるわけです。「このタブの側面を下にして立てれば、その上に4台の2階建てバスが積めるほどの強度です。それでも壊れないでしょう」と、ウィルディグ氏。マクラーレンはそのコストこそ明かさなかったものの、このカーボンファイバータブを1個生産するためにはおよそ1万ドルはかかることでしょう。

 「570S スパイダー」においては、このタブにはいくつかのパーツが加えられて完成します。そしてシャシーの土台となって、全体を安定させるのです。例えばAピラー(フロントガラス両脇の柱)は、このタブに強化アルミニウムを結合したものです。これらのピラーには、今回の事故の衝撃による目に見えるダメージがあり、潰れなかったことは驚きでした。このことについてウィルディグ氏は、「これらのピラーは、フロントガラスの角に『570S』の3倍以上の重量がかかっても壊れないように設計しています」と教えてくれました。

 私が生き残ったような衝突は、極めて稀なものです。「マクラーレン車はかなり低重心なので、回転するような事態にさせることはそもそも至難の業です。ご存じのとおり斜面から飛び出すことは、これを可能にする数少ない方法の1つと言えるでしょう」と、ウィルディグ氏は語ってくれました。「物体への衝突はわずか100ミリ秒で終わり、前面の巨大なアルミニウム梁がこの衝撃の力を吸収します。今回のように衝突が何度も続き、クルマの停止までに長い時間がかかるときには、乗員が生き残るためにはエネルギーを放出することが非常に重要となるのです」と…。

 今回の事故で、クルマの瓦礫があちこちに散らばっていたのは、衝突による運動エネルギーを拡散するため…フロントバンパーやフロントトランクなど、バラバラになるよう設計されていた部品が意図したどおりに砕け散ることによって、衝撃を辺りに逃がしてくれたのです。

 「マクラーレンでは、1台の『675LT』を12回衝突させるテストを行いました」、とウィルディグ氏。「このカーボンタブは各テスト後も、まったく問題ありませんでした。このためわれわれは、このタブの周りにシャシーを再構築し、改めて衝突させてみました。金属のクルマで、これは不可能なのです」と語ります。

曲がりくねった山道を走るとちょっとしたパニックに陥る

 マクラーレンがすべての生産モデルに搭載するタブは、安全性の頂点を象徴するものです。

 通常の自動車には、カーボン製コクーンはありません。しかし、しっかりした衝突安全基準のおかげで、メーカーはあらゆる自動車に(通常はアルミ製の)セーフティセルをつくるために休むことなく取り組んできており、数十年前は致命的だったような衝突から乗員が生き残るチャンスをもたらしています。

 私は、人生の劇的な出来事を回顧するようなタイプではありません。ですが、それが毎日何度も頭の中でリプレイされるような破滅的なものであった場合、否が応でも人は変わるものです。いまでは以前よりも少しゆっくり運転しますし、特に他の人を乗せているときはいつも以上に気を遣うようになりました。曲がりくねった山道を走るときには、ちょっとしたパニックにも陥ります。また、よく知らない人が運転するクルマに乗るときには、以前よりも具体的な不安も感じるようになりました。

 事故現場を去るとき、消防士から「ちょっと待って」と呼び止められ、サイドミラーの下にあるウィンカーを渡されました。いまも泥まみれのこのウィンカーは、私のベッドの横に置いてあります。これを見るたびに、山道から飛び出す前のあの瞬間がよみがえり、その途端鳥肌が立ちます…。

 仕事には基本的にスムーズに復帰できましたが、いくらか支障もありました。新型の「フォード・ラプター」をテスト運転していたとき、エンジニアは私設のオフロードコース上でこのピックアップをジャンプさせてみるようすすめました。このクルマのホイールが地面を離れる瞬間までは興奮していましたが、加速するクルマの中で落下する感覚となるとあの事故を思い出させ、一瞬目の前が真っ白になりました。

 また新型アウディに乗って、他のジャーナリストの運転でアブダビ(アラブ首長国連邦)の山道を走ったときは、冷や汗をかきっぱなしでした。ですが自分で運転し、しっかり制御できているときには、身の安全を確信することはできます。

 私はレーサーになることは決してないでしょうが、彼らにはちょっとした親近感を覚えたのも事実です。まさに、彼らを守っている技術が私の命を救ってくれたのですから…。

From Men’s Health
Translation / Wataru Nakamura
※この翻訳は抄訳です。