※本記事は、2020年10月に「ESQUIRE」UK版に掲載されたものです。


髪とは、ただの(身体の一部としての)髪ではなく、私たちの個性やコミュニティ、そして歴史を物語るものでもあります。一部の社会では、髪は精神的なつながりを表すものでもあるのです。また、われわれは成長過程における特定の通過儀礼に対面するとき、それぞれにふさわしい姿勢をヘアスタイルとともに示すこともあるでしょう。

2019年、私(筆者のカイル・リング)は世界中の非白人文化における髪の多様性を讃えるため、Instagramのアカウント@in.hair.itanceを立ち上げました。ドレッドヘアのネイティブアメリカン男性の写真を投稿したところ、多くの注目を集めたのには驚きました。すぐに「いいね!」が最も多い投稿となり、コメント欄ではかなりの会話が生まれました。

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そこに「髪のことで、とやかく言うのはやめてほしい!」と、エレクトリックブルーに染めたドレッドヘアの白人女性がコメントしてきました。「髪なんだから、人種に関係なく好きなようにすればいいのよ」と続けていますが、このコメントはいわゆる“Colorblind racism(カラーブラインド・レイシズム=人種差別をしないという人種差別主義)”とされる考えに一致しているようにも思えるのです。

※Colorblind(カラーブラインド)とは、人種的な差異を認識しないこと。つまりは、「人種的な偏見がない状態」のことを指すワードであり、racism(レイシズム)とは、人種差別主義という意味になります。よって、「人種差別をしないという人種差別主義」と訳させていただきます。

このイデオロギー(歴史的・政治的な自分の立場によって構築された考え方)は、「人種的特権は存在しない」という主張に基づいたものですが、残念ながらこれは単に“真実ではない”だけでなく、非常に“危険”なことでもあるのです。この考え方は、「構造的な人種差別を最小化し、有色人種が過小評価されているという問題に関して無視するものになる」と言っていいでしょう。

まず私は、この(イタリア、ドイツ、スコットランド人の祖先を持つと言う)女性の発言に白人特権の香りを感じざるを得ません。よって、彼女の肌の色がもたらす社会的優位性が大前提に見えることで、他者からはその発言自体が「不快だ」と思われる可能性は否めないのです。

この発言こそが“カラーブラインド・レイシズム”であり、私がこのアカウントで強調しようとしている「多様性」と「文化的遺産」を消し去ろうとしているものです。

アカウントを開設した理由

このアカウントは有色人種の皆さんに対して、ヨーロッパ中心の美しさの基準とともに拡大していった植民地化と、それに伴った文化的洗脳を受ける前のアイデンティティを讃えるスペースを提供するために開設しました。

そしてその反響はすさまじいもので、このページへの愛を感じさせるアカウント創設への感謝を示すメッセージが日に何十通も届いています。私たちの存在は歴史から抹殺されたのも同然ですが、このInstagramアカウント@in.hair.itanceでは私たちの存在は前面に押し出されているのです。私のページは、有色人種同士が自分たちの歴史と有意義に関わり、その影響を今日に反映させるための出発点となるよう提供したものなのです。

先に述べた白人女性によるコメントは、単にひとつのボヤキとして処理すべきものではありません。これは、人種差別を根底から解体するためのツールとしての教育が不足している事実を示し、さらなる強化を訴えるための重要なエビデンスとなるのです。

では、ドレッドヘアの歴史をたどってみましょう。当然のことながら、これは複雑なものです。

statue depicting shiva nataraja dancing shiva
Godong//Getty Images
ドレッドヘアのシヴァ神の銅像

ドレッドヘアの歴史をさかのぼる

ドレッドヘアに関する最古の記録は、紀元前1500年頃のヒンドゥー教の聖典であるヴェーダ聖典に記載されています。その中でシヴァ神の髪は、サンスクリット語で「ねじれた髪の束」を意味する「ジャタ(jata)」と呼ばれています。

シヴァ神に関する視覚的描写のほとんどで、髪の束は肩を通り過ぎる長さで垂れていたり、いわゆる「ジャタムクタ(jatamukuta)」(つや消しの髪を重ねた頭飾り)と呼ばれる頭の上で結んだ髪型をしていたりするのが見受けられます。信者にとってシヴァ神の髪は非常に重要なものであり、「聖なるガンジス川は彼のドレッドヘアから流れ出ている」と信じられています。考古学的には、古代エジプト人のミイラやペルーのインカ文明の遺跡から、ドレッドヘアの最古の証拠が見つかっています。

特に南アジアや中東では、くしやブラシとかしていない髪を束ねることは“物質主義”や“虚栄心”の拒否を象徴するものとされています。インドを中心としたヒンドゥー教の世界では、こうしたドレッドヘアの宗教的な禁欲主義者を「サドゥー(sadhu)」と呼びます。彼らは悟りを得るために世俗を捨て、瞑想や苦行を続けています。

また他には、ドレッドヘアをより崇高な力との精神的なつながりの象徴とする文化もあります。例えばガーナでは、アカン族の人々はドレッドヘアのことを「Mpɛsɛ」と言い、通常は司祭にのみ許されるものとなっています。同様にメキシコでは、アステカの神官が髪に手を加えず、長く絡まった髪をしていたことをスペイン人が記録しています。

initiate having head shaven
Louise Gubb//Getty Images
マサイ族の若い戦士が、モラン(マサイ族における戦士階級 )開始を示す儀式の一環として頭を剃られている様子。

民族により異なるドレッドヘアの意味合い

アフリカの多くの地域では、ドレッドヘアは“強さ”を意味するものであり、戦士だけが身につけるものになります。例えば西アフリカのフラ族やウォロフ族、ケニアのマサイ族やキクユ族の戦士は皆、ドレッドヘアをしていることで知られています。

興味深いことに、ナイジェリア西部に生活するヨルバ族と東部に生活するイボ族の間では、大人がドレッドヘアをしていると怪訝な顔をします。この2つの部族にとってドレッドヘアは、神的な存在とみなされているのです。自然にもつれた髪を持つ赤ちゃんが生まれるとその子は「ダダ(Dada)」と呼ばれ、その子らは富をもたらす存在として讃えられ、母親だけがその髪に触れることを許されるのです。

このようにドレッドヘアは、古代から現在までアフリカ・アジア・アメリカ大陸の有色人種たちが継続的に身につけてきましたものですが、欧米で見られるようになったのは70年代に入ってからになります。ジャマイカ出身のレゲエアーティスト、ボブ・マーリーがラスタファリズム(Rastafarianism)に転向したのち、成功を収めたことが大きなきっかけとなったと言えるでしょう。ちなみに「ラスタファリアニズム」とは第三者が名づけたものと言われています。

なぜなら、実際にこの宗教運動を実践する者たちにとってこの運動は「主義(イズム=-ism)」 ではなく、「人生観(way of life)」 と考えているから。よって当事者たちは、ラスタファリ運動 (Rastafari movement)と表現しているようです。このラスタファリ運動は1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した宗教的思想運動であり、旧約聖書を聖典としてはいますが特定の教祖や開祖はおらず、その教義も成文化されていません。主義としては、エチオピア帝国最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世を神として崇拝し、アフリカ回帰主義(またはアフリカ中心主義)を奨励。その志向はラスタの生活様式全般…例えば菜食主義でドレッドヘアにし、ガンジャ(大麻)を聖なるものとして見ることなどに現れています。

このラスタファリの伝統の中で、ドレッドヘアがどのように生まれたかについては諸説あります。ジャマイカ出身のラスタファリ運動の創設者の一人として賞賛されるレナード・ハウエル(Leonard Howell)は、インドおよびジャマイカのヒンドゥー教信奉者とつながりがあったことが知られており、ヒンドゥー教に影響を受けたことから「Gong Guru Maragh」という別名も持っていました。

このことからドレッドヘアとともに大麻(ヒンディー語で「ガンジャ」)の喫煙は、「インドから渡ってきた労働者たちの影響によって、一部で習慣化された」と考える人が多いようです。また別の説としては、「イギリスの植民地だったケニアで1952年から1960年に起こった民族主義的独立運動『マウマウ団の乱(Mau Mau Uprising)』において、そこで戦士たちが身に着けていたヘアスタイルがドレッドヘアだったことに影響を受けた」と言う人もいます(ちなみにこの「マウマウ団の乱」を機に、その中心メンバーによってケニア・アフリカ民族同盟<KANU>が結成され、1963年にケニアは独立を果します)。

実際レナード・ハウエル自身は髪を短くしていました。ですが、ラスタファリ運動の実践者であるラスタファリアンが500人以上で共同生活し、この運動の実質的な原点とも言われる地「ピナクル・コミューン(Pinnacle commune)」で彼を護衛する者たちは、周囲を威圧するためドレッドにしていたということです。

さらに、「ドレッドヘアの起源は、40年代後半に結成されたラスタ派の過激な若者グループ『House of Youth Black Faith(HYBF)』にある」という別の説もあります。彼らは当時のジャマイカ社会への反抗、また主流派からの分離を主張するため、そろって髪をドレッドヘアにしたということです。やがてドレッドヘアは論争を呼ぶようになり、このハウスは「House of Dreadlocks(ドレッドヘアの家)」と「House of the Combsomes(妥協者たちの家)」の2グループに分かれます。最終的に後者は解散することとなります。

こうしたいくつかの説が錯綜しながら、「ドレッドヘア」はラスタファリ運動のシンボルとして現在知られるようになったというわけです。

ある資料には、ラスタファリ運動を実践するラスタファリスタたちはかつて、自分たちのまとまったヘアのことを「ザタヴィ(zatavi:ヒンディー語の<jada>に由来)」と呼んでいたことが記されています。そして、それが“Dreadlocks”という言葉に変わったのは1959年のことで、ラスタファリスタたちが庭で集っていたときに自宅の庭で集っていたときに自然発生的の登場したワードのようです。

それ以前、ラスタファリスタの間では“Fear-locks”という言葉が提案されていたようですが、すぐに却下されたそうです。この表現の背景にあるのは、神への畏怖(いふ)とともに、ドレッドヘアは脅威を追い払うという潜在的なパワーを有していること、その両方の意味を込めてつくられた…と言われています。

このようにさまざまな伝説を擁しながら、ここで唯一言える確かなことは…「現代においてDreadlocks=ドレッドヘアは、ラスタファリ運動の代名詞」であることです。これは間違いないでしょう。

つまり、ラスタファリスタにとってドレッドヘアは、単なるヘアスタイル以上の意味を持つといいわけです。ドレッドヘアはアフリカとのつながりであり、そして彼らが「バビロン(Babylon)」と呼んでいる「権力や力を持った人間による、独占的な利益に牛耳られた仕組み」の西洋への拒絶を表しています。

つまりドレッドヘアは、「アフリカの身体的特徴や黒人であることへの新たな誇り」を表しており、それは「物事を自然なままにしておくという彼らの信念」と結びついているのです。

またドレッドヘアには、より深い精神的なつながりもあります。「身につける人はジャー(神)と“アースフォース”(宇宙全体に存在する彼の神秘的な力)につながる」と、信じられているのです。また、「髪を束ねてドレッドにすることで、そのパワーが頭から逃げるのを防ぎ、体内に留めておくことができる」と考える人もいます。旧約聖書の『士師記』に登場する古代イスラエルの士師の1人であり、怪力の持ち主として有名なサムソンも、デリラに7本の髪の束を切られて力を失いました。サムソンが行った「飲酒をせず髪を切らない」というナジル人の誓いは、旧約聖書の『民数記』に記されています。これはラスタファリアンの、信仰体系の中心的な考え方として採用されました。

ファッションとして、はき違いされる現代

しかしながら、ヨーロッパの歴史の中においてもドレッドヘアが発見できます。それは古代ギリシャです。ドレッドのように編み込まれた髪を持つ古代ギリシャ人の姿が、視覚的な証拠として残っているのです。 つまり古代のギリシャでは、北欧系よりも東方系や地中海系の肌の黒い隣人たちの影響を、より強く受けていたと主張できるでしょう。

しかしながら、現代の白人がドレッドヘアにしているのは、民族の歴史と深くつながっているわけではありません。単に彼ら彼女らは、私たち有色人種の歴史に触発されてのこと、それには議論の余地はないはずです。ドレッドヘアにしている白人に、そのヘアスタイルについて尋ねてみると…「髪を梳(と)かさないと自然にこうなるんだ」という答えから、「バイキングはドレッドヘアだったからね」という答えまで、さまざまな答えが返ってきます。この後者について調べてみましたが、それが事実であることを示唆する証拠は見つかっていません。

ユリウス・カエサル(「ブルータス、お前もか」のシーザーのこと)が書いたとされるローマ時代の文献にも、ケルト人が「蛇のような髪」をしていたことがつづられています。しかし、これが1世紀初頭にドレッドヘアが存在した証拠になるとは思えませんし、ましてや今日ドレッドヘアを身につける理由として使用するのはナンセンスだと思えます…。

hindu devotees gather for the maha kumbh
Daniel Berehulak//Getty Images
ガンジス川の水を浴びながら、ドレッドヘアの髪を手に祈るナーガ・サドゥー

「これは文化の盗用だ」

レゲエ音楽、ボブ・マーリー、ラスタファリア運動の文化的影響を否定し排除することによって、この文化的な盗用が拡大していくと言えるのです。ここで言う文化の盗用を簡単に言えば、支配者側の文化が抑圧された文化から、その裏にある起源や意味合いに全く無視して取り上げることを言います。

これに関しては、複数の理由で問題となりえます。まず、社会に存在する不平等を無視し、不公平を“訴える”のは有色人種のみに任されているということです。その過程で、私たちは「神経質すぎる」というレッテルを貼られ、何世紀にもわたる私たちの歴史が目の前で消されていくのです。そうしてヨーロッパ中心の美の基準が、助長されていくのです。

黒人から見れば“無作法”とみなされる髪型が、“白人”にすればファッショナブルになります。支配的な文化が利益を得る一方で、マイノリティはさらに疎外されるというわけです。この完璧な例が、ジャスティン・ビーバーです。彼はいわば、ブラックミュージックの文化的盗用でキャリアを積んできました。したがって、彼が数年前にドレッドヘアで授賞式に出席したのは、全く驚くことではありませんでした。

それでも彼は、世界で最も売れているアーティストの1人です。対照的に、黒人と白人のハーフである俳優で歌手のゼンデイヤ(元ディズニーで有名)はアカデミー賞にドレッドヘアで出席し、輝いていました。しかしながら、テレビのレポーター・パーソナリティで活躍するジュリアナ・ランシックには、「パチュリ油とマリファナの匂いがしそう」とこき下ろされてしまったのです(のちに、よくわからない謝罪を投稿していますが…)。

87th annual academy awards   red carpet
Christopher Polk//Getty Images
2015年のアカデミー賞にドレッドヘアで出席したゼンデイヤ
これはxの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

ただの髪ではなく、アイデンティティ

「髪はただの髪だ」と言う人は、構造的な差別の存在を見落としています。カリフォルニア州では2019年に、職場や学校における毛髪による差別を禁止する「クラウン法*」という法律が制定されました。

※「Creating a Respectful and Open World for Natural Hair」(自然な頭髪を尊重する開かれた世界をつくる)の頭文字をとったもの。2019年、コリー・ブッカー議員がルイジアナ州選出のセドリック・リッチモンド議員とともにクラウン法を連邦レベルで提出している。同法では髪質や髪型によって人を差別することを違法としている。クラウン法案が提出されたのはカリフォルニア州、コロラド州、メリーランド州、ニュージャージー州、ニューヨーク州、ヴァージニア州、ワシントン州の7つ。(同法案を成立させているのは現在のところカリフォルニア州のみ)(※5)

髪による差別は、アメリカの有色人種にとって大きな問題です。50年代と60年代、カリブ海、アフリカ、アジアの旧植民地から英国に移民してきた人々は、肌の色だけでなく毛髪でも差別されました。

アフロヘアはだらしがなくて職場に不適切、ドレッドヘアは不潔だというレッテルが貼られていたのです。シク教徒の男性はターバンを外し、髪を切らなければ仕事にありつけませんでした。こうした問題は過去のものではありません。黒人生徒の髪型が「過激」あるいは制服の方針に反するとして、学校から家に帰された事例は複数あります。ラスタファリアンの家庭に育った12歳の少年チケイジア・フランダースくんは、「ドレッドヘアを切らなければ停学にする」とまで言われたそうです。

bas relief on the sarcophagus of princess kawit
DEA / W. BUSS//Getty Images
亡くなった貴族が使用人に髪を梳かされている様子が浮き彫りで描かれた、カウィット王女(前2050年)の石棺。

このような文化的洗脳は、まさにイギリスからの輸出品とも言える文化です。ジャマイカの最高裁は2020年9月に、「学校が子どものドレッドヘアを“衛生上の理由”で禁止にするのは、正当なことである」との判決を下した事例も報告されています。

アイルランド系ナイジェリア人の学者エマ・ダビリは、2019年にダブリンで育った彼女自身が直面した問題や、どのようにして自分の髪を愛し、受け入れられるようになったかを詳しく綴(つづ)った本『Don't Touch My Hair』を出版しました。最近彼女は、英国政府に対して平等法の中に髪の毛に関しても加えるよう改正を求める請願書を作成しました(5万人以上が署名しています)。

最後に

「Black Lives Matter」運動が引き続き勢いを増す中、多くに人々が自分自身の内なる偏見と、人種差別の継続を許している制度にさらなる強い視線を浴びせるようになっています。そして積極的に反人種差別を実践し、不平等に対処することの重要性を強調しています。しかしながら、これによって疎外されてきたグループに不利益を与えることのもなるので、力を失わせる行為に対する説明責任が含まれるべきでしょう。

複雑で意味のある歴史を持つヘアスタイルの文化的盗用は、この問題が不可欠と言えるでしょう。私たちが指先一つで情報を得られる時代に生きている以上、これらの問題に無知でいることは許されません。われわれはこんな時代だからこそ、文化的グループ間の違いを讃えるだけでなく、尊重するようにしなければならないのです。

カイル・リングさんはロンドンの医師で、@in.hair.itanceの創設者です。現在、SOASでポストコロニアル研究の修士課程を勉強中です。

Source / ESQUIRE UK
Translation / Yuka Ogasawara
※この翻訳は抄訳です。