イタリア系移民の双子アーサーとヘンリーが、ブランド「47」を立ち上げたときに持っていたのは…わずかなお金、そして「この先、何が人々を熱狂させるか?」を推測できる先見の明でした。

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Courtesy of 47

 The Heartening Story of How the Red Sox Cap Became an American Sportswear Legend

 ボストン・レッドソックス(以下レッドソックス、米メジャーリーグの人気球団)の帽子ほど、好き嫌いの分かれるものもそうありません。

 レッドソックスのファンコミュニティは、他に例を見ないほどのエネルギーで結びついています。チームキャップには、そんな情熱が思いきり宿っているのです。この帽子はチームそのものであり、スタジアムのフェンウェイ・パークや本拠地のボストン、そして母国アメリカを象徴してもいます。 

 この帽子がそれほどの意味を持つことになった理由には、その起源が関係しています。

 レッドソックスの帽子は、1938年にボストンに移り住んだ2人のイタリア系移民がアメリカンドリームを叶える過程で誕生したものです。アーサー・ダンジェロとヘンリー・ダンジェロの双子の兄弟は当時12歳で、英語もほとんどしゃべることができませんでした。当時のボストン北端のイタリア語コミュニティでは、英語はそれほど必要なかったのです。

 ダンジェロ兄弟は当時、フェンウェイ・パークの外で行商をして小銭稼ぎをしていました。2人は2セントの新聞を売ることから商売を始め、その後、ペナントや帽子、Tシャツなどレッドソックス関連のグッズを売るようになりました。そして最終的には、自分たちの会社を立ち上げたのです。 
  

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写真:1968年に撮影されたダンジェロ兄弟の写真。ヘンリー(左)とアーサーのレッドソックス愛は素晴らしいものです。Photograph / Courtesy of 47
 

MLBが契約する最大の帽子製造メーカーの1つが「47」

 現在は「47」という名で知られるこの会社は、MLBが契約する最大の帽子製造メーカーの1つです。また、同社は他にもNFL(プロアメリカンフットボールリーグ)やNBA(プロバスケットボールリーグ)、米国の900以上の大学のグッズも製造しています。

 これまでに、どこかのチームの帽子やTシャツを身に着けたことがある人であるなら、それは知らぬ間に「47」の商品を着こなしていた…という可能性がかなり高いでしょう。 

 現在、91歳になったアーサー・ダンジェロは、事業を始めた当初のことについてあまり覚えていないと言います。ですが、彼の人生は1947年(ブランド名の由来です)の創業から現在に至るまで、ずっとレッドソックスの本拠地フェンウェイ・パーク近くにあります。  

 そしてアーサーは、現在も自身が始めたグッズ店の真ん中に置かれたイス(巨大な野球グローブのようなイスです)に座り、店を訪れるファンたちを出迎えています。

 とはいえ、ここにグローブチェアが置かれるはるか前、この店自体さえなかったころ、フェンウェイ・パークの外の通りで行商をしていたのは、ヘンリーとアーサーだけだったのです。 
 

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写真:一度は座ってみたい野球グローブ型の椅子。ここにアーサーはいつも座っているとのことです。Photograph / Courtesy of 47

すべてはペナントから始まった

 アーサーはブランド創業当初のことをはっきりと思い出せなくなっていますが、息子のボビーは父親から当時の話を聞いたことがあると言い、いくつかのエピソードを思い出しながら語ってくれました。ボビーによれば、現在は帽子やTシャツの販売が事業の中心となっている「47」ですが、最初に売り始めたのはペナント(三角形の旗)だったそうです。 

「第2次世界大戦後、米国は今とはまったく違っていました」とボビーは語りました。 

「父はフリーダムトレイン(1940年代後半に編成されアメリカ各地を周った特別列車)を追いかけ、アメリカのペナントを販売していました。最初に売れたのは独立宣言のペナントだったそうです。現在の『47』は、主に帽子やTシャツを取り扱っています。ですが、当時はそうではなく、まったく違うビジネスだったんです」とボビー。 

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Photograph / Courtesy of 47 

  
 レッドソックスのペナントを売り始めたのは、その後のことでした。

 レッドソックスが1946年にアメリカンリーグを制覇したとき、ダンジェロ兄弟は政治的なものに限らず、スポーツペナントも売れるのではないかと考えました。そこで2人は、「47」(当時はTwin Enterpriseという名前でした)を創業。同社はペナントや新聞を販売し、最終的には野球帽も売るようになりました。

 そうしてお金を貯め、1967年にはジャージーストリートのラジエーター工場の隣に小さな路面店を購入します。このときの店舗が、現在はおよそ2300平方メートルの大型店となっています。「当時、移民たちはいつも土地を買うように言われたものです」と、ボビーは振り返りました。 

「このため、父はその通りにしたのです。ボストンの街はこれ以上大きくなることはありませんから、余裕があるうちにその一部を買っておきたいということだったのでしょう。父はフェンウェイ・パークの向かいに3エーカー(約12000平方メートル)もの土地を購入し、この土地は現在もダンジェロ家が所有しています。この土地に現在、どれだけの価値があるのかは検討もつきません」とボビー。

ビジネスも家族が第一

 アーサーには4人の息子がおり、彼らが現在の「47」を経営しています。

 ボビー、マーク、デヴィッド、スティーブンの4人は父と同様、このブランドやレッドソックスと強く結びついており、ブランド存続において各々が不可欠な役割を果たしています。そしてレッドソックスへの情熱は、このブランドとともに受け継がれているのです。 

 ボストン・レッドソックスの会長兼CEOであるサム・ケネディ氏は、ダンジェロ家の家族関係がいかに特別かについて語っています。 

「アーサーはフェンウェイ・パークのレジェンドであり、(2018年春から)レッドソックス殿堂に入っています」とケネディ氏はコメントしました。 

「30年前、彼は毎日ファンと交流する時間をとっていたものでした。そして現在も、これは変わっていません。アーサーとヘンリーの兄弟がここで事業を営みながら育んだ絆は、今日では本当に貴重なものです。2人は毎週1日も休まずに働き、バケーションにも一緒に出かけていました。彼らは切っても切れない仲で、とても特別なんです」とサム・ケネディ氏。 
  

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Photograph / Courtesy of 47 

  
 2人の価値観は息子たちに受け継がれました。そしてボビーの考えでは、「レッドソックスのファンコミュニティの力強さを支えているのはこのような家族の絆だ」と言います。さらに、「レッドソックスファンは代々、受け継がれていくものなんです」と加えて語ってくれました。 

「あなたが18歳で、レッドソックスファンの父親や祖父と一緒に試合を見に行きたいとは思わないような場合でさえ、そのうちにわかることでしょう。レッドソックスファンの血が流れているなら、抗(あらが)うことはできないんです」とボビー。 

 ボビーとアーサーは、MLBのファン層の縮小を心配してはいません。

 そして、彼らの縄張りことフェンウェイ・パーク向かいのグッズ店に立っていれば、その理由は簡単にわかります。そこにはあらゆる世代の家族連れや友人グループが訪れており、エネルギーと興奮があります。帽子やホットドッグを買う列ができるのもしばしばで、ボビーの言うとおり「ハッピーな場所」なんです。

 アーサーは現在もグローブチェアに座っており、自らが築いてきた変わることのない帝国で微笑んでいます。

「47」とレッドソックスには、他にはない絆がある

 ボビーは、「父がもっと若く、自分のこれまでの物語をすべて語ることができればいいんですが…」と語ります。 

「『47』は偶然できたわけではないんです。ここまでにはたくさん苦労があり、血と汗と涙の結晶なんです。お金儲けを追求してきたわけではありません。父のやってきたことへの愛が重要なんです。父は熱狂的なレッドソックスファンであり、ビジネスを大きく左右する要素だったこともあり、昔からこのチームの勝敗に一喜一憂してきました。父は何でもないことのように言いますが、『47』は間違いなく彼が人生のすべてをつぎ込んだブランドなんです」とボビー。 

 アーサーがレッドソックスを愛するように、レッドソックスもアーサーに惜しみない愛を注いでいます。レッドソックスの会長兼CEOのサム・ケネディ氏自身が野球界やレッドソックスでのキャリアをスタートしたのは、まさにこの店でした。以来、彼は「47」と密接な関係を維持してきました。 
    

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Photograph / Courtesy of 47 

 
「フェンウェイ・パークの近くで育った私にとって、レッドソックスのためにフェンウェイ・パークで働くのは夢でした」と、ケネディ氏は語りました。 

「ここでのキャリアが始まったのは15歳のとき、幸運にもジャージーストリートの『47チームストア』での仕事を得たときのことです。当時の私は、野球界でのキャリアを追求するために、できる限りのことをしようと決意しました。帽子やペナント、Tシャツなどを売りましたが、『自らが接客する人は初めて野球観戦を体験しているのかもしれない』『自分が誰かの一生の記憶の一部になるかもしれない』とお客さんの気持ちを理解するよう常に気をつけていました」とサム・ケネディ氏。 

 このような顧客との親密さや結びつきは、まさにダンジェロ家が必死で維持しようと取り組んできたものです。「多くの人々にとって、フェンウェイ・パークの第一印象となるのはこの店なんです」とボビーは話します。「彼らは父に会いに来て、歓迎を受けます。そして、レッドソックスファンであることの喜びを知るんです。ここはハッピーな場所です」と加えて語ります。 

 アーサーの考えも同じです。

 今日も彼はお馴染みのイスに座り、なんとか言葉を探しながら、自らが築いたフェンウェイ・パークのランドマークを行き来するファンたちを見つめています。「毎日同じことをするだけです」と、アーサーはコメントしました。 

「椅子に座り、訪れる人々を見て、みんなとおしゃべりをするんです。それが私の人生であり、大好きなことなんです」と…2018年に108勝を挙げた強豪ボストン・レッドソックスですが、ダンジェロ兄弟が手がけるアイテムによって、ワールドシリーズ制覇となることか注目してみましょう。

By Christine Flammia on October 10, 2018
Photos by Courtesy of 47 
ESQUIRE US 原文(English)
TRANSLATION BY Wataru Nakamura
※この翻訳は抄訳です。
編集者:山野井 俊