悪名高きパブで
6m級のワニと出会う

ジ・アリス(アリススプリングスの愛称)の街を見下ろすアンザック丘から旅を続けよう。

戦没者慰霊塔が立つ小高い丘の上からの眺望で、ひと際目を引くのがアリススプリングス鉄道駅に停車した途轍(とてつ)もなく長い列車だった。

「あれがザ・ガンか……」

私は昂(たか)ぶる気持ちを抑えつつ、小声でひとりごちた。

「ザ・ガン」に関する情報

アンザック丘からの眺望
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アンザック丘からの眺望。画面を左右に貫くように赤い機関車とシルバーの客車が伸びる。

南オーストラリア州の州都アデレードとノーザンテリトリー準州の州都ダーウィンの間を2泊3日(シーズンによっては3泊4日)かけて走る──すなわち、オーストラリアの北と南の端を結ぶ──大陸縦断鉄道「ザ・ガン」は、ルート、設備、そして背景にあるストーリーにおいて世界屈指の豪華長距離列車だ。私自身、初めて渡豪したときから憧れを抱き続け、8度目にしてようやくこの列車を体験できることになり楽しみにしていた。

今回乗車するのは、アリススプリングスからダーウィンまで。全行程の半分である。発車時刻は午後6時15分。だがその前にジ・アリスでぜひ訪ねておきたい店があった。

トッドストリートにある「ボージャングルズ・サルーン(通称:ボーズ)」は、アメリカのウェスタン調にアウトバックのフレーバーが混じったインテリアが自慢のパブ。創業から60年近くにわたり、地元の人々やツーリストに親しまれてきたが2020年、コロナ禍の影響で売り上げが激減し閉店を余儀なくされた。と、ここまではよくある話。この店のストーリーの肝はその後の展開にある。

トッドストリートにあるパブ「ボージャングルズ・サルーン」
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「ボージャングルズ・サルーン」のカウンター。
カウンターで飲んだジントニック
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カウンターで飲んだジントニック。

もともと近年は、酔客による乱闘騒ぎが起こるなど悪名にまみれていたのだが、閉店中に当時の経営者のトニー・ハビブ氏が違法に酒を売り捌(さば)いていたことが発覚。ハビブ氏は禁錮刑となり、パブは州酒類委員会から無期限閉鎖という重い処分を食らってしまった。以降3年間、パブの両開きのドアは閉まったままだったが、22年に新たな経営者が現れ、営業ライセンスを取り戻すための法廷闘争を展開、見事に勝訴して、めでたく再オープンとなった。

鈍く黒光りするカウンターで、ジントニックを飲んだ。週末のガレージセールで出会えそうなガラス製のビアマグに製氷機の氷を詰めてこしらえた、洗練とは無縁の代物だった。が、この店のワイルドな雰囲気にはよくマッチしていて、自分が見知らぬ場所に迷い込んだという感覚を増幅してくれた。

若くしてサザビーズのディレクターを務めた経歴もある英国の旅行作家、ブルース・チャトウィンがノーザンテリトリーの旅をもとに書いた紀行文学の傑作『ソングライン』(1987年刊)に出てくる店もこんなふうではなかったか――。そんなことを思いながらふと上方を見上げると、山羊(やぎ)の骸骨や古風なブリキの看板が飾られたトタンの天井に全長6メートルのクロコダイル(はく製)がいた。

やはり「やつ」はいる。この先、水なし川の底を流れる地下水が地上に姿を現すあたり、タバコ1本の火でいとも簡単に大火が起きそうな乾燥域を過ぎたあたりで「やつ」は私と出くわすのを、時を刻まぬ古い置き時計のようにじっと待っているに違いない……。

アガサ・クリスティの世界に
迷い込んだようなインテリア

18時、アリススプリングス鉄道駅のプラットホームから、ジュラルミン製のボディが夕日を受けてシャンパン色に輝くザ・ガンに乗り込んだ。ダーウィンまで1420km、25時間35分(途中のエクスカージョンを含む)の旅だ。

ザ・ガンに乗り込む
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「ザ・ガン」の名前に由来は、19世紀後半以降にこのルートの建設の大きな助けになった荷役用のラクダの多くがアフガニスタンから来ていたこと。アフガンの「ガンGhan」であり、ロゴマークのラクダもそこから来ている。
ザ・ガンの気さくなクルー
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気さくなクルーが出迎えてくれた。

私に与えられたのはゴールドクラスのコンパートメントで、2段のツインベッド(収納式)とトイレを兼ねたシャワールームが付いている。ランク的にはこの上にさらに居住性の高いプラチナムクラスがあるが、1人で利用する分にはゴールドで十分そうだった。

このクラスで全行程を乗車した場合の代金は5月〜8月のハイシーズンで3175豪ドル(約30万円)である。代金には乗車運賃、食事代、アルコール飲料を含むドリンク代、エクスカージョンの代金(一部のオプションは追加料金がかかる)が含まれる。

アリススプリングスの駅に停車中の「ザ・ガン」
アドレード発、ダーウィン行きのルートマップ (Special thanks to Journey Beyond)。
アリススプリングスの駅に停車中の「ザ・ガン」
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私が利用したコンパートメント。広さを示すためにスーツケースを置いて撮った。
「ザ・ガン」客車の通路
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客車の通路。事件が起こりそうな予感……。

コンパートメントに荷を下ろし、ラウンジカーでアペリティフを飲むうちに列車は静かに走り始めた。「静か」だと感じたのは、牽(けん)引車から離れていたせいだろう。なにせ、ザ・ガンは25両(シーズンによって増減がある)の客車と2両の機関車からなり、全長は700m以上もあるのだ。

ザ・ガンのラウンジカー
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ディナーを待つ人で混み合うラウンジカー。

ダイニングカーはビクトリアン調のなかなか豪奢なしつらえ。アガサ・クリスティの世界に迷い込んだような気分になる。テーブルは全て満席(真犯人は誰だ?)、主たる客はオーストラリア国内のリタイア組であるようだった。席に着き、メニューを開く。それぞれ三つの皿から選べるスリーコースメニューとオーストラリア産に絞ったワインリストだ。ワインは泡2、白7、赤8銘柄(ロゼ含む)から選べ、甘口ワインも4種ある。

沿線のアドレードヒルズ、バロッサヴァレー、マクラーレンヴェールから、はるか西方のマーガレットリバーまで銘醸地の名前が並んでいて心強い。メインのバラマンディのグリルにはクレアヴァレーのクリスプなロゼワインを合わせた。

ザ・ガンのワインセラー
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ワインセラーの中身をチェック。南オーストラリア州産を中心にまずますの品ぞろえ 。
ザ・ガンのノスタルジックなダイニングカー
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ノスタルジックなインテリアが施されたダイニングカー
ザ・ガンの前菜の「ズッキーニとバジルのスープ」
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前菜の「ズッキーニとバジルのスープ」。メニューはグルテンフリーやヴィーガンにも対応している。

食事を終え、コンパートメントに戻るとベッドメイクがなされていた。立ったり座ったりしているとほとんど感じなかった振動が、ベッドに横になるとそこそこ感じられたが、眠りを妨げるほどではなかった。

虹色の蛇が棲むという峡谷で
ファーストコンタクト

乗車2日目。朝食後に列車はトップエンドの中ほどに位置するキャサリンに停車した。ここで途中下車してエクカージョン(オフ・トレイン・エクスペリエンス)に参加する。四つのオプションから私が選んだのは、「ニトミルク峡谷クルーズ」。

ダイニングカーの車窓から
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ダイニングカーの車窓から。アウトバックらしい乾いた赤い大地が続く。
キャサリン駅で途中下車
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キャサリン駅で途中下車。

キャサリン川が赤銅色の大地に刻んだ二つの峡谷を平底のボートで巡る。ニトミルクとは、この土地の先住民であり所有者でもあるジャオイン族の言葉で「セミの鳴く場所」を意味する。が、私が聞きたかったのはセミの声ではなく、ワニが尾で水をたたく音だった。

ザ・ガンで伝説に満ちた峡谷を
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伝説に満ちた峡谷を進む。
船着場の木に大型のコウモリ
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船着き場の木に何やら大きな実が生っているかと思えば、黒いものはすべて大型のコウモリだった。

操舵(そうだ)士とガイドを兼ねるキャプテンがジャオイン族に伝わるこの地の伝説を語る。それによれば、西方からやってきた竜のような人物ナビリルはこの峡谷でセミがニット、ニット、ニットと鳴く声を聞き、ニトミルクと名づけた。

二つ目の峡谷にある深い緑の淵には虹色の蛇ボルンが棲む。ボルンは生命を与える重要な存在だが、破壊者となることもある。ボルンは雷の姿を取り、大雨で洪水をもたらす。人はボルンの機嫌を損ねぬよう気をつけなくてはならない。緑の淵では水を汲(く)むことも釣りをすることもしてはならない。緑の淵の近くで釣った魚は、その一部だけを持ち帰るようにする……。

キャサリン川の豊かな水
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キャサリン川の豊かな水が砂漠地帯から熱帯域に入ったことを告げている。

伝説の世界を通して見ると、目の前の崖も水辺も息づいているかのようだった。想像力に翼を付けるとはこのこと。旅の効能の最たるものは、まさにそこにあるのだろう、などと考えていたらキャプテンが「右の岸を見てください!」と注意喚起の声を上げた。

船上がザワザワとざわめき、座席から伸び上がる人、双眼鏡を取り出す人の動きでボートが揺らぐ。目を凝らして岸辺を見ると、パンダーニの木の根元にサンドベージュ×暗灰色のツートーンのギザギザ突起が見えた。ワニの尻尾だった。後脚までは辛うじて見えるが、それより前の方は水没しているようで見えない。全長は1mほどか。私が遭遇を夢見る7mの巨大ワニには程遠かったが、なんと言ってもはく製や魚拓(鰐拓か)ではなく、生きた天然のワニの姿を拝めたのは大きかった。ますます「やつ」の存在への期待が高まる。

水際のワニの尻尾
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水際に小さなワニの尻尾が。

ここで一度、オーストラリアのワニについてまとめておこう。同国で見られるワニはイリエワニ(ソルトウォーター・クロコダイル)とオーストラリアワニ(オーストラリアン・フレッシュウォーター・クロコダイル)の2種。その名が示すように、前者は海水域に棲み、後者は淡水域に棲む(汽水域では両者が共存していることも)。いずれも生息域はオーストラリア大陸の北部、ノーザンテリトリー、クイーンズランド、西オーストラリアの各州に限られている。

イリエワニは世界最大級のワニで体長4m、体重450kgに達するものはざら。最も大きなものは6mを超える。アジアから海を渡ってオーストラリアにやってきたという説が有力で、日本の沖縄諸島や八丈島でも目撃されたことがある。性格はどう猛。このワニが出没するせいで、ダーウィンの海は遊泳禁止になっている。

一方のオーストラリアワニは比較的小柄で、体長は最大でも3m。性格はおとなしく、人を襲うことはまずない。敏しょう性に優れ、短距離ならギャロップ走りをすることもできる。この日、キャサリン川の畔(あぜ)で私が見たのは、若いオーストラリアワニだった。

40分ほどの航行の後、われわれは峡谷の奥の浅瀬から上陸し、短いトレッキングをした。途中、サーモンピンクの岩肌に朱色の顔料で描かれたロックアート(岩壁画)を見た。

見知らぬ植物
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見知らぬ植物が、南半球にいることを思い出させる。
最後の氷河期の頃に描かれたとされるロックアート
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最後の氷河期の頃に描かれたとされるロックアート。何に見える?

最後の氷河期の頃に描かれたとの説明書きがあったが、それが本当だとすると、7万年も前ということになる(アボリジナルの人々がオーストラリア大陸に住むようになった年代については5万年前〜12万年前まで諸説ある)。

岩に描かれていたのは5、6体の生き物。ある絵はヒトに見え、ある絵はポッサムのような動物に見えた。中には地球外生命体に見えなくもないものもある。誰が、何のために描いたのだろう。ワニとセミとコウモリ(写真参照)しかいない(と私には思えた)場所で、どうやって暮らしていたのだろう。

カンガルー肉のソテーや蒸したワニ肉
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エクスカージョンのランチプレートにはカンガルー肉のソテーや蒸したワニ肉も。

ランチタイムを含め3時間ほどのエクスカージョンを終え、ザ・ガンに戻った。午睡から覚めたように列車が動き出す。終点のダーウィンまでまだ5時間ほどある。さて何をして過ごそうか。

ザ・ガンに乗っている間は、ネットがほとんどつながらず、本を読もうとするとすぐ眠くなってしまうので、結局は60年代アメリカのイノセントなポップソングが流れるラウンジカーのソファに陣取り、車窓を過ぎゆく風景をひたすら眺めるか、酒を飲みながらおしゃべりをするくらいしかやることがない。

風景といってもほとんどはユーカリの林か灌木(かんぼく)の原っぱで、たまに放牧された動物や大きな蟻塚が目を引く他は変化がない。最初こそはアウトバックそのものの光景に見惚れるが、見慣れるにつれ退屈になってくる。が、数時間で退屈することにも倦厭(けんえん)してくると、今度は逆に気分が良くなっていることに気づくのだ。きっと脳内に快感物質が分泌されるのだろう。ザ・ガンに乗ることの真の価値は、この時に得た変性意識状態にあると後になって理解した。

バッファローカレー
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終点当直前に出されるサパーではバッファローカレーを選んだ。
ザ・ガン、列車旅の余韻
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事前に予想していた「絢爛(けんらん)豪華」とか「洗練」とはひと味違う、別の豊かさがこの列車旅にはあった。

夕方、ダイニングカーで軽めの食事を摂り、名残の数時間をラウンジカーで瞑想的に過ごすうちに日もとっぷりと暮れ、大陸縦断列車は終点のダーウィン駅に着いた。顔なじみになったクルーとの別れが少し切なかった。

(つづく)

取材協力:ノーザンテリトリー政府観光局