車を愛する人にも、さまざまなドラマがあります。この物語は1989年、イリノイ州シカゴを走る有料道路の料金所で幕を開けます。

リサ・ウェインバーガーさん(旧姓ガムゼさん)は当時、とある会計事務所のマーケティング部門の役員でした。トヨタ「クレシーダ」(※編集注:「マークII」や「クレスタ」の海外仕様車としてトヨタが1976~92年に生産していたモデルのこと)を走らせシカゴ市内を目指す道中に、立ち往生している1台のアキュラ「レジェンド」を見かけます。

彼女は、「助けが必要ですか?」と声をかけました。「レジェンド」のドライバーはジョン・ウェインバーガーという男性(つまり、のちの夫)で、フェラーリ専門店などを含むコンチネンタル・オートスポーツというイリノイ州のカーディーラーの経営者でした。誤って無人料金所のレーンに入ってしまい、ちょうど小銭を持ち合わせずに身動きが取れなくなっていたのでした。彼女が40セントを差し出します。そしてその7年後、2人はまさにその料金所で結婚式を挙げたのでした。

ジョンはオートレースが大好きでしたが、一方でリサはマニュアル車に乗ったことさえありませんでした。ジョンはそんな彼女にボンデュラント(※編集注:アリゾナ州にあるレーストラック。レーシングスクールも開講されています)のサーキットでのドライビングレッスンを受けさせ、デイトナ500とインディ500で初の女性ドライバーなったジャネット・ガスリーさんが以前所有していたレース仕様の1972年式トヨタ「セリカ」を買い与えました。

それからの約25年間、ジョンとリサはヴィンテージカーのレースなどに参加しながら、全米各地のサーキットを転戦して回りました。リサはこの間、エンジンを何台か壊してしまうことになりますが、ジョンはそのエンジンの部品を使ってトロフィーをつくり、愛する妻を称えました。

 
COURTESY OF LISA WEINBERGER

パンデミックが猛威を振るい始めて半年後の2020年9月20日、ジョンは自宅で静かに息を引き取りました。88年の生涯でした。「笑うが勝ち」、それが彼の口癖でした。

「この先どうすればいいのか、さっぱりわからなくなってしまいました」と、リサは当時の心境を振り返ります。「コロナ禍の最中(さなか)ということもあり、お葬式はしばらく待ってからのほうがいいんじゃないか? なんていう友人もいました。でも、そんな気分にはなれませんでした。すぐにちゃんと送り出して、あの人の人生を祝福してあげたかったんです」

彼女はさっそく葬儀会社を探しました。テキサス州オースティンとシカゴを拠点として暮らしてきた夫婦です。そんな中、「サーキット・オブ・ジ・アメリカズ(COTA)」(※編集注:テキサス州トラヴィス郡オースティン近郊にあるサーキットのこと)で葬儀ができるという驚くべき広告記事が、彼女の目に飛び込んできました。さっそくその葬儀会社に電話をします。すると、「確かに広告ではそううたいましたが、実際にCOTAで葬儀を行ったことはまだないのです」という返事でした。

「でも、これってパンデミック下の葬儀としては最高」と、彼女は考えました。友人たちはそれぞれに愛車に乗って参列し、そして一緒にビクトリーランをするのです。サーキットの大画面にジョンの写真や友人たちとのビデオを映し、1968年からレースを通じた付き合いのあるボビー・レイホール(※編集注:元レーシングドライバーで、2004年に国際モータースポーツ殿堂入りを果たす)からのメッセージ映像で花を添えるのも良いでしょう。リサはあらゆる人脈を頼りに、COTAからのOKを取りつけました。「ぜひとも実現させましょう」という心強い返事も、リサはもらえたと語ります。

 
COURTESY OF LISA WEINBERGER

シカゴ出身のジョンの大好物といえば、シカゴ風ホットドッグです。リサは葬儀でホットドッグを振る舞うことに決めました。オートレースをモチーフにしたワインを見つけ、それを何ケースも注文しました。そしていよいよ、当日を迎えました。葬儀には79台もの参列者が集まりました。警察車両のエスコートもありました。ここから先は、リサ本人の言葉で振り返ってもらいましょう。


サーキットに着いたときには、まるで霧の中をさまよっているかのような心境でした。最愛の人を亡くしたばかりだったんですよ。葬儀社のスタッフから、「特別なご要望はありませんか?」と訊かれた私は、「ビクトリーランでは私に霊柩車を運転させて欲しい」と伝えました。「社外の人間に霊柩車を運転させたことは前例にない」と彼らは戸惑ったようでした。そこで私のことを良く知るサーキットのスタッフが、助け舟を出してくれたんです。私は過去に何度もそのコースを走っていたから、彼らは私の運転技術を知っていました。だから、「おたくのドライバーより、リサのほうがこのコースの隅々まで熟知していますよ」と言ってくれたんです。でもその時点では、私はまだサーキット上で何をするつもりかを、彼らにも打ち明けていませんでした。

実は、棺の固定をこっそり緩めてしまおうと考えていたんです。私の横には、キムという名の葬儀社の女性スタッフが乗っていました。キムにちらっと目をやると、「いいからやっちゃえ!」と…。

 
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79台の車と一緒に、霊柩車をグリッドに並べました。フェラーリ「ディーノ」、ポルシェ「356」、フィアット「850」など、家族や友人たちの乗った車がずらりと勢ぞろいしていました。助手席にはキムがいて、そして私たちの後部にはジョンの棺。レス・カイザーという、レース界ではちょっと有名な友人がスタート時にチェッカーフラッグを振る役目を引き受けてくれました。私は思いっ切りアクセルを踏み込みました。第3コーナーでバックミラーを確認すると、みんなまだ第1コーナーのあたりを走っていました。そう、霊柩車の私たちの独走状態だったのです。「スピードを落とすべき?」とキムに意見を求めたら、彼女は「そのまま行っちゃえ!」って。だから、そのまま突っ走りました。

 
COURTESY OF LISA WEINBERGER

S字コーナーでも、スピードを緩めることなく攻め切りました。後部に積んだ棺桶がガタガタと大きな音を立てていました。

第12コーナーに差し掛かり、これが最後のチャンスだと思いました。だから、できるだけ鋭くコーナーへと切り込むと背後では大きな音がするのを耳にしました。棺がレールから外れたんです。振り返ると、斜めになった棺が見えました。「Oh my god!」と、キムの叫び声が響きました。私はそのままの勢いで、フィニッシュラインを目指しました。ピットに戻って後部を見たら、棺が横を向いていました。これでミッション・コンプリート。

その夜、キムから電話がありました。良くない知らせがあると…。シカゴでの告別式に向けて、ジョンの棺の発送準備をしていたところ、棺の裏側が壊れてしまっていることに気がついたとのこと。「どうやらサーキットで壊れてしまったみたい。シカゴに送る前に修理しなければならないかもしれません」と、困った声で彼女は言いました。「そのまま、何もしないでそのまま送ってください」と、私は彼女に伝えました。だってジョンは、私のやったことを喜んでくれているはず。私がどれだけ彼のことを愛していたか、みんながどれほど彼のことを愛していたのかを、あのような形でそれを見届けて欲しかったのです。

ジョンは、本当に素晴らしい人でした。愛し方、愛され方を、高い次元で示してくれた人でした。そんな特別な彼ならではのお葬式を絶対に実現させなきゃと思ったんです。それが私のやったことです。「ジョンもきっと気に入ってくれたはずだ」と、今でも思っています。

Source / Road & Track
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です