1980年代と言えば、数多くの素晴らしいものが生み出された時代です。その全てを1台のクルマに詰め込むことは不可能ですが、プジョー「クエーサー」には、そんな80年代を象徴する二つの魅力が組み込まれています……それは、コンセプトカーの中のコンセプトカーたるスタイリングと、グループBラリーマシンとしての血統です。

 1984年に開催されたパリモーターショーでお披露目となったプジョー「クエーサー」は、世界ラリー選手権でデビューしたばかりのラリーマシン、「205 T16」の双子の片割れでもあります。搭載していたエンジンは、ミッドシップ1775ccの16バルブツインターボ4気筒。このエンジンが5速マニュアルギアボックスと駆動系を通じ、4つのタイヤに600馬力のパワーを送り込みます。

 
JOHN LAMM/R&T ARCHIVE

 1985年1月号の雑誌『Road & Track』でも、「クエーサー」が取り上げています。そこでは、前後40対60の固定トルク配分と、リミテッドスリップデフが装備されていると記載されています。サスペンションは恐らくF1仕様で、16インチのセンターロックの合金製ディスクブレーキに、タイヤはミシュランMXXを採用。

 その他には、リアのテールランプが「205 T16」と共用ですが、共通項はその程度となります。プジョーのプレス資料によると、「クエーサー」のボディには、カーボンファイバーとケブラー繊維が使用されていたとのこと。

 真紅のレザーをふんだんに用いた大胆な内装で、デジタル表示の各種メーター、CRTモニターを使ったナビゲーションシステム、そして、クラリオン社製のCDプレーヤーが装備されています。車内はどうやら大手OEMではなく、例えば「ゲンバラ」のようなチューンアップメーカーの手によるものに見えます。

 
peugeot

 実はこのド派手でインパクトのある内装を手掛けたのは、カーデザインの巨匠ポール・ブラック氏だったのです。フランス生まれのブラック氏と言えば、メルセデスでの「パゴダSL」に代表される、エッジの効いた仕事で名を馳せた当代一のデザイナーです。BMWにおいては、7シリーズの第一世代のデザインを手掛けています。

 車体デザインを担ったのは、当時プジョーのデザイン部門の責任者だったジェラール・ウェルター氏でした。この「クエーサー」こそが、プジョーが自社で開発した初のコンセプトカーだったのです。

 ウェルター氏とブラック氏は、オリジナルのプジョー「205」においてもタッグを組んでおり、「クエーサー」のいささか過剰とも言えるデザインの中にも、「205」の小型ハッチバックの影響を見て取ることができるのではないでしょうか。

 「クエーサー」の(特にフロント部分の)デザインは、その後のプジョー車のデザインに影響を与え、同社の一時代の象徴となりました。例えば「405セダン」や、その後に生まれた「106」や「306」は、「クエーサー」のスタイルを強く受け継いだものと言えるでしょう。

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 「クエーサー」は、プジョーが誇る長い歴史の中でも特に素晴らしかった時代を反映したクルマと言えるでしょう。あの「205」の生産が開始されたのは、「クエーサー」開発の1年前のことでした。「205」はすぐに大ヒットとなり、プジョーのイメージを「頑丈だけど魅力に乏しいセダンのメーカー」から、「最高にモダンなカーメーカー」へと描き変えることになりました。

 「205 GTI」は「クエーサー」と同年に誕生し、すぐにホットハッチのベンチマークとして、その存在を確固たるものにしました。そして翌1986年には、「クエーサー」の双子と呼ぶべき「205 T16」が世界ラリー選手権を席巻することになります。

 プジョーが「クエーサー」を販売用に生産しようとしていたかどうかは、疑わしいところですが、少なくとも「205 T16」のロードカーには同じメカニズムが採用されていました(ターボチャージャーが1基少なくなり、400馬力分の減少がありましたが…)。つまり、「クエーサー」は一種の宣言(ステイトメント)とも呼ぶべきクルマだったのです。

 1985年1月号の雑誌『Road & Track』では、“本年で最も驚愕(きょうがく)した1台に贈る「Gawdamighty(ぶっ飛んだクルマ)賞」を「クエーサー」に与えています。そしてお披露目から36年が過ぎた今もなお「クエーサー」は、“驚愕の1台”と呼ぶに相応しい存在感を放ち続けているのです。

Source / Road & Track
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です。