Esquire日本版では2018年の第一回を皮切りに昨2021年まで、時代をけん引する人々を“Maverick”と銘打ち、年に一度、アワードのカタチで表彰させていただいてきました。そうして迎えた2022年、第5回目となるThe Mavericksはこれまで以上に時代性を踏まえて再検討いたしました。

Maverick(マーベリック)という英単語は、現在トム・クルーズ主演で絶賛公開中の映画『トップガン マーベリック』のタイトル内で使われているものと同じ。主人公ピート・“マーヴェリック”・ミッチェルのように、型破りで革新的…誰も成し遂げたことがない領域を軽々(外から見れは…ですが)とやってのける“開拓者”“異端児”のことを意味します。とは言え、その日本語の裏に隠れる“一匹狼”的なニュアンスは過去のもの…。

21世紀を先導する現代の“マーヴェリック”たちとは、「利他の精神を心に秘めがら国境・地域・人種・性別などを超え、パートナーシップも大切にしながら地球規模で目標達成に向けて邁進する者たち」とEsquire日本版は解釈。また2022年のThe Mavericksも昨年同様、「持続可能な生活…いわば『生』の原点を探求し実践する開拓者たち=“The Mavericks”」にフォーカスしながら、2022年は7月から連載のカタチでご紹介させていただきます。


そんな“The Mavericks of 2022”のトップバッターは、2022年4月に東京藝術大学長に就任した日比野克彦氏です。

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Hiroshi Ono, Design / Hiromi Kimura

【プロフィール】
1958年岐阜市生まれ。1984年東京藝術大学大学院修了。1982年日本グラフィック展大賞受賞。平成27 年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)。「明後日新聞社 文化事業部 / 明後日朝顔」(2003年~現在)「瀬戸内海底探査船美術館」(2010年~現在)「種は船航海プロジェクト」(2012年~現在)など、地域性を生かしたアート活動も勢力的に展開する。2014年より異なる背景を持った人たちの交流をはかるアートプログラム「TURN」を監修。現在は東京藝術大学学長、岐阜県美術館長、日本サッカー協会社会貢献委員会委員長、東京都芸術文化評議会 専門委員、公益財団法人 日本交通文化協会理事を務める。


SDGsの17の目標…
そこには足りないものがある
それは芸術です

「SDGs一つ一つのゴールを達成するのは人間であり、ゴールを達成したいと思うようになるには数値的な目標だけでなく、心の底からそうしたいと気持ちが動かないといけない。その気持ちが動かなければ達成した先の継続につながらないので、人の心を動かす芸術に接続する部分が必ずあります…」と、2021年8月に開催された東京藝術大学 × 東京大学無料公開ウェビナー「アートはSDGsにどう関われるのか?」で語る、当時東京藝術大学美術学部長であった日比野克彦氏のコメントに感銘を受け、インタビューを依頼しました。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
サステナぶる人:日比野克彦(東京藝術大学長)|The Mavericks of 2022| Esquire Japan
サステナぶる人:日比野克彦(東京藝術大学長)|The Mavericks of 2022| Esquire Japan thumnail
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エスクァイア編集部(以下、編集部):東京藝術大学と「SDGs」の掲げる目標を、どのように結びつけて発信していくの、お訊かせください。

日比野克彦氏(以下、日比野氏):2021年の夏に「SDGs × Arts」という展覧会を東京藝術大学 大学美術館でやりました。その展覧会の全体のディレクションを企画から始めるにあたり、その背景にある「SDGs」という言葉の前に社会的なさまざまな課題に対して「芸術」がどう向かっていくのか? どう関係していくのか? ということを考えていました。それは私が大学の職員…学長・学部長・教員という職に就く以前にです。

作品の関わり合い方っていうものの中で、やはり社会との関わりというのが私の表現でいつも関係してくるんです。

私はもともと東京藝大の学生のときはデザイン科でいろいろな社会の広告であったり店舗であったりとか、商品開発とかコマーシャル…いわゆる大衆というか民衆、巷(ちまた)の気持ちとの関係性というところでアート表現を考えてきました。

その延長線上の中に一人ひとりの生活の中でのアートの関わり合い方というものが私の大きな大きなテーマとしてあるんです。それの対比的な表現として、「美術館の中に作品が飾ること」だと思っています。

例えば音楽ホールにいって音楽を聴く…という日常から別な空間をつくって、その中でアートと接するという接し方もありますが、私のフィールドとしてはもっともっと日常の、普通の朝に起きるものです。

「学校行きます」「職場行きます」「電車乗る」「歩いて行く」「コンビニ行く」「買い物する」「お腹が減る」「友だちと散歩する」…という日常の中に芸術がどう関わっていくかっていうところが私の表現のフィールドなのです。

アートプロジェクトというものも、20世紀末ぐらいから、地域との連携とか…地域の持っている力を、より発信してくというカタチで動き始めていました。

編集部:日比野さんのアートプロジェクトは、社会とのつながり、結びつきをとても大事にされていますよね?

日比野氏:一人で物をつくるということだけではなく、その地域に実際行って、そこの人たちと関係性も持ちながら、その場で生まれてきたものを発信していくプロジェクトでした。

その代表的というか、現在も続いているのが(2003年に新潟で開催された「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ」ではじめた)「明後日朝顔プロジェクト」という朝顔を育成しながら交流していくアートプロジェクトです。

これは、採れた種をいろいろな地域との連携の一つの橋渡(わた)し役として種を運んでいくという活動であったり、その種の記憶が運ばれていくという姿から…、『種のカタチが船みたいで、記憶を運ぶ船みたいだね』っていう言葉から種のカタチをした船をつくり、それを海に浮かべたり航海したりしながら日常の中での環境問題を考えていくものです。最近ですと、海洋環境保全という話にまで広がっていきました。

「明後日朝顔プロジェクト」「種は船プロジェクト」は、山の限界集落の高齢化少子化の問題や、海がマイクロプラスチックで侵されてく問題に直面していくことになりました。

同時に「SDGs」とか「ダイバーシティ(多様性)」とか誰一人取り残さないという社会的な課題というものが、21世紀に入って重要度が増し、議論されるようになっていきました。そういった課題が挙がっていく中で、日常的に「これらの問題はみんなで考えないと解決しないぞ」と思っていたわけです。

当然、日本だけではなくて、世界中の人が考えていかないと解決しない問題となってきて「SDGs」という取り組みが始まるわけですが、その活動(SDGs)と私たちのやっているアートプロジェクトとが、すごくつながっているところがあるとも感じていました。

しかし、「SDGs」の『17の目標 & 169ターゲット』内容を見たときに、その中に「芸術」とか「文化」の文字は一個も見当たらないんです。

ひとつもないわけです。数値目標とかパーセントの目標とかというものあるけども、そこに「芸術」という文字が一個もない…というときに「これはちゃんと『SDGs』と『Arts(アーツ)』の関係性を発信していこう」ということで展覧会をやり、一つマークをつくりました。

東京藝大が提案する「SDGs × Arts」17のゴール

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日比野氏:「SDGs × Arts」のマークをつくって、「SDGs」っていま皆さんがバッジなどをつけているように17色が時計の文字盤のように入っていて、そこに「× Arts(アーツ)」というビジュアルをつくるときにその色が全部混ざったものを真ん中につくったんです。

それぞれの色がにじんで真ん中のところにあるマークは、「17のゴール」を見るとそんなにきれいには分けられないんです。例えば、「海を守る=山を守る」ということは人々の生活の変容で日常の中で、それぞれの人を尊重し合うとかというのも全部関係しています。

これを継続的にやっていくには、人間の行動変容が必要であって、2030年までに目標達成したから「よしこれで良かった!終わり。次に行こう」という話ではなく、継続していかなくではいけないのです。継続していくには、やはり人間が本当にそうしたいと気持ちにならないと継続しない…。

気づかされるきっかけが、数値的な、科学的な根拠があるから「ああ、そうだったんだ」と思って、その突きつけられた数値をきっかけに目標をつくり、行動し始めるわけです。

東京藝術大学,学長,日比野克彦氏,mavericks ,2022,インタビュー,
Hiroshi Ono

「人間は“心が動かないと
”継続できない…。
芸術は、
心を動かすことに長けている」

日比野氏:行動が変容し始めても、継続していくには、“人間が本当に”海を守りたいとか、“本当に”木々を大切にしたいとか…人権を尊重したいという気持ちがなければ継続できません。心が動かないと、私としては続けていくことができないと思っています。

「心を動かす」ために一番相性が良い…というか、心を動かすことを生業(なりわい)にしているのが「芸術」なんですよ。

ですので、この「17のゴール」の真ん中には芸術があり、人の心があるんだというところで、全てのものに当然人間の心がつながってきているわけです。そして、心を動かすには、本当にそれを「美しいな」「美しいものを守りたいな」「人を愛したいな」などという気持ちが必要になってきます。

つまり「Arts(アーツ)」が関わってくるんだということを、東京藝大としては展覧会を行い、それをきっかけにしてもっと発信していこうということで「SDGs推進室」を立ち上げて、これからも継続してより力を入れてやっていこうということになっています。

編集部:「SDGs」のために新しい芸術活動をするということでしょうか?

日比野氏:ニュアンスが少し違います。例えば、「『SDGs』をやりましょう!」って言って、やる人はいるでしょうか?  私が感じたのは、学内の研究室の先生や学生たちは「SDGs」と「Arts(アーツ)」ってどう関係あるんだろうか…と、多くの人たちがそう感じたのが現実です。

けれどもだからといって「SDGs」のために新しい芸術活動しようって言っているのではなく、東京藝大の先生とか学生たちは自分自身の表現方法や作品をつくったり、演奏したりということで自分をいつも表現しています。その表現すること、そのままでいいんです

編集部:「Arts(アーツ)」は、そもそも「SDGs」だったと…。

日比野氏:そうとも言えます。そして、「SDGs」の意識を自分が発信することによって、演奏して、または絵を描くことによって「SDGs」の目標に近づいていくんだっていうこと意識してみましょう、という呼びかけをしたんです。

例えば、絵を描くことによって、絵を見る人がいます。演奏することによって、演奏を聴く人がいます。その見た人・聴いた人が、その演奏家・発信者・表現者のメッセージを受け止める中に、必ず「17のゴール」…地球に対してとか、人に対しての意識というものは、その発信者はメッセージとして持っているわけですから、それはただ単なるその作家(発信者)の作品ですねっていうとこで止めずに、その先にそれを見た・聴いた人間が、どんな行動変容を起こしてくれるだろうか…とか、そういったところまでイメージして制作・演奏していくということが「SDGs」へとつながっていくという呼びかけをしました。

ですので、芸術こそが「SDGs」に関係していかないと、継続していけないと思っています。

編集部:「Arts(アーツ)」が積極的に「SDGs」に歩み寄って意識していく感じですね。

日比野氏:そうでなければ、本当にブームだけで終わってしまうので…。人間の行動変容を伴うには、やはり心の動きが必要になり、それには「Arts(アーツ)」の力が欠かせないという風に考えています。

編集部:われわれ一般の日本人…、つまり「Arts(アーツ)」を見た受け手は、どう感じると期待・想定していますか?

日比野氏:きっと、発信した「Arts(アーツ)」に対してすぐパーンと答えてくれる反応もあれば、芸術って高尚なもので美術館も行ったことないしなんか面倒くさいし…「SDGs」どうつながるんだよって思っている人のほうがきっと大半だと思っています。

芸術というものが何で社会の課題とつながるのか? 芸術とは何か? アカデミックなもので、ある能力を持った人が作品をつくって愛好者がそれに接しているもので日常の生活とは関係ないんじゃないの? という認識が日本の中ではまだ強いと思うんですよね。

東京藝大ができてまだ130数年ですよ。130数年の中で明治以降、芸術というものが今のカタチとして認識された責任は芸術に接してきたわれわれ(発信者)にあるんです。

その責任というのは、もっと芸術はいろんな魅力があるんだということをまだ伝えきれていない…発信しきれていないと思っています。

今ある芸術というのも、それだけじゃないというところをもっと発信していかなければ、これからの50年とかその先まで変わらないのではないでしょうか。

東京藝大もそうですが、日本の中における芸術の認識は、今ちょうど潮目の変わりどきだと思っています。

編集部:日本人の芸術における認識…。

日比野氏:20世紀から21世紀になって、地球環境の問題とか、コロナ禍とか、もう世界大戦など起こらないだろうと思い混んでいた争いが起こるなど、というところの潮目が今来ていると感じています。

芸術の役割のもう一つというか、もともと持っている芸術の大きな力というものを、しっかりと発信していきたいというのが、すごく強い思いとしてあります。

藝術大学というのは、人材育成機関であり研究機関でもあるところなので先駆けていろいろなものを提案しています。そして、若きアーティストたちと一緒になって、それを実践していくという場です。その中で、もう一つの本来の芸術の役割を発信する上で、「SDGs」というのはまさに芸術が関わるべきものであり、に一人の人間が「SDGs」をどう受け止めていけばいいのかを、導いていくのが芸術の仕事なのではとも思っています。

編集部:日比野さんは、例えば80年代に、段ボールを使って製作活動をされていたとき「サステナブル(持続可能な)」を意識していたのでしょうか?

日比野氏:地球環境のこととか、リサイクルとかを考えていたのかと聞かれると、そんなことはないんですよね。その頃は、その言葉さえもなかったわけですから。でも、段ボールのもっている「包む・運ぶ・守る」という機能からくる質感や画材というアートのためにつくられたものではなく、日常にある素材が私たちに伝えてくる力は意識していました。

そして「Arts(アーツ)」の力って、さまざまな社会的問題を解決できる力あるよな…というところは、きっと無意識的に、ずっと変わらずに持っていたと思います。

芸術って、特殊な技術でもなんでもなく、誰でもが親しむことでできるものであって、身近にあるものが変化することによって生まれる驚きなんですよ。

「これどうやってつくったの? なかなかの技術だね」というものに対する憧れよりか 、何かすぐそばにある紙、私の場合は段ボールを触ることによって、ふっと変化する瞬間というものに対して「面白いなアートは」というところが 私の中にあったんです。

編集部:日比野さんの活動は今も昔も、軸にあるものは変わっていないように見えます。

日比野氏:いろいろな人と関わり、社会と関わる…、そしてその人たちと一緒にプロセスなり、できたものを共有できることを私はフィールドにしてきました。

現在の「SDGs」の活動やアートプロジェクトというものも、段ボールでつくっていた頃の身近なものを変容させていく…そのものの持っている力を発揮させて目の前にいる人と共有できるという「Arts(アーツ)」の力を皆さんに示す…そんなフィールドで歩んできているというのはずっと変わってないなと、いま振り返ると思うところはありますね。

この間、ちょうど姫路市美術館で展覧会をやったときに80年代の作品・90年代の作品・2000年代のアートプロジェクトというものを通して展示して、姫路市でも朝顔のプロジェクトとか船のプロジェクトを実践したんです。

そのときに一作品集をまとめるにあたって初めて「つながってんだな」というのは思いました。

編集部:展示会の意義というものでしょうか。

日比野氏:展覧会の役割とか作品集の役割って「振り返る」「まとめる」「俯瞰(ふかん)する」「検証する」という役割が、書籍同様に展覧会にもあると思っています。

アートプロジェクトというのは活動なので、ずっとドンドンドンドン前へ行ってしまっていて…そこから振り返るっていうことが得意なのは展覧会です。

そこは少し時間を止めてしっかりと分析できる空間が展覧会にはあるし、まして書籍・作品集となると昔のものから全部を時系列であったりテーマ別であったり、分類することによって自分が何者か? 何をしてきたか? っていうのを系列立てて見ることができるのです。

私がやってきたことを俯瞰してちゃんと見られている…見られるようになったのは、展覧会とかの効果もありますけども、今後もきっとまたこの先もそうですね。

今は大学というところで「社会的課題を解決していく芸術活動」を展開していくということによって、いろいろな広がりが出てくると思っています。そこはずっと一貫して行っていこと思うんです。ありがたいことに、私が学生のとき段ボールで創作を始めたのもこの上野ですし、同じ場所でずっとやり続けているんですね。

でも、世の中は当時の80年代からもう40年も経っていて、世紀も変わりましたし、まだまだこれから いろいろ続けていきたいと思います。

集結した才能に触れた大学院生時代

東京藝術大学,学長,日比野克彦氏,mavericks ,2022,インタビュー,
HIROSHI ONO

最初は当然一人でやっていました。そして、私の机があって、私の机の上に材料持ってきて、そこで私一人で全部一から十までつくりました。大学時代の頃はそうでしたね。

それが大きく変わったのは、パルコが主催していた「第3回日本グラフィック展大賞」をもらった1982年が大学院の1年生のときです。そのときに段ボールの絵がいろいろと出ていて 「サッカー」「エアプレイン」「ジャンパー」とか…、その後、舞台美術を大学院2年のときにやったんです。それは「天井桟敷(てんじょうさじき)」の寺山修司さんが亡くなられた一周忌記念追悼公演というのを渋谷のパルコでやることになって、私に舞台美術の依頼は来たんです。

初めての舞台美術でしたし、そんな舞台に私は段ボールで舞台美術をつくるんですけども、そして小道具も段ボールでつくって初めての舞台の経験で音楽はあって、シナリオがあって、役者がいて、衣装があって、照明があって…といういろいろな才能とか表現が集まってくるところで、プラス演出家が萩原朔美さんという朔太郎さんのお孫さんで『ビックリハウス』 榎本了壱さんとかと一緒にやっていたチーム…、そうして朔美さんに「日比野のお前もちょっと出ろ」と言っていただいたんです。

「天井桟敷」ではよくあるパターンで、裏方さんがよく表に出されたりして、そんなわけで私も舞台に出ることになったんです。

舞台に魅了されて…

そうすると今度は私の身体を使って表現する、声を出す、セリフみたいなそれを経験した後に、今までは私一人で作品をつくっていてできたものをギャラリーに持っていって お客さんが好きなときに観に行く…というところが表現したものの流れだったのです。

でも、舞台っていうのはいろいろな才能が集まって、舞台上で表現し合って…なおかつそれがライブで目の前にお客さんがいて、いろいろな反応があるっていう、これはすごい表現だなっていうのはそのときに感じたんです。その後、公開制作を始めるようになったんですよ。

編集部:舞台の素晴らしさ、ライブ感に魅力を感じたきっかけだったんですね。

日比野氏:なんか一人で絵を描いているだけでなく、絵を描いているところを見せたいって思ったんです。そこに見ている人がいて、そのプロセスを見せていく時間というものも私の表現の中に入れたいと思うようになりました。

公開制作するようになって、最初は一人で公開制作していたんですけど、そうするとお客さんにリピーターがいるようになるので、リピーターの人に最初の頃は「その絵の具の水ちょっと変えて来てもらってもいいですか」って「分かりました」とかいう感じで「ちょっとここのり貼ってみる?」とか少しずつ「こいつ使えるな(笑)」みたいになると、一緒にやるようになっていって、当時はまだワークショップという言葉はなかったんですが…。

その頃、そういう一緒にやる仲間がちょっと増えてきて「HIBINO STAFF」という名称でいろいろな場所を変えて公開制作とかを行い、そのうち音楽もつけてみようかっていうのでパフォーマンスみたいになっていったりする中で、どんどん…どんどんワークショップパフォーマンスという言葉も世の中に出てくるようになり、メディアが増えていったんです。

「信じていたものに
対してイエローカードが
出始めた1995年、1996年」

編集部:一人だけの創作から、グループ創作を取り入れてきたタイミングがその頃からだったんですね。

日比野氏:そんな中で東京藝大の教員の声がかかったのは1995年なんですけど、95年というのは、本当にいろいろなことがあった年で1月に阪神淡路大震災があり、春には地下鉄サリン事件があり、私はその年に教員に呼ばれたわけです。

イタリアで行われたベネチアビエンナーレにも呼ばれて「地下鉄サリン」と「阪神淡路大震災」をテーマにして段ボール作品を発表するのですが…、ましてや95年というのは だんだん明るい未来・明るい21世紀というよりかは、ちょっと怪しい空気がだんだん流れてきて世紀末感も出てくるし…私たちが安全だって思っていた高速道路が倒れ、阪神淡路大震災のときにそして高学歴の人たちがカルト的な宗教で問題を起こしみたいなところが、ドンドンドンドン…信じていたものに対してのイエローカード的なものが出てきたっていうのが1995年、1996年の頃ですよね。

そんな時代に東京藝大に教員として行くようになって、社会的なものとより関係を持ちながら表現していく、それもチームでというのも大学の中でも始めたんです、「日比野研究室」という名前で…。そして、「STUDY ROOM」というタイトルで学生たちと一緒に外部で展覧会をやったり、パフォーマンスしたり、またインターネットがちょうど出始めた頃だったので、インターネットドラマを配信したりとか学生たちと動き始めていました。その中にアートプロジェクトもあり「明後日朝顔プロジェクト」もありました。

ということで、21世紀に入っていき大学の中で仲間を増やしていき、大学の芸術の役割も少しずつ違うものが求められてきたという時代ですね。

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Hiroshi Ono

編集部:日比野さんは、一人で創作することと、グループ創作どちらが好きなのでしょうか?

日比野氏:難しい質問ですね。一人の時間がなければこれは困るので私一人の時間というものと共有・共同するというものと、やっぱり伸び縮みがないと、どっちかひとつでもそれは疲れるか、プツンと切れちゃいます。

一人じゃないとできないことと、一人でやるより大勢でやったほうがより魅力的なものができることもあります。

例えば、丸を100個描こうと思って、100個は10個 × 10個だから、10個× 10個を一人が描くと似たような丸しかできないし、それはまとまっているって言えばまとまっている面白さはあるけれども…。

じゃあ、100人で丸描いて、マスに1個ずつ丸を描いていったら絶対一人では描けないような丸ができるはずですね。「なぜこんな丸になるの?(笑)」みたいなのがいっぱいあるわけですよ。その面白さは一人じゃ絶対できないし、100人じゃないとできない同じように描くんだったら、100人ではできないけどもっていう…。

やっぱりそれぞれの面白さがあるので、そこは両方とも創作の上では必要だし、一人で追求する世界 いろんな人の癖をその人なりの考え方を集めたハーモニーで見せていく世界というのは、両方ともアートとしては魅力的なものがあるので、そこを私の中では両方行ったり来たりしているところはあります。

編集部:グループでしか表現できない、予測不可能な、偶然性みたいなものというのは面白いですよね。

日比野氏:特に日本の社会なのかな…、日本は科学に頼りすぎているというか、分からないことを分かろうとするのは、人間の性(さが)だとは思うんですが、だからだんだん昔分からなかったことが分かるようになってきた時代になっています。

宇宙さえも数式で表せるようになってきりとか、医学も遺伝子レベルでとかどんどん科学が人間の分からないことを解明してくれて、そして生活を豊かにしてくれるという風に信じています。もっと、科学が進化していくとより豊かになるって思っていたときに、その反面「でも、ちょっと待ってよ」って…なっていると思うんですよ。

このまま科学が進化していって、分からないものが解明されることが幸せというのが人間としてどうなるんだろう? って、現在(いま)何か気づき始めてきた時代(日本)だとも思っています。

「分からないものを
分からないままに
しとくのが得意なのが
『Arts(アーツ)』」

でも、人間って分からないものを、分からないままにしとくのは苦手なんですよね。基本的にはね…。だから、これだけ進化してきていると思うんですけど。でも、分からないものを、分からないままにしとくのが得意なのが「Arts(アーツ)」なんです。

「わかんないなぁこれは」って…モヤモヤって、分からないってところから「Arts(アーツ)」が生まれる部分があるので。それがあるということを、これからのわれわれは全部分かろうとする、分かろうとして分かったつもりで見ると、分からない世界が出てきてしまうのです。

分からない世界で追求していくと、分かるようになるんですけども。でも、それもさらに追求すると、もっと分からないやつが出てくる…それの繰り返しなんです。

だから、人間はどこかで不安になっちゃって、このまま全部わかると思ったのに、分からないんだってことで、不安になるよりか全部分かると思っていたけど、分からないものがあるんだと認め、付き合っていくべきなのです。

編集部:「分からないこと」に対しての忍耐力と、上手に付き合っていく重要性があるわけですね。

日比野氏:その重要な役割が「Arts(アーツ)」なんだと思っています。

いわゆる分かるものと分からないもの、“科学と芸術”というものが両方あっていいんです。 逆に両方ないとバランスが崩れてしまうわけです。両方あるのが人間なんだというところを受け止めていかないと、きっとこれから精神的にも人間は崩れていくだろうし、社会的にも間違った進化の仕方してしまうだろうと思うのです。

ですので、「SDGs」が教えてくれるところっていうのは、科学的な部分があるけれども、いま東京藝大がやろうとしているのは、その心の部分というか…真ん中の部分です。その両方を持って持続可能な世界を日々努力していく、見つめていくということなんだろうなと思いますね。

社会の中で機能すべき東京藝大

日比野氏:東京藝大といえども一つの集まりなので、東京藝大が社会の中で本当に現役として活動していくには、きちんと社会の中で機能していないと絶滅危惧種になってしまうわけです。「藝大は保護しなくちゃいけない…」みたいになってはいけません。

それが芸術なのかって、芸術っていうのは絶えず動いてないと芸術ではないと思っています。

また芸術と「Arts(アーツ)」というのは言葉としては、ちょっと同義語ではないとも思っています。

編集部:改めて、芸術と「Arts(アーツ)」…どう違うのでしょうか?

日比野氏:芸術の「術」っていうのがちょっとスキル的(技術的)なニュアンスが強くなっちゃうので、一方「Arts(アーツ)」というのは絶えず動いていなきゃいけないのです。

なぜならば、人の心が動く中に「Arts(アーツ)」がいるから、ただの出来事でもなくって絶えず人間の心の揺らぎの中に「Arts(アーツ)」というものがいる必要があるのです。

人間の心で絶えず動いている…、私の心だって動いているし、他人の心なんて読みきれないけれども、必ず関係性というのが心と心の関係でいつもあるのです。その関係性の中の揺らぎの中に色々な表現の「Arts(アーツ)」があるのです。その揺らぎというものの集まりで「Arts(アーツ)」の表現が生まれてきているのですから。

ですから絶えず動いていないと「Arts(アーツ)」というのはあり得ないわけです。動きが止まっちゃったらそれで終わっちゃいますから、東京藝術大学という一つのパッケージが終わっちゃって、そこを観に行くだけになってしまいます。

編集部:「Arts(アーツ)」を専門にする大学、東京藝大の在り方、強みは何でしょうか?

日比野氏:大学の一番魅力というのは、毎年、18歳という若いエネルギーが入ってくるということです。そして20代も30代も40代も、彼・彼女らの流動性のエネルギーを得ることができます。それが大学の一番のエネルギーだと思っています。

2022年の今年入ってきた18歳の生徒たちは、2003年、2004年生まれの学生たちです。高校生のときは、約2年間はパンデミックによるコロナ禍という時代を経験してきています。

そういう時期を経験した生徒たちだからこそ表現できるものというのは必ずあるわけで、そこから「Arts(アーツ)」が生まれてくるのです。

しっかりとした歴史をベースにして、それをまた削り取っていたり、いろいろなものを混ぜ込んだりとかしながら動いているので、東京藝大というものが「Arts(アーツ)」という生態系の中で発信していくことができるようなフィールドになっていくようになればと思っています。そうなる雰囲気に今、徐々になっているかなとは思っていますよ。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
「The Mavericks of 2021」- 今、何をすべきかを考え、邁進している開拓者たちの肖像 -|The Mavericks 2021 |Esquire Japan【11月30日配信終了】
「The Mavericks of 2021」- 今、何をすべきかを考え、邁進している開拓者たちの肖像 -|The Mavericks 2021 |Esquire Japan【11月30日配信終了】 thumnail
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