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Yoshinobu Masuda

中東・レバノンでの合宿生活も半ばを迎えた頃、当時の日本代表監督フィリップ・トルシエは記者会見でこんなことを言いだした。

「日本人ではなくてカメルーン人だったら、ホテルの窓から縄梯子を下ろして出かけているだろうね」

2000年アジアカップ・レバノン大会。日本代表は圧倒的な強さで二度目の優勝を手にする。その2年前に就任したフランス人指揮官は、「フラット3」と呼ばれた独自の3バックシステムを導入。ようやくその成果が表れたのがこのアジアカップだった。

 
STANLEY CHOU//Getty Images
2000年のアジアカップでは、異次元の強さでアジアを制圧した日本代表。優勝カップを抱えているのは、キャプテンの森岡隆三。

「ホテルの窓から縄梯子…」の発言は、そろそろ集団生活のストレスも溜まっている頃ではないか、という話の流れで出てきたと記憶している。従順すぎる日本人を揶揄(やゆ)したようにもとられかねない発言ではあった。そもそもカメルーン人うんぬんも、カメルーン人に失礼かもしれない。トルシエはナイジェリア、ブルキナファソ、南アフリカ共和国などアフリカでの指導経験が豊富で「白い呪術師」というニックネームもあったぐらいのアフリカ通だが、現在の基準からすると問題発言になりそうなものは多々あった。

「赤信号だと渡れない」

これはトルシエが言ったかどうかは定かではないのだが、自分で判断して行動できない例えとしてよく使われていた。ちなみにフランス人はあまり信号を守らないが、ドイツ人は守る。クルマが止まってくれないからだ。

トルシエは練習で選手を突き飛ばしていたし、パワハラ的な言動は相当あった。真偽は定かでないが傑作だったのは、選手のスター扱いを嫌うトルシエが小野伸二に「お前はオノか?」と迫り、小野本人に「いいえ」と言わせたというエピソードだ。1990年ワールドカップで、西ドイツ代表(当時)のフランツ・ベッケンバウアー監督がエースストライカーのユルゲン・クリンスマンに「お前はペレか?」と毒づいたのは知っているが、本人に本人であることを否定させたのは例がないのではないか。

実際、トルシエは日本を見下していたと思う。日本というより、日本のサッカーを…。

ただ、それはどこを基準にしていたかの話である。サッカー先進国の欧州を基準に、「日本のここが足りない」とストレートに指摘していたに過ぎない。ワールドカップで勝ち抜くために。伝え方に問題はあったかもしれないが。

 
ALEX LIVESEY//Getty Images
U-20、U-22代表監督(1999年当時)も兼任し、FIFAワールドユースでは小野や本山雅志らを擁して準優勝。シドニー五輪ではベスト8へ導いた。

縄梯子に補足を入れると、トルシエは徹底して自分の戦術に選手を従わせる方針だった。従順さはかなり都合がよかったはずなのだ。ただ、サッカーはそれだけでは上手くいかないもので、規律は守って欲しいけれども、ときには無視するパワーも必要だと思っていたのだろう。背反するものを両立させるというのは、国を問わずサッカーの肝になるところなのだ。

2002年の日韓ワールドカップ、日本代表はめでたくベスト16まで進めた。隣の韓国がベスト4だったので微妙な雰囲気にはなったが、初のベスト16は大成功と言っていい。ところが、大会が終わるやフィリップ・トルシエは日本サッカーのタブーになった。一刻も早く忘れるべき記憶として。

その後の日本代表は「日本人の良さを活かす」とか「日本独自」、さらには「ジャパンズ・ウェイ」といった、“日本スゴイ”的な流れに傾いていった。2018年にアジア予選を突破しながら解任されたヴァイッド・ハリルホジッチ元監督が、“日本スゴイ”の流れに掉(さお)さすようなトルシエ的監督だったのは偶然ではないだろう。ベテランのハリルホジッチ監督はずっとマイルドではあったが、それでも言いたいことはハッキリ言い、欧州基準を隠さなかった。トルシエ以来の不快指数の高さではあった。

明治時代から日本は坂の上の雲を目指しているときに最も伸びるようだが、欧化が進むと日本独自が欲しくなるらしい。サッカーも“日本らしさ”が尊重されてきたが、日本らしい日本代表はどれも平凡の域を出ていない。独自性ということなら、トルシエ時代のほうがよほど独特だった。

 
GUNNAR BERNING//Getty Images

サッカーにおける「洋式」は先進国の論理だ。では、その反対の「和式」は何かと言うと「日本らしさ」という曖昧なものがあるだけで実質は無なのだと思う。競技なので、和でも洋でも用が足せればそれでいいわけだが、洋を否定したところに代わるものが特にない。それが和を目指したところで、洋ではないというだけに留まっている理由だろう。

「フランス人って、ああなんですか?」

私がフランスに3年ほど住んだことがあるので、トルシエが代表監督のときはよく聞かれた。

「フランスにもいろいろな人がいますけど、仕事ができる奴はだいたい嫌な野郎だと思っておけばいいんじゃないですか」

世界中、都会の人はだいたい同じで、田舎の人もおよそ似ていた。何がフランス的で何が日本的なのか、今だにそっちのほうがよくわかっていない。ただ、今ある「日本らしさ」など軽く超えていかないと、日本代表は強くならない。少し前まで、「サイズの小さい日本のセンターバックで世界に伍していくには?」という議論もあったが、イングランド・プレミアリーグ、アーセナルで活躍する冨安健洋が現れた現在、そんな話は忘れられているのだ。

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text / 西部謙司
1962年9月27日、東京生まれ。 早稲田大学卒業後、3年間の商社勤務を経て、サッカー専門誌『ストライカー』の編集記者になる。1995~1998年にフランス・パリに在住し、ヨーロッパサッカーを堪能。現在はフリーランスのサッカージャーナリストとして活躍中。近著に「犬の生活 Jリーグ日記 ジェフ千葉のある日常」(エクスナレッジ)、「フットボールクラブ哲学図鑑」(カンゼン)、「戦術リストランテVI ストーミングvsポジショナルプレー」(ソル・メディア)、「サッカー最新戦術ラボ ワールドカップタクティカルレポート」(学研プラス)などがある。

Illustration / Yoshinobu Masuda
Edit / Ryutaro Hayashi(Hearst Digital Japan)