戦地とほど近い
ウクライナのワイナリーへ

ここはウクライナ南部。40キロ先にはロシア軍が戦線を張っているような状況ですが、この黒海沿岸の田舎町の5月の風景は実に美しく、目の覚めるような黄色い菜の花畑の間に農家の集落があります。そして鮮やかな緑の草地には、牛がのどかに放牧されているのが見えます。

ワイン醸造家のゲオルギー・モルチャノフさんは仕事用のトラックを走らせ、ミコライウからブーフ川の河口へと南下します。その道はあちらこちらの舗装が剥げ、どこか痛々しさを感じさせます。ここはへルソン州からオデーサ州にかけて広がる、ウクライナの中でも貴重で古いワイン生産の中心地。しかしながらロシアの武力侵攻が始まった2022年からは、戦場の中心地にもなってしまったのです。

間違いなくここウクライナは、極めて貴重な古代からのワイン産地です。 ゲオルギーさんは30代半ばですが若々しく、ピンクのトラッカーキャップにぴったりとした黒のTシャツ、ニューバランスのスニーカーという装いからは、こだわりのあるおしゃれな有機農家といった風情が感じられます。彼は運転しながら淡々と歯切れよく、矢継ぎ早に言葉を繰り出し、ときとぎ大きな笑い声を上げます。

彼の説明によると、かつて古代ギリシャの植民地だったウクライナでは当時からワインの醸造が行われ、遊牧騎馬民族スキタイ人の交易品となりました。その後、旧ソ連時代になると、甘ったるく1ドルもしないような安価なワインが大量生産されるように。そして21世紀になり、この地域は最先端の自然派ワイン産地としての地位を固めつつありましたが、タイミング悪くロシアによる侵攻が始まったというわけです。

「でも大丈夫」と、ゲオルギーさんは言います。彼が駆るシトロエンのクロスオーバーが、爆発で破壊された納屋の残骸の横を通り過ぎました。「私たちは生き延びますよ。これまでもそうしてきたのですから…。ああ、あれを見てください。野生化した鶏です!」

舗装されていない道を進み、私たちは目的地の「オルヴィオ・ヌーヴォ(Olvio Nuvo)」に到着しました。川沿いの傾斜地に20ヘクタールのブドウ畑を持つこのブティック・ワイナリー(手作業でこだわりのワインを造る小規模生産者)では、入り口のところにブドウ畑に着弾したロシア製のロケット弾やクラスター爆弾がさながら現代アートのインスタレーションのように、山と積まれていました。

ウクライナのワイナリーで集められたロシアのロケット弾
Nicholas Reiff
ウクライナ南部のワイナリー、オルヴィオ・ヌーヴォのブドウ畑で集められたロシアのロケット弾の山に新たな残骸を加えるワイン生産者のゲオルギー・モルチャノフ氏。

ここは、ゲオルギーさんの親友パブロ・マガリャスさんのワイナリーです。モルドバ出身のパブロさんは以前、重量挙げの選手でした。その後、軍人からナチュラルワイン醸造家に転身したのです。しかし彼は今、このワイナリーにはいません。ウクライナ軍の司令官としてバフムト近郊で任務に就いています。

代わりに出迎えてくれたのは、奥さんのアラさんでした。彼女は笑顔でコーヒーをすすめると、あちこち埃まみれになっていることを詫びながら、私たちを招き入れました。彼女の笑顔の奥には、どこか寂しげな表情が見て取れました。

多くのウクライナ企業同様、オルヴィオ・ヌーヴォも苦境に立たされています。ワイナリーには、年中無休の維持管理が欠かせません。戦争が長引き、パブロさんが家業を行えない状況ではオルヴィオ・ヌーヴォの存続は難しいでしょう。

実は、ゲオルギーさんが今日ここに来た理由もそこにありました。彼はこのワイナリーを支援するために、ある計画を立てたのです。

ウクライナを訪れた
そもそもの理由

さて、筆者の私(ニコラス・リーフ)がなぜウクライナにいるのか? というと、紛争地域に重要な援助物資を届ける民間物流会社に勤めているからです。私はソムリエではありません。ですが、ワインや生産者をめぐる物語が好きで、何年も前から世界中のワイン生産者と話をする中でワイン造りの科学や芸術、その難しさについて多くを学び、素晴らしいワインにを造るための生産者の献身的な取り組みについて理解を深めてきました。

ワインの醸造は、最も穏やかで最も予測可能な条件下でも十分に難しいものです。降雨量が多すぎても少なすぎても収穫量に影響が出ます。虫害や霜害のリスクもあり、発酵プロセスでは気温の急上昇やCO2濃度、バクテリアとの戦いがあります。

戦時下のウクライナは、平穏で予測可能とは言い難い状況です。ワインの産地として知られていないこの国の、(多くの消費者は全く知らないと思いますが)歩いて行ける範囲までロシア軍の支配が及んでいる…。そんな地域でパブロさんやゲオルギーさん、そして彼らの仲間の醸造家たちはワインを造っています。それもただのワインではありません、実に素晴らしい品質のワインを、です。

戦争の前線地帯となっているミコライウとその周辺は2022年、220日間連続で激しい攻撃を受けたそうです。ゲオルギーさんやパブロさん、このワイナリーの作業スタッフたちはブドウ畑、ワイナリー、道路、村々とさまざまな場所がクラスター弾などの無差別攻撃を受ける中、一日も欠かさずブドウの木の手入れをしてきました。

驚くべきことに、彼らは不屈の精神、戦争をものともしない気持ち、愛情あるいはそれらが入り混じった心意気でなんとか収穫を行い、エグラッパージュ(房の実をつないでいる部分を取り除く作業=除梗)、マセラシオン(浸漬)、発酵、樽熟成という骨の折れるプロセスを完了させ、素晴らしい“戦時下ヴィンテージ”のワインを造り上げました。

こうしたヴィンテージワインの製法はもちろんですが、私がここで知りたいのは、もっと表現が難しいもの、つまり、彼らがここまでしてワインを造る“理由”です。

ウクライナワインの味は?

ウクライナワインのボトル
Nicholas Reiff
ピンクワインなどオルヴィオ・ヌーヴォの“侵攻前ヴィンテージ”ワイン。

アラさんとゲオルギーさんは大きなステンレスタンクとワインの木箱でいっぱいになった、埃まみれの格納庫のようなスペースへと私を案内してくれました。ここがオルヴィオ・ヌーヴォの生産現場です。私は、ずんぐりした分厚いワイングラスを受け取りました。するとアラさんが、注ぎ口から直接サンプルを注いでくれます。このグラスはテイスティング用のものですが、彼女はグラスにたっぷりとワインを注いでくれます。

まずは、爽やかな果実味と柑橘系のスッキリした酸味を持つギリシャ原産の早生品種、マルヴァジア (Malvasia)から。ひと口飲んでみて、「もう少し冷やして、温暖な季節に夕方のビーチで飲んだら最高」という印象を持ちました。

次に、ウッディな香りとややしっかり目のボディを持つリースリング(ドイツ原産の白ぶどう品種)の「ヨハネイター(Yohaneiter)」を試飲します。それから辛口の白ワインである「マスカット・シトロン(Muscat Citron)」を飲みましたが、てっきりキャンディーのように甘いデザートワインだとばかり思っていたので驚きでした。そして最後に、1970年代に旧ソ連の科学者たちによって造られた、この黒海沿岸地域独自の交配種「オデーサ・ブラック」(地元では「オデスキー・チョルニー」と呼ばれる)が原料の代表的な赤ワインを飲みました。

この地域のナチュラルで素朴なワイン造りの特質を体現しているのは、この最後の赤ワインです。甘いたばこの葉のような香りとタンニンを含んだようなウッディスモークの香りのブランブルから、プラムのような果実の香りが立ち上ってくるという、かつてない体験…。これは洗練されたフランスの生産者のワインではなく、古代ギリシャ人が造っていたような、野生酵母と異教の魔術的な魅力に満ちた自然味あふれるワインです。万人受けはしないかもしれません。ですが、間違いなく私の好みでした。

昼食
Nicholas Reiff
このブドウ畑で食べた昼食。クリームチーズのクレープ、地元名物の大麦入りソーセージ、ヤギのチーズ、そして芳醇な白ワイン「テルティ・クルック(Telti-Kuru)」。

赤ワインの入ったグラスを片手に、彼らの案内で通用口から外に出て、パブロさんのブドウ畑へと向かいました。ブーフ川対岸の景色が一望できます。彼らは近くの小高い丘の上にある古代ギリシャの植民地オルヴィアの遺跡を指差しました。そう、「オルヴィオ・ヌーヴォ」という名前は、この古代ギリシャの交易集落に由来しているのです。現在この地は戦闘地域内にあり、訪れることはできません。

遠くには細く、不穏な輪郭を浮かび上がらせているキンブルン半島のロシア支配地域が見えます。ブーフ川はそこでドニプロ川と合流し、黒海へと注いでいます。ロシアがこの半島を制圧しているため、ミコライウの河港に入出港する船はありません。ここは今後のウクライナ反転攻勢の重要な目的地です。

2022年11月までロシア軍はブーフ川の対岸に駐留し、ワイナリーに毎日ロケット砲や迫撃砲、機動砲を打ち込めるほど接近していました。あるときはロシア軍の戦車が生産小屋めがけて突進してきましたが、小屋は無事で、隣にあった廃屋がぺしゃんこにされました(ゲオルギーさんは、それをどこか滑稽に感じたそうです)。元ソ連軍の兵士だったパブロさんは、何カ月もかけて攻撃による瓦礫を撤去しました。

現在、パブロさんは前線に赴いており、国内の需要は低迷しています。ほんの数年前までこのワイナリーでは、年間1万本を生産していました。しかし2023年は生産が停止しているため、2023年のヴィンテージワインは存在しなくなるかもしれません。

「だから明日の夜は、私のエステートでパーティーをするのです」と、ゲオルギーさんは満面の笑みで言いました。

「資金を集めて、アラとパブロを救うためにね。あなたもぜひ来てください」

ウクライナのワイナリー
Nicholas Reiff
スリヴィノ・ヴィレッジ・ワイナリー(Slivino Village Winery)の敷地を歩き回る羊たち。

私は、明日までにはバスでオデーサに戻ることになっていましたが、「ちょっと真面目に考えてみる」と返事をしてしまいました。ワインを4杯も飲んだせいかもしれませんが、天候もよく芸術的な雰囲気があり、人々も親切という環境の中でミコライウでのパーティーが楽しみに感じられました。

「こっちに来て」と、ゲオルギーさんが手招きしています。そして「さあ羊を捕まえますよ」と…。こうして、ウクライナワインを巡る旅はまだまだ続くのです。

第2回へ

Translation / Keiko Tanaka
Edit / Satomi Tanioka
※この翻訳は抄訳です

From: Esquire US