1985年5月13日、あるアメリカの都市が住民を爆撃しました。フィラデルフィアの警察が、C-4爆弾を「MOVE」と呼ばれる黒人過激派グループの自宅と本部に投下し、住宅建物内にいた11人が死亡、周辺の中流階級の黒人居住区の60軒を焼失させ、250人以上の人々から家を奪ったのです。死者のうち5人は子どもでした。
ジョージ・フロイド殺害事件をきっかけとした反乱が、全米の人種差別や警察の横暴の歴史に関心を呼び起こしたことで、この35年前の出来事が2020年になって改めて注目を集めています。
2020年11月、フィラデルフィア市議会は爆破事件について正式に謝罪しました。そして2020年12月8日(火)、HBOでMOVEについての新しいドキュメンタリーが公開されました。
しかし、『40 Years a Prisoner(40年目の囚人)』という題名のこの映画で語られているのは、グループの歴史の中で最もよく知られている爆破事件についてではありません。その代わりに、映画監督のトミー・オリバーさんは、警官の死亡、カメラに映った警察の残虐行為、そして9人の殺人罪の有罪判決につながった、1978年のMOVEとフィラデルフィア警察の血なまぐさい衝突を取り上げたのです。そして、この事件は、さらなる暴力への道を開くことになりました。
「78年にあの事件が起きなければ、85年の爆破事件は起きなかったでしょう」とオリバーさんは「エスクァイア」US版のインタビューに答えています。
MOVEは1972年に設立され、人々が新しい生き方を模索していた時代に生まれた多くのグループの1つでした。ブラックパンサー党と同じように、彼らが提唱していたのは黒人解放です。他の自然回帰運動グループと同様に、彼らは髪を伸ばし、動物愛護活動家でもありました。しかし、メンバー全員が「アフリカ」という名字になったMOVEは、共同生活のグループとよく関連付けて考えられる農耕生活とはほど遠い、アメリカの大都市の中心部に本部を置いていました。何十匹もの野良犬に敷地内を徘徊させたり、メガホンでイデオロギーを説いたりするなどのグループの習慣が、MOVEとフィラデルフィア市パウェルトン・ヴィレッジの近隣住民との間の対立を深める原因となっていました。
長年続いた近隣住民の緊張状態と、赤ん坊を抱いたMOVEメンバーの母親が張り倒され赤ん坊が死亡した事件を含む警察との暴力的なやり取りは、グループを追い出すために市が注力したことにより最高潮に達しました。
元警官で、選挙時には「自分に比べればフン族の暴君アッティラ王がオカマに見える」と自分で表現したほど独裁的だった当時の市長フランク・リッツォさんは、住居の周りを厳重な警備とともに封鎖しました。子どもたちが家に住んでいたにもかかわらず、市は水道を止め、銃撃戦が行われるまで数カ月間、MOVEを包囲して飢えさせようとしたのです。放水と催涙ガスが使用された1978年の衝突の間に、ジェームズ・ランプという警官が死亡し、18人の職員が負傷しました。
市は同日、家をブルドーザーで破壊し、殺人の裁判に使われるかもしれない証拠の多くを消し去ってしまいました。「なぜ人は証拠を隠滅するのか?答えは明白です」と話すオリバーさん。
当局は、警官を殺した銃はMOVEが所有していたものだと言いましたが、MOVEは警察の発砲で死亡したのだと主張しました。警官は一発の銃創で死亡したにもかかわらず、MOVEの9人が殺人罪で有罪判決を受けました。
妻のコディさんと共にOWNの『Black Love』シリーズの制作者でもあるオリバーさんは、包囲と銃撃戦の物語を語るために、クローゼットにしまってあった40年前の学生製作映画のテープなど、慎重に入手したアーカイブ映像を使用しています。
しかしこの映画は、1978年8月8日の出来事によって人生のすべてが形作られた男性、マイク・アフリカ・ジュニアさんを追った現在の物語でもあります。有罪判決を受けた9人の中にいたデビー・アフリカさんとマイク・アフリカさんは、彼の両親です。
デビーさんは逮捕時に妊娠8カ月で、マイケルさんは彼女の監房で生まれました。デビーさんや他の囚人の女性たちはマイケルさんの誕生を看守に隠していたため、生まれたばかりの息子を手放すまで、3日間を一緒に過ごすことができました。
大人になったマイケル・アフリカ・ジュニアさんは、両親を釈放するためのキャンペーンに何年もの月日を費やし、その努力が『40 Years a Prisoner』で描かれています。オリバーさんは、数十年に渡る長い物語に潜む現在進行中の武勇伝として、マイケルさんの物語に引き込まれました。
「この男性は、両親を刑務所から出すことに人生のすべてを捧げてきました」と話すオリバーさん。「彼はほんの子どもで、ただ両親が欲しかっただけなのに、寝るとき以外のすべての時間をその努力に費やしてきました。とても美しい話だと思います」
『40 Years a Prisoner』では、1978年の衝突で降伏したにも関わらず警官に暴行された、デルバート・アフリカさんの事件についても語られています。暴行の様子はビデオに収められ、その映像や写真は1970年代の警察の残虐行為を写した最も有名なものとなりました。裁判官が訴訟を棄却する前に、3人の警官がこの暴行事件で逮捕されました。
パウェルトン・ヴィレッジの銃撃戦の後、MOVEはコブズ・クリークの中流階級の黒人居住区に移転しました。しかしそこでも再び、周囲のコミュニティとの緊張が高まり、グループを立ち退かせようとする市の努力は、警察がMOVEの家に即席の爆弾を投下することで最高潮に達しました。市の10月の謝罪には、フィラデルフィアの当局は「MOVEの家族、隣人、友人、および緊急対応要員に不要な痛みや苦しみを与えないための、最善の判断と戦略を使用することができなかった」と書かれています。
オリバーさんは、MOVEのメンバーとその支持者だけでなく、1978年に現場にいた警官を含むグループに批判的な人たちにもインタビューを行っています。
数十年経った今でも、ドキュメンタリーに登場する元警官はグループに対する不当な攻撃を問題視していないようで、インタビューでは、肋骨と顎を骨折したデルバートさんを警官が「助け出した」のだとオリバーさんに語っています。「彼は3人の警官に助け出され、すぐに病院に行きました」と、『40 Years a Prisoner』の元警官は言います。
「私の目をまっすぐ見てそう言いきりました」と話すオリバーさん。「隠すことなど何もないと感じているようでした。そして、まるで戦争の話を50回以上も繰り返してきたような口調で話していました」
ルビー・リッジやウェーコで行われた法執行機関による包囲に比べて、1978年のMOVEの包囲と1985年の爆撃の話は十分に調査されてきたとは言えません。 これは、MOVEの男女や子どもが、当局やメディアによって誤解を招くような非人間的な描かれ方をしてきたことが一因だと、オリバーさんは考えています。デルバートさんの暴行後、当時の警視総監は「デルバート・アフリカは男性ではなく野蛮人だった」と言って攻撃を正当化しました。
「そもそも市自体に十分な共感がなければ、フィラデルフィアような場所を越えて共感を得るのは難しいでしょう」とオリバーさんは言います。「その理由の1つは、彼らが誤った表現をされていたからです。誤った話を聞かされているので、市は気にしません。市が気にしないなら、誰が気にすると言うのでしょう」
歴史と、誤った扱いを受ける人たちのことを正確に記録することは、オリバーさんの作品に共通するテーマです。
2020年夏の抗議活動の間、彼はロサンゼルスの通りに出て、『40 Years a Prisoner』のテーマの多くを反映した蜂起の参加者として行進する群衆を記録しました。
スミソニアン協会は現在、抗議運動のアーカイブ映像として彼の作品を取得しています。「警察の残忍性、不当な投獄、制度的人種差別、権力の乱用など、40年前にMOVEのメンバーが戦っていたものは、現在私たちが戦っているのと同じものです」とオリバーさんは話します。
Source / ESQUIRE US
Translation / Yuka Ogasawara
※この翻訳は抄訳です。