『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(以下EEAAO)』という難解かつエンターテインメント性にあふれた作品で、非常に難しい主人公を演じたミシェル・ヨーが快挙を成し遂げました。95回目にして初めて、米国映画芸術科学アカデミーによってアジア人俳優がオスカー主演女優賞候補に選ばれたのです。

これを報じた「ニューヨーク・タイムズ」オンライン版の記事に対し、SNSには「アンナ・メイ・ウォンもあなたを誇りに思うでしょう」というコメントが付きました。

"daughter of the dragon" film still
Donaldson Collection//Getty Images
『Daughter of the Dragon』(1931)で主演を務めたアンナ・メイ・ウォン。その隣は、同時期にハリウッドで活躍した早川雪州。

アンナ・メイ・ウォンは、サイレント映画時代に活躍したアジア系俳優です。ハリウッドで人気を博し、ヨーロッパでも抜群の知名度を誇りました。が、悪名高き自主規制“ヘイズコード(1934~)”による人種を超えた恋愛描写の禁止や、「女優」という職業自体への差別意識などが重なり、30代で引退を余儀なくされたのです。そうしてその引退からおよそ20年後、彼女に中華系アメリカ人家庭の母親役という千載一遇の仕事が舞い込み、本格復帰を目前にしていたときです。悲しくも彼女は病に倒れ、1961年に亡くなったのです。享年57でした。

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Screen Archives//Getty Images

近年、そんなウォンの再評価され、2022年10月から登場した新25セント硬貨の裏面に彼女の顔が刻み込まれています。また、ハリウッドの実態を描いたライアン・マーフィー製作のドラマシリーズ「ハリウッド」(2020)ではミシェル・クルージが彼女役を演じ、第95回アカデミー賞候補にもなっている『バビロン』でも彼女をモデルにしたレディ・フェイ・ジューをリー・ジュン・リーが演じています。そうして、いずれも黄金期におけるアジア系女優を取り囲む環境を解説してくれているのです。

これであの忌々(いまいま)しい
ガラスの天井を破れればいい…

「これであの忌々しい(frigging)ガラスの天井を打ち砕くことができるといいのですが…」と「ニューヨーク・タイムズ」の同記事に語ったとおり、彼女のノミネートは人種の壁はもちろんのこと、年齢の壁をも打ち破ることにもなります。50代後半以降に主演女優賞を獲得したヘレン・ミレン、フランシス・マクドーマンド、ジュリアン・ムーアら同様、1962年生まれのヨーのノミネーションは、かつて「一定の年齢を超えると女優は目立った役が途端に少なくなる」と言われていたハリウッドのイメージを部分的に覆すものと言えます。「製作側の意識さえ変われば年齢を経ても女優が演じるべき主人公は存在する」、その証明にもなっています。 

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
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『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 2023年3月3日(金)TOHOシネマズ 日比谷 他 全国ロードショー

『EEAAO』のエヴリンは、多元宇宙をまたいで展開される複雑な世界で、いくつもの“人格”が入れ替わり、歌手からカンフーの達人まで演じ分けなければいけない相当ハードな役。「ハリウッドレポーター」のラウンドテーブルで、「ここに至るまで40年かかった」「これまでのキャリアはこの役をやるためにあったと思った」と語ったとおり、「英国・香港・マレーシア・中国・アメリカとさまざまな国で、バレエからストレートプレイ、マーシャルアーツに至るまであらゆる研鑽を積んだ彼女にしかできないこと」と言えるもの。それを否定する人もいないはずです。

アンナ・メイ・ウォンが道半ばにして達成できなかった人種の壁を乗り越え、年齢を経た後に手にする運命の役との出会い…。現地時間2023年3月12日授賞式にて、例えミシェル・ヨーが史上初のオスカー像を手にしてもしなくとも、現時点ですでに彼女は自身が言うように、「(アジア系にも)可能性はある」と信じさせるには十分の偉業を達成したのです。とは言え、ぜひとも当日は彼女のスピーチを聞きたいものです。

エブエブ
Emma McIntyre//Getty Images
2023年1月15日クリティック・チョイス・アワード(放送映画批評家協会賞)の作品賞を獲得した際、『EEAAO』の仲間たちと。