5月半ばの木曜日の夜、「PUBLIC Hotel(パブリックホテル)」にクルマを停めたとき、私(ジャーナリストのアビゲイル・コビントン)は友人にこう言いました。「神に誓って、もし無料の食事がなかったら帰るよ」と。私はどういうわけか、アンナ・デルヴェイの大々的なアートショーのVIPリストに載ってしまい、アンナ・デルヴェイや詐欺、それから刑務所にアートに全く興味がなかったにもかかわらず、参加することになったのです。私はこの決断をした友人を責め、これを読んでいる皆さんにも共感を得たいと思っています。

到着すると、約300人の人々が屋上のアート展に向かうエレベーターへの入場を争っており、スナックも全くない状態でした。この時点で私は空腹だっただけでなく、レザーの服を着た見知らぬ人が私に向かってくしゃみをして、「絶対コロナをうつされた」と不快な気持ちになっていました。それは時間が経つにつれて、ますます奇妙で最悪な夜になっていく序章に過ぎませんでした。

「無料のシャンパンは飲めました」

また別のレザーの服を着た人に、招待状替わりのメールを見せた後、私たちは展示室に上がりました。特筆すべきは、ニューヨークのパブリックホテルの上層階は景色がとても良いことです。窓から外を眺めるのは楽しいですよね。若いイケメンがワインをすすめてくれたので、「無料ですか?」とたずねました。すると、彼らは「はい」とうなずいたので、私は「きっとこの後は、無料のなにかしら食事が出てくるのだろう」と期待していました。ですが、その前にアンナ・デルヴェイのアートショーがあります。そもそもそれが、私たちがここに来ることになった理由です。

展示会の内容

展示会のタイトルは「Allegedly」で、デルヴェイがニューヨーク州北部のオレンジ郡刑務所に収監されている間に描いた20枚のスケッチで構成されています。デルヴェイの代理人を務める美術商クリストファー・マーティンさんが『タイムアウトニューヨーク』誌に寄せた声明によると、「スケッチは裁判前のニューヨークでの生活、裁判、裁判後、現在の出来事を、彼女の視点からストーリーを語っています」とあります。なるほど、確かに…とにかく、こんな感じでした…。

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作品はちょっとわかりやすいというか、アートの世界の人たちが言うところの派生的なものだと思います。会場にいた人たちは皆、写真を撮っていました。スケッチの写真、自分自身の写真、スケッチを見ている自分たちの写真、他の人がスケッチを持ってポーズをとっている写真…。20代の若者たちがデルヴェイのスケッチの一部を所有するために、何千ドルも払うのを目撃もしました。その後彼らは、記念に“不機嫌な”写真撮影をしていました。そこで彼らが見せた怒ったようなしかめっ面は、喜んでいるのかどうかわからないほどでした。

もしあなたが22歳で、1万ドルのお金を持っていなくても、250ドルでいくつかのスケッチの限定版プリントを購入することができます。

招待客のほとんどが、私と同じマスコミ関係者でした。その皮肉った作品は耐え難いもので、私は苛立ちを募らせていました。アンナ・デルヴェイに騙されてタダ飯を食べるのであれば許容範囲内ですが、高価な「シャブリ」を5杯飲むだけでは物足りません。チーズのお皿がないとダメなんです。

デルヴェイは刑務所からFaceTimeで参加

午後10時少し前、アンナ・デルヴェイ本人が刑務所からFaceTimeで現れ、ゲストに挨拶しました。これについては半信半疑でした。私の経験では、刑務所にいる人といきなりFaceTimeすることはできないのです。ライカーズ刑務所では、何週間も前に電話面会の予約を入れなければならないし、面会できるのは土日だけ。オレンジ郡刑務所ではどうなのかわかりませんが、この夜の出来事はすべて演出されたものだと私は確信しています。

部屋の後ろの隅にいたグループが、「アンナを解放して!」と唱え始めました。この演出自体も疑っている私は、「何から?」と不思議に思いました。「アンナ自身がつくった牢獄から?」と叫びそうになるのを、必死でこらえました。彼女は、もう家(そして国)に帰れることを知らないのでしょうか? しかしなぜ、デルヴェイはニューヨークに残ろうとするのか? ずっと不思議でした。『故郷での身の危険を感じている』と裁判資料にはありましたが、なぜでしょうか? ドイツには、もっと大きなターゲットがいるはずです。帰りたくなければ帰らなくてもいいのですが、別にニューヨークだけでなく、ローマでもパリでも好きなところへ行けるはずです。

そうしている間に、このイベントの主催者のひとりがデルヴェイがいかに逆境に負けない人であり、刑事司法と移民法改革の提唱者であるかということをしゃべり始めました。これは刑事司法制度の実際の犠牲者や、彼らのために不眠不休でわずかなお金で働く人たちに対する侮辱であり、笑止千万だと思いました。

最後までフリースナックはありませんでした

前菜はまだどこにも見当たりません。オープンバーの店員に訊いてみると、「食べ物はないよ、飲み物だけ」と言われました。その後店員に、屋上に行ってみるようにすすめられ、レザーの服を着た人がさらに数階上にある屋上までエスコートしてくれました。またもや素晴らしい景色が広がっており、私たちはバーへと向かいました。そこでも食べ物はない上に、さらに飲み物は無料ではありませんでした。ニューヨークのとある場所では、カクテルが30ドルもすることを知っていますか?

ビットコインの暴落で大損したような男たちに、ボトルサービスのシャンパンをくれるよう説得している最中に、友人が「もうすぐ12時になる」と警告してきました。「帰りにタイ料理をつまみ食いしたいなら、いますぐここを出たほうがいい」と…。というわけで私たちは大至急、このホテルから脱出しました。

結局、私は最後までフリースナックを手に入れることはできませんでした。結局、「パッシーイウ(タイの麺料理)」を自腹で購入したという最悪の夜でした。

Source / ESQUIRE US
Edit / Mirei Uchihori