私がこれまで本などで読んできた「成功する結婚」についてのアドバイスの中で、最も有用だったと思うものは「怒りをベッドルームに持ち込むべきではない」というものです。

そんな私は、まだ結婚していません。他の人の関係に興味があるだけです。恋愛・結婚など人間関係をテーマにしているブログや、経験豊富な年配女性による相談コーナーでも同じ意見が共有されています。例えば義母がつぶやいたことや、パートナーが同僚と寝てしまったことなど、「何かにイライラしながら眠りにつくと憤りが積み重なっていく」と言われています。

これはほぼ正論のように聞こえますが、実践するには難しいと思いませんか? 深夜2時まで、家族内の関係や不倫について話し合おうというのでしょうか?

もう一度言いますが、私は結婚していません(約束します!)。ですが、そんなわたしでもそれは「疲れる努力だ」と思います。さらに難しいのは、「それほど簡単に怒りを手放すことなどできないだろう」ということです。「そのようなアドバイスの実践は不可能だ」とすら思います。

映画制作・配給会社「A24」とNetflixによる新しいシリーズ『BEEF/ビーフ』を観ながら、「そんな人生のアドバイスはやっぱり意味ない」と思ってしまいました。このドラマは問いかけるのです。「どれくらい怒り続けることができるのか?」と…。そしてさらにもうひとつ、もっと興味深い疑問を投げかけます。「怒りって、本当に悪いこと?」と…。

preview for BEEF | Official Trailer | (Netflix)

衝突事故未遂があおり運転事件に発展

日本では4月6日から配信が始まった『BEEF/ビーフ』ですが、そこで物語をリードするには夫婦といった人間関係ではなく、アカの他人の間で繰り広げられるもの。そこで生じる白熱した憤怒によってストーリーは展開していきます。主人公のダニー(『ミナリ』で知られるスティーヴン・ユアンが演じる)は、恵まれない建設労働者。ある日、駐車場で白い高級SUVと衝突しかけます。SUVを運転するのはエイミー(アリ・ウォン)。複数の事業を手掛けるビジネスオーナーであり、母親です。事故は避けられたものの、この「衝突」はロサンゼルスの郊外で展開される猛スピードでのあおり運転合戦に発展します。彼らは花壇を突っ切り、お互いに中指を立て、対向車線に飛び込みます。最終的にはあおり運転のカーチェイスは終わりますが、彼らの執念はそこから始まります。ダニーはエイミーの行方を追い、彼女のバスルームに放尿。その一方でエイミーは、ダニーの事業をオンラインで見つけ、ヒステリックな口コミを残します。こうして物語は進んでいくのでした。 

怒りが行動の動機になる

この事件はダニーとエイミーの人生だけでなく、彼らの家族や友人の人生にも数日間、数週間、数カ月にわたって波及していきます。エイミーには、大きな取引が控えています。彼女は高級植物店をジョーダン(マリア・ベロ)という超富裕層の大物に買い取ってもらえるかもしれない、魅力的な取引が控えているのです。もし誰かが道路の監視カメラに撮られたあおり運転を知ってしまったら、その取引は危険にさらされるかもしれません。ダニーのほうはぼんやりとしたものでありながらも、韓国にいる両親から受け継いだものと同じくらい強力な、つまり「途方もない夢」に駆られてられています。

そんな彼らが交錯する旅は、軽快な30分のエピソード10話で展開していきます。エイミーは長い間抑圧されていた怒りと不安を解放し、ダニーは弟のポール(ヤング・マジノ)や彼のダメダメな従兄弟アイザック(デヴィッド・チョー)と、この戦いに立ち向かいます。

ウォンは、ミレニアル世代の文化やアジア系アメリカ人の生活について、具体的に切り込むことで知られるコメディアンです。これが彼女の初めてのドラマ主演だとは驚くべきことです。ユァンはオスカーにノミネートされた俳優であり、常に魅力的な役柄を選ぶことで知られていますが、彼の演技はいつも素晴らしいものです。

二人が画面に一緒に映るとき、またその逆に、物語が非常に賢い方法で彼ら二人に距離感を持たせるとき、それはとても刺激的なシーンになるのです。とは言え、彼らの関係を明確に言い表すのは非常に難しいものです。絶対的な敵同士ではなく、かといってロマンチックな愛の残り香もなく、明確に友人というわけでもありません。しかしその関係性こそが、『BEEF/ビーフ』をさらに良いものにしていると言えるのです。この怒りに満ちたロサンゼルスの人々は、なぜその出来事やお互いを忘れられないのかわかりません。ただ彼らは忘れることができず、それによってお互いを駆り立てていく様子がリアルに伝わってくるのです。

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Netflix

韓国出身クリエイターの実体験に基づく物語

このように『BEEF/ビーフ』は、現在のNetflixにおける他のほとんどの作品とは異なる独特の存在感を放っているように思えます。視聴中、時折『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』や『アンブレイカブル・キミー・シュミット』を思い浮かべました。特に類似しているわけではありませんが、これらの作品にも似たような激しい怒りが感じられます。ただし、それは単に悲惨な学校での思春期の話や、超能力を持った思春期の話でも、がんを患った思春期の話でもありません。が、このストリーム配信サービスがオリジナルシリーズを制作していた時代を思い起こさせます。

その点はおそらく、番組のクリエイターであり、「A24」のテレビ部門の責任者であるラヴィ・ナンダンと共に『BEEF/ビーフ』を緻密につくり上げた韓国出身クリエイター、イ・ソンジンによるものではないでしょうか。実際この番組は、作者自身が体験した怒りに満ちた道路での出来事に触発されているようですが、「実際の事件は、ドラマほどひどいことにはならなかった」と強調しています。いずれにせよ、このドラマには真実味があります。特に作家が育った韓国系アメリカ人教会を舞台にした、共感性の高いカルト的シーンは印象的です。 

はっきりしない。でも最高

もちろん、全てが完璧にうまくいっているわけではありません。番組の中間地点のエピソードは簡単に3つカットすることができるでしょうし、フィナーレは盛り上がりに欠けます。また、この番組は明確に「A24」の作品であり、それは脅威であるか? 売り文句であるか? のどちらかであり、シモーヌ・ド・ボーヴォワールなどの作家から引用したエピソードタイトルであったり、話す動物などの“zany”な(読み方: イライラする ※)要素もあったりします。コメディとして分類されてはいますが、実際には大笑いするようなものではありませんし(確かにユーモラスな要素はありますが)。

しかし『BEEF/ビーフ』には、謎解きのような喜びがあります。ほとんどのNetflixの番組が分かりづらい不明瞭なものである現在、それは祝福すべき理由となるでしょう。フーバスタンク(Hoobastank)やビョークの’00年代のヒット曲で構成されたサウンドトラックは、皮肉で使っているのか? それとも真剣なのか(またはその両方なのか)? 明確ではありません。同様に登場人物について、どのように感じるべきかもはっきり察知することはできないでしょう。彼らの行動が劇場的で、現実離れしているにもかかわらずです…。

そして一方で、語り口は心地よく曖昧です。「怒りは一時的な意識の状態に過ぎない」と、エイミーは退屈な近所のめざとい監視役ナオミ(アシュリー・パーク)に第2話で語ります。ナオミはこのフレーズが大好きで、おそらくこの言葉によって彼女は夜、眠りにつきやすくなるのでしょうが、番組全体を俯瞰して見るとエイミーが唱えた仮説は、とても曖昧になってしまうのです。怒りはその後も続き、さらに続き、そしてまた続き、最終的にネガティブな結果とポジティブな結果を両方もたらすのですから。

唯一、このドラマを観てはっきり言えることは、「怒りは燃料である」ということです。そしてその燃料は…まあ、火に油を注ぐようなものでしかありません。

※ 本来は荒唐無稽、ばかばかしいものを指す言葉

※この記事は抄訳です 

From: Esquire UK