現地時間2023年3月12日(日)、ハリウッドの歴史が塗り替えられました。米国アカデミー賞95回目にしてアジア系の俳優が主演女優賞候補となり、遂にオスカーをその手にしたのです。

「ありがとう、ありがとう。今夜これを観ている私と同じような(アジア系の)少年少女たちへ、希望と可能性を示す光となりました。大きな夢を描けば、それが実現できることの証明です。そして女性の皆さん、誰かが『あなたがいちばん輝ける時期はもう過ぎた』なんて誰にも言わせないでください。決して諦めないで。

(監督の)ダニエルズや(スタジオの)A24、素晴らしいキャストやクルー、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』に関わってくれた全ての人々なしでは、今夜ここに立っていることはできませんでした。でも、私はこの受賞を私の母、そして世界中のすべての母親に捧げなければなりません。彼女たちは本当にスーパーヒーローであり、彼女たちがいなければ私たちは今夜ここにいないのですから…」とのこと。そして呼吸を整えたあと、こう続けます。

「84歳の母は今、マレーシアで私の家族や友人たちと一緒にこれを観ています。みんな、愛してるよ。このオスカー像を家に持って帰ってあげます。そして、私がキャリアを始めた香港の巨大なファミリー(※)にも感謝を。私が今日ここに立てるよう、肩を貸してくれてありがとう。また、私の名づけ子たちや姉妹たち、兄弟たち、家族たち、皆さんにも感謝します。アカデミーにも感謝します。これは歴史をつくる瞬間です! ありがとう!」

※彼女は香港映画でキャリアを積んだ

「見えない(unseen)存在」として扱われた米国アジア人の歴史

1936年の映画『ダアク・エンゼル』で主演女優賞候補となったマール・オベロンは、アジア系であることを隠して仕事をしていました。まさに、ファンデーションで肌の色を隠していたことが知られています。そんなオベロンが長年素性を隠し続けた母の祖国インドから、ボリウッド映画『RRR』がアカデミー賞作品賞リストに載った2023年、ついに主演女優賞にアジア系俳優が選ばれたのです。

merle oberon
Henry Guttmann Collection//Getty Images
マール・オベロンはインド出身で、インド人の母と英国人の父の間に生まれたものの、公式には「オーストラリア生まれの英国女優」としていた。写真は『ヘンリー八世の私生活』(1933)より。

主演女優賞87年ぶりのアジア系俳優のノミネートにして史上初の受賞者となったミシェル・ヨーは、バレエダンサーとして名門英国ロイヤルバレエスクールに学び、その後香港映画でスタント俳優としても活動。その身体能力を活かし、その場で脚本も振付も決めていくことで有名な香港の現場で自らを鍛えていきました。

「007シリーズ」の『トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997)では、当時としては非常に意義のあった「ボンドと渡り合うボンドガール」を演じて、その名が知られるようになりました。また『クレイジー・リッチ・アジアン(※)』ではスタントではなくストレートプレイでの力量を見せつけ、一気にハリウッドでの関心が高まったのを憶えている人も多いはずです。

  • ※ わざわざ「アジアン」を除いた邦題は、差別的だとする見方もあるため原題で記載します。

『ティファニーで朝食を』の悪名高い日本人役をはじめ、かつて白人が演じていた多くのアジア人キャラクター――。「『アジア人は(能力的に)不十分だから』と言われたものさ。でも見てごらん!(そんなは全くないよ)」、これは先日SAG賞の舞台上でキャスト賞を『エブエブ』が授賞した際、父親役を演じた今年94歳になるジェームズ・ホンが放った言葉です。ミシェル・ヨーの受賞発表は、1929年生まれのアジア系俳優が味わった辛酸がようやく報われた瞬間でもあったかもしれません。