1985年のハイン・S・ニョール(『キリング・フィールド』)以来、38年ぶりとなるアジア系受賞の快挙を達成しました。
「オー・マイ・ゴッド! 本当にありがとうございます。私の母は84歳です。家から観てくれています。母さん、オスカーを獲ったよ!」と、歓喜の声を上げるとこう続けました。
「私の旅路は、ボートからはじまりました。1年難民キャンプで暮らしました。そうしてなんとか、遂にここまできました。よくこう言われます。『そんな話は、映画だけの話だよ』と…。まさかそれが私に起こるとは、信じられません。これこそがアメリカンドリームです。
人生最高の名誉ある賞をお贈りいただいたアカデミー、そして私をここまでたどり着かせるため、数多くの犠牲を払ってくれた母親に感謝しています。そして、弟のデイヴィッドにも。彼は毎日私のことを気遣って連絡してくれました。愛してるよ、ブラザー。A24にも、(監督のふたり)ダニエルズ、ジョナサン(・ワン)、ジェイミー(リー・カーティス)、ミシェル(・ヨー)、そして『グニーズ』以来生涯の友、ジェフ・コーエンにも感謝します」
最後に名前を出したジェフ・コーエンは、『グーニーズ』(1985)でクァンとは子役同士共演し、のちに弁護士に転向。『エブリシング~』出演時、彼のマネージングを務めました。
そして最後に、妻の支えが大きかったことを示す言葉で締めくくります。
「ここに至るまでの全ては妻、エコーのおかげです。彼女は毎月、毎日、この20年間、『いつかあなたの時代が来るわ』と言い聞かせてくれました。夢は抱き続けなければならないものだと…。自分の夢を諦めかけたときもありました。皆さんにお願いです、どうか夢を諦めずに生き続けてください。本当にありがとうございます。私をこの世界に再び迎えてくれてありがとう! 私はあなたたちを愛しています。本当にありがとうございます!」
彼は以前から俳優としてのカムバックに関して、「ミシェル・ヨーらオール・アジア系キャストで実現させた大ヒット映画『Crazy Rich Asians(邦題:クレイジー・リッチ!』(2018)の存在が後押ししてくれた」と語っていました。まさにあの作品は、蝶の羽(規模的にはモスラの羽クラスでしたが)のひと振りだったというわけです。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』で彼が演じ分けたのは、「α male(アルファ男性)」と「β male(ベータ男性)」を思わせる役。いわば、ひと握りの勝ち組とその他負け組の構図です。生き残るのはαであり、βは彼らに制圧される(べき)とする…マチズモ(男性優位主義)と暴力と筋肉が支配する世界。
当然のことにように皆が受け入れている非常にアメリカ的な「αを目指す闘争の世界」を否定した物語であり、ハリウッドでヒーローになるはずもなかったキー・ホイ・クァンのような俳優がオスカーを手にしたことはまさに、「サル山のてっぺんに上らなくても、人間は認められるのだ」というメッセージを送ることになりました。
その点からも『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の登場は、アメリカ映画界の歴史的転換点になるのかもしれません。