2023年カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞し、3月10日に控える米国アカデミー賞でも、非英語作品でありながらも作品賞含め5部門にノミネートされている秀作。同時に本国フランスでは、130万人を動員し興行的にも成功した大ヒット作となりました。

『逆転のトライアングル』(2022年パルム・ドール受賞。2作連続受賞の快挙)で、“人種”と“男女”のパワーバランスを残酷なコメディに仕上げた当時のカンヌ映画祭審査員長リューベン・オストルンドをして、「衝撃的な体験」と言わしめたまさに“衝撃作”でもあります。

落下の解剖学 anatomy of a fall, anatomie d'une chute,
Aflo
応募数からも映画ファンの期待が窺えた『落下の解剖学』

「法廷劇のように見えて、従来と見せ方が全く異なっている」(小川編集長)本作は、ミステリーと見せかけた夫婦の物語。なぜ同じ職業をもち、ともに理解し合える完璧なはずの夫婦が、片方の死と言う形にいたるまで破綻していったのか? その過程を掘り下げていく、「小説的」という意味で非常に“ロマンティック”な作品です。そのため、もちろん小津安二郎的なカメラワーク、コノテーションの詰まった選曲(許可が下りず使用できなかったというドリー・パートンの“ジョリーン”含め)などなど、映画の要素分析がいくらでも可能な作品ではあるものの、何が物語られているのかを読み解くことも重要だと考えました。

そこでエスクァイア日本版は、男女の関係を現代的に鋭く見つめる作家、鈴木涼美さんに白羽の矢を立て、GAGA本社にて特別先行上映会と同時にトークイベントを同時開催しました。およそ10倍の応募から選ばれた観客を前に、小川和繁編集長と対談。夫婦とは? 作家とは? 映画分析とは異なる視点で、この作品を考察することに。

落下の解剖学 鈴木涼美
Wataru Yoneda

プライドと男らしさと

終盤、激しいやり取りで明かされる夫の言い分に対しては、「自分自身で決めた選択に文句を言っている。思わず妻の味方をしたくなる」「プライドで自縄自縛に陥っている」という意見で合致した両名。

鈴木さんは、妻のほうが圧倒的な成功を収めたことで起こる夫婦の葛藤に関して、名作『スタア誕生』やリメイク版『アリー/ スター誕生』、与謝野晶子・鉄幹ら作家夫婦など、さまざまな実例を引き合いに出し、男性が人生の伴侶の成功を前に自壊していく背景に見え隠れする妻への競争心や焦燥など、“内在化させた有害な男らしさ”について話題に。

「私が子どもの頃、父はまだポスドク(博士研究員)のような立場で、母はコピーライターなどをして一家を養っていました。私の送迎も父がやっていて、この(劇中の)家庭と似たような状態でしたね…。父の仕事がたまたまうまくいったからよかったですが、少し違っていたら、こうなっていたのかも…とも思いました」と、自身の貴重な体験も披瀝しました。

落下の解剖学 鈴木涼美
Wataru Yoneda
鈴木さん

奇しくも同じくカップルで脚本を共作、女性のほうが監督を務め、第96回アカデミー賞作品賞候補となっている『バービー』。先に夫が成功を収めたノア・バームバックとグレタ・ガーウィグ夫妻が仲良く数々の取材対応をこなしている一方で、監督ジュスティーヌ・トリエがインタビューで漏らした「(脚本を書いている間)死人が出るのではないかと思った」という発言も話題にのぼりました。制作過程でのカップルのぶつかり合いもまた、激しいものだったことがうかがえます。

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フィクションが現実を破壊する―作家という仕事

後半では作家という創作活動に焦点を当て、トークが進行。「劇中の『私はいつも曖昧に描く。フィクションが現実を破壊できるように』というセリフに衝撃を受けました」と言う鈴木さんは、「現実世界がこれだけ厳しいのなら、フィクションで現実を超えられなければ(書く)意味がない」と自らの仕事を振り返るきっかけになったと言います。

それを受け小川編集長は、「技術の進化もあり素晴らしいドキュメンタリーがNetflix等でこれまでになく製作・配信されるようになったからこそ、フィクションとしての映画はこれまでにない質や工夫が求められるのではないでしょうか」など、鈴木さんと映画製作そのもについての意見を交わしました。

パルム・ドール受賞時のジュスティーヌ・トリエ監督と共同脚本を手掛けたパートナーのアルチュール・アラリ  palme d or winners photocall the 76th annual cannes film festival
Pascal Le Segretain//Getty Images
2023年5月、パルム・ドール受賞フォトコールの場に、パートナーを呼び寄せたジュスティーヌ・トリエ監督

熱烈な映画ファンを含む参加者からも、鋭い質問が飛んだ会場。先のカンヌでは次点グランプリ作品『関心領域』でも主演しているザンドラ・ヒュラーに関して、キャリア最高潮に達しているように見える彼女の演技について質問が飛びました。

これに対し、「フランス人のトリエ監督と前作(『愛欲のセラピー』)に続き起用したザンドラとは、よほど相性がよかったのかなと思います。数カ国語を使い分けることはもちろん、悪女にも見えるし、いい人にも見えるほんのちょっとした表情がこの作品を支えている」(鈴木さん)、「“美人女優”という枠に収まらない彼女は、とてもチャーミングなのに、同時に恐ろしくも見える。何を考えているのかわからない――こういった俳優は、最後までゴールを見せないこういった映画にとって大事ですね」(小川編集長)と回答。

落下の解剖学 エスクァイア日本版 鈴木涼美トークイベント
Wataru Yoneda
小川編集長

「『落下の解剖(英題:Anatomy of a Fall)』というタイトルをどう捉えているか?」という質問に鈴木さんは、原題の「Anatomie d’une chute」の”chute”が「失敗・失墜」の意味合いが強いという意見を引き合いに出しながら、「夫婦の破綻劇の側面がタイトルから読み取れるようになっているのは素晴らしい。でも『落下』としたのは(ミステリーとしての)作品の性質を考えても日本語タイトルとしてこれで良かったのではないか」と、タイトルの重要性を思い知る売れっ子作家として見解を語りました。 

現代フランスを代表する作品のひとつとなるに違いない『落下の解剖学』。恐ろしく緻密に練り上げられたストーリーは、あらゆる角度からの考察が可能です。間違いなく見逃せない作品となるでしょう、ぜひ劇場でご覧ください。

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GAGA
 
 
『落下の解剖学』(2024年2月23日日本公開)

監督:ジュスティーヌ・トリエ  
脚本:ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ
出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツ 
配給:ギャガ
上映時間:152分
©2023 L.F.P. – Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne‐Rhône‐Alpes Cinéma

公式HP  
X: @Anatomy2024

鈴木涼美
Wataru Yoneda
鈴木涼美/作家1983年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒業後、東京大学大学院学際情報学府で修士課程を修了。その後、日本経済新聞で記者として働き退職後の現在は作家として活動。小説第一作『ギフテッド』が第167回芥川賞候補、第二作『グレイスレス』が第168回芥川賞候補となっている。その他の著書に、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』『愛と子宮に花束を 夜のオネエサンの母娘論』『おじさんメモリアル』『ニッポンのおじさん』『往復書簡 限界から始まる』(共著)『娼婦の本棚』『8cmヒールのニュースショー』『「AV女優」の社会学 増補新版』『浮き身』『トラディション』などがある。最新刊『YUKARIが2月1日に発売されたばかり

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婚約者との結婚を控え、何の不自由もなく暮らしていた紫。あるダンサーとの過ちを機に、高校時代に惹かれた柿本先生に手紙を出すことに。そこでつづられるのは、幾度となく先生が話してくれた『源氏物語』のことだった――。