この記事はBEEF/ビーフ』に関する重要なネタバレを含みます。

これまでスティーヴン・ユァンが、「バーガーキングのチキンサンドイッチを4つ、いっぺんに食べているところを見たい」なんて思ったことはありましたか? もしくは、アリ・ウォンが自分の携帯電話に向かって銃を向けるのは? そう、このドラマで自身の具体的な希望がかなった人もいるでしょう。『BEEF/ビーフ』は、NetflixとA24の新しいシリーズで監督はイ・ソンジンが担当し、現実離れした大げさな表現やクリエイティブな罵倒、バンド・インキュバス(Incubus)のカバー曲などが盛り込まれています。もちろん『BEEF/ビーフ』には、苦境に立たされている建設業者のダニー・チョウを演じるユァンと、家族のために完璧な外見を維持している起業家のエイミー・ラウを演じるウォンが出色の演技を見せています。

ですが、シリーズが終わりに差し掛かる頃には、あなたの目には「ジョセフ・リー演じるジョージ・ナカイこそが『BEEF/ビーフ』最大のブレイク俳優だ」と映るはずです。ジョージはラウの愛する夫であり、自身のアイデンティティ危機に苦しむ彫刻家です。「彼は最終的に、自分自身のアイデンティティをしっかりと把握していない存在なんです」と、35歳のリーはZoomインタビューで語りました。「彼は、自分自身の男らしさを見つけることに苦労しています。周りの人々と、はっきりとした『境界』を持つことができません。ドラマを通じて、彼が初めてそれらの『境界』を形成しようとする努力を見ることができます」

シーズン終盤でのジョージの最大の山場について思いを馳せると、私たちはリーに尋ねる必要がありました。番組での私たちが大好きなあのシーン、「椅子の祝祭(celebration of chairs)」についての情報や例の病室のシーン、そして『BEEF/ビーフ』の容赦ない存在論的な問いに対する彼の見解についてです。

joseph lee
Timothy Fernandez
『BEEF/ビーフ』のショーランナーであるイ・ソンジンについて、「彼は私たちの心に落とす陰の部分の隅々に目を届かせ、理解できる人なのです。そして最後には、私たちはただ人間の物語を伝えることになるのです」と語ります。

エスクァイア: 『BEEF/ビーフ』を見始めた途端、「この男は私をイライラさせるだろうな」と思いました。脚本を初めて読んだとき、ジョージについてどう思いましたか?

ジョセフ・リー: それはあなたが言ったとおり、妥当な意見です。脚本を初めて読んだとき、私は彼が愛するもの、芸術、家族への純粋な子どものような心を見ました。彼はその愛を見せることを恐れません。私は笑顔をつくり出し、喜びに満ちた子ども時代の衝動に再びつながっているような気がしました。家族への愛について自分自身を判断しないようにしました。そして、それについておどけたりしました。だから、そのようにジョージを演じることはとても解放的でした。

エスクァイア:番組の登場人物は皆、それぞれの怒りと闘っています。ジョージは自分の怒りにどのように向き合っていると思いますか?

JL:健康的な方法ではありませんよね。彼は自らの外見と仮面をつくり上げることに固執しています。それは彼が自らの怒り、自己のアイデンティティ、自己の存在の必要性を抑圧せざるを得ないという形で現れています。人間の本性上、抑圧し続けることは限界があり、爆発する前に抑え込んだ感情が噴出するものです。

ジョージはダニーを通じて、結婚への信頼と人々への楽観的見方を失ってしまいました。彼に残されたのは、自分が何を大切にし、本当にどのような存在であるかという疑問だけです。

エスクァイア:『BEEF/ビーフ』での、アジア系アメリカ人であるそれぞれの登場人物の捉えられ方がとても新鮮でした。彼らは不平等や社会的な期待など、全ての人間が抱える問題と格闘しています。

JL:その点で言えば、(ショーランナーの)ソニー(=イ・ソンジン)には感謝せざるを得ません。彼は素晴らしい仕事をしています。芸術においては、より個人的な要素を取り入れるほど、より普遍的なものになると思っています。ソニーは、これらの問題が文化や階級によってどのように形成され、良い面と有害な面の両方で姿を現すのかを示すため、一層深く切り込んでいます。彼は私たちの心の闇の隅々を本当に理解できる人なのです。最後には、私たちはただ人間の物語を伝えようとしているだけだと知ることになりました。

エスクァイア:『BEEF/ビーフ』はとてもダークですが、同時にとても笑えます。笑わせられたシーンの一つは、あなたとアリ・ウォンが口論している場面で、「これは椅子の祝祭だ!」と言う場面です。

JL:あのセリフは元々の脚本には含まれていませんでした。シーンは順調に進んでいたのですが、さらなるアクセントが必要だったようです。あるところまでテイクを撮ったところで、私がソニーに目をやると、彼はじっと考え込んでいました。すると、おもむろに顔を向けてあの台詞を試してみるようにと言うのです。なので試しにやってみたのですが、みんなが大爆笑(笑)。最初の本番テイクでは私は笑いすぎてしまってうまくいかなかったほどです...。あのシーンのために最初に行ったケミストリーリード(※)では、アリと私の間には即座に理解と信頼が生まれていました。面白すぎて私は途中で現場から出て、車の中で興奮を抑えるために呼吸を調えに行ったほどです。このシーンがどれだけ楽しいものになるか、アリのダンスパートナーとして自分がどれだけエキサイティングな存在になるか、がわかったからです。

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Timothy Fernandez
世界中に響いたトンネルでの銃声について、リーはこう語っています。「彼は本能的に反応し銃を発射します。そして、その後どうなったのかは観た人のお楽しみですね」とのことです。"

エスクァイア:『BEEF/ビーフ』では、他人同士が本当の気持ちを吐露し合う場面がたくさんあります。ジョージとユァン演じるダニーのシーンでは、彼らが兄弟のようになり、ダニーがジョージの芸術に非常に感情的な反応を示す場面があります。あのシーンの演技はどうでしたか?

JL:私はあの瞬間、ジョージに本当の意味で共感することができた気がします。なぜなら、私も美術家だからです。ある程度、すべての芸術家は自分自身や自分の作品に対して不安を抱えています。だから、誰かから今すぐ承認がほしいと思う気持ちは、心から理解できまし…。緊張しながら座って、作品を見て観ている人がそれを好きになってくれることを願うのです。人生で最も興味深くドラマチックな瞬間は、必ずしも壮大な状況から生まれるわけではありません。それらは、非常に日常的な出来事から生まれるのかもしれません。それについて語りたくなり、心が熱くなるもの。それがときにあなたを興奮させ、何らかの反応を引き出すのです。

エスクァイア:フィナーレについて話しましょう。ダニーがジョージをノックアウトするシーンの撮影について、教えてください。

JL:あれは本当に大変な撮影でした。幸いにも壁には保護パッドがあり、何度か繰り返し撮影しました。セットにはスタントコーディネーターがいて、武器や小道具、安全に配慮しながらの撮影です。彼は細かい動きについて詳細に指示し、常に私たちの安全を確保しましたが、実際の動きに関してはかなりのスピードでした。ダニー役のスティーヴンと私は、スムーズに自然な動きに見えるかどうか、試しながらいろいろと動き回りました。スタントコーディネーターがいたので、本当に戦っているように見えるかどうか客観的にアドバイスしてくれました。そして、壁に頭を打ちつける場面では、できるだけ本物に見えるようにしましたね。初めてあのシーンを見直したとき、本当に驚きました。とても楽しいシーンだったのですよ。

エスクァイア:ジョージがエイミーに離婚を求めたとき、彼にとって「最後の一線」となったものは何だと思いますか?

JL:彼は自分を守っていた壁が崩れ、何が本当の自分なのかわからなくなった状態にいました。ジョージはダニーを通じて、結婚への信頼と人々への楽観的見方を失ってしまいました。彼に残されたのは、自分が何を大切にし、本当にどのような存在であるかに対しての疑問だけです。彼は生まれて初めて自分自身のために立ち上がる必要があると思い知り、決断するのです。それこそが彼を次の行動に駆り立てるものです。ソニーと彼の脚本から得られる教訓は、彼ら二人が同じような欠点を持ち、この破滅的な関係において双方に責任があるということです。

エスクァイア:第9話では、エイミーとダニーがジョーダンの家で人質になっている間やその後の様子が描かれていますが、ジョージが置かれた状況については気になりました。ジョージはジョーダンの家にいる エイミーから電話を受けた後、どうすると思いますか?

彼は起こったすべてのことを受け止めながら、自分自身を立て直して最終的に行動に移す準備をしていると思います。その瞬間、彼は多くのダメージを受けます。さらにその上で、彼は父親としての役割も果たさなければなりません。

エスクァイア:ジョージはエイミーを追いかけたのでしょうか? それとも、もう完全に彼女とは踏ん切りをつけたのでしょうか?

彼は初めて「自分自身を守る必要がある」という気づきを得たと思います。彼はあらゆる面で、彼女からのルール違反を体験しています。また彼が父親であり、ジューンを守らなければならない現実から逃れることはできません。彼の最優先は父親であることだと思います。その後、彼はエイミーを求め探すことになります。具体的な計画があるわけではありません。彼は、すぐに見つけるつもりで銃を持って駆け回っているわけではないと思います。しかし最後、ダニーを見つけたときに彼は遠くから、「ダニーがエイミーを傷つけている」ものだと信じます。そして彼は、本能的な反応で銃を発砲します。それからの先は、ただ成り行きを見守るしかありません。

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「トラウマは、自分自身と出自の延長線上にあるもの。それは単にその時、その人に限定されるものではありません。これはソニーが深く掘り下げる重要ポイントのひとつですが、世代を超えたトラウマは移民の物語に特有なものです」

エスクァイア:初めてあのシーンを読んだとき、どう思いましたか?

JL: 私も他の人たちと同じく驚きました。ジョージの状況を曖昧にして、観客に自分自身の結論を熟考させるのかと思っていました。ですが、そのページを開いてジョージの名前を読んだ瞬間、私は完全に驚き、非常に驚いたけれども顔いっぱいに大きな笑顔が広がりました。

エスクァイア:最後のシーン、つまりエイミーが病院のベッドにダニーのそばに入る場面について、どのように感じましたか?

JL:ええ、本当に泣いてしまいました。そうですね、とても美しいシーンでした。素晴らしい脚本です。私はエピソード全体を通じて泣いていました。それは本当に和解であり、さらには相互理解です。彼らはお互いに自分自身を見つけることができ、そのためにお互いの欠点を含めて受け入れ合う瞬間があります。彼らは自分自身をさらけ出し、自己防衛やエゴを捨ててお互いと一緒にいることができる、本当の意味での繊細さと透明性がそこには存在しているのです。これは、ソニーがこの混沌とした状況をうまくまとめるために考えついた美しい方法です。

エスクァイア:エイミーとダニーが話している内容に共感しました。親となった人々が放つネガティブな感情は、世界全体に影響することがあるということです。

JL:トラウマは、自分自身と出自との延長線上にあるもの。それは単にその時、その人に帰属するものではありません。これはソニーが深く掘り下げる重要ポイントのひとつですが、世代を超えたトラウマは移民の物語に特有なものです。アジア系アメリカ人として私自身も、それに苦しんでいます。

言葉にするのは難しい――文化的にまだまだタブー視されている面も多いので、自分自身すらたやすく傷つけてしまいがちです。このようなドラマのプロジェクトに関わることで、人々がそれを少しでも受容し、自分自身の体験について対話することができるようになれば…それには癒し効果もあると思います。結局のところ、芸術の本質とは癒しなのではないでしょうか。

From: Esquire US