[目次]

▼ カポーティvs白鳥たち:社交界の裏切り

▼ 「小さな恐怖」の伝説

▼ 小説が事件となったあらまし

▼ 舞台上から退場する宮廷道化師

▼ 1984年、カポーティは59歳で亡くなる

▼ カポーティが遺したもの

▼ 結論を言えば、このドラマは教訓的な物語


1950年代半ば、作家のノーマン・メイラーはトルーマン・カポーティを「肝っ玉の小さい男」と言いつつ、「私の世代で最も完璧な作家であり、全ての単語、全ての韻律において最高の文章を書く」と評しました。さらに彼は、「私が知っているどんな優れた作家よりも口が堅い…。それは、彼自身が社交界に魅了されているからだ」と付け加えています。そう、社交界に入り込むには何よりも、余計なことを話さないことが大切だったのです。

このシリーズの原案者であるライアン・マーフィーは、表面的な美しさと洗練の裏に隠された混沌とした人間の複雑性と、コンプレックスに魅力を感じることで特に有名です。そんな彼が、文学界から生まれた偉大な最後のセレブの一人--カポーティが公然と表舞台からの別れを告げる話を題材に選んだことは、驚くにはあたりません。

カポーティvs白鳥たち:社交界の裏切り

2024年1月31日(水)にアメリカのFXで(エピソード1“Pilot”とエピソード2“Ice Water in Their Veins”の2話)放送から始まり、Huluで配信されているアンソロジーシリーズ「フュード/確執」の第2弾、『フュード/確執 Capote vs. The Swans(カポーティvs白鳥たち)』がそれであり、カポーティと社交界の友人たちとの関係を台無しにした短編小説『ラ・コート・バスク、1965年*⁴』を題材にしています。

最初の2つのエピソードを観ると、人の動きはそう大きくありません。ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り*⁵』というよりは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫*⁶』に近いと言えます。カポーティの大きな裏切り――『ラ・コート・バスク、1965年』で仲間たちの恥を暴露し、親友にしてテレビ・ラジオネットワーク会社「CBS」の創設者兼会長のウィリアム・S・ペイリーの妻だったベイブ・ペイリー*⁷から即座に絶交されたこと――それ以外は、このドラマシリーズが関心を寄せているのは“衰退していく世界”でしょう。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
FEUD: Capote Vs. The Swans | Season 2 Finale Trailer - Phantasm Forgiveness | FX
FEUD: Capote Vs. The Swans | Season 2 Finale Trailer - Phantasm Forgiveness | FX thumnail
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ここでは全てが一体となり、つながっています。

ペイリー(劇中、ナオミ・ワッツ扮する)、リー・ラジヴィル(同キャリスタ・フロックハート)、そしてナンシー・"スリム"・キース(同ダイアン・レイン)といった、カポーティ(同トム・ホランダー)が "白鳥たち"と呼んだ女性たちが生きるハイソサエティな世界がそこに展開しています。

マナー、エチケット、思慮深さにあふれるこの閉鎖的な世界は、セレブリティたちに熱い視線が注がれた1970年代には時代遅れに思えます。そこに存在する彼女たちの無垢(むく)さ、そして時に貪欲なまでの嗜好(しこう)・知性・権力を求める行動からは、「自分たちの時代はすでに過ぎ去ったしまった」という自覚が感じ取れます。

「彼女たちは1920年代に育ち、1930年代には結婚していました」--この『フュード/確執 Capote vs. The Swans』8エピソードのうち、6話のメガホンを取ったガス・ヴァン・サント監督は語ります。

「彼女たちは1960年代までに崩壊していた世界の産物だったのです。つまり、それは1800年代が崩れ去ったようなものです。1970年代になるとスタジオ54*⁸のような、社交界のイベントは自由奔放になりました。それまでの美術館でのディナーのような、ヒエラルキーとは無関係になったのです」

しかしながらそこで、カポーティがいかに友人を売り渡したかという点からは、目が離せません。カポーティの友人であり、当時米『エスクァイア』に定期的に原稿を寄せていたドットソン・レーダー*⁹は2024年1月、私にこう語ってくれました。

「トルーマンは友人を裏切る裏切らないなど、気にしたことはない思いますよ。彼は作家であるのと同時に、ジャーナリストでもありましたから。私はこれまで多くの記事を書いてきましたが、自己保身の傾向が強い人物の記事を書くときのひとつのテクニックとして、自分をその人物の友だちのように表現する方法をとります。とは言え、ジャーナリストとしての宿命なので批判的なことも書きます。すると彼らの多くは、腹を立てます。でも、それがわたしたちの仕事なのです」。

これは実に人々の興味をかき立てるストーリーであり、そこで『エスクァイア』が大きな役割を果たしました。当時の同誌スタッフの多くはもう編集部には残っていませんが、私たちは彼らを探し出し、その顛末(てんまつ)を聞き出すことにしました。

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Slim Aarons//Getty Images
トルーマン・カポーティは、「ラ・コート・バスク、1965年」が生み出した悪評に自ら酔いしれ、『エスクァイア』は恥じることなくこれを利用した。

「小さな恐怖」の伝説

アーネスト・ヘミングウェイを除けば、カポーティは巷(ちまた)の人々にとって20世紀で最も知名度の高いアメリカ人作家でした。カポーティの名声が最高潮に達したのは1966年、それは『冷血*¹⁰』が大ベストセラーとなった年です。彼はその年の11月、ニューヨークの象徴的高級ホテルであるプラザホテルで「Black-and-White Ball(黒と白の舞踏会)*¹¹」なる仮面舞踏会を主催します。

レーダーはこれを「歴史上、作家によって行われた唯一にして最大の非文学的自己宣伝行為」と呼んでいます。カポーティは気取っていました。このイベントで注目すべきは舞踏会がどうのこうのではなく、誰が招待されたか…さらに重要なのは、誰が招待されなかったかでした。

1958年に発表した小説『ティファニーで朝食を』はカポーティの最も有名な作品であり、この小説も『エスクァイア』に掲載されました。当初は『ハーパーズ バザー』に寄稿する予定でしたが、経営陣の交代によって取りやめとなりました。新しい編集者が「内容がきわどすぎる」と判断したのです。カポーティはその後、リチャード・アヴェドンのポートレートを添えた詩人エズラ・パウンドへの賛歌*¹²など、いくつかのコラムも寄稿しました。

同誌は『冷血』の出版と同時に、「黒と白の舞踏会」のために1号を丸ごと割き、彼を特集しました。彼の人物評を複数掲載し、ある記事では彼を称賛し、ある記事では「たわ言ばかり言っている」と批判したのです。その対立のさせ方は、まるで果たし合いのようでした。

作家のワイアット・クーパー*¹³--ちなみに彼は現在ジャーナリスト兼ニュースキャスターとして活躍するアンダーソン・クーパーの父親です-は、かつてカポーティについて「彼は神自身の想像力の貧しさをも向上させる」と語っています。つまりクーパーは、カポーティの創造力は非常に豊かで、神の創造をも超えるほどの力を持っていると賛辞しています。

カポーティ『Answered Prayers(日本では『叶えられた祈り』)*¹⁴』が雑誌『ニューヨーカー*¹⁵』ではなく、『エスクァイア』に掲載されたのはなぜでしょうか? レーダーは後に、作家ジョージ・プリンプトン*¹⁶にこう語っています。

「当時のトルーマンは読者の高齢化を非常に心配し、読者層の若い雑誌に掲載したがっていました。私はある日、彼に『ニューヨーカー』の購読者を人口統計学的に見たときに『最も多い職業を知っているか?』と尋ねたのです。彼が『知らない』と言ったあと、私は『歯科医だ』と答えました。そして、『君の読者は歯が痛くて、ドリルで歯を削られるのを待っている人たちさ』って言いました」。

エスクァイア・パブリッシングの当時社長を務めていたギルバート・チャップマンは、こう語っています。

「『ニューヨーカー』が掲載を辞退したことを知っていました。私の記憶では、それはあまりにも物議を醸す内容だったのです。社内の評議会も、『エスクァイア』での掲載を望んではいませんでした。ですが、私とスタッフのドン・エリクソンは掲載することを訴えたのです。当時この雑誌は“注目されること”を切実に必要としていたので、この作品を掲載すればそれが手に入ると思ったのです。特に広告主から」。

お金は問題ではありませんでした。同誌はカポーティの『ラ・コート・バスク、1965年』に対して2万5000ドル(当時の為替で約760万円)という、それまで払ってきた原稿料の中で最高額を提示したのです。

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Esquire
『ラ・コート・バスク、1965年』のファイルカード

小説が事件となったあらまし

当時のカポーティは自分に対して寄せられる大きな期待に、プレッシャーを感じていました。彼は1958年以来小説『叶えられた祈り』について、「自身の最高傑作」などと執筆中をアピールし続けていました。が、原稿を見せたわけでもなく、結局、彼の頭の中にしか存在していませんでした。

しかし、『エスクァイア』の小説部門の編集者ゴードン・リッシュ(別名“キャプテン・フィクション”)がカポーティに同誌への寄稿を持ちかけたところ、彼は承諾しました。1975年初め、彼は集中して数週間で『モハーベ砂漠*¹⁷』を書き上げました。『冷血』以来、重要な作品を発表していなかった彼は不安に駆られ、同誌の編集者であるドン・エリクソンに仕事場のキーウェストまで来てもらい、その場で読んでもらったのです。そこでカポーティはプールサイドに座り、原稿を読むエリクソンをじっと見ていたと言います。

この作品が熱烈な批評家の支持を得たことで、カポーティの緊張は和らぎました。喜び、驚く『エスクァイア』に対し、カポーティはさらなる提案をしました。リッシュはカポーティの伝記作家ジェラルド・クラーク*¹⁸にこう語っています。

「私たちは、他の人たちが長い間得られなかったものをトルーマン・カポーティによって得ることができ、それは喜びと驚きで腰を抜かすほどでした」

そうして次に、この『ラ・コート・バスク、1965年』という爆弾が落とされたのです。

1975年の夏、カポーティはひと泳ぎしようとロングアイランドにあるグロリア・ヴァンダービルト*¹⁹とワイアット・クーパー夫妻の家にクラークを連れて行きました。当時ヴァンダービルトとクーパーは、ヨーロッパに旅行中でした。クラークがこの作品を読んでいる間、カポーティはプールにエアマットを浮かべて漂っていました。

当時、世界はオイルショックの真っただ中でしたが、水温は約摂氏32度に温められていました。読んだクラークはこの物語の背後に、いくつか現実の出来事があることを読み解き、カポーティはその隠れた部分を彼に教えました。するとクラークは、カポーティに「友人たちはこの話を喜ばないだろう」と忠告するのですが、彼はこう言い返します…。

「いやぁ、彼女たちは頭が悪すぎるから、それらが自分たちだってわからないだろう」。

作家は作品を書く過程で、人との友情を犠牲にする必要はありません。私にはこの行為は、意図的かつ不必要な自己破滅に思えました。

それまでカポーティは、そんな間違いを犯したことはあったでしょうか――白鳥たちの何人かはすぐに、それに対して断固とした反応を示しました。カート・ヴォネガット*²⁰やノーマン・メイラーといったカポーティの作家仲間でさえも、驚きを隠しえませんでした。

メイラーは、「彼がこれほどまでに無謀だとは思ってもみませんでした。彼は大胆なのではなくて軽率でした」と語っています。そして、「それまでも私は、彼の大胆な行動を何度も見てきました。とても大胆でしたが、軽率なことはありませんでした」。

作家のウィリアム・スタイロン*²¹は、カポーティの行動自体が理解できませんでした。「作家は友情を壊すなんてことをしなくても(物語を)書けるものです。私には故意の破壊行為に見えました」。

ところが『エスクァイア』のスタッフたちは皆、自分たちがこれから何を掲載しようとしているのか、実のところその内容についてわかってはいませんでした。リッシュは私にこう語っています。

「私は『ラ・コート・バスク、1965年』に、なんの興味もありませんでした。それは私が担当したフィクションとは全く異なっていたからです。私はカポーティが好きで、彼の前ではよくウォッカを飲みすぎたものですが、『叶えられた祈り』騒動には最初から最後まで反対でした。この作品に登場する人物の素性については、事実であれ噂であれ関心はありませんでした。実際、私は出版される前も後も、あの作品は読んでいません」。

編集者のリー・アイゼンバーグ*²²は「私たちはこの作品が、これほど大騒ぎになるとは全然思っていませんでした」と、メールに書いてきました。「リズ・スミス*²³が雑誌『ニューヨークマガジン』でこの作品を扱ったときに初めてわかりました。騒ぎはエスクァイアの広報チームが起こしたわけではありません。正直に言って彼らは、ベイブ・ペイリーの名前がベイブ・ザ・ブルー・オックス*²⁴から取られたものであることも知りませんでした」。

トルーマン・カポーティ
Ron Galella//Getty Images
カポーティとC.Z.ゲスト*²⁵(左)。右側にいるのはこちらも社交界を思う存分利用したことで有名な当時の『ヴォーグ』編集長ダイアナ・ヴリーランド*²⁶。1968年撮影

『ラ・コート・バスク、1965年』は、10月初旬に発売された『エスクァイア』1975年11月号に掲載されました。しかしリズ・スミスが翌年の『ニューヨークマガジン』の2月9日号*²³でこの実話をもとにした小説の登場人物が、誰をモデルにしているのかを解き明かすまで、『エスクァイア』の編集部はこの作品の重大性を十分に理解していなかったのです(このスキャンダルの賞味期限がいかに長かったかを、今考えてみるのは興味深いことです)。

1975年11月号は『エスクァイア』で唯一完売した号であり、これは前代未聞のことでした。当時の社長ギルバート・チャップマンは、「私ではないのですが、『エスクァイア』のとても頭のいい誰かが、これまでのようにニューススタンドから返品された雑誌を破棄せず、われわれのオフィスに送り返すようニューススタンドの組合と取引を結びました。みんなオフィスにやって来て雑誌を買っていきました。私はそれが雑誌のためになると喜びました。どれくらい続いたのかはわかりませんが、一時期には定期購読者も増え、ニューススタンドでの売り上げも伸びました。大きな販売促進になりました」。

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Esquire
1975年11月号は、『エスクァイア』誌で唯一完売した号であり、これは前代未聞のことでした。

舞台上から退場する宮廷道化師

1978年に肺がんで亡くなったベイブ・ペイリーは、カポーティを決して許しませんでした。小説家のジョン・ノウルズ*²⁷はこう振り返っています。

「カポーティは、社交界とのコネクションと大成功という巨大な建物を築き上げましたが、それが一夜にして崩れ去ったのです。問題は、彼に社会的な地位がなかったことです。そして彼には、家族がいませんでした。彼は単なる飾りであり、頼るものが何もなかったのです。カポーティに何をしても、他の誰かを仲間はずれにすることにはならないため、彼を一夜にして表舞台から降板させることができたのです。カポーティはただ1人で、そこにいたのです」。

ペイリーとスリム・キース*²⁸から敬遠されたことを彼が悔やんだとしても、カポーティはそれ以上に、この作品が生み出した悪評に酔いしれました。そして『エスクァイア』もそれを恥じることなく、大いに利用しました。

1976年5月号に次の作品である『まだ汚れていない怪獣*²⁹』が掲載され、カポーティは黒い服を着て、ナイフを振り回して表紙*³⁰を飾ります。今回の寄稿では、キャサリン・アン・ポーター*³¹やテネシー・ウィリアムズ*³²といった文学者がターゲットになりましたが、カポーティはこの作品でも本人たちが嫌がるような秘密を暴露しました。

それにしても、そもそもなぜ白鳥たちは彼を信用したのでしょうか。カポーティは1957年に『ニューヨーカー』掲載の「The Duke in His Domain*³³」で演技の神とも言えるマーロン・ブランドを痛烈にこき下ろした男なのです。「あの愚かな女性たちは作家が何をする人間だと思っていたのでしょう」というのはカポーティに忠誠を誓い続けた白鳥の1人、C.Z.ゲスト(劇中、クロエ・セヴィニー扮する)の言葉です。「もちろん彼は遅かれ早かれあの素材を使うつもりでした。でも私はカポーティに重要なことは何も言いませんでした」。

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『フュード/確執 Capote vs. The Swans(カポーティvs白鳥たち)』でカポーティを演じるのは、トム・ホランダー(トム・ホランドとは別人です)。

「人は自分が“特別な存在”だと、自分に言い聞かせたがるものです」と、この『フュード/確執 Capote vs. The Swans』の脚本家ジョン・ロビン・バイツ*³⁴は私に言いました。

白鳥たちの一員でしたが、この作品の中では主要な登場人物ではないマリア・アグネリ*³⁵とグロリア・ギネス*³⁶、この二人がこう言います。

「あなたはどうかしている。このことがどういうことかわからないの? 彼が何をしているのか、彼がどんな人なのかわからないの? 私は、彼を信用していない多くの人たちと話をしたわ。マイク・ニコルズ*³⁷は私にこう言ったのよ、『トルーマンは人を傷つけるために嘘をつく唯一の人間だ』って」。

1984年、カポーティは59歳で亡くなる

晩年の10年は鎮痛剤とウォッカ、ろくでなしの恋人たちに溺れ、生活はほぼ荒廃していましたが、70年代後半に短編集『カメレオンのための音楽*¹⁷』を書くなど、頭がはっきりしていた時期もありました。彼は白鳥たちのの代わりに、ジョアン・カーソン(劇中、モリー・リングウォルド扮する)*³⁸、ビリー・ワイルダー*³⁹やジャック・レモン*⁴⁰、ウォルター・マッソー*⁴¹の妻たちのようなハリウッドの友人たちと付き合っていました。

その1人、キャロル・マッソー*⁴¹は前出の作家プリンプトンに、「『ラ・コート・バスク、1965年』の話が、彼を破滅させたわけではありません」と語っています。

「トルーマンにとって、その時の人々や、十分な遺産や背景を持っているので金持ちである必要がない人々の道化師であることは、ただのジョークだったのです。彼はそれをよく理解していました。作家とは、タイプライターの後ろにいる別人でもあります。なのでトルーマンがタイプライターの後ろにいるとき、ベーブ・ペイリーはベーブではありません。彼は、その結果がどうなるかを知っていたとしても、それらの記事を書いていたでしょう。彼は誰よりも勇気があったのです」

では、あれだけの騒ぎを引き起こした『叶えられた祈り』は、結局のところどうなのでしょうか? カポーティの友人でもある作家ドットソン・レーダーは、「(公表されていない他の)原稿は存在していた」と信じています*⁴²。「貸金庫に保管している」とか、「偶然にも、リムジンに置き忘れてしまった」という説もあります。

カポーティの死後、前出のカポーティの伝記著者ジェラルド・クラーク、カポーティの弁護士アラン・シュワルツ*⁴³、ランダムハウス*⁴⁴の書籍編集者であるジョー・フォックス*⁴⁵が原稿を探し回りましたが何も見つかりませんでした。そうして『Answered Prayers: The Unfinished Novel』というタイトルで死後に出版され、一部のファンを楽しませています。ですが、カポーティが思い描いていたような傑作ではないと言えるでしょう。

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Esquire
"1975年11月号に掲載された「ラ・コート・バスク、1965年」のページ。

カポーティが遺(のこ)したもの

なぜ私たちは、今もカポーティのことを気にしてしまうのでしょうか。カポーティは彼と同じ時代に生きた多くの著名な作家、ソール・ベロー*⁴⁶やジョン・アップダイク*⁴⁷、ゴア・ヴィダル*⁴⁸よりも長く人々の記憶にとどまっています。

『フュード/確執 Capote vs. The Swans』の脚本家バイツは、わかりやすい表現でこう答えます、「私たちはみんなイカロスの物語が好きだから…」と。イカロスはギリシャ神話に出てくる若者で、蝋(ろう)付けした翼で自由に飛べるようになったものの太陽に接近しすぎたせいで蝋が溶け、墜落して死んでしまう運命です。

カポーティの場合は『冷血』の栄冠の後、「アルコール依存症、本能の赴くままの行動、病気へと続く気晴らしの大洪水」がやって来ました。それは単に天賦の才や能力が失われるということではなく、人間の輝きの喪失でもあります。

「優秀な観察者がちょっとしたこじらせにより、以前より劣ったバージョンに成り下がりました。そしてそれは、公衆の面前で。つまり彼自身が、この失脚の原因そのものであり、それを見守る聖人(せいじん)でもあったのです」

結論を言えば、このドラマは教訓的な物語

私たちが守っているのは、自らの才能なのでしょうか? それとも自分の幸福なのでしょうか? 愛を示したら、その相手を気遣わなくてはいけないのでしょうか? カポーティと白鳥たちは互いに容赦しませんでした。彼女たちは非情な世界に生き、そのせいでみんなが苦しんだのです。

最後に、カポーティの最後の言葉に触れておきましょう。

wake up one morning and feel that I was at last a grown-up person, emptied of resentment, vengeful thoughts, and other wasteful, childish emotions. To find myself, in other words, an adult.

「ある朝目覚めたとき、やっと成熟できたと感じたい。憎しみや復讐(ふくしゅう)心、その他の無駄で幼稚な感情から解放されたと感じる。つまり、言い換えるなら、それは大人になった自分を見つけることだ」

Translation: Yoko Nagasaka


[脚注]

*1:Norman Kingsley Mailer(1923年1月31日生~2007年11月10日没) アメリカの小説家、ジャーナリスト、劇作家、そして政治活動家。新しいジャーナリズム(New Journalism)の先駆者の1人としても知られており、その手法を用いて、文学的な手法とジャーナリスティックな調査を融合させた作品を多数発表した。

*2:Truman Garcia Capote(1924年9月30日生~1984年8月25日没) アメリカの小説家で、その独特の文体と鋭い社会観察眼で知られている。『 Other Voices, Other Rooms(邦題:遠い声 遠い部屋)』(1948年)、『Breakfast at Tiffany's(ティファニーで朝食を)』(1958年)などの作品で広く認知されているが、特にノンフィクション小説『In Cold Blood(邦題:冷血)』(1966年)で最高傑作として評価されている。ドキュメンタリー『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』をAmazonプライムで観る

*3: Ryan Murphy(1965年11月30日生~)脚本家、監督、そしてプロデューサーとして「glee/グリー」や「アメリカン・ホラー・ストーリー」シリーズなどの人気テレビドラマを手掛けてきたことで広く知られている。

*4:「La Côte Basque(ラ・コート・バスク)」は、ニューヨークで当時のセレブリティが集まった高級フランチレストラン。有名店「Le Pavillon(ル・パヴィリオン)」のオーナーだったフランス人Henri Soulé(アンリ・スーレ)が1959年(1958年という記録もある)に開店。客を厳しく選んだことでも知られ、2004年に閉店。このレストランでランチをしながら、他の客たちについて陰口をたたくという展開でつづられているのが『エスクァイア』1976年11月号に掲載した『LA COTE BASQUE 1965』。彼の死後、未完のまま発売された『Answered Prayers: The Unfinished Novel』では、第3章で『La Cote Basque』として掲載されている。

*5:原題は『Sunset Boulevard』。1950年に公開されたアメリカの名匠ビリー・ワイルダー監督のクラシックなフィルム・ノワール。ハリウッドの虚栄心や落ちぶれたスターの悲哀を鋭く描き出している。Amazonプライムで観る

*6:原題は『Il gattopardo』。1963年に公開されたイタリアの映画で、巨匠ルキノ・ヴィスコンティが監督を務める。19世紀半ばのシチリアを舞台に、イタリア統一運動(リソルジメント)時代の社会的、政治的変動を背景に没落する貴族の物語を描いている。Apple TV+で観る

*7:Babe Paley(1915年6月5日生~1978年6月6日没)本名はBarbara Cushing Mortimer Paley(バーバラ・クッシング・モーティマー・ペイリー)。20世紀半ばのアメリカ社交界のアイコンであり、スタイルの象徴として広く知られている。そして、CBSの創設者兼会長であるウィリアム・S・ペイリーの妻である。

*8:Studio 54は、1970年代後半から1980年代初頭にかけてニューヨーク市マンハッタンに存在した伝説的なナイトクラブ。1977年に開業し、その豪華かつ過激なパーティー、厳格な入場制限、そしてセレブリティやファッション界の人々、アート界の著名人が頻繁に訪れることで有名になった。

*9:Dotson Rader(1942年6月25日生~)はアメリカの作家であり、トルーマン・カポーティの友人でもある。

*10:原題は『In Cold Blood』。1966年に出版されたノンフィクション小説で、1959年にカンザス州ホルコムで起こったクラッター家4人の殺害事件を詳細に描写。カポーティはこの本に6年を費やし、真犯罪ジャンルの先駆けとして評価されたが、いくつかの事実の不一致が指摘されている。​日本語版『冷血』(新潮文庫)をAmazonで購入

*11:Black-and-White Ballは、1966年11月28日にニューヨークのプラザホテルで開催された伝説的な仮面舞踏会。『冷血』の成功を自ら祝うため、カポーティ自ら企画。招待されたゲストは白黒のドレスコードに従って出席し、当時の著名な作家、政治家、社会界、芸能界のセレブリティが一堂に会した。2024年2月にCBS Sunday Morningで放映された「Candice Bergen on Truman Capote's storied Black and White Ball」を参照

*12:classic.esquire.comの当該ページを参照

*13:Wyatt Emory Cooper(1927年9月1日生~1978年1月5日没) は、アメリカの作家、脚本家、俳優であり、1963年にジャーナリストで作家のグロリア・ヴァンダービルト*¹²と結婚し、彼女との間に二人の息子をもうけました。彼の息子の一人が、CNNのジャーナリストであるアンダーソン・クーパー。

*14:原題は『Answered Prayers』。実在の人物をモデルにして、上流階級の人々の猥雑(わいざつ)な姿を描く。主人公は自身がモデルとされるP.B. Jones。彼の視点を通じて、高級社会の偽善、秘密、性的な冒険を描写している。「未完の作品」とされているのは、1975年から1976年にかけて、米『Esquire』誌にいくつかの章を先行して発表。これらの公開は大きな波紋を呼び、カポーティの社交界での地位に影響を及ぼしたため、全てをつづれなかったとされる。彼の死後、1992年にはこれらの公開された章やその他の断片を集めた形でRandom House(ランダムハウス)*³⁹から出版されたのが『Answered Prayers: The Unfinished Novel』。 日本語版が『叶えられた祈り』(新潮文庫)。Amazonで購入

*15:The New Yorker』は、1925年に創刊されたアメリカの週刊雑誌。深みのあるジャーナリズム、シャープな評論、独創的なフィクション、ユーモア、そして風刺的なカートゥーンで高く評価されている。また、新しい作家や詩人を紹介する場としても知られており、カポーティもその一人。ちなみにカポーティは高校卒業後、この雑誌の一員として働き、この時期を通じて執筆技術を磨きかけたとされる。

*16:George Ames Plimpton(1927年3月18日生~2003年9月25日没) アメリカの作家、編集者、ジャーナリストで、特に「参加型ジャーナリズム」の先駆けとして知られている。彼の最も有名な作品に、プロのフットボールチーム「デトロイト・ライオンズ」とのトレーニングに参加し、その経験を基にした『Paper Lion(紙のライオン)』がある。また、文芸雑誌『The Paris Review(パリ・レビュー)』の共同創設者兼編集者としても知られている。

*17:原題『Mojave』。のちにこの『モハーベ砂漠』は『叶えられた祈り』の第2章になる計画だったが、カポーティ本人が外すことを決め、フィクションとノンフィクションを織り交ぜた短編作品集『カメレオンのための音楽』(1980年)に短編として収録された。カメレオンのための音楽』(ハヤカワepi文庫)をAmazonで購入

*18:Gerald Clarke(1937年6月21日生~)アメリカの作家・ジャーナリストで、トルーマン・カポーティの伝記『Capote: A Biography』(1988年)、ジュディ・ガーランドの伝記Get Happy: The Life of Judy Garland』(2000年)で知られる。日本語版のカポーティ』(文藝春秋)をAmazonで購入

*19:Gloria Laura Vanderbilt(1924年2月20日生~2019年6月17日没)は芸術家、作家、女優、相続人、ソーシャライト。ジーンズの初期のデザイナーとして知られる。あの高名な海運王・鉄道王ヴァンダービルト家の一族であり、前出のワイアット・クーパーの妻でもあった。

*20:Kurt Vonnegut(1922年11月11日生~2007年4月11日没) アメリカの小説家、エッセイスト、劇作家。

*21:William Styron(1925年6月11日生~2006年 11月1日没)アメリカの小説家で、その作品で深い人間性と複雑な歴史的テーマを探求したことで知られています。彼の小説はしばしば、個人の苦悩や社会的、道徳的な問題を扱っています。

*22:Lee Eisenberg(1946年6月22日生~)アメリカの編集者であり、作家。1970年代から1980年代にかけて、『エスクァイア』の編集長も務める。

*23:Liz Smith(1923年2月2日生~2017年11月12日没) 『New York Magazine』に掲載された当該ページを参照

*24:Babe the Blue Ox アメリカやカナダの民話に登場する巨人のきこり、ポール・バニヤンが連れている巨大で力持ちの青い牛。

*25:Lucy Douglas "C.Z." Guest(1920年2月19日生~2003年11月8日没) アメリカの社交界の著名人、ファッションアイコン、園芸家。そのエレガントなスタイルと上流階級の生活様式で知られ、20世紀半ばのアメリカにおいて顕著な存在。

*26:Diana Vreeland(1903年7月29日生~1989年8月22日没)1937年に『ハーパース・バザー』に加わり、1939年からの約25年間ファッション・エディターとして活躍。1962年にはライバル誌である『ヴォーグ』に移り編集長に就任。1971年まで編集長を務めた。

*27:John Knowles(1926年9月16日生~2001年11月29日没) アメリカの小説家で、最も有名な作品に1959年に出版された『A Separate Peace(別れの夏)』がある。

*28:Nancy "Slim" Keith, Lady Keith of Castleacre(1917年7月15日生~1990年4月16日没)

*29:短編『Unspoiled Monsters』未完の作品『Answered Prayers』に含まれる予定であっだ章の一つ。『Answered Prayers』の日本語版『叶えられた祈り』(新潮文庫)では、第1章で「まだ汚れていない怪獣」(Amazonで購入)というタイトルで組み込まれている。classic.esquire.comの当該ページを参照

*30: Esquire 1976年5月号の表紙を、classic.esquire.comの当該ページで参照

*31:Katherine Anne Porter(1890年5月日生~1980年9月18日没)アメリカの小説家、短編作家。洗練された文体と深い洞察力で知られている。代表作は短編小説集『Pale Horse, Pale Rider』(1939年)、長編小説『Ship of Fools』(1962年)。短編小説集『The Collected Stories of Katherine Anne Porter』(1965年)で、1966年にはプーリツァー賞を受賞した。

*32:Tennessee Williams(1911年3月26日生~1983年2月25日没)20世紀を代表するアメリカの劇作家で、『The Glass Menagerie(ガラスの動物園)』( 1945年)、『A Streetcar Named Desire(欲望という名の電車)』(1947年)や『Cat On a Hot Tin Roof(熱いトタン屋根の猫)』(1955年)などが代表作

*33:The New Yorker 1957年11月2日号の当該ページを参照

*34:Jon Robin Baitz(1962年11月4日生~) アメリカの劇作家、脚本家、テレビプロデューサー。

*35:Marella Agnelli(1927年5月4日生~2019年2月23日没)イタリアの貴族家系出身の社交界の名士。フィアットの会長であったGianni Agnelli(ジャンニ・アニエッリ)の妻としても知られている。彼女は美術コレクターとしても著名で、その洗練されたセンスとファッションアイコンとしての地位で20世紀の社交界において大きな影響を与えた。

*36:Gloria Guinness(1912年8月27日生~1980年11月9日没)メキシコ出身の社交界の名士。1963年から1971年まで『Harper's Bazaar』誌の編集者としても活動。その美しさと洗練されたファッションセンスで知られ、20世紀のファッションアイコンとしても高く評価された。

*37:Mike Nichols(1931年11月6日生~2014年11月19日没)ドイツ生まれのアメリカの映画監督、コメディアン、舞台監督。映画『卒業』や『バージニア・ウルフなんかこわくない』などが代表作。

*38:Joanne Carson(1931年10月20日生~2015年5月8日没) アメリカのテレビパーソナリティ。ジョニー・カーソンと1963年に結婚し、1972年に離婚しました。ジョニー・カーソンが『ザ・トゥナイト・ショー』のホストとしてジョニー・カーソンが名声を博した時期に、彼と結婚していたことでメディアの注目を集めた。

*39:Billy Wilder(1906年6月22日生~2002年3月27日没)オーストリア出身でアメリカで活躍した映画監督、脚本家。代表作には『 The Lost Weekend(失われた週末)』(1945年)、『Sunset Blvd.(サンセット大通り)』(1950年)、『 The Seven Year Itch(七年目の浮気)』(1955年)、『The Apartment(アパートの鍵貸します)』(1960年)などがある。

*40:Jack Lemmon(1925年2月8日生~2001年6月27日没) アメリカの俳優で、20世紀の映画界を代表するスターの一人。映画『Mister Roberts(ミスタア・ロバーツ)』(1955年)でアカデミー賞の助演男優賞を受賞し、その後も多くの賞を受賞。代表作に『Some Like It Hot(お熱いのがお好き)』(1959年)、『アパートの鍵貸します』(1960年)などがある。

*41:Walter Matthau(1920年10月1日生~2000年7月1日没)アメリカの俳優。コメディとドラマの両方で幅広い才能を示した。特にジャック・レモンと共演した数々の映画で知られている。中でも印象深いのは、『The Bad News Bears(がんばれ! ベアーズ )』(1976年)のコーチ、モリス・バターメーカー役。1948~1958年の配偶者は女優・作家のCarol Grace(キャロル・グレイス)で、当時の彼女はCarol Matthau(キャロル・マッソー)と呼ばれていた。

*42:現在、出版されている『Answered Prayers: The Unfinished Novel』では、『エスクァイア』ですでに発表している「Unspoiled Monsters」「Kate McCloud」「La Cote Basque」の3つの章しかありませんが、カポーティは他の章のタイトルも挙げ、「執筆した」と語っていたとのこと。ただし、その真偽は不明。ちなみに日本語版の『叶えられた祈り』(新潮文庫)では、「まだ汚れていない怪獣」、「ケイト・マクロード」、「ラ・コート・バスク」からなる。

*43:Alan U. Schwartz アメリカの弁護士で、特にエンターテインメント業界の法律問題における専門家として知られている。彼はトルーマン・カポーティの友人であり、カポーティの法的問題を扱うなど、個人的にも職業的にもカポーティと深い関係をもつ。カポーティの遺産を管理するTruman Capote Literary Trustを1994年に設立し、Paramount Pictures Corporationなどに対して著作権に関する訴訟を起こしている。

*44:Random House(現・Penguin Random House) アメリカの大手出版社の一つで、1927年に設立。フィクション、ノンフィクション、児童書、クックブック、辞書など、幅広いジャンルの書籍を出版している。2013年に大手出版社ペンギン・グループ(Penguin Group)と合併し、ペンギン・ランダムハウス(Penguin Random House)となる。カポーティは1966年に、ランダムハウスと『Answered Prayers』という書籍を出す契約を結んでいた。そして「未完のまま」という形容で『Answered Prayers: The Unfinished Novel』として、カポーティの死後1992年に発売。※版によって、「Unspoiled Monsters」、「La Cote Basque」、「A Beautiful Child」または、「Mojave」で構成されているものも。「A Beautiful Child」に関しては『エスクァイア』に掲載はない。この章では、カポーティの親友の一人であるマリリン・モンローとの関係を掘り下げている。

*45: Joseph M. Foxランダムハウスで編集者として、特にトルーマン・カポーティの作品に関わった。『Answered Prayers』のプロジェクトに携わった主要人物として知られる。The New York Timesでの彼の記事を参照

*46:Saul Bellow(1915年7月10日生~2005年4月5日没)カナダ生まれのアメリカの作家。代表作はThe Adventures of Augie March(オーギー・マーチの冒険)』(1953年)、『Henderson the Rain King(雨の王ヘンダソン)』(1959年)、そして『Herzog(ハーツォグ)』(1964年)。1976年に、ノーベル文学賞を受賞している。

*47:John Hoyer Updike(1932年3月18日生~2009年1月27日没)アメリカの小説家・詩人・短編作家・美術評論家。アメリカの中産階級の生活を描くことで特に有名で、その鋭い社会的洞察と精緻な文体で読者を惹(ひ)きつけた。作品の中で最も知られているのは、「ウサギ」シリーズ。このシリーズは主人公のハリー・"ウサギ"・アングストロームの一生を追っている。ピュリッツァー賞を『Rabbit is Rich(金持になったウサギ)』(1981年)と『Rabbit at Rest (さようならウサギ)』(1990年)で2度受賞している。

*48:Gore Vidal(1925年10月3日生~2012年7月31日没)小説家・エッセイスト・劇作家・俳優・政治評論家として広く知られる。歴史的なフィクションと現代小説の両方におよび、「ナレーションズ・オブ・エンパイア」シリーズでよく知られている。代表作は『The City and the Pillar(都市と柱)』(1948年)、『Myra Breckinridge(マイラ)』(1968年)、『Lincoln(リンカーン)』(1984年)など。

From: Esquire US