作家や芸術家と言われるとお酒を片手に、社交の場に登場したり執筆活動の最中の姿を想像する方も少なくないはずです。これは少々勝手なイメージかもしれませんが、文学界で語り継がれる著名人たちの実生活を振り返れば、彼らを語る上で「酒」は切っても切れない存在であり、その多くがアル中に近い大酒飲みだった(もしくは大酒飲みと思われたい人物であった)…と言ってもいいでしょう。
そんなわけで、『The Great Gatsby(グレート・ギャツビー)』の著者F・スコット・フィッツジェラルドや『Breakfast at Tiffany's(ティファニーで朝食を)』の著者トルーマン・カポーティなど、『エスクァイアUS』でも執筆を重ねていた作家たちを中心に、そんな彼らのお気に入りのカクテルについて解説していきます。
※上の写真は1959年4月、キューバのハバナにあるジョーズバーにて。映画『Our Man in Havana(ハバナの男)』撮影に合間に、出演中の英国の俳優であり劇作家・作曲家でもあるノエル・カワードと語らうアーネスト・ヘミングウェイ。
アーネスト・ヘミングウェイ
まずは今も大人気の作家である彼から…。1954年に『老人と海(1952年)』でノーベル文学賞を受賞した、アメリカ出身の作家アーネスト・ヘミングウェイです。彼の代表作には『日はまた昇る(1926年)』、『武器よさらば(1929年)』、『エデンの園(1986年)』などが挙げられますが、これらを読んだことがないという方でも彼の名前ぐらいは聞き覚えがあるでしょう。
第一次世界大戦後、カナダのトロントで「Toronto Star」紙でフリー記者を務めたのち、特派員としてパリに渡ります。行動派だったヘミングウェイは、世界中を旅して周り、その過程で地元の好みにも適応したのです。キューバでは「ダイキリ」、パリでは「アブサン」、フロリダ州キーウェストではジンとココナッツウォーターを楽しんでいたそうです。「教会、宮殿、広場を忘れて」が彼のモットーであり、「本当に文化を知りたいのなら、最寄りのバーに行ったほうがいい」と語っています。
ヘミングウェイは逞(たくま)しい体型の持ち主であり、かつて巨大な枝を頭だけで真っ二つにしたという逸話もありますが、「ホワイトレディ」(ジン、オレンジリキュール、ライムジュース)などの、フルーティーなカクテルも好んでいました。また、ラム酒をダブルにした砂糖抜きの「フローズンダイキリ」や「モヒート」を愛飲していた話は有名ですが、ウイスキーのソーダ割などもお気に入りだったということです。
F・スコット・フィッツジェラルド
1974年にロバート・レッドフォード、2000年にトビー・スティーブンス、2013年にレオナルド・ディカプリオが主演を務め映画化された、『グレート・ギャツビー』の著者として知られているF・スコット・フィッツジェラルド。この作品は1925年に発表され、それから96年経った2021年現在でも大きな影響を与え続けています。その証拠に2021年1月には、『グレート・ギャツビー』のドラマシリーズ化する話が出ていると報じられています。
生前に発表した長編小説はたった4作品にすぎないものの、後世に大きな影響を与え続けているフィッツジェラルドも、文学史上特に有名な酒好きの1人です。彼の妻であり同じく作家であるゼルダ・セイヤーと共に、彼は狂騒の20年代に多くのお酒を飲んでいました。
2人の作家は大理石の噴水で夜に水泳をしたり、パジャマで別荘のパーティーへ参加するなど、お酒の影響を受けながら奇想天外な夜を楽しんでいたそうです。
フィッツジェラルドは、「息が臭くならない」という理由からジンを好んでいました。中でも彼が幼いころに発明された「ジン・リッキー」は、お気に入りのカクテルの1つでした。ジン、ライム、ソーダでつくる、シンプルでスタイリッシュなカクテルです。またクリーム系のリキュール「ベイリーズ」に、ジン、グレープフルーツジュース、ミントのカクテルをグラスの縁に砂糖をつけて飲むのも好みでした。
トルーマン・カポーティ
オードリー・ヘップバーン主演の映画『ティファニーで朝食を』(1961年公開)の作者で知られる、トルーマン・カポーティ。この作品は『エスクァイア』1958年11月号で発表され、1958年10月28日にランダムハウス社から書籍が出版されています。
彼は作家としてだけでなく、上流階級や芸術家との広い交流によって高い注目を浴びていた存在でした。1966年に発表した『冷血』の完成記念には、ニューヨークの一流ホテル「プラザ・ホテル」で仮面舞踏会を開くなど、貧困な家庭で育ったカポーティは華々しい世界へ足を踏み入れると、着実に成長していったのでした。
しかし、お酒は常に手放せず、かつてゴールデンタイムで放送しているテレビシリーズに出演した際もお酒にかなり酔った状態で出演し、批判を浴びる一面もありました。
そんなカポーティは、コーヒーとタバコで目覚めるのが好きでした。しかし午後には、コーヒーがミントティーへと変わり、シェリー酒、最後にマティーニ…といった具合でシフトしていったそうです。「私は常に、何かをしなければいけない性分なんです」と彼は当時語っています。
『冷血』に続く待望の新作『叶えられた祈り』は、1970年代中頃に『エスクァイア』に連載しましたが、その内容はスキャンダラスなもので激しい議論を巻き起こしました(のちに未完のまま、1986年に書籍として出版)。そうしてカポーティは社交界から追放され、自ら築き上げた交友関係や世間のイメージを手放したのでした…。
チャールズ・ブコウスキー
ドイツ系アメリカ人の詩人チャールズ・ブコウスキーは、第一次世界大戦後のドイツの経済崩壊によりアメリカへと移住していきました。しかし、カリフォルニア州ロサンゼルスで新たな生活を築き上げたブコウスキーの少年時代は、平凡とは程遠いものでした。ブコウスキーが自身の幼少期から青春時代までを描いた長編小説『Ham on Rye(「くそったれ! 少年時代」)』を書き終えたのは1982年、60歳を過ぎてからのこと。「あの時期を振り返るには、長い時間と隔たりが必要だった」と、ブコウスキーは後のインタビューで語っています。
ブコウスキーは、いつでもお酒を飲むことを手放しで歓迎していました。「何か悪いことが起こったときは、それを忘れるために飲む。何か良いことが起こったとき、それを祝うために飲む。何も起こらなかったら、何かが起こるように飲むんだ」とのこと。
彼のお気に入りは、「ボイラー・メーカー」でした。グラスにビールを注ぎ、その中にウイスキーで満たしたショットグラスを落とし入れるカクテルです。紳士な飲み物とは言えません。言わばワイルドでパンチのあるお酒です。
テネシー・ウィリアムズ
『ガラスの動物園』(1945年)、『欲望という名の電車』(1947年)『熱いトタン屋根の猫』(1955年)で知られる劇作家テネシー・ウィリアムズは、他に類を見ない現代社会における「伝統的な男性」の重要性を探求した作家です。同性愛者であり、複雑な家庭環境で育った影響もあってウィリアムズは、孤独や恐怖心から逃れるためにお酒が手放せない生活をおくっていました。そんな彼はアルコールで得られる安心感に感謝しており、「私がこの悪魔を失えば、私の中の天使さえも失われる」と自らのお酒への愛について語っています。
そんなウィリアムズが頼りにする飲み物は、「ラモス・ジン・フィズ」でした。このカクテルはジン、生クリーム、卵白、ライムジュース、砂糖、オレンジの花水を混ぜ合わせたもの。そして、よくホイップされているものを好んでいました。
この「フィズ」は、ウィリアムズが長らく暮らした地であり、『欲望という名の電車』など戯曲の舞台にもなっているニューオーリンズの名物。その地でこのカクテルは、今日に至ってもウィリアムズに敬意を表して提供され続けています。
Source / ESQUIRE NL