2000年代初頭、アメリカでは「アバクロンビー & フィッチ(アバクロ)」ほど大きなハイストリートファッションブランドはありませんでした。1999年、カジュアルでプレッピーな服装と、ナイトクラブスタイルの店舗で『Steal My Sunshine』に合わせて飛び跳ねるトップレスのメンズモデルの組み合わせは、同社に10億4000万ドルの利益をもたらしました。

Netflixの新たなドキュメンタリー映画『ホワイト・ホット: アバクロンビー & フィッチの盛衰(原題:White Hot: The Rise & Fall of Abercrombie & Fitch)』に登場する元マーチャンダイザーの1人は、「『野球帽に犬の糞とロゴを描いて、40ドルで売ればいいのさ』と言われた」と語っています。

1892年以来、エリート向けのアウトドアスポーツの小売店として存在してきたこのブランドは、1992年に新CEOのマイク・ジェフリーズが着任したことにより、変貌を遂げました。

ジェフリーズは、実業家ジェフリー・エプスタインの親友である小売業界の大物レスリー・ウェクスナーによって迎え入れられ、このビジネスを世界的な現象に変えるための壮大かつ偏ったビジョンを持っていました。

「アバクロ」の繁栄

「伝統 + エリート主義 + セックス + 排他的 = $$$」

「これはジェフリーズの成功へ導くための方程式だ」と、ドキュメンタリーの中である人物が言っています。ジェフリーズは、「アバクロンビー & フィッチ」の上流階級に愛されてきたという伝統を活用し、それをセクシーと融合させます。そして、意図的に排他的にします。この方程式をつくることで、ブランドを誇りあるクールなものにしようとしたのです。

もう一つの大きな動きは、有名な写真家ブルース・ウェーバーを起用し、非常にセクシーなモノクロのキャンペーンを行ったことです。このキャンペーンはジェフリーズの思惑通り成功しました。

さらにアバクロは商業主義でポップカルチャーを侵食し、LFOのヒット曲Summer Girls』からもその名を知られるようになります。そうして絶頂期を迎えました…。「I like girls who wear Abercrombie & Fitch / I’d take her if I had one wish(アバクロンビー & フィッチを着てる女の子が好き/デートしたいのに)」というフレーズが印象的な曲です。

where is abercrombie and fitch ceo mike jeffries now
David Pomponio//Getty Images
アバクロの店頭を飾るモデルたち(2005年ニューヨーク店オープン時)。

アバクロ衰退の理由

しかし人々は、LFOの曲と同様に「何か変だ!」と徐々に気づき始めるのです。

キャンペーンや店頭で上半身裸のまま笑顔でいる大学生や、健康的でアウトドア派の女の子を前面に配置していましたが、そこで「なぜみんな白人なのか?」 という疑問が浮上してきたのです。

当時、店舗で働いていた人から、こんな証言も得ています。それは、「ドレッドヘアーは禁止」ということ。そして、当時アルバイトをしていた黒人の女性は、「なかなかシフトに入れなかった」と話します。掃除や窓ふきなどの夜勤シフトばかり入れられた彼女は、店長にシフトを増やすように頼むと、「昼は間に合っている」と断られたということです。その後も、店頭に出られるように店長に直談判するも断られ、その後店から連絡がくることは二度となかったそうです。

高慢なインタビュー記事

2006年にジェフリーズは『Salon』誌の奇妙とも言えるインタビューに応じ、彼が描くブランドの目標について語ったとき、事態は本格的な危機に陥ります。彼は次のような、驚くべき発言を残しているのです。

「私たちはクールキッズを追い求めているんです…ほとんどの人は(私たちの服装に)なじまないし、なじめない」「私たちは排他的か? もちろん、そうです」「イケメンはイケメン同士を引き合わせるものであり、私たちはクールなイケメンに売り込みたいのです。それ以外の人には売り込みません」ということ。

このインタビューは引き金となり、「狂気の天才」とも評されるジェフリーズの行動に眉をひそめる人が続々と出始めました。そして、ドキュメンタリー映画に登場する元社員によれば、「彼の“若さ”を追い求めているように見える整形は、その始まりに過ぎなかった」とも言っています。

『Salon』誌によると、ジェフリーズは回転ドアを2回通り、階段の吹き抜けで社員とすれ違うことはなく、駐車場では毎日同じ角度でポルシェを駐車(キーは座席の間、ドアはロックなし)。そして、財務報告を読むときのために履く『幸運の靴』を持っているとのことです。

それよりも不思議なこととして、ジェフリーズは会社のGulfstream G550プライベートジェットを無制限にアクセスできるよう引き継ぎ、その機内では男性モデルをキャビン・クルーとして働かせていました。そしてその全員にコロンも含め、頭から足先まで全身アバクロでコーディネートするよう要求していたのです(そこには、全員が従わなければならない40ページにも及ぶ厳格なルールがあったという話もあります。その他の一例として、「フィル・コリンズの曲『Take Me Home』を、帰国のための離陸の際には必ず飛行機のサウンドシステムで再生する」があります)。

そして、その奇行ぶりはさらにエスカレートし、パイロットまでも若いモデルへと交代させるのです(そのモデルが、飛行機の操縦士技能証明を持っていたのかは定かではありません)。そのことはジェフリーズに対する訴訟のひとつとなり、それは示談(法廷外で和解)となっています。その後、これらに関わった同じモデルたちは、ジェフリーズ宅のホームヘルパーとしても採用されているのです。

人種差別的なTシャツの販売

2005年には、アバクロの人種差別的なTシャツのスローガンをめぐる抗議が起こります。「Wong Brothers Laundry Service: Two Wongs make it White(洗濯屋のウォン兄弟:2人のウォンが白くする)」と描かれたTシャツには、差別的なアジア人の姿が描かれています。また、「Juan More For the Road(帰路の前にもう一度<ホワン・モア・タイム>」と描かれたTシャツには、メキシコの伝統的な帽子「ソンブレロ」 とロバのイラストで描かれていました。

こうした差別的商品は、多くのアジア人学生を中心に怒りを買ってデモも起きます。その後、9人の元従業員が原告となりました。そこでアバクロ側は罪を認めませんでしたが、この人種差別事件は5000万ドルで和解に終わっています。

そうしてジェフリーズがつくり上げた「クール」なブランドは、彼の指の間をあっという間にすり抜けていったわけです。数々の問題やスキャンダルが続いたあげくジェフリーズは、2014年にはCEOの座を退くことになるのでした…。

2022年の「アバクロンビー & フィッチ」は、包括性をブランドメッセージの重要な部分としたことで、Z世代消費者の間で新たな成功を収めています。トップレスのモデルが店の外に立っていた時代は、もうとうの昔に終わっています。

マイク・ジェフリーズは今どこにいる?

「アバクロンビー & フィッチ」が大暴落する中、ジェフリーズはニュース専門放送局CNBCのコントリビューターでもあるジャーナリストのハーブ・グリーンバーグから「2013年最悪のCEO」の烙印を押され、同社の株価が年間で40%も暴落するも持ちこたえていました。そして辞任が発表されると、株価は8%も跳ね上がります。

ジェフリーズは退任直前、パートナーのマシュー・スミスを経営に引き入れます。ジェフリーズはそれ以前にスーザン・ハンセンと結婚し、一人の子どもがいましたが、スミスをジェフリーズ・ファミリー・オフィスの代表に据えたのです。

ちなみにウェブメディア「Buzzfeed」の記事で、スミスは従業員からこう評されています。「ハンサムで洗練された英国人で、パートナーの同僚には礼儀正しく振る舞い、ときどきメールの最後に『with every kind wish』と書き添える癖がある。ジェフリーズより少し親しみやすく、気立てがいい」と。

そしてジェフリーズ夫婦は現在、オハイオ州で3匹の犬と暮らしており、77歳のジェフリーズはほとんど公の場から姿を消しています。彼に関する最後の情報は、「2016年にマンハッタンの自宅を2000万ドルで売りに出した」というもので、しばらく資金不足に陥ることはなさそうです。

さて彼は、自らの求める“クールな永遠の若さ”を手に入れているのでしょうか? おそらくそれは、このまま自身もわれわれも…一生わからないままでしょう。

Netflixで観る

※ネットフリックスのドキュメンタリー映画『ホワイト・ホット: アバクロンビー&フィッチの盛衰』は2022年4月19日(火)より配信スタート。

Source / ESQUIRE UK
※この翻訳は抄訳です。