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史上最高の「優れたセックス映画」15選【15位~6位】

セックスを材料に、何を描くか。それが問題です。

By Kevin Maher & Alex Hess
優れたセックス映画
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「優れたセックス映画」、その条件とは何か? 青春レズビアンドラマから、セックス依存症の過酷な描写、そして褌(ふんどし)まで――人間のささやかな体験であるセックスについて描かれた、史上最高のセックス映画のカウントダウンにようこそ。

簡単に言うと、これらはセックスをすることについて最も比重を置いて物語っている映画であり、スクリーン上の肉体関係とヌードに対するわれわれの態度が、数十年の間にどのように変化してきたかの歴史をも示しています。

さあ、気持ちよく(comfy)、いや、気持ちよくなりすぎないように楽しんでください。 

5位~1位はこちら

『危険な情事』(1987)

危険な情事
Getty Images

1980年代は特に、筋肉隆々の男たちがマシンガンを手に荒ぶる作品がスクリーンを席巻していました。一方で現実世界のオフィスやビジネスセンターを舞台にした映画も多く、そこでは女性たちが主役となって(恋にも仕事にも)自らの征服物語を展開していました。

そうしてこれまで、家事をメインに行うことがイメージされていた主婦層の人々が記録的な数でオフィスの労働者として加わっていったのがちょうどこの頃になります。そして、いわゆる「アップルパイ・アメリカ(American as apple pie=典型的なアメリカ)」と呼ばれるアメリカの伝統的な家族モデルは廃れていくのでした…。そうしてアメリカは、モラル・パニックに陥ります。

当時、60年代に承認され便利なピル(経口避妊薬)を代表とする避妊という行為がポジティブに受け止められるようになった時期でもあり。女性たちはこれまでなかったほどの性的自由を得ることにもなり、その後、このパニックが解決される糸口は見出されるともなく時代は進んでいきます。

そんな背景のもとハリウッドは、この新しいアメリカンライフの典型となる恐るべき魅力を原型に、全く新しいジャンルを生み出すことになりました。つまり、「力をつけたキャリアウーマン(the empowered career woman)」のイメージを…です。経済的に自立し、魅力的で、かつ男性のように性的に自由な女性の恐ろしさを描き出し、それを量産していきます。その好例が、映画『氷の微笑』と言っていいでしょう。

そしてこの映画、『危険な情事(原題はFatal Attraction=破滅的な魅力)』です。こちらは史上初のエロティック・スリラーではないにせよ、人々の意識に本当の意味で突き刺さった最初の作品であることは間違いありません。その年(1987年)の第2位の興行収入をあげ、「バニー・ボイラー(※)」という言葉を一般的な語彙の中に定着させるほどの現象となりました。

主人公である既婚男性と魅惑的な編集者との放埓(ほうらつ)な浮気が、主人公が結婚生活に戻ろうとしたときに命取りになるという話は、今では「あるある」なプロットとも言えます。ですが、当時の(アメリカ社会から見ればですが)社会問題に対するこの映画の回答は、一見すると真っ当なものに見えます。

この物語でグレン・クローズが演じる性的に解放されたキャリアウーマンは、内に秘めた殺人狂の正体を露わにし、最終的には地獄へと落ちます。そうしてアン・アーチャーが演じる専業主婦は自由な女性と闘う(正しい)女性の真のモデルであり続け、男が(例え浮気をするような人間であったとしても)守るべきものは核家族という単位にあることを再確認させるのでした。ちゃんちゃん。

自分で解説しておきながら何ですが、この映画を上っ面だけで解釈すると、内側に込められた強烈な皮肉を見失ってしまうかもしれません。それは…クローズが丁寧かつ精密な演技よって描き出されたアレックスは、振られたことに怒り狂う女性ではないということ。「アンフェアさ」と「失われた尊厳」のために闘う女性として表現されているのです。

その一方でダグラス演じる主人公には、無味乾燥で臆病で弱々しい面や弁護士でありながら(あるからこそ)いい加減で意地汚い側面が際立つのです。

映画というポップカルチャーにおいて、このように今の時代の問題をあぶり出し、そして多くの人を回答へと導き出そうという意欲にあふれた作品は他にないでしょう。

※“bunny boiler”=劇中でクローズが脅しのためにウサギを煮るシーンがあることから、「執着心の強い女性」「ストーカー」の代名詞となった。

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『アメリカン・パイ』(1999)

アメリカン・パイ
Getty Images

主人公ジムが、「アップルパイと甘いセックスをする」という無謀な試みに着手してから20年、『アメリカン・パイ』はティーン向けグロ系コメディの金字塔であり、指標でもあり続けています。

ポール・ワイツが描いた乱暴で気まぐれなこの青春物語は、言ってみればこの手の映画の基本的な手法で描かれていました。アイヴァン・ライトマンの『ミートボール』(1979)もこのジャンルの代表作品ですが、本作より20年も前に製作されたもの。ですが、この映画の公開によって長らく低迷していたこのジャンルが活性化、そして復活したのです。

ハイスクール・セックス・コメディにありがちな、急ごしらえのビデオ映画とは異なり、『アメリカン・パイ』は低予算と低品質、悪趣味や悪徳商法と異質であることが認められたのでしょう。映画館だけで20倍の利益を上げ、下品なセックス・コメディ映画のテンプレートを作り直したのです。

その遺産は、『スーパーバッド 童貞ウォーズ』(2007)、『インビトゥウィーナーズ/思春期まっただ中』(2011)、『ブロッカーズ』(2018)、『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』(2019)などに見ることができます。

「ミルフ(MILF=Mother I would Like to Fxxk)」という言葉を世に広めたこの映画ですが、今でも古びることのない存在感を持っています。そう思わせるためのカギとなるシーンが、「いやらしい視聴者のために警戒心なく裸になる人」に焦点を当てているところです。

しかしながらこの映画が成功し、長く愛されている本当の理由は、メインの登場人物に対して向けられた愛情の濃度です。このジャンルの「あるある」として、主演ジェイソン・ビッグスが演じるジムとその雑多な仲間たちは体液の摂取したり、公の場で喘ぎ声をあげたり、そして最悪の場合として父親からのセックスアドバイスを受けるなど、数々の恥を披露することになります。

しかし、模倣作とされる『ユーロトリップ』(2004)や『待ちきれなくて…』(1998)のような、もはや忘れ去られた作品とは異なり、『アメリカン・パイ』はその古びた中にも確実な愛らしさと温かみ、そしてユーモアが存在している素晴らしい作品です。そこには、「10代の性的無知を具(つぶさ)に描写した」という多大な功績を残していると言っていいでしょう。それはある種、健全な方向とも言えます…。

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『ピアニスト』(2001)

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The Piano Teacher Official Film Trailer
The Piano Teacher Official Film Trailer thumnail
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ミヒャエル・ハネケは、観客を苦悩させることにかけては豊富な経験を持っています。デビュー作では、家族の自殺をすれすれの表現で物語り、『ベニーズ・ビデオ』(1992 ※)では豚の屠殺から始まります。『ファニーゲーム』(1997※)のサディスティックな悪役たちに関しては、拷問を行う際にわざわざ観客たちに直接語りかけるのです。そんな彼の作風から鑑みてもこの『ピアニスト』は深く心をざわつかせる映画と言えるのです。例え観たことがなくても…。

イザベル・ユペール扮する主役のエリカは、母親とふたり暮らし。抑圧されたセクシュアリティが強迫的な自傷行為やサドマゾヒスティックな妄想という形で表面に出てくる、中年のピアノ教師。ユペールは辛辣なまでに、それを見事に演じ切っています。エリカが新しい生徒を受け入れ、彼との恋愛関係を支配します、彼女が抱いている理想のセックスシチュエーションを記した手紙を丁重にも彼に渡すことで、自ら彼が自身を酷く扱うよう仕向けるのです。

ハネケの作品にありがちなことですが、この不穏な行動はきちんと説明もされませんし、ラストで満足のいく解決がなされるわけでもありません。そこでおそらくポイントとなるのは、混乱と不合理さ。これによって自己破壊的な衝動が強力されることを訴えているように思えます。

『ピアニスト』が大胆なところは、さまざまなタブーに対する淡々としたアプローチ(過激なセックスや暴力に対し、冷静さと凡庸さのニュアンスを与えるのはハネケの得意とするところであり、この映画化は原作の大げさな描写を拒否している)だけではなく、エリカの強迫観念がすべて同じ機能障害の症状であることを示唆する点です。

彼女の強迫観念、マゾヒズム、暴力、覗き見行為の根源にあるには、果たして正確には何のメタファーなのか? しかしながら、それも全くもって明白に表現されていません。それも、そうであることを意図しているようにも思えないのです。

これはつまり、エリカ自身が言うように「芸術と秩序との関係は、関わることを拒む家族や親戚のようなもの」なのでしょう。

※日本公開はともに2001年

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『アデル、ブルーは熱い色』(2013)

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Blue Is The Warmest Color - Official Trailer
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アートハウス系映画(マーケティング上、特に芸術的関心の高い層の関心を集めることができる作品)…、はいはいそうでしょう。アートハウス映画は、なぜかセックスがつきものですから…それが彼らの仕事なのでしょう。

1953年にスウェーデンの性的解放感を丸裸にした『Summer with Monika』から、1972年のバターを使ったセックスシーンを描いた『ラストタンゴ・イン・パリ』、1986年にはビーチでの狂気じみたセッションを描いた『ベティ・ブルー』まで、スマートな演出とゲーム感覚のセックスシーンは「これぞアートハウスだ!」と叫びたくなるほどです。そんな経緯から2013年に、『アデル、ブルーは熱い色』が生まれたというわけです。

この作品は2013年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、それまでの作品をすべて圧倒してしまいました。『アレックス』(2002年)でのモニカ・ベルッチの醜悪なレイプシーンや、1976年の日本の名作『愛のコリーダ』(後述)の怒りと決意のこもった“事件”の爪あとがうすれ、頭に刷り込まれた映像も色あせてしまいました。

しかも、それはゲイ・セックス(英語圏では近年、女性同性愛者に対してもこう呼んでいます)だったのです。『バウンド』(2006年)や『マルホランド・ドライブ』(2001年)のいかにもストレートの男性たちに受け入れられそうなかわいらしい女性同士のアクションが、うさんくさく安っぽいものに見えてしまうほどです。

レア・セドゥとアデル・エグザルコプロスという若くて比較的未熟な2人の女優がフランス北部の厳しい町リールを舞台に、交際が始まるときの感情の高ぶりや突然のパワーシフトを巧みに表現しています。そして、映画の約1時間11分後、ケシシュ監督と2人の主演女優が、床からアゴを突き上げるようなセックスシーンを繰り広げ、その後、劇中のセックスの臨場感を異常なまでに高め、「シミュレーション(=疑似セックス ※)」の文字通りの定義を限界まで押し上げたのです。

※シリコン製のダミーの肉体を使用して性交シーンを撮影

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『her/世界でひとつの彼女』(2014)

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Her Official Trailer #1 (2013) - Joaquin Phoenix, Scarlett Johansson Movie HD
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1933年に『キングコング』が(ヒロイン・アン役の)フェイ・レイと共演して以来、人間と非人間との切ないロマンスは、ハリウッド映画で驚くほど頻繁に見られるようになりました。それ以来、人間と両生類との関係を描いた『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)だったり、人間とウィンドウの中の人形の関係を描いた『マネキン』(1987)であったり、人間と空気人形で展開する『ラースと、その彼女』(2007)であったりの恋愛が描かれてきました。

そして、人間とコンピュータ・プログラムに関しては『ときめきサイエンス』(1985)、『エレクトリック・ドリーム』(1984)、『S1m0ne』(2002)などが、それぞれの角度から取り組んでいます。

しかし、これらの映画がすべて空想的または喜劇的になる傾向がある一方で、スパイク・ジョーンズの2013年の作品はその中心となるロマンス―うつを患う離婚経験者とアレクサのような仮想アシスタントとの間―をほぼ完全にストレートプレイで演じていることが特筆に値します。

耐え難いほど風変わりな不条理コメディの筋書きのように聞こえますが、『her~』はそのあらすじが本物の恋愛ドラマに限りなく近いものと言えるのです。

ホアキン・フェニックス演じる惨めなセオドアと、ハスキーボイスのOS(明らかにスカーレット・ヨハンソン)の関係は、両者とも誠実で率直に向き合い、簡単に笑ったり社会風刺を込めたりすることもありません。

そして、その中心に据えられた関係性には、われわれが考えていたよりも先見の明があったことがわかります。この映画が、「デジタルなコミュニケーションに対する主人公セオドアの覚悟」と、「人間的な親密さに関して彼は完全に無能であること」という2つの事実の「対比」を描いていることは、この映画の公開から10年近くが経って、よりタイムリーに感じられます。

そこで重要となる場面は、セオドアとサマンサがやや必然的に燃え上がる関係を成立させようとするところです。人間とOSという交わることのできない2人(2つ?)は、生身の女性イザベラをサマンサの代理にして挑戦します。それはあまりにも現実的で生々しいシチュエーションとなり、パニックに陥ったセオドアは対処できず、すぐに中断してしまいます。

彼のオンライン恋愛は、彼の慢性的な孤独に対して甘美で満足のいく治療法だったのですが...。その見返りに直面したのは、まさに彼が避けてきた現実の世界だったというわけです。

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『不安と魂』(1974)

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Ali Fear Eats the Soul 1974 Trailer with Subtitles
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ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の高い評価を得ているこの作品の中心となるロマンスは、しばしば年齢や人種といった線引きで語られます。確かにこの作品は、年配女性と若い男性との世代を超えたロマンスを取り上げた数少ない作品のひとつであり(ハリウッドのおかしなキャスティングによって、長い間、その逆が常態化していました)、ポーランド系ドイツ人の女性とアラブ系男性との関係についても鋭い描写で表現されています。

しかし、この映画は何よりも、マージナルな(周縁にいる、見過ごされている)人々、そして彼らに対する社会の反応について描かれた映画と言えるでしょう。 

エンミは未亡人であり、窓拭きを仕事にしています。アリのほうはモロッコから来た機械工。そんなアリがある店で飲んでいると、店のスタッフに同じく一人で飲みに来ているエンミにダンスを申し込むようすすめられ、その通りにします。

そこから、ほとんど痛々しいほど優しいロマンスが始まります。ですが、2人とも誠実で健全であるにもかかわらず世間的に「奇妙なカップル」とされ、周囲の人々の怒りを引き出す運命にあります。隣人は悪意のある噂を流し、店員は2人を冷遇し、エンミの息子は嫌悪感からテレビを蹴り飛ばすのです(ダグラス・サーク監督の『天国は許すまじ』に敬意を表している)。

同じように不快なのは、これらの人々が最終的に恥知らずな手のひら返しをして、自分たちの利益になると知るや夫婦の好意に再び加わろうとすることです。

ファスビンダーはサーキアン(ダグラス・サークに強い影響を受けた人・作風)の過去作とは異なり、泣けるメロドラマを拒否し、淡々とした、ほとんど平凡な作風を選んだようです。しかし、逆説的ではあるものの、これが日常に潜むドラマを余計に引き立たせています。

最終的にこの映画は、ドイツの中産階級の不寛容さに対する静かな反抗として機能しているのです。それらは、ナチズムの影を引きずっていることを暗に示してもいます。タイトル(原題は『Ali: Fear Eats The Soul(不安は魂を食いつくす)』)が説明されていないので、一見すると奇妙であいまいな印象を受けるかもしれません。しかし、賢明に分析すれば、それは恐怖に満ちた主人公たちを指し示しているのではなく、むしろ彼らを取り巻く敵対的で道徳的に危うい社会を指していると言えるでしょう。

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『ハートブルー』(1991)

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Point Break - Official Trailer [HD]
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1980年代、レーガン政権下のアメリカが葉巻をくわえ、経済力を誇示していたとき、ハリウッドの最前線に現れたのは他のどのジャンルよりも「超マッチョなアクション映画」でした。

クリント・イーストウッドは70年代に汚染されたモラルに欠けたアンチヒーローを体現していました。ですが、80年代になって自信に満ちた新時代を迎えたアメリカには違うニュアンスのアイコンが必要だったのです。

そうして誕生したのが、アーニー(アーノルド・シュワルツェネッガー)とスライ(シルベスター・スタローン)、さらにはそんな彼らの出演作を真似たB級ビデオ映画で描かれた盲目的に猛攻撃に至るストーリーです。

しかしながら、これらの映画をよく観た人なら気づいているはずです。いわゆる“アルファードッグ”…つまり、群れの中で先頭に立つリーダーとして活躍する主人公には、ちょっと他とは違うところがあることを…(もちろん、尋常でない殺戮を繰り返す部分ではないところです)。

そう、ロッキーとアポロ・クリードは本当にただの友だちだったのでしょうか? そして、マーベリックとアイスマンはお互いに本当は何か告白したいことがあったではないだろうか? ということです。

ブレーク前のジャン=クロード・ヴァン・ダムも出演している1986年の映画『No Retreat, No Surrender(退却なし、降参なし / 邦題:シンデレラ・ボーイ)』ではありませんが、ここでノーサレンダーなヒーローたちの間で実際は、何が起こっていたのでしょう? 再度確認してはいかがでしょう。

80年代のアクション映画には、ある種、抑圧されたホモエロティシズムが、水面下でありながらも陽気に漂っていたように感じられるのです。そうした観点で1991年の『ハートブルー』を比較して観ると、それが水上に浮上した最初のジャンル映画と言えるのではないでしょうか。

キアヌ・リーブス演じる清廉(せいれん)なFBI捜査官とパトリック・スウェイジ演じる哲学的でありながら無法者の強盗団のリーダーの関係…当時で言えば、「禁断の愛」の物語が潜入捜査のプロットの慣習の背後に見え隠れしているのです。

この映画は真摯な演技と、先に挙げた80年代作品の模倣の間で絶妙なトーンを保ちながら展開され、2人の超ハンサムな俳優がカメラに向かって鍛え上げた肉体を十分に発揮する機会を与えてくれました。

射精のメタファーなのではないかと思える銃声や、セクシーなスカイダイビングのシーンはすべて、純粋な映画愛好家を喜ばせるキレッキレのアクションシーンに他なりません。それに加えて、クスッと笑えるような台詞(「よだれが出るほど俺が欲しいのか!(You want me so bad it’s like acid in your mouth!”)」)もある。すべて、お互い魅了されたライバル同士の強烈な魂のまぐわいとして描いていると思えてなりません。

『ハートブルー』は、マチズモ(男性優位主義)満載のアクション映画であり、同時にギリギリ誤魔化されてはいるものの、見え見えの男性同士のホモロティックが盛り込まれた名作でもあるという、両者のいいとこ取りをしたような作品なのです。

このジャンルで初めて、女性が監督(あのオスカー監督キャスリン・ビグロー!)した作品であることも偶然ではないでしょう。

『バウンド』(1996)

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Bound (1996) ORIGINAL TRAILER [HD]
Bound (1996) ORIGINAL TRAILER [HD] thumnail
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90年代は超クールなネオ・ノワール映画が数多く製作され、古い定型表現に新しいひねりを加えたことで知られています。『甘い毒』(1994)はファム・ファタール(宿命の女性)を硬派なアンチヒーローに仕立て、『氷の微笑』(1992)は彼女を映画の完全な主役にし、『青いドレスの女』(1995)、『運命の銃爪(ひきがね)』(1992)、『ジャッキー・ブラウン』(1997)などは彼女の社会的・道徳的な動機に疑問を投げかけ、人種を理解するうえでの方程式を取り入れました。

そしてこの『バウンド』では、ファム・ファタールとの関係をレズビアンにしたのです。これはウォシャウスキー・シスターズの監督デビュー作であり、ストーリーはカリスマ的な前科者のコーキーがマフィアの資金洗浄者の妻と関係を持ち、2人で虐待する夫の大金を持ち逃げする計画を立てるというものになります。

このような筋書きがフィルム・ノワール(犯罪映画、特に1940年代から1950年代のもの)の伝統にひねりを与えていることは明らかだとしても、そのやり方は実に優雅で繊細でした。

コーキー役のジーナ・ガーションは、『ショーガール』(アメリカ文化に対する皮肉が、時を経てようやく評価されるようになったもうひとつの彼女の出演作)での演技で求められたものと同じような、鋭い皮肉を散りばめていました。

当時はアンディとラリー、現在はリリーとラナであるウォシャウスキー姉妹が、ジェンダーとセクシュアリティに関するハリウッドの伝統を覆し、また、そうしようと目論んでいたことは今思えば当然かもしれません。

エロティックでありながらエクスプロイテーション映画(※)のように搾取的ではなく、進歩的でありながら道徳的でもなく、パルプ的でありながら安っぽくもない…この映画は、いくつもの綱渡りを見事にやってのけました。

また、ハーヴェイ・ワインスタイン以降の時代にはもはや業界の常識となっていますが、セックスシーンの振り付けに専門のコンサルタントを起用するなど、『バウンド』はさまざまな意味で時代の先端を行く作品でした。

その3年後、ウォシャウスキーは『マトリックス』で金ぴかな街ハリウッド一のイケメンヒーローを、アンドロジナス(男女両生の特徴を持つ)なレザー製のゴスファッションに身を包んだ人物に変えました。

さらに『Vフォーヴェンデッタ』では、同じくセックスシンボルのナタリー・ポートマンを坊主頭とサイズの合わないベストを着こなした革命指導者として再登場させてジェンダーとの関係を探り続け、われわれを動揺させることになったのです

※セックスや薬物や暴力、社会的タブーを濫用し、観客の潜在的興奮を食い物(exploit)にする映像作品のこと。簡単に儲けるために製作費を抑え大量に生産されたことからも「exploitation(搾取)」と表現される。

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『ムーンライト』(2017年)

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Moonlight | Official Trailer HD | A24
Moonlight | Official Trailer HD | A24 thumnail
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クィアなブラックシネマは主に業界の端っこで公開され、『The Skinny』(2012)、『Naz&Maalik』(2015)、『タンジェリン』(2017)のようなほとんど上映されない逸品は、いかに良質な作品であったとしても配給会社が支援しなければ観られることもなく終わります。そして、批評家の称賛がいかに映画の興行にどれだけ役に立たないかを、嫌というほど教えてくれるのです。

このような作品がハリウッドで上映されることは稀ですが、その多くは暗示するだけにとどまったり、もしくは妥協した形で語られてきました(例えば『カラーパープル』の主人公のセクシュアリティは、スティーブン・スピルバーグのオスカー受賞を狙った映画化では隠蔽されました)。

実際、舞台裏では「主流の観客は、このような映画には食指が動かない」、つまり「名声と人気が交わることはあり得ない」と言われていたかもしれません。

ですが、この『ムーンライト』はその定石の推測を見事に覆し、400万ドルの制作費に対して6600万ドル(当時の為替でおよそ74億円)を売り上げます。そうしてゲイの黒人の青春を描いた3部構成の見事なストーリーで、なんとオスカーまで獲得したのです。

オバマ大統領の最後の数カ月、「ブラック・ライブズ・マター」の抗議運動の後、そして#OscarsSoWhite騒動の翌年、2016年の秋に到着した『ムーンライト』は特にタイムリーで、その成功が映画史に残る瞬間と見なされるようになることが期待されていました。

ですが、現実はそれほど単純ではありませんでした。『ムーンライト』の遺産は、『WAVES/ウェイブス』などの映画や『David Makes Man』(2019-)などのテレビシリーズにはっきりと見ることができるものの、期待された水門の開放はなかなか起こらず、2年後に『グリーンブック』に授与された作品賞は、「投票権を持つアカデミー会員に、人種の調和と和解の単純な描写よりも好むものはほとんどない」という残念な事実を改めて思い知らされることになりました。

つまり、『ムーンライト』は不可能と思われていたことが実は可能であることをハリウッドに示した、実に素晴らしい作品であることは確かでしょう。この作品は、歴史に名を刻んだのですから…。

精緻に語られた少年の性の目覚めの物語は、「どこでどう生きているかに関係なく、それは常に普遍的な魅力を持っている」ということを知らしめたことに、この作品の勝利はあると言っていいでしょう。そして、その点において『ムーンライト』以上に優れた物語はない…と思います。こともあろうに、白人の若者たちがLAで夢を追いかける物語『ラ・ラ・ランド』に作品賞を取り違えられるという不幸に遭いながらも、今もなおオスカー史上に燦燦(さんさん)と輝いている…まぎれもない名作なのです。

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『イット・フォローズ』 (2014)

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It Follows Official Trailer 1 (2015) - Horror Movie HD
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スラッシャー映画(※)が、宗教的に不道徳とされる結婚していない若者同士のセックスに固執するのは、このジャンルそのものと同じくらい古い伝統です。古典的には、その関係は(その昔英国から北米に移住した)清教徒的に言ってタブーですので…。

乱暴でお気楽で快楽主義的なティーンエイジャーの一団が、血に飢えた殺人者のおかげで、ある種の挿入が別の種類の挿入を生むという報いを受け、処女の最終少女だけが助かるというものです。

しかし、60年代から70年代にかけて、(興行成績をあげるために、センセーショナルな時事問題やタブーとされる題材をあえて取り上げている低俗な作品群)エクスプロイテーション映画の広がりとともにこのジャンルが爆発的にヒットし、このような型がますます確立されると、敬虔なクリスチャン的発想ではない、ある意味より進歩的な意図を持つスラッシャー映画によってこの典型も覆されるようになりました。

『ブラック・クリスマス』(1974)は殺人鬼を女性差別社会が発症させた病として描き、『血を吸うカメラ』(1960)は覗き魔の殺人鬼と観客の息苦しいサディストの間に類似性を持たせ、『エルム街の悪夢2 フレディの復讐』(1985)には陽気でキャンプな同性愛者のサブテキストがこっそり盛り込まれています。

90年代半ばには『スクリーム』シリーズが登場し、町の処女を狙う連続殺人鬼を描いたハイスクールホラー『インシデント』など、巧妙なトリックに満ちた似たような作品がいろいろと登場しました。

こうしてポストモダン・ルネッサンスがひと段落するころには、スラッシャー映画、そしてスラッシャー映画によるスラッシャー映画のパロディも、ようやく一段落したかに見えました。
 
しかし、その20年後、このジャンルにセックスと死、エロスとタナトスの関連性を明らかにした、皮肉ではなくストレートに表現した作品が登場したのです。この『イット・フォローズ』では、ゆっくりと行進する殺人鬼がデトロイト郊外の住民に襲いかかります。その悪魔が狙うのは一度に一人だけで、被害者は他の誰かと関係を持つことによってのみ助かることができ、それによって呪いが受け継がれる…というひねりが加えられています。

デヴィッド・ゴードン・グリーン監督の作品は、『スクリーム』の時代によく見られた若者たちの自惚れを表現することを避け、思春期の無差別なセックスに伴うある種の強迫観念を鋭い切り口で解説しています。

この映画の独創的な話の筋は、セックスを殺人者と救済者に分けただけでなく、道徳的な悩みや男のご都合主義を描いた知的なシーン、そしてもちろん、たくさんの必死な交尾へお膳立てをしてくれています。

※サイコパスや殺人鬼が集団内部の人間を次々に殺害していく物語 

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From Esquire UK

※この記事は抄訳です

From: Esquire UK

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