背番号は10。ブラインドサッカー日本代表の絶対的エースとして君臨するのが川村 怜(りょう)選手です。パラ五輪東京大会の正式種目でもあるこの競技との出合いを振り返るなら、頭に浮かぶのは漢字二文字…「恐怖」。

 「ピッチで何が起きているのかどころか、自分がピッチのどこに立っていて、どこを向いているのかすら分かりませんからね。最初は走り出すのも怖くて、まともにサッカーができる状態ではなかったことを覚えています」と、苦笑いを浮かべます。

憧れたのはゴン中山選手


 1989年生まれの川村選手。93年開幕のJリーグ、日本代表が初めて出場した98年のフランスワールドカップなど、日本サッカーの大きな節目を幼少期に迎えます。地元大阪のサッカースクールに通い、「いつも泥臭いゴールを決めていた中山雅史選手(アスルクラロ沼津/解説者)に憧れていました」と本人が語るように、サッカー漬けの毎日を過ごします。ところが5歳を境に、徐々に視力が低下。中学に進学するころには、それまでのようにはサッカーを続けることができなくなってしまいます。

川村怜(ブラインドサッカー)インタビュー
Moto Yoshimura//Getty Images
2019 年に開かれたブラインドサッカーワールドグランプリでは、競合スペインを撃破。
川村怜(ブラインドサッカー)インタビュー
Moto Yoshimura//Getty Images
豊富な運動量と快速ドリブル、そして、両足から放たれるパワフルなシュートは世界レベルです。

 「中学、高校は陸上部に所属しました。身体を動かすことは好きで楽しかったですね。でも、陸上競技に本気で向き合っていたのかと問われれば、そんなことはなかったかもしれません。その間もサッカーはずっと好きで、テレビ中継があれば欠かさず観ていました」

 サッカーへの思いを持ったまま進学した筑波技術大学。偶然にも、ブラインドサッカーチーム「Avanzareつくば」がありました。そこでブラインドサッカーに出合い、「チームメイトとボールをつなぐ楽しさや、ボールを蹴る喜びを思い出しました」と、再びサッカーのピッチに立つことになります。

勝負の鍵を握るのが「音」と「声」です

 ブラインドサッカーでは、通常のサッカーボールよりもひとまわり小さいサイズのボールを使用します。内部には金属のプレートが取り付けられていて、プレート内に鉛の粒がいくつか入っており、ボールが転がると音が鳴る仕組みです。

 この音によって選手はボールの位置を予想し、味方同士の位置はお互いに出す声で判断します。さらに相手選手のボールを奪いに行くときには、「ボイ」(Voy:スペイン語で「行く」という意味)と声を出さなければなりません。これで相手の位置を知ることができます。

 「試合中に声を出していいのは選手と監督と、相手チームのゴール裏からコーチングを許された“ガイド”と呼ばれるチームスタッフのみです。観客も声を出さないので、基本的には、とても静かな空間の中で試合を行っています。それでも、ゴールが決まれば大歓声が聞こえます。静寂と歓声のメリハリは、テニスの会場に近い雰囲気かもしれませんね」

 そして、この声の情報にこそ駆け引きが詰まっていると、川村選手は解説してくれます。

想像力が勝負。
とにかく脳が疲れます(笑)

川村怜(ブラインドサッカー)インタビュー
Munenori Nakamura
クールな受け答えの中に、「本番」に向けた熱い思いが覗きます。

 「声や音を聞いて多くのことを判断する集中力が必要なので、試合後は肉体疲労より脳の疲労のほうが強いときも多いです。コーチングでも、味方や監督の声の質や抑揚などで『あぁ、これは相手だけに知らせるコーチングだな』ということもあります」

 逆に、あえて声を出さないことで相手への情報をシャットアウトしたり、無言での動き出しを事前に決めておくなど、音にまつわる情報の全てを戦術に利用するとのこと。

 「パス1本の球質やパスを出すタイミングなど、チーム内で議論しながら共有することが大事ですね。チームの持っているバリエーションから、場面に合わせて最も有効な選択肢を引き出せるかどうかが、ゲームの展開を左右します。その精度をパラ本番までに上げていきたいですねと言います。

日本代表の魅力は全員が連動するサッカーにあり

 2021年に延期となった東京2020ですが、最大のライバルはサッカー王国ブラジルだと言います。パラ五輪では04年アテネ大会で正式競技に採用されてから4連覇中。絶対王者の名を欲しいままにしています。

 「ブラジルはタレントが豊富ですし、強化にもすごく力を入れています。サッカーに対する思い、そして歴史や文化の深さが強さへと直結しているんですよね。本気になったブラジルは異次元のレベルで、観れば価値観が変わるとも言われていますが…」と、その強さを認めた上で「とは言え、どんな相手でもチャンスはあります」と不敵に笑います。

川村怜(ブラインドサッカー)インタビュー
Christopher Pillitz//Getty Images
異次元のレベルにあると言われるブラジル代表。2004年から2016年までパラ五輪4連覇中の強豪です。
川村怜(ブラインドサッカー)インタビュー
Moto Yoshimura//Getty Images
プレイヤー同士が激しくぶつかり合う迫力もブラインドサッカーの醍醐味です。
川村怜(ブラインドサッカー)インタビュー
Moto Yoshimura//Getty Images
2019年に日本で開催されたブラインドサッカーワールドグランプリでは、世界ランク5位(当時)のスペインに勝利、2018年世界選手権4位のロシアにも引き分けて勝ち点を獲得するなど、チームの完成度も仕上がりつつあります。

伝えたいのは、
ブラインドサッカーの魅力

 「多くのチームが、攻撃と守備を分担した戦術を取っています。その中で、選手全員が連動して攻撃も守備もどちらもやるのがブラジル、アルゼンチン、そして日本代表です。ディフェンスラインの上げ下げを頻繁に行い、選手同士の距離感を保ちながら走るなど、組織的な連動は僕たち日本代表の強み。なので、そこを上手く出していければ、世界の強豪国と互角以上にやりあうチャンスはあると思います」

 また、自身のプレイで注目して欲しいポイントに、持ち味である得点力の他に、「個人戦術」を挙げてくれました。

 「自分のプレイの幅が広がり、できることが増えてきたという手応えがあります。どういうゲーム展開でどんなプレイが求められているのか…例えば、自分が次にドリブルで突破するために、あえて序盤はタメをつくったり逆サイドに振ったりというプレイをしておいて、勝負どころで仕掛ける。そういうゲームメイクをしたいですね」

 最後にパラ五輪を経た後の、自身の思い描く夢や目標について聞いてみました。

 「世界的な祭典ですから、影響力はとても大きいですよね。でも、ただ参加するだけでは何も残せないと思っていて、ブラインドサッカーという競技の持つ魅力を分かってもらいながら戦う姿、できれば勝利を見てもらえれば、この競技にまつわる日本の環境も変わってくると信じています。欧州には、ブラインドサッカー専用ピッチが併設されているクラブも多くあります。今年6月に日本でも初の専用コート『MARUIブラサカ!パーク』ができましたが、こういった流れがさらに加速して、ブラインドサッカーをより身近に感じてもらえるような環境が整うことを願っています」

川村怜(ブラインドサッカー)インタビュー
Munenori Nakamura

♢PROFILE
川村 怜さん(かわむら・りょう)
…1989年2月13日、大阪府東大阪市生まれ。ブラインドサッカーチーム・パペレシアル品川所属。アクサ生命保険株式会社勤務。小学生時代にサッカー、中学と高校では陸上競技を経験。筑波技術大学時代からブラインドサッカーを始め、2013年に日本代表に初選出され、持ち前の得点力で代表に定着。翌14年のアジアパラ競技大会では銀メダル獲得に貢献。アクサ生命保険の広報部に勤務しながらトレーニングを積み、日本ブラインドサッカー史上初のパラ五輪に挑む。趣味は吉本新喜劇鑑賞。好きな芸人はすっちーが演じる「すち子」。