[この記事のポイント]

  • 普段であれば人々が行き交っていそうな広々とした場所が、ガランとした空っぽの状態になっているのを目にしたとき、私たちの心理は「空間体験」を予感することで不安を覚えてしまいます。
  • そのような、いわゆる「リミナルスペース(※Liminal Spaces:簡素かつ不穏で超現実的な空間を指すインターネットミーム)」と呼ばれる空間が、ソーシャルメディア上で注目されています。その背後にある心理学的、建築的、都市環境的な理由を専門家にうかがいました。
  • 見当識障害――あるいは認知的不協和――は、矛盾する認知を同時に抱えることで起こると考えられます。

[INDEX]

▼ コロナ禍のタイムズスクエアに漂った違和感の正体

▼ 予感によって引き起こされる作用とは?

▼ リミナリティ(見当識の喪失)が生み出す心理効果

▼ 感情の共有を求める私たち


コロナ禍のタイムズスクエアに漂った違和感の正体は?

コロナ禍で無人のnyタイムズスクエア
Ira L. Black - Corbis//Getty Images
新型コロナウイルス感染症により、街からは人の姿が消え去りました。

もう何十年も前に訪れたきりの小学校が、すでに完全に廃校になってしまっていると仮定しましょう。人のいなくなった校舎の廊下を歩けば、かなりの高い確率で、なんとも言えず奇妙な感覚を味わうことになるはずです。

2020年初頭に起きたコロナ禍の影響で、同年3月のニューヨークでは、普段は人であふれているタイムズスクエアから人の姿がなくなり、その異様な光景に世界中が息を飲みました。いつもであれば人々で賑(にぎ)わっているはずの広々とした空間が、突如として空っぽの状態になったのです。閑散としたショッピングモール、車のない駐車場、観客のいない7万人収容のスタジアム…。そのような場所が私たちの心理をかき乱し、不安感を呼び起こすのです。

そういった状況に直面すると、私たちの脳はときに衝撃を伴う反応を示します。認知がゆがむような感覚を引き起こすそれらの写真がソーシャルメディアで共有され、「リミナルスペース」という呼称でネチズン(ネット市民)の間で一大コミュニティを形成しているのです。

リミナルスペースに与えられた特殊な意味づけ:「生命力に満ちているはずの場所が、気味悪いほどに空虚な場所」となっている状態

とは言え、「リミナルスペース」の語源どおりの、完全に正しい意味で使われているのではありません。「リミナル(Liminal)」とは本来「境界の」というような意味で、廊下や通路、駅、出入り口といった中間的な空間を指すべき言葉です。より厳密に言うのであれば、物理的空間に用いるべき語でもあります。ただし、仕事の隙間時間、近しい人の死後に訪れる空白期間といった意味で比喩的に用いられることもあります。その定義が今、ソーシャルメディアによって拡大しているのです。

「ソーシャルメディアで用いられる“リミナルスペース”には、特殊な意味づけがなされています。生命力に満ちているはずの場所が、気味悪いほどに空虚な状態になっている――そんな情景を指す語として、いま広まっているのです。人の気配があって然(しか)るべき場所であるにも関わらず、今この瞬間には誰も存在していない。どこかから人が現れるかもしれないし、現れないかもしれない。実際になにかが起きるまでの間、その場所はリミナル(境界上)にあり、不気味で、そして不安をかき立てるのです」

そう説明するのは、MIT(マサチューセッツ工科大学)で都市工学および都市計画を研究するカルロ・ラティ博士です。しかし、一体なぜそのような影響が生じるのでしょうか――?

“予感”によって引き起こされる作用とは?

interior of subway train, new york city, new york, united states
Getty Images
こんな光景に、全身に鳥肌が立つことも。

「目の前の空間から想起される展開、あるいは“空間体験”への予感が外れる」ことで、このような不穏な反応が引き起こされるのだと、ラティ博士は解説します(ここでは、「予感」というのがキーワードです)。

これはpollの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

「いつもあるはずのにぎやかなエネルギーが失われ、まるで時間が止まってしまったかのような空間によって、人為的につくられた環境の中で人の気配が及ぼす影響が、より鮮明に意識されるようになるのです」と語るのは、ヒューストン大学・建築デザイン学部のミリ・カイロプールー准教授です。

「人類の脳は、目に映る状況から文脈を読み取りながら現実を感知するようにできているのです」とも言います。

例えば、コンサート会場のスタジアムに足を踏み入れる時点で、あなたはすでに「何万人もの見知らぬ他者と同じ空間を共有する」という、心の準備ができています。予期することで、スタジアムという空間に対する「認識が整えられる」のです。駐車場は車があるべき場所であり、学校には生徒たちがいるはずであり、スタジアムは観客で埋め尽くされているはずと考えてしまうのです。東京・渋谷のスクランブル交差点のような場所にいるのに、周囲に誰一人としていないという状況を想像してみてください…。

人間の脳は、文脈から連想して世界を理解するようにできています

「人の気配が感じられない場所で、私たちは見当識障害や認知的不協和に襲われます」と、ラティ博士は言います。そして、こう続けます。「新たな空間体験がそこで立ち現れるのです。予断を許さぬ状況下で、何かを示唆してくれるはずの他者の姿がどこを見回してもありませんので」と。

予感に反した状況下では、奇妙な感覚が芽生えるものです。

「予感というものが、空間体験の大きな部分を占めている」と、カイロプールー准教授は説明します。例えばスタジアムであれば、そこを埋め尽くす何千人もの見知らぬ人々の存在があります。仮にそれが不快であったとしても、予期したものであればこそ、やり過ごすことが可能なのです。しかし、「そこに予期した通りの群衆の気配、音、匂いや動きなどが感じられない状況下では、耐え難い感覚に襲われてしまうのです」

リミナリティ(見当識の喪失)が生み出す心理効果

オフィスから通りを眺め思いに耽る男性
10'000 Hours//Getty Images
リミナルな感覚に陥るには、「なじみのある感じ」も必要になってくるとのこと。

リミナリティとは、あって然(しか)るべき法則やパターンからの逸脱によって生じる感覚です。「本来あるべき空間体験から外れることで、空間に対する再認識を迫られます。そして、今まで意識しなかったことを意識するようになるのです」と、ラティ博士は述べています。また、「多くの場合、そのことで不快感が引き起こされます。しかし、創造性が刺激されることもあるでしょう」と言います。

想定された規範からの逸脱によって、混乱が生じたり、興味が喚起されたり、あるいは不安感が引き起こされたりするというのです。「その環境に対して、あらかじめ抱いていた認識が裏切られてしまうからです」と、カイロプールー准教授は補足します。

スポーツ施設およびコンベンションセンターなどの設計を専門とする世界的な設計事務所ポピュラス(POPULOUS)の幹部マイケル・ロックウッド氏によれば、例えば大型貨物船といった巨大な建造物の中には、見当識の喪失を引き起こさないものもあるようです。

「そのような建造物は一般的に、人間の心理と響き合うものではありません。つまり、私たちの身体性と結びつくものではないのです。リミナルな経験は、例えば他者の経験と重なり合うことによって生じます」

つまり、真にリミナルな感覚を味わうためには、ある種の親密さが必要ということになるのでしょう。「リミナリティを体験するために重要なのは、対象が自分にとって深くなじみのあるものであることです」と、ラティ博士の解説は続きます。

「もちろん、なじみのない未知の建築物やデザインから不気味な印象を受けることもありますが、リミナリティについて言えば、よく知っているはずの対象が異質なもののように感知され、私たちがいつも認識している何かが意識の中でうまく像を結ばなくなることで生じる現象と言えます」

beijing abandoned theatre
Getty Images
記憶もまた、大きな役割を果たします。

全ては記憶に起因するということです。「駐車場が空っぽであったり、慣れ親しんでいたはずの小学校の壁の色が塗り替えられていたりといった、既知のものと異なる状態を体験することで不協和音が生じるのです」

「過去の記憶と、いま目の前にある物事との間に断絶が生じることで、リミナルな感覚が喚起されることがある」と、カイロプールー准教授は言います。さらに、明確な記憶を伴わない場合でも、予期したものと異なる現実と向き合うことでリミナル的な体験がもたらされることもあります。

例えばサッカーの試合で、ホームチームの思わしくないプレーに対して8万人のファンが一斉に明確な嫌悪感を示している状況を思い描いてください――。

「そこにあるのは集団的な憤怒です」とロックウッド氏は言います。「一つの感情に支配されている空間に身を置くというのは、なかなか奇妙な体験です。個々がそれぞれに感情を抱いているのですが、同じものを目にして、同じように反応を示しているのです。このような集合的な感覚を味わうのは、特異な体験と言えます」

その空間を支配する既存の法則や集合的解釈によって出現するのが、リミナルスペースというわけです。「人気(ひとけ)のない空っぽな空間に足を踏み入れてみれば実感できるはず」と、ロックウッド氏は説明を続けます。

「空虚で何もない、ただ広大なばかりの空間というのは、それがどこであっても極めて独特な感じがするものです。本来であれば数千人もの人々が埋め尽くしているべき環境であると頭で理解しているのですが、その場には自分だけしかいない。信じられないほどの孤独感と同時に、ある種の予感も芽生えます」

空間をどう捉えるか?
感情の共有を求める私たち

これはtiktokの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

大きな空間を設計しようと思えば、普遍的に共有され得る形式について熟知し、個々の人々が異なる感受性でその場を体験するということを頭に入れておく必要があります。例えば、混み合った地下鉄の車内では、私たちはその物理的空間の内部にある境界線に対して無頓着でいられます。ですが、その地下鉄を降りてしまえば、また異なる感覚が生じるのです。

「そのことについて考えると、ちょっと怖い感じもします」と、ロックウッド氏は言います。

観客であふれるテニストーナメント「フレンチオープン」
Tim Clayton - Corbis//Getty Images
建築空間と群衆と個人心理。コロナ禍を経て、集団でいること、もしくは個人でいることの価値や意味に、より自覚的になっているのかもしれません。

スタジアムで何千人もの見知らぬ人々に囲まれているような場合にも、同様の心理状態が生じます。

「かなり大勢の人々と密集した状態で、全員が同じことをしながら平気でいられるというのは、なかなか幸せな体験です。ですが、その場に自分しかいなければ正反対の感覚が芽生えます。それゆえ、あなたの無意識がその空間を人々で埋め尽くそうとするのです」

💡リミナリティ体験をするには : 「いつもは絶対に立ち止まることのない通路で立ち尽くしてみましょう。あるいは、誰もいない夏休みの学校の校庭を歩き回ってみることで、驚くべき感覚を味わうことになるかも知れません」

建築空間との間に生じるあらゆる相互作用によって、記憶が動き出すということになります。建築空間に接近したり、その内部に進入したりする際に生じる予感やポジティブな感覚を、建築家は生み出そうと考えるのです。

その場で起こる全てのことが、人の心理に痕跡となって刻まれるということでもあるのです。「体験とは、予感と記憶を伴うものです」と、ロックウッド氏は言います。そして、「私たちはいつでも、空間をどう捉えるかを感情として共有しようとしているのだと思います」とのこと。

そのような動機から、多くの人々がソーシャルメディアを活用していると考えられます。テキサス大学デル・メディカル・スクールで医学教育学の准教授を務める精神科医のキャリー・バロン博士*⁴は、リミナルスペースが喚起する感情について次のように述べています。

「それを面白いと感じる人もいれば、そうは思わない人もいるでしょう。なかにはリミナルスペースの写真を見て、不穏な孤独感に襲われる人もいる反面、同じものを見て安心感を得る人もいるのです――」

[脚注]

*1:Carlo Ratti 建築家でありエンジニアでもあるカルロ・ラティ教授は、マサチューセッツ工科大学で教鞭をとり、Senseable City Labを指揮。国際デザイン事務所Carlo Ratti Associatiの創立パートナーでもある。

*2:Mili Kyropoulou 2016年にヒューストン大学で教鞭を執り、現在はヒューストン大学のアカデミック カレッジの 1 つであるGerald D. Hines College of Architecture and Designで准教授を務める。

*3:Michael Lockwood POPULOUSにて、シニアプリンシパル(上級幹部)およびシニアアーキテクト(上級建築家)を務める。POPULOUSは旧名HOK Sport Venue Eventであり、スポーツ施設及びコンベンションセンターなどの設計を専門とする設計事務所。設計以外の分野でもNFL スーパーボウルのイベント企画、マネージメント並びにオリンピック招致都市のコンサルティングなど、建築関連の分野で幅広く活動している。

*4:Carrie Barron テキサス州オースティンにあるテキサス大学オースティン校の大学院であるデル・メディカル・スクールにて、医学教育学の准教授を務める精神科医。

Translation / Kazuki Kimura
Edit / Ryutaro Hayashi
※この翻訳は抄訳です

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From: Popular Mechanics