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かつてアメリカの空を飛んでいた15の航空会社

アメリカの航空会社と言えば、アメリカン、デルタ、ジェットブルーは知っていると思いますが、ブラニフ、モホーク、フーターズ・エアは知っていますか?

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hooters air aircraft
Getty Images

数十年にわたる合併、倒産、そして航空事業の苦境を経て、アメリカを拠点とする航空会社は絞り込まれてきました。数十年前、小規模な地域航空会社のネットワークが国土の大部分を結んでいましたが、航空規制緩和により小規模航空会社は買収され、今日のような独占企業が誕生しています。

今回は、皆さん祖父母も利用していたかもしれない、かつて存在していた航空会社を振り返ります。

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1

パンアメリカン航空

pan am 747 clipper victor
Getty Images

運航期間:1927~1991年

「パンナム(PAN AM)」の愛称としても知られるパンアメリカン航空は、大志を抱いたアメリカの主力航空会社でした。1964年にビートルズをニューヨークへ送り、ジェット機全盛時代の象徴となります。そして、「2000年までに旅客機による月旅行を実現させる」という目標を掲げ、その先陣を切ろうとしていたほどです。

ですが、オイルショックが世界経済に打撃を与えた1970年代、パンナムは経営難に陥ります。すると1980年代には、豊富な資産を徐々に売却し始めることに…。そしてついに、1991年には破産を宣言しました。

2

コンチネンタル航空

illustration on aerial transport in paris, france in 1993
Getty Images

運航期間:1934~2012年

コンチネンタル航空は消滅したというよりも、新しい名称とライセンス契約のもとで運航されています。

コンチネンタル航空は2012年、ユナイテッド航空の親会社であるUALコーポレーションと30億ドル相当の合併を行いました。現在、航空機にコンチネンタルの名前はもう見られませんが、尾翼にはコンチネンタル航空が使用していた地球儀のロゴがあしらわれています。

3

フーターズ エア

hooters air launched by hooters restaurant chain
Getty Images

運航期間: 2003~2006年

同名のレストランチェーン「フーターズ」が、同様に健康的でフレンドリーな各地のマルガリータビル リゾート、さらにゴルフクラブまでのフライトを運航していると思うかもしれませんが…それはある意味正しいと言えます。

フーターズ エアは、フーターズのオーナーであるロバート・ブルックスが2002年に買収したペース航空に委託されていました。100以上のゴルフ場があるサウスカロライナ州のマートルビーチを拠点に、そこを利用する客を主なターゲットにゴルフ場への直行便として宣伝を行いました。

そして通常はアメリカの格安航空会社では、食事などのサービスは省略されていることが多いなか、同社では1時間以上の飛行時間がある便では軽食を無料で提供。また、機内には通常の旅客サービスを行う客室乗務員の他に、2人の「フーターズ・ガール」がレストランと同じコスチューム(あの、タンクトップとオレンジ色のホットパンツ)で同乗し、乗客の話し相手となっていました。

そんなわけで数年間は好調でした。が、どんな素晴らしいパーティーにも終わりは来るものです。2006年にフーターズ エアーは突然の撤退を発表し、若い女性と一緒に上空でビールを飲みたい年配男性たちのためのフライトはなくなってしまいました。

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4

ブラニフ航空

braniff international airways plane in black and white
Getty Images

運航期間:1928~1982年

ブラニフ航空はテキサスを拠点とし、アメリカ南部、中西部、そして最終的には中南米に就航。いち早く、ニッチなサービスを提供し始めました。このため、サウスウエスト航空の前身と考える航空マニアもいます。

混沌とした石油市場、航空規制緩和法、航空管制官団体のストライキによる影響など、さまざまな歴史的要因が重なって1982年にブラニフ航空は撤退することになりました。

このロゴに見覚えがあるとすれば、アメリカの人気アニメ「サウスパーク」に登場しているからでしょう。この作品のクリエイターであるトレイ・パーカーとマット・ストーンによる制作会社「Braniff Productions」は、このブラニフ航空にちなんで命名しています。そしてこのロゴは、「サウスパーク」初期のエピソードのエンドロールで確認することができるはずです。

5

トランス・ワールド航空

twa airplane, san francisco international airport, san francisco, california, usa, 1963
Getty Images

運航期間:1930~2001年

1930年、ウエスタン・エア・エクスプレスとトランスコンチネンタル・エア・トランスポートが政府命令により合併し、トランスコンチネンタル・アンド・ウェスタン・エアーとして誕生します。トランスワールド航空(TWA)という名称になったのは、さらに20年後のことでした。

TWAは航空業界の巨大企業に成長しましたが、最終的には1980年代に第二の主要株主であり、“乗っ取り屋”として知られるカール・アイカーンの気まぐれの犠牲となりました。アメリカの日刊新聞「USAトゥデイ」紙は次のように報じています。

「アイカーンの経営陣は、経営危機に陥ったTWAのシステムを立て直すどころか、TWAから短期的な利益を搾り取ることに集中しました。

結果的にTWAは民営化を余儀なくされ、負債を抱えることになりました。その新たな負債を支払うために、TWAは収益性の高い国際路線と空港ゲートを売却しました」

そしてTWAはついに、2001年にアメリカン航空に買収されることになりました。

6

セントラル航空

central airlines aircraft, archival
Getty Images

運航期間: 1949~1967年

その名前にふさわしく、セントラル航空はオクラホマ、カンザス、アーカンソーなど、アメリカの中心部に点在する都市に就航。そのネットワークのほとんどが、人口2万人以下の人口の少ない都市で構成されていました。

セントラル航空は最終的に、最初に設立された旧フロンティア航空(現在も運航しているアメリカのLCC<格安航空会社>フロンティア航空の前身)に買収されました。

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7

フロンティア航空

frontier airlines plane, archival
Getty Images

運航期間:1950~1986年

フロンティア航空はアリゾナ航空、チャレンジャー航空、モナーク航空の大合併により誕生しました。コロラド州デンバーに本社を置き、ミズーリ州カンザスシティとセントルイス、ユタ州ソルトレイクシティ、テキサス州ダラスをハブ空港としていました。

最終的には1980年代半ばに運航停止となりましたが、ニッチなファングループは今でもその記憶と思い出の品をオンラインで楽しんでいます。

現在も運航している新生フロンティア航空は、1994年に設立されたものです。

8

バリュージェット航空

a valujet plane sits on the tarmac at miami intern
Getty Images

運航期間:1992~1997年

バリュージェット航空が存在した期間はそれほど長くはなく、就航していたのはアメリカ全土の28都市というささやかなネットワークで運航していました。

運航期間が短いのは1996年に起きた、バリュージェット航空592便がフロリダ州エバーグレーズに墜落し、乗客110人全員が死亡したという大惨事です。事故後に悪評の猛攻撃を受け、結局経営難に陥ったことでエアウェイズ社と合併し、エアトラン航空となった。

さらに2014年12月28日、統合に伴うエアトランのエアトラン便名による最終便が運航を終え、サウスウエスト航空に事実上吸収される形でエアトラン航空もその20余年にわたる歴史に幕を下ろしています。

9

イースタン航空

eastern airplanes on a runway
Getty Images

運航期間:1926~1991年

イースタン航空は、1930年代にアメリカ政府が新興航空会社に郵便輸送の補助金を分配したおかげで、頭角を現した航空会社です。その数十年後に消滅に至ったのは、政府による航空規制緩和の影響が大きいでしょう。

イースタン航空は、1991年に運航停止を宣言。「ニューヨーク・タイムズ」紙はこの航空会社の業績を次のように讃(たた)えました。

この航空会社は破産裁判所の保護のもと、再建のために約2年間奮闘しました。13年前の航空規制緩和がもたらした圧力の最大の犠牲者です」

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10

ピープル・エキスプレス航空

people express airlines aircraft, archival
Eduard Marmet

運航期間:1981~1987年

ピープル・エキスプレス航空は、スピリット航空やフロンティア航空といった今日のLCCの先駆けのような存在でした。

1983年にはボーイング747型機によるロンドンへの大西洋横断便の運航を開始するなど、数年間は順調に経営。しかし、拡大するネットワークや安い航空運賃から得られる利益の減少など、多くの要因がピープル・エキスプレス航空の終焉を招きました。

そして1987年には、コンチネンタル航空に買収されています。

11

USエアウェイズ

new york scenics
Getty Images

運航期間:1979~2015年

1937年の設立当時はオール・アメリカン・アビエーションと呼ばれていたこの航空会社は、2015年に最終的にアメリカン航空に吸収されるまで、何度か名称が変わりました。

USエアウェイズは、「サリー」の愛称を持つチェズレイ・サレンバーガー機長が、雁の群れによって両エンジンが停止したUSエアウェイズ1549便を操縦し、ハドソン川に安全に着水させた『ハドソン川の奇跡』と永遠に結びつけられることでしょう。

12

カーニバル・エアラインズ

carnival air lines aircraft, archival
Torsten Maiwald

運航期間:1988~1998年

カーニバル・エアラインズはクルーズ船ビジネスの大手企業が所有しており、クルーズ事業における成功を、変動の激しい航空会社の世界でも再現できると考えていたのでしょう。ですが、それは間違いでした。

カーニバル・エアラインズは25機の航空機を保有し、アメリカ東海岸全域、バハマ、ハイチ、プエルトリコにまでネットワークを広げていましたが、最終的にパンアメリカン航空に買収されました。その後パンアメリカン航空の財務状況が悪化すると、マサチューセッツ州の航空会社ボストン・メイン航空に買収されましたが、2008年に運航停止となっています。

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13

ミッドウエスト航空

midwest airlines aircraft
RuthAS

運航期間:1984~2010年

ウィスコンシン州ミルウォーキーとミズーリ州カンザスシティを拠点とするミッドウエスト航空は、その名にふさわしい航空会社でした。

ミッドウエスト航空は、長年にわたって多くの就航都市を増やし、本拠地をはるかに超えるネットワークを築き上げました。2000年代初頭には合併が相次ぎ、最終的にはLCCのフロンティア航空へと姿を変えています。

ミッドウエスト航空を復活させるという話があり、投資家たちがその後押しをしているという噂もありましたが、実際には特に何も起こっていないようです。

14

エア・カリフォルニア

air california aircraft
Richard Silagi

運航期間:1967~1987年

西海岸の日差しを思わせる明るい色彩の機体を所有していたリージョナル航空会社(地域航空会社)で、カリフォルニア州オレンジカウンティのジョン・ウェイン空港に本社を置き、13都市に就航していました。

そうしてエア・カリフォルニアは1987年に、アメリカン航空と合併。航空業界にはこのような小規模な地域航空会社が数多く存在していましたが、徐々に現在のような大手航空会社に取って代わられていきました。

15

モホーク航空

mohawk airlines aircraft
RuthAS

運航期間:1945~1972年

モホーク航空は設立から20年間、当初運航していた大西洋中西部のネットワーク以外へも徐々に路線を拡大。1960年代前半は特に実り多く、多くの新規路線を開設した結果、国内トップ13の地域航空会社の一つとなりました。

しかし良いことばかりではなく、1960年代には2度のストライキが起こり、そのうちの1回は154日間続きました。このネガティブな報道が致命的となり、最終的にアレゲニー航空に吸収合併され、後にUSエアウェイズとなり…です。

***

POPULAR MECHANICS
※この翻訳は抄訳です

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