31歳の男性、辛い過去を乗り越えるまでの道のり

ジョーダン・ウィザーズ(Jordan Withers)さんが100マイル(約161キロ)のウルトラマラソンを見事に走破したのは、つい先日のことでした。現在(2023年8月)31歳のウィザーズさんですが、1年半前までは5キロの距離さえ走り切ることができなかったそうなのですから素晴らしい進歩です。

気温30度という苛酷なコンディションの中で開かれたウルトラマラソンを完走したばかりか、なんと12位でゴールするという驚くべき成績を残しました。「うだるような暑さでした。イビサ島の海岸沿いを走るのなら、まだ気持ち良いかもしれませんが…。でも、坂道だらけで路面の悪い、さらに埃っぽいコースだったのです。馬鹿げた挑戦だったかもしれません」と、ウィザーズさんは振り返ります。

ウルトラマラソンの結果が賞賛に値するものであることに、疑いを差し挟む余地などありません。しかもこれは、1年半に及ぶ肉体改造を経たウィザーズさんの成し遂げたいくつもの偉業のひとつに過ぎないのです。

弁護士のアシスタントから弁護士へと昇格を果たしたばかりか、マイホームまで購入したということ。そんなウィザーズさんの計算によれば、「ピンポン玉にして3万個分、クィーンサイズのマットレス1個分、車のタイヤ2本分、ボウリングの玉4つ分、子熊1頭分、あるいはティーバッグ9万6千個分」に匹敵する重さ、約31キロの減量を成功させたことで得られた自信があればこそ達成できたことだそうです。

マレーシア航空17便撃墜事件で叔父を亡くした悲劇

ウィザーズさんへのインタビューを通じて、ある事実が明らかになりました。「その後の運命を決定づけるほど大きな変化のタイミング」というものが、人生にはリアルに生じることが改めて確認できたのです。今では、「友人たちからは、ジョーダン・ウィザーズ2.0って呼ばれているんです」と笑っています。変身以前のウィザーズさんは、全くの別人でした…。しかも、今は亡き愛する叔父グレン・トーマス氏は2014年に撃墜された、あのマレーシア航空17便(MH17便)*に搭乗していたのです。その悲劇もまた、ウィザーズさんの人生を大きく変えた出来事でした。

※マレーシア航空17便撃墜事件…2014年7月17日にマレーシア航空の定期旅客便がウクライナ東部上空を飛行中に撃墜され、乗客283人と乗組員15人の全員が死亡した事件

叔父を亡くす前のウィザーズさんは、英北西部にある街ブラックプールに暮らす、ごくごく普通の青年でした。21歳の彼は大学を出たばかりで、同年代の若者たちと同様に自分の居場所を探していました。子どもの頃からフィットネスに親しんできたウィザーズさんでしたが、ビザの食べ過ぎとビールまみれの学園生活が、肉体に良くない影響を及ぼしたことは明白でした。

大学を出てからのウィザーズさんさは、スイスに住む叔父のトーマス氏の家での居候生活をはじめます。トーマス氏は世界保健機構(WHO)の広報担当官でした。そんなある日、悲劇が襲い掛かったのです。「叔父はジュネーブからアムステルダムへ飛び、そしてアムステルダム発のMH17便に乗り換え、マレーシアに向けて飛び立ちました。不幸にもあの便に乗っていたのです。ロシアの支援を受けた分離主義者(分離主義=国内における民族的、宗教的、人種的な少数派が中央からの分離独立を目指すことを指す)が発射したブークミサイル(9K37 ブーク=ソビエト連邦で開発された中・低高度防空ミサイル・システム)によって撃墜されたあの飛行機です」と、ウィザーズさんは首を振ります。

「あの事件が過去のことになるにつれ、肉体的にも精神的にもひどい状態だった」

撃墜事件で叔父を亡くしたウィザーズさんは、被害者家族の「ちょっとしたスポークスマン」のような立場で、突如としてスポットライトに晒(さら)されることになりました。報道メディアのインタビューだけでなく、「BBCのドキュメンタリー番組にも何度か出演した」とのこと。ですが、やがてニュースが過去のことになるにつれ、撃墜事件の新聞さえもフィッシュ・アンド・チップスの包み紙になるように…。その当時のウィザーズさんは自分自身のケアを完全に疎(おろそ)かにしており、また人生の目的も見失ってしまい、肉体的にも精神的にもかなりひどい状態だったとのこと。

「すでに体重オーバーの状態でしたが、そこから一気に肥満が進んで、なんと120キロに迫る勢いでした。食生活も乱れに乱れ、サッカーやテニス、ゴルフなど、それまで好きだったスポーツからも遠ざかってしまいました」と、ウィザーズさんは振り返ります。「気持ちが落ち込んで運動できず、運動不足でさらに気持ちがふさぎ込む、という悪循環です。ただひたすら食べてばかりで、もう最悪でした」と…。

立ち直るきっかけがトレーニング

「マレーシア航空17便撃墜事件のショックから立ち直るまで、実に8年の歳月を要しました」と、ウィザーズさんは言います。その間ウィザーズさんは、さまざまなセラピーを頼ったそうです。かなり高額のセラピーも受けたと言います。しかしながら、すっかり落ち込んで萎縮した心理状態では、せっかくの対話型のセラピーも助けにはなりません。ある日、母親を目の前にして泣き崩れてしまったウィザーズさん。見るに見かねた母親が、妹が入会したばかりのパーソナル・トレーナー「Lifestyle Lean(ライフスタイル・リーン)」を試してみるようすすめられたそうです。

「なにもかもが飽和状態で抱えきれず、思わず泣き出してしまった日のことは、今でもよく覚えています」と、ウィザーズさんは言います。「このままではダメだと思いました。とにかくひどい精神状態で、なにをしてもうまくいかないのです。意を決してマーク・ロス氏(Lifestyle Leanの創設者)に電話をかけましたが、その電話の最中にも泣き崩れてしまうありさま。目標を訊(き)かれましたが、自分がなにを望んでいるのかも分かりませんでした。『シックスパックの腹筋はどうだ?』と言われ、『いいですね』と答えました。『それならお安い御用だ、だけど自分自身の本当の願望にも目を向けるんだ』と、マークに励まされました」、ウィザーズさんはそう振り返っています。

「私が電話口で泣いてしまったのはシックスパックの腹筋が欲しいからなどではないと、彼はよく分かっていたのでしょう。マークは精神科医ではありませんが、これまで何人もの肉体改造をサポートしてきた経験から、『これは体重の問題だけではなさそうだ』と察したのだと思います。彼は洞察力に長けていますので」。

「外交的で自信に満ちたパーソナルトレーナーの世話になるべきか、まずその点に不安を覚えた」

とは言え、その電話から1年半後のバージョン2.0まで、なにもかも順調だったという話ではありません。肉体改造の取り組みをはじめた当初のウィザーズさんは、外交的で自信に満ちたパーソナルトレーナーの世話になるべきか、まずその点に不安を覚えたと打ち明けています。

「インスタグラムを開けば、シックスパックの腹筋で誇らしげなポーズを取る人々の自信に満ちた姿が目につき、むしろコンプレックスで落ち込みました」。それでもどうにか、初回のセッションに挑みました。でもその時点では、まだ自分がなにをしようとしているのかさえ定かではありませんでした。「その時点まで1週間ほど何も喉を通らず、いきなり叱られる始末でした」とウィザーズさんは振り返ります。「そんなことで体重を減らして、一体なんの役に立つんだ…ってね」。

まず取り組んだのは週3回のジム通い、2回のランニング、そして毎日1万歩のウォーキングというプログラムです。食事もピザやテイクアウトを禁止して、バランス重視に切り替えました。牛肉の赤身、七面鳥のミンチ、鶏肉、サーモンなど、タンパク質の摂取に重点を置くようアドバイスを受けました。「Lifestyle Lean」のトレーニングはリモートで行います。ロス氏に紹介されたコミュニティに参加し、なにを目的にするのかだけでなく、なぜ目的を持つのかを理解するところから学ぶ日々がはじまりました。

なにもかもが順風満帆に進んだわけではないのは、上述のとおりです。

まず15キロの減量を達成したところで、「インスタグラムの罠に陥った」とウィザーズさんは言います。体形の変化が人々の目にとまるようになると。「つい『これでもう大丈夫だ。ばっちりの体形を取り戻したぞ』と、そんな思いに支配されてしまうのです。一度その罠にはまると、そこから抜け出すのはなかなか大変です」と言います。そんなウィザーズさんがトレーニングを続けられたのは、ひとえにロス氏の存在と、そこで課された責任があったからでした。結局、トレーニング開始から1年半という時間を経て、念願のシックスパックを獲得。これでついに、写真撮影の準備が整ったというわけです。

マレーシア航空17便撃墜事件で叔父を失った男性、フィットネスに打ち込むことで人生の再起を目指しました
Jordan Withers
マレーシア航空17便撃墜事件で叔父を失った男性、フィットネスに打ち込むことで人生の再起を目指しました。
Jordan Withers

かつての自分自身の姿を、そして自分がなにを成し遂げたのかを記憶に刻み込むため、ウィザーズさんはA5サイズに印刷した「ビフォー」の写真をスタジオに持参したと言います。

「マンチェスターのどこへ行くときにだって、その写真を持って出かけました。みんなからどう思われていたのかなんて知る由もありません。ぶくぶくに太っていた当時の大きな写真に、肉体改造を開始した日付と、それをやり遂げた日付を書きこみ、『ジョーダン1.0』、『ジョーダン2.0』と書き添えたのです。全くの別人に生まれ変わったかのような気分でした。失われた8年間をやっと取り戻すことができたのですから…。ただ、フィットネスによって生まれ変わることになるだなんて、あの頃は想像もしていませんでした」。

「それまで、肉体と精神との関係性まで理解できていなかったのです」と、ウィザーズさんは続けます。「精神さえ整えば、肉体もそれに応じて整っていくものと思い込んでいました。精神状態さえ元通りになれば頭もはっきりするし、食生活もまた健康的になるはずだ…とね。でも実際は、その逆だったのです」。

マレーシア航空17便撃墜事件で叔父を失った男性、フィットネスに打ち込むことで人生の再起を目指しました
Jordan Withers

目標を達成したウィザーズさんは、ウルトラマラソン、Hyrox(ハイロックス=最先端のフィットネスレース競技)、ブラジリアン柔術まで、さまざまな競技に参加し、スポーツの楽しさを噛(か)みしめています。そして、キャリアの面でも大きな前進を遂げました。将来は、フィットネス業界への進出も視野に入れているとのこと。

しかし、なににも増して大きかったことは、再び幸せを感じられるようになったことではないでしょうか。「両親も、『まるで10代の頃のジョーダンに戻ったようだ』と喜んでくれています。おかげで自己肯定感も高まりました」と、笑顔で締めくくってくれました。

Source / Men’s Health UK
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です。