Netflixオリジナルドラマシリーズ『ザ・クラウン』が、待望のシーズン3の配信を開始しました。ストーリーは1964年、労働党が13年ぶりに政権を取り、ハロルド・ウィルソンが首相となるところから始まります。税金で支えられている王室への不満が高まる中、バッキンガム宮殿では、ウィルソン首相にもスパイの疑いを向けるほど、共産主義への警戒が広がっていました。

そして第1話では、他でもない宮殿内に長年ソ連のスパイが潜んでいたことが明らかになります。サミュエル・ウェスト演じる王室付き美術鑑定家のアンソニー・ブラントは27年間、王室でこの役を務めましたが、最初の19年間はソ連のスパイとして活動していたのです。彼は、刑事免責と引き換えにこの事実を自白し、その後の8年間も宮殿内にとどまることに…。これだけでも驚きですが、ここではさらに、ドラマでは描かれていない事実をみていきましょう。

アンソニー・ブラントとは何者なのか?

ブラントはイングランド南部ハンプシャー生まれで、ケンブリッジ大学に学びました。ケンブリッジ大生だった1933年にソ連を訪問。1934年にはKGBにスパイとして採用されたとされ、その後はケンブリッジでスカウト活動をしていたとされています。第二次世界大戦中はイギリス軍に従軍し、ドイツに関するイギリス側の情報をソ連に流していたこともあったようです。ブラントは当時、ウィンザー公(エリザベス女王の伯父で王室を離脱)とヒトラーとの関係を示す極秘文書(マールブルク文書)をドイツから回収することにも成功しました。

スパイ、旧ソ連、バッキンガム宮殿
Netflix
『ザ・クラウン』 で、アンソニー・ブラントを演じているサミュエル・ウェスト。

ブラントはクイーン・マザー(エリザベス女王の母)の親戚筋にあたり、美術鑑定家としての功績で1956年にナイトの称号を受勲します。

ソ連のスパイであることはいかにして明らかになったのか?

ブラントは、第二次世界大戦中から1959年代半ばごろにかけて活動したケンブリッジ大学卒業生によるスパイ網「ケンブリッジ・ファイブ」のメンバーの1人。当時英国の外交官だったメンバーのドナルド・マクリーンとガイ・バージェスが1951年に突然ソ連に亡命したことで、存在が公になりました。3人目のメンバー、キム・フィルビーはスパイ疑惑を持たれつつも、1963年まで英国の諜報員を務めた後、亡命しています。

その翌年、ブラントが「ケンブリッジ・ファイブ」の4人目のメンバーであることが明かされます。ブラントがケンブリッジ大学で勧誘を試みたマイケル・ストレイトという米国人が、英国諜報機関にブラントがスパイであることを通報したのです。ブラントはそれまでに疑いを持たれており、11回以上も尋問を受けていましたが、このときは、訴追免除と引き換えに事実を告白しました。

スパイ、旧ソ連、バッキンガム宮殿
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スパイであることがわかった翌週、初めて公に姿を見せたアンソニー・ブラント。「タイムズ」紙の社屋で記者会見を開き、スパイ疑惑における自身の役割について説明しました。

告白後はどうなったのか?

ブラントは訴追の免責以上の待遇を得ることができました。『ザ・クラウン』では、王室がその秘密を受け入れ、告白後もブラントを王室付きの役職にとどめた経緯を正確に描いています。このエピソードでは、英国諜報機関の名誉を守るためにブラントの訴追を免除したことが示唆されていますが、このほかにも、シーズン2で登場した「プロヒューモ事件」に関与していたとの噂があった「王室の人物」の肖像画をめぐり、ブラントがフィリップ王配を脅迫するシーンもあります。(この件に関しては、英国王室は口を閉ざしています。)わかっているのは、ブラントはウィンザー公とナチスとの交信についての内部情報に通じており、女王はこれを世間に広めたくなかったのではないのか、ということです。

結局、ブラントは1972年までバッキンガム宮殿に仕え、本を執筆したり、ロンドン市内で講演を行ったりしていました。しかし、マーガレット・サッチャーが1979年に首相に就任すると、彼女はブラントの裏切り行為に対する処分の甘さに憤り、その年の11月に下院でこの事実を公表したため、メディアは大騒ぎとなりました。その結果、ブラントはナイトの爵位を剥奪され、その後はロンドンでひっそりと暮らしていましたが、1983年に心臓発作により75歳で亡くなりました。

アンソニー・ブラントの回顧録は2009年7月に初めて出版されましたが、彼はそこで、スパイ行為は「人生最大の過ち」だったと告白しています。さて、すべてが明らかになった後のエピソードは、『ザ・クラウン』シーズン4で登場するのでしょうか…?

Source / Esquire US
Translation / Keiko Tanaka 
※この翻訳は抄訳です。